第十五話 眠らない秤と、最後に量られるもの
その街では、夜になっても秤が止まらなかった。
昼は貨物を量る秤。
夜は人を量る秤。
量られるのは体重ではない。
信用、価値、そして――使い道。
街の名は ヴァーゲンブルク。
名の通り「秤の城」。
商人組合が実質的に街を支配し、金の流れが城壁より強固な街だった。
門をくぐると、すぐに検量所がある。
荷を持つ者は全員、止められる。
「積載証を」
「ない」
「なら、夜間検量だ」
夜間検量。
昼に量れなかったものを、夜に量る制度。
アッシュは外套を揺らし、門番を見る。
「俺は荷じゃない」
門番は一瞬考え、肩をすくめた。
「……人間も量る」
街に入ると、視線が多い。
秤の街では、人は数字に見える。
宿は安宿だった。
女将は若く、目が早い。
「夜は出ない方がいい」
「なぜ」
「量られるから」
「何を」
「“余り”かどうか」
余り。
この街では、使い道がないものをそう呼ぶ。
夜。
通りを歩くと、一定の間隔で秤台が置かれている。
誰もいないようで、必ず誰かが見ている。
路地で、少年が止められていた。
二人の男。商人組合の下役だ。
「名前は」
「……ない」
「登録は」
「……」
男の一人が秤を指す。
「乗れ」
少年は従う。
秤が軋む。
「軽いな」
もう一人が帳面を見る。
「年齢、十五。
職歴なし。
保証人なし」
帳面が閉じられる。
「余りだ」
少年の肩が震える。
「どうなる」
「倉だ」
倉。
この街で“倉”と言えば一つしかない。
アッシュは屋根の影からそれを見ていた。
止めない。
止めると、次が来る。
倉は街の中央にある。
巨大な建物で、昼は商品、夜は人が入る。
翌朝。
市の掲示板に紙が貼られる。
――夜間検量結果
――処理完了
処理。
数が合えば、それで終わる。
アッシュは倉の周囲を歩いた。
壁は厚い。扉も多い。
だが、全て“出入り”のための扉だ。
倉を管理している男の名は マティアス・クルーガー。
商人組合の会計責任者。
数字を信仰し、数字に守られている男。
昼、彼は演壇に立ち、こう言った。
「秤は嘘をつかない。
嘘をつくのは人間だ」
拍手が起こる。
秤の街では、正しい言葉だ。
夜。
アッシュは倉の屋根にいた。
風向き、警備、交代。
全て規則的だ。
規則的すぎる。
倉の最上階に、小部屋がある。
秤の管理室。
中には、巨大な記録秤があった。
街全体の“過不足”を計算する秤。
――労働力
――食料
――住居
――余剰人口
余剰人口。
数値は常に“適正”に保たれている。
アッシュは秤の下に、小さな錘を置いた。
ほんのわずか。
誤差程度。
だが、秤は誤差を嫌う。
カチリ、と音がする。
記録がズレる。
余剰人口:+1
翌朝。
街はざわついた。
「数が合わない」
「誰かが足りない?」
「いや、余っている?」
商人組合が集まる。
マティアスが眉をひそめる。
「再検量だ」
再検量は、夜に行われる。
夜。
倉が再び動き出す。
だが今回は違う。
秤が示す“余り”が、帳面と一致しない。
「おかしい……」
マティアスが呟く。
「誰が余りだ」
秤は答えない。
ただ、数値だけを示す。
余剰人口:+1
誰か一人を処理しなければ、秤は合わない。
だが、誰だ。
商人たちは互いを見る。
保証人を確認し、契約を確認し、保険を確認する。
そして――
「……クルーガー、お前だ」
沈黙。
マティアスが顔を上げる。
「何を言っている」
「お前は生産しない。
消費はする。
だが、代替が効く」
数字の論理だ。
彼が作った論理。
「秤が示している」
商人の一人が言う。
「秤は嘘をつかない」
マティアスは叫ぶ。
「待て!
私はこの街に必要だ!」
「“必要”は、秤が決める」
夜明け。
市の掲示板に紙が貼られた。
――会計責任者交代
――数値調整完了
処理完了。
倉は閉じられ、夜間検量は一時停止された。
理由はこうだ。
――秤の再調整のため
少年の姿は、二度と見られなかった。
だが、その夜から、倉に人は入らなくなった。
アッシュは街を出る。
背後で、秤が静かに止まる。
数字は、誰かを殺さないと保てない。
なら、その数字を信じる者を、数字に乗せればいい。
血は流れなかった。
刃も振るわれなかった。
ただ一つ、
街の正義が、自分自身を量って壊れただけだ。
次の街へ。
次の夜へ。
静かな夜を歩く者として。




