奥編 moglie 30:杏の里(その1) Villaggio di albicocca:primo
何かに掴まれたと感じた瞬間、既に身体は空中に放り出される。
周囲は暗闇、何処までも落ちて行く感覚、ゲーム内でさえ一度も経験したことがない。
何も見えない中で仮想画面に文字が浮かび上がる。
“ワイド・インスタンス:杏の里„
嫌な予感がする。
一面の吹雪、真っ白い荒野が見渡す限り続く。
寒い!
生命の腕輪のインベントリからマントを取り出して急いで着る。
「火の加護!」
コーリから習った火の結界で防寒する。
しかしコーリの魔法より効果が薄い。最近の悩みの一つだ。
何処に行けば良いのか?
何をさせようとしているのか?
白い闇に囚われるように、ただ歩き続ける。
「あなたにはできないわ!」
雪の結晶が話掛けて来る。
「無意味なことの繰り返しよ!」
後ろから違う声がする。
「魔法は才能よ!」
遠くから響く。
「選ばれなかった可哀想な子」
上で笑う。
「甘えん坊さん! 諦めなさい」
耳元で囁く。
「足手纏いにならないうちに、消えてしまいなさい!」
そう、ここで倒れて、消えればいいのか。
「眠りなさい。眠りなさい」
「消えなさい。消えなさい」
「邪魔な子は、居なくなれば良いのよ」
そうだね――
ふと、何かが聞こえる。
吹雪の中に木擦れの音
誘われるように近付く。
風に乗って何かの香がする。
これまで感じたことのない。
甘い? 甘い香
「教えても無駄ね!」
何故?
「素質は子供のときに現れるのよ。ほらみんなできるでしょ」
あたしにも、出来るはず。
「あなたに才能はないわ。できないのはあなただけ」
何故、あたしだけできないの?
「もう遅いの、諦めなさい。足手まといの邪魔な子」
役に立たない子なの?
「立派なご両親の血を引くとは思えないわね」
要らない子?
みんなから離れるしかない。
こんな命なら無くしてもたいしたことはない。
人がたくさんいるところにいけば、きっと受け容れてくれる。
でも、どこも受け容れてくれなかった。
子供たちがたくさん遊んでいたのに
――遊ぶ? そんな言葉さえ知らなかった。
梢を揺らす風の音に気づく。
幻想だったのか?
香に酔ったのか?
香に惹かれるように近付くと、
吹雪と薄靄の区別すらつかない白い世界の中で枯木が並ぶ。
誘われるように脚を踏み入れる。
周囲が一気に変わる。
甘い果実の香が漂い、生暖かい空気が違いを際立たせる。
杏の樹が群生している。
樹々の間は、一面緑の野草――見渡しても人はいない。
ここは何処だろう?
杏の枝が交錯する中、草を掻き分けて進む。
砂漠の水場と思える場所、人がいないはずはない。
丘の斜面、杏が林立する間に小川が流れる。
せせらぎの側で膝を折り、手を浸す。
透明な水が乾ききった皮膚を潤しながら、軽やかに指の間を抜けていく。
両手で掬い上げ、唇を湿らせる。
淡い液体が口の中に広がるとともに、渇きがあったことに気づく。
ゆっくりと息を吐きながら、緊張感を解く。
ここは危険はなさそうだ。
吹雪の中での野宿より、よほどましだ。
腰を下して靴の紐をゆるめ、痛む筋肉を宥める。
仰向けになり見上げると、梢に取り付く葉の間から靄に包まれた空が見える。
焦燥感が溶け、歩くことから免れた身体を自意識から開放する。
感覚が切り離され、眠りへ落ちる。
眼を開くと閉じた以前と全く変わらない空
時間の経過すら意識されない。
それはそれで良い。たいした時間ではないだろう。
ふっと何か光るものが眼の片隅を横切る。
好奇心が後押しし、首を振って起き上がる。
野草の間に小さく光るもの、ちょうど両手に乗るくらい
――人の縮小模型
虹色に煌く透明な羽、亜麻色の髪、白いうなじ、淡く輝く衣服を纏う。
伝説の眠れる姫とも思う。
彼女は少し不規則な息をして、身体を反らせる。
細い唇が囁くような声を出す。
瞼が開き、透きとおった藍色の瞳が視点を合わせる。
「あなたは――誰?」
可憐な声が話し掛けて来る。
「ボクはアルフィ、君は?」
「あたしは、あたしは……よく分からない」
身体を起こして眼を瞬かせる。
「その羽、姿、妖精じゃないの?」
彼の声に振り返り、虹色の羽を見る。
「あたし妖精? そう、あたしって妖精なんだ」
羽を振って笑う。
「アルフィ、寂しそうな眼ね。あたしが、傍にいてあげる!」
杏の枝を見上げながらゆっくり歩く。
妖精は回りを軽やかに飛び回る。
「何というの?」
問い掛けてみる。
「名前のことだったら――知らない。何故あそこに居たのかも分からない」
「何も憶えていないの?」
「そう、だから、あたしに名前をつけて!」
杏の香を乗せた風が二人の間を吹き抜ける。
「アルフィ、どうしたの? 遊ぼ」
遊ぶ? 何故?
「そんな顔しないで、遊ぶのが妖精の仕事よ!」
吸い込まれるような笑顔で語る。
「ベル、何故傍に居るの?」
「ん、何かお願いしたかったの……よく憶えていない」
少しだけ、困ったように首を傾ける。
ベルを見つめる。
「ふふっ、笑った」
笑う? ボクが?
「初めて笑顔を見せてくれた」
可憐な声が心を融かして行く。
次回 「奥編 31:杏の里(その2): Villaggio di albicocca:secondo」




