僕が俺の理由
「あぁがあああぁあああっぁぁぁああぁあぁああぁっぁぁああぁああぁぁああぁぁぁ」
その突然の絶叫に耳を塞がずにはいられなかった気がした。彼女には全くと言っていいほどに似つかないその声と言っていいのかも分からないただの音が、夕焼けの空を背後に痛く鳴り響く。なぜだか空気が重くなるような錯覚に襲われると同時に、教室を囲むすべてのガラスに壁、天井に空気に漂う埃さえも鳴動しているように見て取れた。
俺はそれらが鳴り止んだのを見計らって、耳介から手を離す振りをする。そして耳鳴りをいつまでも煩わせてしまいそうだったその叫喚の音源を見つめ続ける。慟哭は少しばかり鳴りをひそめ、みっともなく涙と鼻水と唾液を垂れ流していた。しかしそれでも彼女はどうしようもなく美少女だった。そんな彼女を見続けていると、彼女はひっくひっくと嗚咽を漏らすが、その奥にまた違った感情を見た。
するとどうだろう。
さっきまでの苦しそうな嗚咽はどこへやら、殺気じみたものを切っ先鋭く寄越してきた。
「あなただったのね」
抑揚のない声が静かに響く。俺はその発言は誰に向けてなのかと探してみる振りを極め込む。
はて、と首を露骨に傾げる。
その時だった。
残陽を背景に牧之さんが光る。
彼女の右手が、青いや黄、また変わった。今度は紅。そのあとは背景に溶けるような紫。
「黄昏に溶く薄紫の光よ、その朧気なる瞬きを散らさん。我が意志に応え右手に集い、固く輝く剣となれ」
輪郭を失った光が拡散し、眩ます。目を細めてやり過ごしていると、その光が凝集し始めた。そしてその蝟集の核を中心に三重ほどの円が、いや方陣が浮かび上がる。
正直にきれいだった。
それに見とれていると、その光が形を成す。
鋭く、そして暗く輝く。
それを見て誰かが短く声を上げた。
その微かな悲鳴に乗じて、俺もそれに慄く振りをする。あわわーと。
しかしそれを無視するように再び彼女が口を開いた。
「あなただったのね」
彼は未だに深く沈んでいる。そうやって私を見上げるその顔が不快で、足蹴にしたかった。
だけど同時に何かが湧き上がる。
湧き上がったそれに、全身が小刻みに震える。
その湧水は纏わりつくように私を侵食する。
脳も、心臓も、悲しみも絶望も、それに重く被われる。
締め付けられるように、それでいてどこか解放されるよう。
隠れていた何かがそれによって開花する。
生まれたそれはその涌水と、汚く、黒く混さり合う。
そして右手に持つ刃までも覆いつくした。
その膠着に任せるように振りかざす。
赤い夕焼けを背景に、彼女が黒くなっていく。
別に人のオーラが目に見えるというわけではない。ただ彼女の目に灯る何かがそう感じさせた。灯る?少し違うかもしれない。奥にしまってあったものが発露したような、そんな感じ。
その黒さと赤い空とのコントラストが何とも幻想的だった。
いつかの夕日に陰る暗い部屋を思い出す。あの時も確か彼女はこんな感じに黒かった。
俺は立ち上がって、その黒い彼女から離れる。
しかしそんな黒い彼女は俺を追うように動き出す。
右手に持ったナイフを軽く握り直したかと思ったのも束の間、彼女が滑るように近づいた。
近づくと尚黒い。
それを見て、しょうがなく発動させる。
右手を胸の前にかざし、
そして一際大きく息を吸う。
「麗しきパンツ足り得ぬ布たちよ、今こそその穢れなき無垢をさし示さん。柔やかに我が眼前へと集い、清く優しき盾となれ!パンティーっ!」
瞬間、その右手が紫色に瞬く。そして魔法陣が展開した。
同時にそれらがどこからともなく出現する。
数にして約二十。
非常に心苦しいが、それを掌より一回り大きく、多少の厚みをもって集結させる。
そして出来上がったその柔らかき盾を彼女の振りかざすそのナイフに向ける。
次の瞬間、鈍い衝突音が響いた。
例えパンツでもそれが何枚も重なれば容易には貫けないだろう。
しかし本当に申し訳ない。
後でちゃんと供養してあげるから。
そうやって目に涙を浮かべながらその揺れる視界で彼女を見ると、彼女の表情は驚愕のそれだった。そして口をあわあわと開く。
「…ま、まさかっ…こ、これは私の…私のパンツ!?」
「ああ、そうだとも。牧之さん。…いや、郷美。これは、君のパンツだ!」
「…え、で、でもどうやってっ…ちゃんとクローゼットに仕舞ってあるはずなのにっ!」
郷美は自分の握るナイフに絡まった裂けたパンツを左手で弱弱しく取ったあと、それを固く握りながら声を荒らげた。
「…え、ちょっと待って…うそっ…私のもある…っ」
「そうだよ、三津さん。当然さ。…君のは…これかな?」
その柔らかき盾から、かの黒のレースを引っ張り出して左手に掲げる。
「…あ、私のお気に入りっ…」
「ほう、そうなんだ。これが君のお気に入り…ね…たぁーべちゃいたぁいよおぉー」
「ぃひっ!お願い止めてっ!それだけはっ!」
左手に持ったその黒のレースを口元に持っていき、ついでに臭いを嗅ぐ。
「すーはー…うひっ…やめてほしいなら、それなりの…ねぇ?」
「…くっ!わかったっ!わかったから!それ以上はっ!その子を離してっ!」
三津さんはそう慌てながら、届きもしないのに右手を伸ばす。
「…で、何をしてくれるんだい?」
「…あの時の約束…私のスカートを捲らせてあげる…っ」
「小海っ!ダメですそれだけはっ!撤回するのです!いいじゃあないですか!パンツの一枚や二枚くれてあげましょうよっ!」
郷美が似つかないような声を上げた。
「郷美…ありがと…でもね私…あの黒のレースが大好きなの」
「…小海っ」
「じゃあ早速ぅーおっと郷美。動いちゃだめだよ。もし動いたら君のパンツも食ぁべちゃうから」
そう忠告してから三津さんに近づく。その三津さんは顔を真っ赤にそして目に涙を溜めながら顎を少し上げていた。ついでに丸い拳も握られている。僕はその三津さんの真正面におっ立ってから、片膝立ちとなる。そして両手を揃えて自分の右肩よりやや外側へと動かし、そのあたりのスカートを掴む。するとどこからか声がした。
「あの構えはまさかっ「虹裏」っ!伝説の捲士の「虹裏」が見られるのか!」
加殿さんが興奮気味に言ってくれた通り、僕が今から繰り出す技は「虹裏」。
揃えた両手でスカートを、こうやって虹の弧を描くように捲る!
「…んっ!」
「ほう…これがかの水色パンツか。いやはや、素晴らしいね」
「違うわっ!青よっ!もういいでしょ!黒のレース返してっ!」
涙をまき散らしながら、三津さんが右手で空気を掻く。
「しょうがないなぁ…ほら」
「あ、ありがとっ」
三津さんが面白いほどにぱっと顔を明るくさせた。そんなにこの黒のレースがお気に入りなのか。なんだかその反応が面白くて同時に可愛くて、もっと見たくなる。という事で黒のレースを引き戻す。
「あ、あーあ、ああ、あーん、ん、んーん」
何か頑張ってた。
「ほれほれ~」
「ん!ちょっとっんっ!あ、ん!」
つま先でぴょんぴょん跳ねる。もうおっぱいがぼよんぽよん。ぐふふ。全く最高だぜっ!
満足したので手を離す。
「んはっ、はあ…おかえり…怖かったよね、辛かったよね…ごめんね。もう大丈夫だよ…」
三津さんはその黒のレースを取り戻すと、それを胸に優しく抱いてその場にへたった。
それを見下ろしていると、今度は郷美が目に涙を溜めながら激昂してきた。
「ど、どうして!私と小海の、ぱ、パンツを出現させることができたのですかっ!?」
「そうだな。いつの事だったかな。いつしか君の、いや三津さんの家にお邪魔しに行ったことがあっただろう?その時に、君と三津さんのクローゼットの位置情報を記録しておいたんだっ!だから君と三津さんのパンツをテレポーテーション、いやテレパンティーションをできたのさっ!ついでに言うと、君のブラジャーさえもここにテレポートさせられるよ。あ、そうだ。今から君にとって、悲劇的で衝撃的で絶望的な事を教えてあげよう!…実はな、今君が穿いているそのピンクのしましまパンツぅ!そのピンクのしましまパンツの位置情報もトレースしているのだっ!つまり僕がここでまた魔法を使えば、君の脱ぎたてホカホカのピンクのしましまパンツが、一瞬にして僕の手中に収まるの、さっ!」
「そ、そんな…むごい…むごすぎます!なんの恨みがあって…パンツに罪はないでしょう!?」
彼女が胸に手を当て、必死に訴える。
「…罪は、ない?…いいや、罪深い…パンツはどうしようもなく罪深いっ!」
「なにを言っているの?パンツに何をされたっていうのですか?」
彼女は本当に何もわかっていないように、問うてきた。
「何をされたかって?…教えてあげるよ…パンツはな…パンツは僕の意識を!僕の心を蝕むんだよ!どんな時も!何をしていても!どこにいても!何を考えていても!パンツのその魅力、その美しさで、僕を狂わせるんだっ!惑わせるんだっ!これほどに罪深いことってあるかい?」「いいえ!あります!ありますとも…それはあなたの心です!あなたは、自分の心の弱さを、パンツが魅力的だからと、パンツが美しいだからと、なんでもかんでもパンツのせいにして、自分の罪を、パンツに顔を擦りつけでもするかのように、パンツに擦り付けているんです!パンツにこじつけ、パンツを頭に被るようにパンツで覆い、パンツで目隠しして、自分の弱さを見ない振りをしている!そんなあなた自身が一番罪深いですっ!」
「…言ってくれるよ…僕がどれだけ頑張ってきたと思っている!どれだけ我慢していたと思っている!僕がどれほど君のスカートを捲りたかったのか知らないだろう!?」
彼女を視界に収めるたびに、何度そう思ったことか。
「私の…スカート?」
「ああ、そうだとも。君のパンツは何色か、どんな形をしているのか、何度も考えた!何度も妄想したっ!そして何度も君のそのスカート捲りたいと思ったんだ!だけどしなかった。できなかったんだよっ!」
「できなかった?当然です!犯罪ですよ!」
確かにもう高校生ともなれば、笑い話じゃあ済まされないかもしれない。
「ああ、そうだ、ごもっともだ。だけど僕を抑止していたのは法律なんかじゃあない…」
僕の感情は法律なんかに止められない。
「どういうことですか?」
「君はもう僕が誰だか思い出したんだろう?」
「ええ、あなたは人間じゃあない。人でなしです」
ひどい言われようだった。しかしどうしようもなく的を射ていた。
「ああ、そうだとも、僕は…殺し屋だ」
「その事を知ってしまった私の妹を口封じのために殺し、そして両親をも殺した」
「だけど僕は君を殺さなかった、いいや、殺せなかった。なぜだかわかるかい?」
彼女を試すように尋ねる。
「…私を…私を愛していたから…」
彼女が僕の事をどう思っていたか聞きたかったが、なんとなくやめておいた。
「その通り。僕は君を愛していた」
「それとスカート捲りとなんの関係があるのです!?」
また彼女は声を張る。
「僕たちが出会った頃の事を覚えているかい?あれは…小学生の時だったね。君が転校してきて…」
「ええ、覚えています。私はあなたに何度も辱めを受けました」
「ああ、そうだったね。実はあの時から僕は君の事が好きだったんだ。だから何度も君にスカート捲りを繰り返していた。皮肉にもそれが僕を印象付けてしまったんだ。そしてそれから時が経って、君の妹にご両親も殺して、君の記憶を改竄した。しかし君も言っていただろう?記憶を取り戻すための、きっかけを探していると…」
そう言うと、彼女の顔色が変わる。
「ま、まさか、そのきっかけが、スカート捲りだったとでも言いたいのですか!?」
「ああ、そうだとも。現に君は記憶を取り戻した。確かに君の妹とご両親を殺した時、その場に君もいて、その僕の織り成す悲劇を目の当たりにしていた。僕が魔法で君の記憶をいじってもその衝撃の残滓がどこかに残っていたんだろう。そして僕を引き出したそのきっかけが、スカート捲りだったってことだっ!…本当はずっと君には忘れたままでいてほしかったんだ…だけど、どうしても君のパンツを見たかったんだ。どうしてもスカートを捲りたかったんだ」
「…だからあなたは、記憶を失くした、いえ、偽りの記憶しかなかった私に、初対面の振りをして、友人の振りをして、親切な振りをして…人間の振りをして、近づいて、その機を窺っていたのですね…身勝手です…そうやって自分の欲望に任せて、他人を顧みずに翻して、殺して、傷つけて、騙して…あなたには絶望しました。腹が立ちました。失望しました。最低です」
彼女はナイフと自分のパンツ足り得ぬ布切れを持っている両手を強く握りながら、視線を下げる。




