18-2:過去と出会い
歩く、ただひたすら歩く。
いつもなら幼なじみたちと大騒ぎしながら帰る道をシルヴァンは一人で黙々となぞっていた。
昨年産まれた第三王子の胸には次期国王の紋章が刻まれているという。それから1年あまりずっと国全体がお祭りムードで、この大通りもその例に漏れずカラフルな旗やら珍しい出店などがひしめいている。通行人も溢れんばかりの数が居て賑やかな通りの筈なのに、シルヴァンの耳には何の音も入ってこなかった。
同じ会話を頭の中で何度もリプレイし、同じ感想を何度も何度も心で愚痴る。
結局のところ私は何をしていたんだろう。
母に苦労をかけまいとしたのは本当だけど、それは母に頼まれたものではないただの自己満足だった。
もったいないというなら、智子の人生がもったいなかったのか。
こんな早く死ぬ事になるなら、勉強なんてせずにもっと遊べばよかった。
もったいなくて悔しい。
それを突きつけられたくなくてこっちでは何もしなかったのかもしれない。
努力ってなんなんだろう?勉強ってなんだったんだろう?自分が死んだらすべて無くなったほどちっぽけなものだったんだろうか?良くわからない。
真剣にこんなくだらない事を考えている自分に苦笑いさえ出そうにない。
何かもう、自分の気持ちでさえもわけがわからない。
あいかわらず賑やかな通りは静かで、ときおり笑顔で話しかけてくる街のおばさん達へはなんの反応もかえしていない。
今の僕は死んだ顔をしているだろう。明るい街の誰にもそれを見せたくなくて、鞄からそっと帽子を出して深く被った。
そんなにショックだったのかな。自分でもよくわからない。
ぐるぐる回る思考と乖離して身体はロボットのようにただひたすら家へ向かう。
「痛っ」
「うわっ」
突然ドンという衝撃が走り、シルヴァンは冷たい石畳の上に背中をぶつけた。と、同時に身体にドシリと重さがかかった。意識が瞬時に身体に戻される。
誰かとぶつかったらしい。弾みで二人一緒に転んでしまい、その人物に押し倒された体制になったようだ。相手の呼吸がシルヴァンの首筋をふうっとかすめる。そのあまりの近さにぞくりと震える。
痛みに顔を歪めながらも目を開く。ぶれる視界は、シルヴァンと同じくらいの年齢であろうの少年の姿を間近に映した。
黒いローブにすっぽりと包まれ、目元が隠れるぐらいまで深くフードを被っている。少年の体型にはローブが大きめなのかも知れない。少し動くたびに濃い金髪がちらちらと真っ黒いフードから覗く。
「どこ見て歩いてるんだよ!気を付けろよ、馬鹿!」
直後の罵倒に驚き思わず固まってしまった。なんて口の悪い少年だろう。
呆気に取られたシルヴァンに労りの言葉もないまま、周囲を真剣な目で見渡した後即座に体を起こし少年は走り出した。その瞬間、チリンと音をたて何かがシルヴァンの手の横に落ちた。それに気づかずに少年はどたばたと人込みに消えて行った。
地べたに倒れたシルヴァンが正気に戻ったのはそれからほんの10秒ほど後のことだった。背中はまだ痛かったが、幸い無意識にとった受け身のおかげで頭は打ってはいなかった。
大丈夫かい、と声をかけて助け起こしてくれた果物屋のおばさんにお礼を言い、しばしあの少年について会話をした。
一瞬の出来事でシルヴァンには分からなかったが、おばさんが言うには見覚えの無い子だろうということだ。おばさんはこの大通りに店を構えて何年もたつ人で、この辺りの子どもの顔は大抵覚えているそうだ。もちろんシルヴァンもここを通る度に挨拶をしている。
「まあ、フードでほとんど見えなかったから違ってるかもしれないけどね」とふふふと笑い、シルヴァンに果物を1つ差し出す仕草にはどうしてか違和感の無いかわいらしさがある。もう50代ぐらいのくせになかなかどうしているな、と感心して彼女の好意を受け取る。
――迷子か、はたまた旅の子か。
金の髪が脳裏にちらつく。
「第三王子様の生誕祝いで賑やかになっているからね、外からの観光客かしらね」
そんな言葉を聞きながら、おばさんがくれた薄ピンクの果物をかじり、ぼんやりと思う。
観光客なら随分とはしゃいでいたのだろう。正面衝突なんて物の角から突然お互いに飛び出すなどしなければそう無いことだ。それなのにぶつかった場所は大通りの真ん中なのだ。華やかな長い祭が繰り広げ続けられているここは、毎日通るシルヴァンでも何かしらによく目を奪われる。それが観光で来たばかりなのだとしたらそれ以上に余所見をしていて他に何も見れなくなって当然だ。
先ほどの事故の原因が自分にも同等にあるというのに、それを棚に上げてシルヴァンは納得する。
「あ、でもそう言えばあの男の子、何かに追われてたのかね」
「追われていた?」
「そう。そうだったわよ。あの時はぶつかったあんたたちが心配で気にしなかったけど、よくよく思い出してみればひどく焦っていたね。そういえばあんまりいい感じはしなかったし、観光客じゃないのかも。物でも盗んだのかねぇ。でも、追って来る人なんて見なかったから私の考えすぎかしら。だって泥棒したならそう叫んで追いかけて来るはずよねぇ」
少年は悪い者なのだろうか。
彼女の言う通り少年は周囲を見渡していた。その表情は間近で見たシルヴァンでさえ分からなかったが、せわしない雰囲気は確かにあった。事実、少年はシルヴァンへまともな対応一つぜずにさっさと去って行った。口も悪かった。
近年、国境付近の村で魔物の被害が増えているそうだ。村を魔物に襲われ行き場を無くした民が路上や廃屋に居着き、徐々に治安が悪化している街もあるらしい。国も対処しているそうだが、手が回っていない部分がある。それが少しずつ積み重なっているのかもしれない。けれど国の対応が無ければもっとひどい事になっているだろう。
この街も他の街のように治安が悪化し始めているのかもしれない。今までそんな風に思った事もないが、あの少年の存在はその兆候なのだろうか。
でも
シルヴァンはなんとなくそうは思いたくなかった。頭ごなしに決めつけたく無いとかそんな公平な正義感などではなく、ただただ彼を否定に固定したくなかった。「なんだよ、あいつ」と思わないことはないではないがそれとこれとは感情が違うようだった。
金の髪が、真っ黒いフードから覗いて。
先ほど少年が落として行ったものは金色の美しい鍵だった。それを手の内にぎゅっと握りしめ、シルヴァンは困った。あの少年にお礼を言うべきか否か。何故なら、彼とぶち当たる前の不毛な堂々巡りの思考は一掃されていたのだから。
「おかえり!」
自宅の木製のドアをギィと開けると、元気な声と共にドンッと足に何かがひっつく。
「ただいま、ドロテ」
遠慮なくひっついてくるかわいい妹をこちらも遠慮なく抱きしめる。帰宅一番はいつもこれなのでもう慣れたものだ。
まだ3才の妹の体当たりは先ほどの少年よりもずっと弱くて、シルヴァンの体制は崩れはしない。押し倒された時の少年の呼吸の近さを思い出してどきりとしてしまう。
首に当たった吐息が暖かかった……
いやいや違う。
なんとなくまずい意見のような気がして、思い切り頭を振りその記憶を無理矢理かき消す。
「どうかしたの、兄貴?」
突然の兄の挙動にドロテは不信そうな声をかける。
「あ、いや、なんでもない」
「そう?」
「その答えで通しますけど納得しては居ません」という目がシルヴァンを見つめた。首を傾げたような動作が表情と合っていて、彼女の心情とは裏腹にとても可愛らしい。抱きしめる手に無意識に力を込めてしまう。これも慣れたもので、ドロテはこちらの気が済むまでされるがままになっている。
妹と言うものはどうしてこうもかわいいんだろう。兄妹が居るっていうのも素敵なことだ。前は居なかったから、こういう経験が出来るのは素直に嬉しいし幸せを感じる。ドロテが小さく痛いと呟いたのは空耳だろうな。
「ああっ、ドロテ髪ボサボサじゃないか!今度は何したの」
ひとしきりかわいいかわいい妹を抱きしめて、そっと体を離すと彼女の姿がはっきりと目に入る。さっきは動揺していてよく見ていなかったが、今朝耳より上の辺りで縛ったはずのドロテのツインテールは不格好にずれている。縛った所から引っ張ったように束がはみ出ているし、毛先もどうしたらこうなったのかというくらいにぐちゃっとしている。
「えーあー、火の魔法をね、えっと、試したりとか……」
言われてみれば白いはずの襟の先が少し焦げて黒くなっている。さらに服のそこかしこが汚れている。
ああもうこの子は!三歳のくせに!!僕と違って勉強熱心で!!
妹の精神年齢や知能がすでに三歳を超えているのはとっくに知っているし、理由も想像がつく。学ぶことに興味が湧くのも悪くは無い。
でもね。それもいいけど、
「汚れちゃったらお手入れはちゃんとする!ほらほら、髪の毛縛り直すからこっち座って」
「はあい…」
妹をリビングルームのソファに座らせてシルヴァンは彼女の髪を整えてゆく。
ドロテはどんなヘアスタイルも似合う。三つ編みもツインテールもショートボブも。僕の今のお気に入りはツインテールだけど、今回はヤンチャな妹の性格に合わせてポニーテールにしよう。
妹をコーディネートしてゆくのはとても楽しい。今の自分じゃかわいい格好なんて出来ないから。
自分の心残りや執着を妹に押し付けている感覚は否めないけれど、それをなんだかんだで受け入れてくれる妹に甘えて許されている気になっている。
ドロテは優しい。そしてとても聡い子だ。だからきっと、今日のシルヴァンに何があったかなんてきっともう気づいている。さっき彼の息を思い出した時、恐らくジルヴァンの頬は少し赤くなっていた。それもすぐに気づいただろう。それでも、なんでもないと言えばひやかしも探りもせずに引っ込んでくれる。
前の人生でも人の心を理解して行動するしっかりとした人間だったんだろうな、と想像出来る。
「ぱっちりお目目で、サラサラ髪の毛で、頬も紅くて、綺麗にすればこーんなにかわいいでしょ。きちんとしないと男の子にモテないよ」
「えー……だってぇ……」
苦々しそうな声が帰ってくる。
「男にモテるとか嬉しくない……どうせなら女の子にモテたいよ」
ぼそっと聞こえた日本語は3歳児のする発言ではない。
彼女自身も口に出した事など気づいてもいないぐらいかすかな声だった。
このように彼女はたまに日本語を口走る。きっと一番慣れた言葉で本音が出てしまうんだろう。
ドロテの転生者の王道とも言えるチートな行動と、この手の発言からやはり彼女が転生者と確信したのはつい1年ほど前のことだった。兄妹2人とも転生者なんてこと、本当に起こるとは最初は信じられなかった。
僕とドロテ。
この兄妹は将来きっと同じ点で苦労するのだろうな、とシルヴァンは苦く笑った。
「あら、おかえりシルヴァン!帰ってたのね。」
「ただいま、お母さん!」
キッチンへと続くドアから母がひょっこりと顔を出した。
「わあ、ドロテ!ポニーテール似合ってるわよ、お兄ちゃんにやって貰ったの?良かったわねぇ。ほんとシルヴァンはお洒落にするの上手ねぇ!」
両手に付けたミトンを外しながら母はシルヴァン達のところまでやってくる。前からドロテの顔を見つめると彼女はにっこりと笑い、ドロテを撫でた。
「ドロテがなんでも似合うだけだよ。僕、ちょっと父さんのとこ行って来るね」
「あらぁ、帰って来たばかりじゃない。おやつ食べないの?ほら、アーモンドクッキーに、チョコクッキーに」
言いながら母は指を折りながらクッキーの種類をどんどん言い上げてゆく。今日もかなりの量を作っているらしい。彼女が満足するまでお菓子を作り続けてしまうのはよくある事で、それを消費するために友人を呼ぶのもよくあることだった。今日か明日か、またお茶会が開かれる事になりそうだ。
「んー、じゃあ持ってく!」
「じゃあ袋に詰めるから、お父さんの分も持っていってね。」
言って、母は軽い足取りでまたキッチンに戻って行く。
「はーい。あ、ドロテはまだ魔術の練習するならこの前貰った作業着に着替えてね。そうじゃないならきれいな服に早く着替えてね。」
幼い妹はこちらに背を向けて低く「はーい」と言った。
シルヴァンはさっと自分の部屋の小物入れの前に行き、その中にポケットから取り出した鍵を納めた。
もしもあの少年に会う時があればこの鍵を返したいと思った。それまで無くならないように大切にしまって置きたかったのだ。
絶対に、無くさないように。
小物入れをしばらく見つめた後、簡単に服と荷物を整えて部屋を後にした。
リビングに戻ると母はクッキーを袋に詰めてくれていた。そこに駆け寄り、ぎゅっと母を抱きしめるとだきしめ返された。シルヴァンはことあるごとに親や妹を抱きしめる。なんとなく、心が落ち着くからだ。
そうして渡されたクッキーを、提げたショルダーバッグに放り込んで家を出た。
直前に魔術の本を読みながら指を振るうドロテの姿が目の端映った。その表情は成熟した大人のものであった。
父親の仕事場は家から500mほど離れた場所にある。そこで父の仕事を見たりして、のんびり過ごすのが好きだ。勉強はやる気が出ないが、順々に「もの」が出来上がる様を見るのは何度見ても飽きなかった。特に、普段よりも気持ちが乱れた今日のような日はその場に行ってよく心を落ち着かせた。
あと数mで目的地だというところで突然、木陰から現れたものに思い切りぶつかった。本日2回目の衝撃だ。違うのは今度は尻餅を付くだけで済んだ点だ。痛い、と思っていると何かに頭を押さえつけられて小さく丸まるような体勢になり、まるで草の脇に隠れているようになる。
「静かに」
横から強い声が聞こえた。とても近い。
固定された頭は上に動かず、仕方なくその方向にぐいっと視線だけを向けた。
「君は……」
フードからのぞく金の髪に目を奪われる。
今日2回目となる衝突は、どういう偶然か1回目と同じ人物であった。
迷子かはたまた旅の子か。
それならばそんなにすぐには会えないと思っていたのに、こんなに早くもう一度会えるなんて。
シルヴァンはポケットの中に手を入れ、空っぽの感触に落胆した。