第30話 子ぎつねランの、初めての家出 3
ことりが、寮に戻ると、木の葉と奏は、いなかった。
ことりの勉強机に、樊籠小学校に行くというメモが置かれていたが、読んでも追う気になれなかった。
「今日は、もう無理……」
ことりは、パジャマにも着替えずベッドに入って、ぐっすり眠った。
過去ではあるが、時を同じくして、子ぎつねランは、樊籠小学校の屋上で、老婆の話に耳を傾けていた。
「さて、おまえさんらに話してやるのは」
老婆のしゃがれ声を間近に聞くと、ランは、鳥肌が立った。
「ひゃあっ!」
思わず黒留袖にしがみ付くと、静花に、ふふっと笑われた。
ランは、怖がって、静花の後ろに、くっついて隠れていた。
二足歩行は出来るが、変化は出来そうもないので、狐のままだった。
「静花、おまえさんの管轄、この樊籠小学校に伝わる『天鬼没塔』の話さね」
「てんきぼっとう?聞いたこともないよ」
静花が、眉間に皺を寄せると、ランも、ひょこっと顔を覗かせて聞き返した。
「お天気の塔?」
「天に鬼と書くんだよ。おまえさんらの世代は知らんさね。静花、この話は、輝龍が、奉公屋になった理由の一つだよ」
目を伏せ黙り込んでしまった老婆が、再び口を開くまで、静花とランは、じっと待ち続けた。
ランは、聞きたくないが、静花の悩みを二日以内に解決出来なければ、二度と皆に会えないのだから仕方ない。
「母さまが勘当された事は、知ってるよ。理由までは、知らないけど」
静花が、ぽつりと零したので、ランは、はっとして見上げた。
もしかすると、これが、悩みかもしれない!銀色の耳を、ピンと欹て小声を拾った。
「大妖怪の娘なのに、何で、奉公屋になったんだろうね」
静花の寂しそうな横顔を見て、ランの両目が、きらりと光った。
(絶対そう!これが悩み!)
老婆が語り出した時、小学校の裏手の鶏小屋で、一番鶏が鳴いた。
ここの鶏は、朝一番を嫌うのだ。
理由は、鳴き声が、不幸の前触れを告げるから。
静花も、無論ランも知らないが、七不思議の一つである。
「『天鬼没塔』は、実話さね。今では、七不思議になってるけどねえ。被害にあった人間は、哀憐の情を覚えて悲劇と呼ぶ。奉公屋の中にも、そう呼ぶ者たちもいる。さて、いい加減、聞かせてやろうかね」
老婆の話は、【とんと昔のことでした】から始まった。
七不思議というよりも、昔話に近かった。
それで、ランには最初、胡散臭く思えたのだ。
【かれこれ八百年以上も前、京の都の山奥に、黄金の目を持つ鬼が住んでいました。
この鬼は、“かの有名な弁慶 ”の子分でした。
しかし、弁慶が、牛若丸と出逢うずっと前に姿をくらましたので、誰も、その存在を知りません】
ランは、弁慶と牛若丸を知らないので、まず、ここで気持ちが脱線した。
しかし、静花を見上げると、美しい顔が悲し気に曇って見えたので、辛抱強く聞いた。
【鬼は、黄金色に輝く瞳に、見たこともない、珍しい品々を映し出すことが出来ました。
他にも、望みや願い事を、形にして見せることが出来ました。
しかし、鬼は鬼ですから、何の見返りもなしに見させてくれる、というわけにはいきません。
寿命と引き換えに、弁慶は、色々な物を見られました。
弁慶が短命だったのは、こういう理由からでした】
ここまで聞いて、静花は、顔をしかめて危ぶんだ。
(人間の歴史に関することを、果たして、こんな作り話にしていいものか)
しかし、老婆は、淡々と話し続けた。
【その鬼は、普通の人には見えませんでした。
弁慶は、お坊さんだったので、見えたのです。
けれど、大蛇山のふもとに、ひっそりと暮らしていたおばあさんが、ある日、鬼と出逢ってしまいました】
ランは、少しずつ興味を持ち始めた。
自分が知る山の名を聞いて、すとんと話が胸に入ったのだ。
【おばあさんは、一人暮らしでした。
ある日のことです。
山の中へ山菜を採りに出掛けた時、おばあさんは、ふと人の気配に気付いて足を止めました。
「もし、そこに、どなたか、おられますか」
鬼は、返事をしませんでした。
「申し訳ありませんが、手拭いを取って頂けませんか。風で飛ばされて、自分では取られないのです。どうか、お願いします」
鬼は、少し迷いましたが、手拭いを取って渡してやりました。
「どなたか存じませんが、本当にありがとうございます」
嬉しそうに頭を下げるおばあさんに、鬼は、問いました。
「わしが、怖くないのか」
鬼の声は、普通の人間が聞くと、底冷えするような恐ろしい声でしたが、おばあさんは穏やかな声で笑いました。
「ほほ、怖いお方が、手拭いを取って下さるものでしょうか。私は、目が不自由なので、恩人のお顔を拝見できないのが残念です。どうぞ御礼にこれを」
おばあさんが差し出したのは、朴の葉でくるんだ握り飯でした。
おばあさんの色褪せた着物はボロボロで、手足も、ひょろひょろしています。
暮らしが豊かでないことは、一目で分かりました。
実際、おばあさんは、朝から何も食べていませんでした。
この握り飯を鬼に渡せば、今日食べるご飯もありません。
鬼には、それが分かりました。
けれど、いつだったか、弁慶が、謝礼を頂くのも又、人の道と言っていたのを思い出しました。
「頂こう」
鬼は、そう言って受け取りました。
すると、おばあさんは、にこにこと幸せそうな笑みを浮かべました。
握り飯は麦飯でしたが、こんなに美味い握り飯を、鬼は、食べたことがないと思いました。
「目が見えるようになりたいか」
鬼が問うと、おばあさんは、びっくりして言葉につまりました。
昔は、もし、この目が見えたらと何度も思ったものでした。
「わしなら、この世のどんなものでも見える目を、おまえに与えられるぞ」
鬼は、嬉しかったのです。初めて人間に怖がられなかったことが。
弁慶は、鬼を自分の子分にしましたが、鬼は、それが嫌でした。
鬼は、人間と仲良くなりたかったのです。
それに、こんな美味しい麦飯は、鬼の世界にもありませんでした。
「おまえを、わしの嫁にしてやろう」
鬼は、おばあさんに見える目を与え、若さも与えました。
おばあさんでなくなった娘は、鬼を見た時、腰を抜かしました。
けれど、不思議と逃げようとは考えませんでした。
おばあさんもまた、一人きりで寂しかったのです。
おばあさんから若返った娘は、心優しい鬼に恋をしました。
鬼と、娘は、ふたり仲良く暮らしました。
子は生まれませんでしたが、鬼も娘も幸せでした。
けれど、何年経っても、娘は年をとりません。
一体これはどういうわけだろう……娘は、鬼に尋ねました。
すると、鬼は、何の事はないといった調子で答えたのです。
「おまえは、もうとっくに、人の寿命は終えている。だから、村の子供の命を奪って、おまえに与えているのだ」
これを聞いて、娘は、その場に倒れ込んでしまいました。
「どうした、おとのは!」
鬼は、慌てました。
娘は、本当の事を知った悲しみで、息も絶え絶えになって言いました。
「おまえさん……私が生きる為に、幼い子供が死ぬなんて……たえられません……おまえさんと一緒になれて……本当に幸せでした……」
寂しげに微笑んで、息を引き取りました。
それは、月の綺麗な晩のことでした。
鬼は、胸が張り裂けんばかりに大声を上げて泣きました。
山が、何度も何度も大きく揺れて、大雨は、何日も何日も降り続きました。
鬼は泣いて泣いて、泣いた後、娘の亡骸を、ある場所に隠してしまいました。
その場所に建っているのが、樊籠小学校なのです】




