二
夕食を終え、入浴歯磨きその他諸々もきっちりとこなした二十二時、私は壁に背を預けベットに腰掛けながら、ボーっと自室でスマートフォンを弄っていた。
後少し経てばカノジョから電話が来る予定である。
雑学のまとめサイトを見ていると、部屋のドアが〝コンコン〟とノックされた。
「兄ちゃんー。入って良いー。兄妹の語らいしようよー」
つぐみである。夕飯時の言葉は冗談では無かったようだ。
「良いぞー」
ドアノブに掛けた風鈴がチリンチリンと音を立て、髪を解いた我が妹が現れた。何故かジュゲムを抱えている。
愛用のピンクのパジャマを着たつぐみはジュゲムを抱えたまま私の右隣へと腰掛けた。
「で、何か話したい事でもあるのか?」
スマートフォンを脇に置き、ジュゲムを膝に乗せたつぐみを見た。我が家の猫は為すがままに撫でられている。
「ほら、久しぶりに帰ってきたんだし、大学とか風香さんとの同棲生活の話を聞かせてよ。どう風香さんとは上手くやってる?」
「夕飯の時も話しただろ? 上手くやってるよ。毎日一緒に飯食ってるし、同じベットで寝てるし、勉強も教え合ってる。理想的な同棲カップルだと思うよ」
「ふーん。まあ、兄ちゃんが風香さんと付き合って、もう四年目だからねー。さすがに慣れるか。確かもうキスはしたんだよね。どう? やっぱり若い女の唇は格別?」
「酔っ払いかお前は。感想は黙秘する」
髪を下して、少しだけ大人っぽくなったつぐみはアハハと笑った。
この明るい口調に私は大分救われている。
猫の様な妹の物言いが無ければ、この四年間で私の心は荒んでいた。
つぐみも分かって私をからかっているのだろう。
ジュゲムの腹へと手を埋めて少しの沈黙を挟み、つぐみが言葉を続けた。
「……もう四年かぁ。長いなぁ。オリンピックと同じ周期だよ。……そろそろ、別れても良い頃だね」
「俺と風香さんはラブラブだよ」
「えー」
つぐみはジュゲムの喉をゴロゴロとした。
「兄ちゃんはこのまま風香さんと結婚するつもりなの?」
「まあ、そうなっても俺は構わないよ。俺は風香さんを愛しているからね」
「……まったく、本当に兄ちゃんは馬鹿なんだから」
「高校時代学年一位の成績を取った兄に何を言う」
やれやれ、とつぐみはため息を着いた。
「兄ちゃん。あたしに分かってないフリはしなくて良いんだよ」
「……」
黒曜石の如き眼に射抜かれ、口を閉じた。
つぐみの言う通りだ。四年前、私が望月風香の彼氏になった時、唯一私の内面を理解し、支持してくれたのはこの愛しい妹だった。
きっと、つぐみは私という人間の数少ない理解者なのだ。
つい眼鏡の位置を替えようと手を伸ばしたが、今眼鏡を掛けていない事を思い出し、息を吐いた。
「ああ、俺は馬鹿なんだよ」
やれやれと、私は首を振るった。
「でも、兄ちゃんは約束だけは絶対に破らないから、あたしとしては安心だよ。そろそろだよね?」
「……そうだな。そろそろだ。大丈夫、約束は守るさ。兄を信じろ。もう二十歳だ。色々と決めるさ」
後少しなのだ。後少しで、約束の日なのだ。
つぐみもその日を待っている。我々にとってあまりに馴染み深い日だ。
ハッ、とつぐみが一笑した。
「まあ、まだパパ、ママの脛齧りだけどね」
「せっかく兄が格好つけているんだから、そこは黙ってようぜ?」
「ナルシストに格好付けさせるってイラッて来るじゃん?」
「そこは黙っているのが優しさだよ」
「残念、あたしの優しさは痛いのさ」
ドヤ顔である。超うぜぇ。
と、そろそろカノジョから電話が来る時間である。
それをつぐみに伝えると、妹は快活に笑みを作って立ち上がった。もちろんジュゲムを抱えながらで。
「オーケー。兄ちゃん。今日の語らいはここまでにしよう。また、何時か機会があったらしようじゃないか」
「はいよ。お前も勉強とか悩みがあったらこの兄に頼れ。助けはしないが、手伝うよ」
「うん。よろしく。それじゃ、おやすみ」
「おやすみ」
ジュゲムと共につぐみが部屋から去って程なくして、スマートフォンにカノジョからの着信が来た。
「はい、もしもし――」