七
そして、カノジョへこの日記を届ける役目を私が受け持つ事と成ったのである。父と母にはまだ家に居てもらう事にして、中学二年のつぐみにこの役目を任せるなど論外である。
わざわざ学校帰りに行く事も無いと思ったのだが、望月家の希望の日がその日であったのだからしょうがない。
年賀状から調べた住所を片手に駅から望月家を目指して十五分、私は望月家に着いた。
閑静な住宅街にある一般的な二階建ての一軒家である。
インターホンを鳴らし、電子音が混ざった返事が来る。
『はい。今開けます』
時間を数える間も無く、望月家の玄関が開けられ、そこには悠太郎さんと玲子さんが居た。
彼らの頬は心なしこけていて、目元にははっきりと隈がある。
憔悴し切っていた
私はリビングへと連れられ、テーブルを挟み、彼らと向かい合って座った。
玲子さんが入れてくれたお茶を一口飲み、私は学生鞄から数冊に渡る兄の日記を出した。
『これが電話でもお伝えした。私の兄の日記です』
『これを風香に……』
悠太郎さんと玲子さんはまじまじとそのノート達を見ていたが、私には気になる事があった。
カノジョの姿が見えないのだ。
まあ、カノジョも一応一介の大学生であるので土曜日に授業があっても可笑しくは無さそうであるが、葬式でのカノジョの様子が気に成った私は悠太郎さんに問い掛けた。
『はい。……ところで、風香さんは大学でしょうか?』
私の言葉に彼らは顔を強張らせる。嫌な予感がその存在を主張し始め、私の中で加速度的に大きく成っていった。
悠太郎さんが言い難そうに口を開いた。
『風香は今休学しています』
『……なら、風香さんは今何処に?』
彼らは天井を――おそらく正確には二階にあるのであろうカノジョの部屋を――見つめた。
どうやらカノジョは自室に居るようである。
しかも、望月家父母の様子を見るに、中々にカノジョは酷い状況の様だ。
『風香さんに会っても良いでしょうか? 出来れば彼女の様子を知っておきたいのですが』
玲子さんは曖昧に首を振ったが、悠太郎さんは数秒眼を閉じた後、頷いた。
『はい。会ってもらえれば分かると思います』
そのまま私は悠太郎さん達に連れられて、日記を持った私は二階にある望月風香の部屋の前に立った。
『風香? 少し良いかい? 翼君が来てくれたよ』
悠太郎さんが数度ノックをしたが、カノジョの部屋からは何の返事も無かった。
こちらを振り向いた悠太郎さんは私に笑み混じりの苦しげな表情を一瞬見せた後、『開けるよ』と言ってドアを押し開けた。
初めて眼にするカノジョの部屋は全体的に緑色で整頓されていて、ベットの中央に置かれた――抱き枕ほどのサイズの――熊のヌイグルミがアクセントと成っていたが、そんな物には眼もくれず私は顔を強張らせた。
ベットの中央、今言った熊のヌイグルミの隣にカノジョは座っていた。手には何も持たず、音楽を聴いている訳でもなく、瞳も閉じず、ただ虚ろに虚空を見つめていた。
『風香。翼君よ』
傍らまでカノジョの母親が語りかけていると言うのにカノジョは何の反応も見せなかった。
まるで人形の様である。人形と区別される箇所は、かすかに上下する胸と体温くらいの物だろう。
少しの間、私の体は硬直したが、残っていた理性が両足を動かした。
私はカノジョの正面までゆっくりと歩き、カノジョの視線が私を映す様に膝を折った。
努めて私は穏やかな口調で語りかけた。
『久しぶりです』
思うのならここが、立花翼としての選択肢を間違えた瞬間であったのだ。
冷静に理性的に将来を見つめるなら、私は何としてもここでカノジョに会うべきではなかったのだ。
だが、私は間違えてしまった。
正直な所、私の言葉にカノジョの反応など期待していなかった。実の父母の言葉にすら反応しなかったと言うのに今は亡き恋人の弟如き存在をカノジョが認知するはずが無いと思っていたからだ。
しかし、この家に居た誰もの予想を裏切り、虚空を見つめていたカノジョの視線がスーッと私の顔へと動いた。
『風香っ』
悠太郎さんと玲子さんの眼が輝いた。彼らの話から、久しぶりにカノジョが誰かに反応した事が分かった。
けれど、彼らの反応とは真逆に私は冷や汗を流した。
カノジョの視線は私を捉えて放さない。虚ろであった眼に光が戻っていく。
とても暖かな穏やかな眼だった。
そして、
『…………飛鳥?』
と、今度ははっきりと聞き間違いが出来ないほどに澄み切った声で言った。




