(37)愛の定義
「つまりだ! 確かに私は今でもミリーナを愛しているし、彼女との思い出は大切だ。だが、君のことも愛しているから、それに見合った夫婦らしい関係を築きたいと思っているんだ!」
勢い込んでコンラートが告げると、ドアの外でレイチェルが素っ気なく感想を述べた。
「あら、ちゃんと言ったじゃない。えらいわ、お兄様」
「おばさま……馬鹿にしているようにしか聞こえないのですが」
「半分は本気で褒めているわ」
「半分ですか……」
父親を不憫に思いながら、レオナルドは項垂れた。すると、コンラートを見返しながら、セーラが冷静に言葉を返した。
「今のお話は、ミリーナ様と愛し合っていた時と同じような関係を、私と築きたいというお話なのでしょうか? 私は大勢の方を愛してはおりますけど、政略結婚や契約結婚の相手であるコンラート様との間には、そういう関係は築けないと思います」
「ちょっと待て。他の大勢を愛しているとは、どういう意味だ?」
コンラートが顔を強張らせながら尋ねると、セーラは不思議そうに尋ね返した。
「どういう意味と言われましても。愛という感情は、その人のことを愛しく、または、愛おしく思うことですよね? 違いますか?」
「いや、確かにそれはそうだが」
「相手のことを大切に思い、守りたいと思い、思いやる心。それが愛です。神様は『すべての人を分け隔てなく愛せよ』とおっしゃっています」
「それは、確かにそうかもしれないがな! その愛も、全ての人間を等しく愛するということではないはずだが!」
コンラートは徐々に苛立ちながらも、何とか話を進めようとした。しかし、セーラは笑顔で、自身が崇拝している人物について告げる。
「それはもちろんそうですわ。私が一番愛しているのは、王妃様ですもの。王妃様をお守りするなどおこがましいですが、できるだけお役に立ちたいと思っております。ですから、王妃様から命じられたこの結婚にも、全力で取り組むと決意しましたから」
「……それで二番目が、あのアレスなのだな?」
思わず忌々しげにコンラートが口にすると、すかさずセーラが真顔で注意してくる。
「アレス様とお呼びください。呼び捨てにするなど、それだけで不敬です」
「分かった。アレス様が二番目というわけだな。だが、そもそもその考え方は、愛は愛でも敬愛という意味での愛だろう。私が言っているのは、恋愛という意味での愛についてだ」
何とか気持ちを落ち着かせながら、コンラートは分かりやすい例えを持ち出して話を続けた。それを聞いたセーラは、本気で戸惑った表情を浮かべ、小首を傾げながら問いを発した。
「コンラート様。今、『恋愛』とか仰いました?」
「あぁ、言ったとも。それがどうかしたのか?」
「恋愛というのは、どういったことなのでしょうか? 愛に関係する言葉だとは思いますが、今までに聞いたことがありませんので、申し訳ありませんがご説明をお願いします」
真顔でそんなことを言われてしまったコンラートは、僅かに口元を歪めながら言葉を返した。
「……セラフィーナ。何の冗談だ?」
「本当に分からないので、お伺いしています」
「そこから説明するのか……」
一瞬、絶望的な表情になったコンラートだったが、何とか気を取り直し、慎重に説明を始めた。
「要するに、男女間で成立する愛のことだ」
すると、即座にセーラが応じる。
「そうですか。それでは、私とレオナルドの間にある愛が、恋愛ということになるわけですね」
「どうしてそうなる! 大人と子供との間で、そうなるわけがないだろう!」
「それでは、ダレン様やカーズ様、アシュリー様との間の愛でしょうか」
「男性なら誰でもというわけでもない!」
「それでは、どういった種類のものでしょうか?」
「だから、恋人とか夫婦の間で成立する愛のことだ!」
半ばやけになりながらコンラートが叫ぶように告げると、セーラはいかにも申し訳なさそうに言い出した。
「……あの、コンラート様。恐縮ですが、またお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「恋人というのは、なんのことでしょうか?」
そんなことを神妙な面持ちで尋ねられたコンラートは、今度こそ顔を引きつらせた。
「まさか、本当に知らないとか言わないだろうな?」
「経典でも教書でも書かれていなかった言葉ですし、どなたからも説明を受けておりません。修道院の書架にあった本は全て読破しましたが、目にした記憶がありませんから」
「しかし、愛人という言葉は知っていただろう?」
「それに関しては、院長様と王妃様が教えてくださいました」
「……勘弁してくれ」
そこでとうとう気力が尽きたコンラートは、両手で顔を覆って項垂れた。さすがに異変を察知したセーラが、呼び鈴に手を伸ばしながら、アニーを呼ぶために声を上げる。
「コンラート様? ご気分が優れないのであれば、お部屋に戻って休まれたほうがよろしいですわ。 アニーに誰かを呼ばせて、コンラート様をお部屋まで連れて行ってもらいましょう。アニー! ごめんなさい、ちょっと来てちょうだい!」
盛大に呼び鈴を鳴らされた以上、出て行かないわけにはいかなくなったアニーは、レイチェルとレオナルドに囁いた。
「呼ばれたので行ってまいります。お二人とも、もうここから離れたほうがよろしいです」
そう忠告してから、アニーはノックをして入室した。
「失礼いたします。セラフィーナ様、どうかされましたか?」
その声を、完全に閉められたドアの向こうから聞きながら、レオナルドはレイチェルを促した。
「叔母様、部屋に戻りましょう」
「そうね。修道院育ちの環境が、想像以上に手強いことが分かったわ。仕切り直して対策を練るわよ」
そうして二人は疲労感を漂わせながら、急いでその場を離れていった。




