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今まで黙っていたチェルシーが、突然驚愕の声をあげた。
その大声にルークがわざとらしく耳を塞いで、それに気付いたチェルシーと、意味深に視線を交わす。この二人、やっぱり相性が悪そうだ。
だけど、仲裁をする気にはなれず、フィズは俯いた。
レオーネのことが好きか。それが頭を埋め尽くしていたから。
(……そりゃあ、まあ……)
好きだ。でもそれは、人として好ましいという意味で。いくらなんでも、二人が今そういう意味で言っていないことくらいは分かる。
フィズは困ってしまった。だって、レオーネは、そういう話は──。
(──あれ)
避けていた理由は、この間聞いて知っている。レオーネがどう思っているかは分からないし、問題が解決したとまでは言えない。けれど、少なくとも彼が後ろめたく思うことはなくなっただろう。
レオーネが嫌がらないならいいのか。……いいのか……?
「あ、ごめんね……フィズ、こういう話苦手だもんね」
考え込んでいると、チェルシーが顔を覗き込んできた。
え、と顔を上げる。
「いや、別に苦手ってわけじゃないよ?」
そういう話とは今まで縁がなかったから、なんだか不思議な気分になるし、慣れていないからしないというだけで、特に苦手でも、嫌いなわけでもない。
「あれ、そうなの? 最初に付き合ってるのか聞いた時も困ってたから、てっきり苦手なのかと思っちゃった」
「あ、それは、レオくんが嫌がるかなって、思ってさ」
「なるほど」
一通りの事情を知っているチェルシーは、それで納得してくれた。
「そういう話、相手が嫌がってたら悲しいもんね。フィズは、気を使えてすごいなあ」
「そ、そうかな……」
気を遣っているのだろうか。首を傾げるフィズに、チェルシーは困ったように笑う。
「うん。私はね、ロイのこと、考えてなかったから」
「…………」
チェルシーが気の使えない人だとは思わない。でも言葉に詰まったのは、少しだけそうかもしれないと思ったからだ。
好きって気持ちだけで行動して、結果どうなったかを一例知っているので、微妙な気持ちになった。
だけど、ロイは、嫌がってるわけじゃないとも思う。そうだったら、ロイならどこかにふらっと行ってしまいそうだ。
「ロイは、別に嫌がってるわけじゃないと思うよ」
だからそうフォローを入れるが、チェルシーの見解は変わらないらしい。
「いや、大概迷惑そうだったよ」
「ううん……」
まあ、そうなんだけど……でもそうじゃない。なんて言ったらいいか考えていると、後ろから陽気な声が遮る。
「あー、確かに、人の迷惑とか考えなそう」
この人がいることを忘れていた。笑顔で失礼なことを言うルークに、チェルシーは瞠目した。
一瞬、傷ついたような表情をしたが、それを隠すように俯くと、唇を噛みしめる。
目から一粒水滴が零れた。フィズが声をかけようとしたところで、チェルシーは勢いよく顔を上げた。それから、ルークをぎっと睨みつける。
「なによ。ルークの馬鹿」
そして、止める暇もなく走って先に行ってしまった。
残ったのは、半端に手を伸ばしたフィズと、何を考えているか分からない顔をしたルークだった。
「……ルークさぁ、今のはどうかと思うよ」
イラついて頭をかく。横目で睨みつけると、ルークはつまらなそうに欠伸した。
「別に、本当のことでしょ」
ルークは上背がある。上から見下ろされると、睥睨されているようで、フィズは少し後退った。
なんだろう。なんだか、怖いものを目の前にしたかのような、そんなものを感じる。ルークは普通に見えるのに、強そうには見えないのに、どうしてこんなに「敵わない」と感じるのだろう。
しばらく睨み合っていたが、ふと、ルークは息を吐いた。
「それより、フィズちゃん、その同居人って、レオーネくんっていうの?」
そこに戻るのか。なんで? 気を遣ってくれたのか?
わけが分からないという顔をしていたのだろう。警戒を解かないフィズに、ルークは声を低くした。
「質問してるんだけど?」
悪寒が駆けて、フィズは背筋を伸ばす。
怖い。今度こそはっきり感じた恐怖に、フィズは顔を逸らした。
「……レオくんがどうかしたの?」
なんだか、食われそうな威圧感がある。
訝しげな目を向けると、ルークは顎に手を当てた。
「そういや俺、フィズちゃんとそのレオーネくんが一緒にいるところ見たことあったわと思って。お兄さんかと思ってたな」
そうか。一緒のマンションで、同じ階なんだから、可能性はあるだろう。ルークは口角を上げると、背をちょっと曲げて、フィズの顔を覗き込む。
「……ふーん、あの人かぁ」
「なに……?」
からかうような視線に不快感を覚えて、フィズはまた後退る。
もう嫌だ。どうしてこの人といなければいけないんだろう。
「いや、ああいうのが好みなんだと思って?」
「……そういう話にしか繋げらんないの?」
「大抵はそうなるでしょ」
はっと鼻で笑うと、ルークは姿勢を戻した。顔が離れていって、胸をなで下ろした。でも、すらりとした腕が伸びてくる。
「で、その人とデートするんだ」
「でッ……まあ、うん……」
「ふーん」
腕がフィズの首に絡んだ。また体重をかけられるのかと身構えると、耳に息を吹きかけられる。
ぞぞぞ、と蛇が這い上がってくるような悪寒に、フィズは思わず背伸びをした。
嫌だ。怖い。──この人は、信用出来ない。そんなことを感じて、フィズは彼から離れようとするけど、存外に強い力で引き戻される。
「気をつけてね。フィズちゃん、すっごく隙が多いんだから」
顔が見えないのに、ルークの唇が弧を描いているのだと分かった。
「もしかしたら、キスとかされちゃうかもよ」
体勢にばかり気を取られていると、なんだかよく分からないことを言われて、フィズは動きを止める。
(きす……キス?)
言われたことを反芻して、分かった途端、思わず想像してしまった。
顔にじわじわと熱が溜まっていって、フィズはルークを凝視する。
ぶはっと吹き出すと、ルークは腕を離した。
からかわれた。そう分かったけれど、怒る気にはなれずに、フィズは立ち尽くす。
赤いフィズを残して、ルークは楽しそうに笑って去っていった。




