No.39 四話 ~3~
日が大きく傾き、太陽の半分が山の影に隠れた頃。俺は撤収作業の進む広場の片隅でアルマの帰りを待っていた。いつもなら夕暮れ時のこの時間帯は街に静けさが戻り始めるころだが、祭りの日ともなれば今からが本番といった時刻。街のいたる所から楽器の音や爆竹の音、人々の歓声や雑踏が聞こえてくる。それでも俺は身にしみる寒さの中、浮かれる人々とは対照的に暗い影に身を置く。理由は単純だ。ここのほうが落ち着く。それだけだ。
しばらくして広場の向こう側からアルマがやって来る。人ごみの中でもすぐに見分けがつくのは何故だろう。彼女だけが特別に浮き立っているように見えた。
「待っててくれたのか?」
息を切らしながら両手に景品を抱えるアルマは申し訳なさそうにする。俺はすかさずその手荷物を代わりに持った。
「まぁ、そういう事にしておくか」
「それどういう意味だよ」
普段の五倍くらい機嫌の良いアルマは俺の歯切れ悪い返事にも笑って答えた。気のせいなどではなく笑顔も普段の五倍くらい明るく見える。
結局、今回のバルガ祭でもアルマは優勝してしまった。決勝戦ではアルマより倍は体の大きい大男が相手だったが、そんなものこの堕天使様には関係なかった。相手の攻撃を尽くかわしながら繰り出すローキックとフックでノックアウトしたかと思えば、その後にレフェリーと冗談を交わす余裕まであったという。もうこの街で彼女に勝てる相手などいないのではないだろうか。そう思う。
「今日の見てたが、たいしたもんだな。向かうところ敵なしだったぞ」
「そんなことない。一発食らってただろ?」
アルマは頬にできた擦り傷を指差した。そう言えば一回だけ避けそこなった拳が頬を掠めていたような気がする。そのかすり傷に指を触れるとアルマは一瞬顔をしかめた。
「お前も一応女の子なんだから顔の傷は気をつけろよ」
「一応って」
ローキックが飛んでくるかと思って身構えたがアルマは照れるように首を小さくした。優しいのは良いが、どうも調子が狂ってしまう。
祭りの終わりに向けいよいよ勢いづいてきた街の人々は酒瓶を片手に、歌を歌いながら街の中へと向かっていく。これから大通りにパレードが来る。それを見るために人々は流れを作って歩いていくのだ。俺は記憶の中でしか見たことの無いそれを思い浮かべた。この街で一番華やかなパレードは一瞬とは言わず現実を忘れさせてくれるほど盛り上がる。
けれども俺にとってそんなパレードなんてどうでもいい話だった。今は隣でニコニコ笑いながら肩をぶつけてくるアルマが今までに無いほど上機嫌だということに俺は喜びを感じている。俺がクレイマンとして一番初めに知り合った彼女は、俺にとって一番大切な人。そういうことだ。
人の波もいつしか途絶え、家路に着く途中。フラエズ河に架かる橋の上でアルマは突然足を止めた。腕を後ろに回してステップを踏むようにくるりと一回転する。まるで乙女のような動きに俺は正直戸惑った。
「ここで休もっ」
「家はすぐそこだろ?」
「いいから!」
橋の向こう側にはリヴァーファミリーの屋敷が見える。事務所を焼き払ってしまったアルマは今あの屋敷にお世話になっているのだ。つまり終着駅はすぐそこなのに列車がホームの直前で止まってしまうような、そんな状況。
できることなら早く帰ってしまいたいところだが、たまにはこんな寒空の下でのんびりするのも悪くないかもしれない。そんな事を思いながら俺は橋の縁に手を置いた。それに習い、アルマも隣で腕の上に顎を乗せて下流を見下ろす。夜の海は静かに揺らめき、川の流れる音が心地よく耳を揺らす。海から吹き上がる風にアルマの髪が柔らかく揺れていた。こんなに落ち着いてゆっくり流れる時間を味わえるのは始めてかも知れない。
俺は今がチャンスだとポケットからあるものを出した。前もってイキシアと一緒に探し回った一品。俺としてはそこそこ良いものだと思うがアルマが喜ぶかどうかは分からない。少し不安はあるが俺はそれをアルマの顔の前にそっと差し出した。
「これ、やるよ」
「んっ、何だこれ?」
どうやらアルマは初めて見るようで銀色の髪留めを指でつまみながら首をかしげた。
「髪留めだ。ほらお前さ、前髪が目に当たってるだろ。それ目が悪くなるんだぜ?」
「へー。これつけると目が良くなるのか!」
「違う違う。前髪が長いから、それを留める道具ってこと」
「なるほど」
興味深々で髪留めを開いたり閉じたりするアルマはいきなり顔を上げる。
「もしかしてプレゼントか?」
「いろいろ世話になったからな。礼みたいなもんだ」
「ふ~ん。まるで今から居なくなるみたいな言い方だな」
目を細めながら俺を睨みつけるアルマ。そういう所だけは勘が良いというべきか。俺は誤魔化すためアルマの手から髪留めを奪うと彼女の前髪にそれをつけた。やはりイキシアに選んでもらって正解だったようだ。
小さな額が金色の髪の合間から覗き、淡いブルーの瞳が真っ直ぐに俺を見上げてくる。ほのかに色づいたピンクの唇と小さくも整った鼻、月明かりに照らされる細い首から額にかけてがやけに白く見えた。何度も見ていたはずの彼女の顔はいつもに増して美しく見えた。何が言いたいのかと言えば、髪留めが良く似合っているという事だ。
「似合ってる・・・か?」
何を今更しおらしくするのかアルマはにかむ。
「まぁまぁだな」
「張っ倒すぞボケ」
「それは勘弁な」
お互い新鮮な雰囲気に戸惑い、恥ずかしいので最後は二人で笑って終わらす。それぐらいの関係が一番良い。このくらいの距離が心地良い。
俺たちが笑っていると突然空が光った。何事かと顔を上げて見れば真っ暗な空に色とりどりの花火が上がっている。俺はアルマがいきなりここで休みたいといったわけをようやく理解した。人の居ないこの橋の上なら静かに、かつ花火がよく見えるのだ。
「どうだ、ここは私の秘密の場所なんだ」
「どうしてそこでお前が威張るんだよ」
「別に良いだろ?」
「俺に実害が無いなら結構だ」
「なんだその嫌味な言い方は」
口先をすぼめながらも下らない会話が楽しい様子でアルマは花火を見つめている。その横顔が花火が上がるたびに夜闇に浮き上がり、俺はそれをぼんやりと眺めた。
本当は花火も見たかったのだが出来そうになかった。たかが花火の光程度が眼球に突き刺さるように痛んだ。そろそろ俺に残された時間も少なくなってきたらしい。俺は光を浴びるたび解けていく体をアルマに悟られないように彼女の視界の隅にそっと身体をずらした。
「なぁ、クレイマン」
アルマは顔をこちらに向けない。それがわざとだと気づかないほど俺も鈍くは無かった。俺は掠れる声で答える。
「なんだ?」
「今度建てる事務所にはちゃんとお前の部屋を用意しておくからな」
「覚えてたら、な」
「絶対に忘れないよ」
「どう、だ、か」
言葉が上手く紡げなくなり、身体に力がこもらなくなっていく。砕ける体は端から徐々に黒煙となり宙を漂う。ニーシャ・ロイドと同じ様に。俺はいよいよ暗くなり始めた視界の中心にアルマの背中を見守り、そっと瞼を閉じた。
「またな、クレイマン」
アルマの優しい声を別れの言葉に、俺は闇に解けて消えていった。
第三十九話
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。この物語は『クレイマン』という人物を通して、人のアイデンティティとはいったい何なのか、というテーマにフォーカスを当てました。記憶や地位や名誉ではなく、人が人たるには周りの人々による存在の肯定が強く影響を与えるのだ、と思います。世の中に、自分は自分のままでよいのだ、と言ってくれる人が一人でもいれば我々の生きる意味がそこにあるのではないか。そんな気がします。
重ねて、最後まで読んでいただいた方に感謝を。
そして、後日談を一話だけ、投稿します。お楽しみに。
青六。




