9.もう一度、言葉を交わす為に。
「……だましていたのか」
真っ白になった頭で、まともに返せた言葉はそれだけだった。
力の限り寝台にのっていたいくつかの枕を投げ、叩き付け、出て行けと叫んで、嘘つきと罵って。
男は謝罪も言い訳も口にしなかった。ただ、黙ってエレオリアの吐き出す言葉を、叩き付ける枕を受け入れて。
エレオリアの息があがり、枕を振りかぶる力もなくなって。そうしてようやく、何も言わずに、男は部屋を出て行った。
エレオリアは、神聖ニルヴァニア王国の貴族の娘だった。
伯爵家の長女。大切に大切に育てられた、お姫様。
生まれついての治らぬ病、子を残せぬ身体、子を育てられぬ身体を理由にして、エレオリアは、王太子との婚約を破棄した。
人の目を逃れ、祖国を旅立ち、終の住処を定めて、静かに終わりを迎えようとして、そうして、
全ての理由となった、治らぬはずの病を治してやると言われて。
捨てたものを拾うなら、好きにしろと言って。
期待などしないと、心に決めていたはずだった。
王妃になるはずだったエレオリア。
病は治らぬといわれたエレオリア。
そうして全てを捨てたのに拾い上げられてしまった。
何もかも捨てたのに。
もう、元通りにはならないのに。
もう、ニルヴァニアの王妃なることはない。エレオリアは、エリオローウェンという幸いを定められたつがいを永遠に失ったというのに。
好きにすれば良い、とその時のエレオリアは思ったのだ。
エレオリアのいた貴族の世界。婚約者に守られていたとはいえ、そこは、ひどく孤独な場所だった。
高みにいながら、脱落したものがどんな目にさらされるか知っていた。病が重いものだと分かってから、この国の片田舎へ移るまで、いやというほど知っていた。
あの世界がいやで、煩わしくて、だから、国を出て逃れた先で、妙な男に出会ってしまったものだと、笑い話になったのに。
「ここは、そのただ中だということか」
皇太子の暮らす屋敷とは、つまり、そういうことだろう。
国は違えど、結局は同質のものだろう。
男が大国ヴェニエールの皇太子だと知って、三日経った。男とは会っていない。いつものことだ、なんの不思議もない。三日程度、むしろ男が顔を出すには早すぎる。
けれどエレオリアは、もう男が二度とこの部屋に足を運ばないのではないかと恐れていた。
(……何が、恐ろしいというのか)
病を恐れたことはなかったのに。
何が、ではなく、なぜ。
侍女の、外出を促す言葉にも首を振って、寝台の中座り込み、毛布を被り枕を抱えて、ため息ばかりをこぼす、この三日間。
騙された、という思いばかりをエレオリアは繰り返して、けれどこの屋敷、もはや城というべきか。この城にくることになったいきさつを思い起こせば、あぁ、と頭上を仰いだ。
「……だまされてなど、いないじゃないか」
ぽつりと呟いた言葉は、側に控えていた二人の侍女の耳に入ったようだ。微動だにしないまま、視線は確かにこちらを向いたのを見た。エレオリアは侍女を見ないまま、言葉を紡ぐ。
「あの男は、言わなかっただけだ。何も。私は聞かなかった。だから男も言わなかった。それだけだ。あの男は私を騙したわけじゃない。ただ、言うべき事実を告げなかっただけだ」
だから、間違えた。力強く拳を握る。
「騙したんだな、という言葉は不適切だ。嘘をついたわけじゃない」
そうして、侍女の一人を見据える。
「あの男に会わせてほしい。不適切な言葉を投げかけてしまったから。謝罪と、訂正を」
それから、ここを離れる許可を。
しかし、侍女たちはエレオリアの言葉に何一つ返さなかった。く、とエレオリアは唇をかむ。侍女と関わりを持てないというなら、男が来ない限りエレオリアに自由はない。
苛立ち混じりに枕を投げつけそうになる。それをぐっとこらえて、拳を落とすにとどめた、その時だった。
澄んだ娘の声が、室内に響き渡る。
「ねえ、シエラ。わたくしたち、姫様と言葉を交わすことは明確に禁じられましたけど、私語を慎むようには言われなかったように思うわ」
侍女の片方がバッと振り返る。口を開いた方の侍女は前を向いたまま、ひっつめにした髪から一筋たれている栗毛を耳にかけ、誰を見据えるでもなく唇に弧を描く。
「ええそうでしょうとも、侍女たるもの、仕事中の、それも仕えるべき主人たる姫君の前での私語など、言語道断。侍女の名折れと言うべきことで、罰せられるべきものでしょう。よって姫君の侍女が二人も同時にいなくなれば、困るのは姫君です。だから、ねえシエラ。あなたは慎んでいてね。罰ならわたくしが一人で負うわ」
突然長々と喋りだした栗毛の侍女を、エレオリアは目を見開いて凝視する。侍女はエレオリアの方を見もせずに、さらに言葉を続けた。
「じきに、皇太子殿下は皇位をお継ぎになられるでしょう。そう遠くない話で、殿下は今多忙をきわめていらっしゃる。しかし、それは皇位を継げばよりいっそうのものとなることが容易に推測できます。となれば、姫君が殿下に会うつもりがあるなら、急いだ方がよろしいかもしれませんわね。殿下は今、早朝から仕事を初め、夜遅くに眠りにつかれます。眠る前に一杯の香草茶を出すよう指示されていますが。誰にもたせろ、といった指示は具体的にいただいていません」
ここでようやく、栗毛の侍女はエレオリアを振り返った。
それってつまり、侍女じゃなくても良いってことじゃありません?
そんなわけない、とエレオリアがぼんやり思っているすぐ側で、もう一人の侍女が額をおさえて首を振っていた。
けれど、栗毛の侍女の言いたいことはわかる。彼女が、エレオリアの願いを叶えようとしてくれているということだけは。
「……あたしに、その役目をくれるのか」
栗毛の侍女はエレオリアから視線を外し、楽しそうに目を細める。
「ねぇシエラ。わたくしたち、問いかけに答えることは出来ませんけれど、命じられれば従わざるを得ませんわよね。そう、ただ一言、主たる姫様に命じていただきさえすれば」
その言葉を聞いて、考える間もなく言葉が口から飛び出ていた。
「……あなたの内に秘めているその案で、あたしをあの男に会わせなさい」
栗毛の侍女は笑った。エレオリアの目を見ず。そうして、深々頭を下げてくる。それでは、詳細が決まり次第、決行いたしましょうね、と独りごちるように告げたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
ぽつりぽつりとお気に入り登録してくださり、嬉しいです。前回から更新があいてしまってすみません。さくさくいけたらいいのにな。
今後の更新予定も未定ですが、書き上がってる分はさっさとあげてしまった方が良いような気もいたします。がしかしそれも今後の為には良くないような。
妥協点見つけてがしがし執筆したいと思います。今後もよろしくおねがいします。
ルニアの名前をシエラに変更しました。手元原稿で修正してたつもりがこちらに手が回っていませんでした申し訳ありません(13/4/19)




