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8.わずかに語られた遠い神話。


 この国の冬は厳しい。

 それは、かつてこの国、ヴェニエール帝国がエレオリアの祖国、春の女神の加護を受けた、神聖ニルヴァニア王国の王都を奪い、国を興したからである、と言われている。

 神聖ニルヴァニア王国の初代国王は、春の女神から加護を受けていたのだ。春の女神が、王に恋をしたために。

 だから、国王の土地を奪ったヴェニエールは呪われた。この国は冬に閉ざされてしまった。長い時を、永遠の冬に閉ざされた。


 誰もが知ってる建国譚。


 今では国力の差もあり表向き平和が保たれているが、何世代か前までは貴族から国民に至るまで敵対心が根強く残っていた、という。

 ヴェニエールは永遠の冬から逃れられぬ怒りをニルヴァニアへ。

 ニルヴァニアは国土を、王都を、城を、財宝を、何もかも奪われた怒りを、ヴェニエールへ。

 それがいったいいつほどけたのか、エレオリアは知らない。時間が解決したのだろうとしか、推測も立たない。なにかあったのだと示す書物は、どこにもないからだ。


(ああけれど、エリオローウェンが語った物語は、もっとひどく悲しいものだった)


 女神は嘆き悲しんだ。

 どう考えても、悪いのは女神をないがしろにした神様かもしれないが。

 女神を失った神様も、国を永遠の雪で閉ざしてしまうほど、絶望してしまったのだとしたら。


 彼らはどうしたら、救われるのだろうか。


 寝台で眠るエレオリアの枕元で、寝物語のような独り言を、いつだっただろう。彼は語ったのだ。

 神様とは、何のことだ。エリオローウェンは、あのときどんな物語をエレオリアに聞かせていただろう。神様とは何のことだ。女神と王様の物語ではなかったのか。

 彼は気付いていたのだろうか。エレオリアが目を閉じていても、起きていたことに。エレオリアが、彼の言葉に、聞き入っていたことに。


 いずれきちんと話してくれるつもりで、語ってくれていたのだろうか。







 男に衣裳の色を指摘されたのは、いつだっただろう。

 白く雪に塗りつぶされた窓の外の景色を見ながら、エレオリアはぼんやりと思い返す。

 この国はいつだって雪が降っているけれど、ニルヴァニアの暦で考えれば冬が始まる前だったはずだ。

 片田舎では毎日だった男の訪問は、この屋敷にきてからは三日ごとになり、そして今や、十日に一度顔を合わすかどうかとなっていた。そして、その頻度でさえも今や危うく、そのうち、男はエレオリアのことなど忘れて二度と姿を表さなくなるのではないかとさえ、錯覚する。


 エレオリアの祖国、ニルヴァニアの暦で言えば、もう、春だ。




 続けられている治療は、全て男の指示の元行われているらしい。食事内容や眠る時間、雪が撤去された中庭を散歩する距離に至るまで、侍女は男から受けた指示を正しく把握して、エレオリアに声をかけてくる。

 エレオリアは、それに反発することはなかった。なぜって、侍女たちが告げる言葉は、やんわりとしたものばかりだったのだ。

「お疲れではありませんか」と彼女たちに言われて己を省みる。

 すると確かに、疲れている自分を感じ、素直に同意できた。

 不満はない。男は、ちゃんと宣言通りに、エレオリアの病を治す為にすべきことをしている。


「不満……じゃなかったら、これはなんなんだろうなぁ」


 しんしんと降り積もる雪を見ながら、エレオリアは目を閉じる。

 この、釈然としない気持ちは。

 こういうとき、言葉を交わせる相手がいないというのは辛い。侍女達はエレオリアが声をかけたとしても徹底して頭を下げるだけで、会話は許されていないのだと態度で示される。

 ここにくるべきではなかった、などと、あの男はエレオリアに思わせたいのだろうか。




「エレオリア」


 微睡みの中、ふんわりとした声が聞こえた。額を撫でる手と、それじゃぁ、と身を翻す気配に、エレオリアの細い手が咄嗟に動く。


「……」


 ぼんやりと寝返りを打ちながら、男の袖先に引っ掛けた指先が、相手が停止したのを感じとる。その隙に、ぎゅ、と今度は強く離さぬようにと握り直した。


「……」


 また、エレオリアは男の名前が呼べない。

 その歯痒さが二度目だということをエレオリアは無意識に思い出し、眉をしかめた。けれど、なぜだろう。知りたいとこちらが思っていることが相手に知られるのを、避けたいと思った。


「久しぶり、エレオリア」


 男が柔らかな声でエレオリアに告げる。目を丸くしていたはずなのに、すぐに笑みを浮かべたことに、なぜだか敗北感があった。ぐ、とさらに眉を寄せて、睨みつけるようにして、寝台に横たわったまま男を見つめる。

 エレオリアの額に触れていた男は、目が合うと嬉しそうに頬や髪を触ってきた。


「やめろ」


 好き勝手に、無遠慮に触れてくる大きな手から逃れるようにして、エレオリアは上体を起こした。

 久しぶりとはなんだ、いったい、エレオリアを置いていつもいつもどこにいるのだ。

 こぼれそうになる愚痴をこらえて、エレオリアは逸らすことなくじっと男を見つめる。

 男が口を開く直前に、エレオリアが言葉を発した。


「神は、世界に融けるのだろうか」


 うん……? と、やはり男が面食らっている。分かっている。困らせているのは、エレオリアだ。久しぶりに会うのに、いきなりこんな話をして、もっと、他にも、言いたいことはたくさんあったはずなのに。


「……『いずれ、世界に融けたとしても』」


「歌劇の詩だね。好きなの?」


 なんの演目だったかな、とぼやきつつの、間髪入れずの問いかけに、エレオリアが口をつぐむ。興味深そうな目をして、男はエレオリアを見つめていた。


「神様は、どこにいるのだろう」


 男の息をのむ音を最後に、彼が、返す言葉を失ったのを聞いた気がした。

 たしかに、男は医者だ。医者に、神の存在を聞くなど馬鹿馬鹿しいことこの上ないことかもしれなかった。それとも、男の医者としての腕を侮っていると取られただろうか。

 君がさっきから言ってるその神様、ってのは。


「春の女神に、何か関係あるの?」


「わからないんだ」


 昔、遠い昔に人づてに聞いた、さだかではない物語を、ただ思い出してしまっただけなのだ。


「……神様の救いを、願ってる人がいたんだ」


 そう、と困惑気味に相槌を打つ男の言葉を最後に、沈黙が降りる。

 お互いそこからどうして良いかわからなかった。

 しばらく沈黙を守って、男はふ、と息を吐いた。


「ごめんね、エレオリア」


 男は笑みを消して、そう言った。


「きちんと聞くには、君には語るべき言葉が足りなくて、僕には今時間がない」


 彼は目を伏せて、何かあったのだと、エレオリアに察させる。重ねて謝らなくちゃいけないんだけど、と男は続けた。


「しばらく、君に会いに来れない」


「なぜ」


 重々しく告げた男に、エレオリアの返事は素早かった。狼狽えたように、男は肩を震わせる。


「ただでさえ十日に一度くるかどうかで、さらにあたしに割く為の時間も取れないとは」


 どんな理由があるのか、とエレオリアはじっと男に問いかける。


「ええと、あのね」


 心底困っている男の袖先を強く引いて、目をそらすな、と睨みつけた。


「……君、僕のことそんな風に今まで気にしたこと、なかったでしょう」


 なぜ、今になっていきなり。つまりは無関心を貫けば良いのにと、勝手なことを言う。こちらは話したいことがたくさんあるというのに。大したことではなくても、他との会話を禁じたのはこの男であるのに、なのに。

 納得の行く理由でなければ、……で、なければ、ええと。


「……」


 結局何も言わず、ただ、問いかけの答えを口にせよ、とエレオリアは男を睨みつけた。

 やがて根負けした男は、ため息を吐きつつエレオリアの寝台に腰掛ける。近くなった距離に、エレオリアは何となく背筋を伸ばした。


「父の、体調が思わしくなくて」


 唐突な切り出しに、エレオリアは瞬いた。がん、と衝撃を受けた気がした。そんな事情があったなら、今のやり取り、強情だったのはどちらか、と。

 無理に聞くことではなかった。そう思い直し、続けなくていいと話を遮ろうとしたのに、


「まぁ、その方がよっぽどこの国の為なんだけどさ」


「……事実でもそんな風に、言うべきじゃない」


 父親の不在を願うその言葉に、エレオリアは思っていたことと全く違う言葉を告げていた。


(いくらそうとしか思えずとも、家族を、そんな風に言うべきではない)


 エレオリアに背中を見せ、こちらを見ようとしない男は少し沈黙してから、うん、と小さくうなずいた。


「そうだね」


 ごめん、と、男は謝る。エレオリアに謝ることではない。けれど、不快にさせた、と言われれば、不快になったかどうかさえ、と苦笑した。


 エレオリアの苦くとも聞こえた笑い声に男の口元に笑みが浮かぶ。


「それで、その父の体調が、思わしくなくて。……家業を、継がなくちゃ、いけなくて」


 この期に及んでまだ濁そうとするその様子に、男の背中へ拳を押し付けた。次は振りかぶる、といわんばかりに。


「……」


 それでも男は、何も言わない。だから、エレオリアは問いかける。


「継ぐべき家業とは、何だ」


 男は、頭上を振り仰いだ。できることなら、口にしたくないのだ。けれど、いつもなら気にも留めないはずのエレオリアの、非常に珍しい要求に、男は応えたいとも思っている。


「うん」


 男は、笑った。もう、いいか、とどこか投げやりに呟いた気がした。

 困ったように視線を右そらして、微笑んで、うんとうなずいて。


「この国を、」


 歌うように、できることなら、笑い飛ばして、聞き流してもらえるよう、祈るように。


「この、ヴェニエール帝国を」


 けれど、決定的な言葉を。エレオリアの望み通り、濁すことなく告げたのだ。瞬くエレオリアに、男は曖昧な笑みを浮かべる。

 エレオリアは男の言葉を反芻した。

 意味が、分からない。

 家業の話ではなかったか。

 この、ヴェニエール帝国を、と男は言った。


 つまり。



「僕はこの国の、皇帝になるんだよ」





 読んでいただきありがとうございます。


 お気に入り登録、ユーザー登録、拍手などなどありがとうございます。きゃーとなりながら糧にしております。



 というわけで、引きはこんな感じです。予想外、な方はお話の構成上いなかったように思います。が、前作読んでない方は一話のくだりがクッション扱いなのでちょっと予想外だったでしょうか。どうだろう。


 ちょっと展開的に一つの山場なので、できるだけテンポよく行きたいと思います。

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