(Side:アルヴィス・レムナー#4)
最初の取材から一年半後、私は最後の追跡調査のため、再びアダプトン家を訪れた。
エリックは、六歳八か月になっていた。
背が伸び、顔つきから幼児らしい丸みが少し減っていた。
私は、封印していた最初期の記録を持参したが、本人には見せなかった。
確認したかったのは「昔の言葉を思い出せるか」ではなく、今どの程度まで自然に語るかだったからだ。
「前に、ここへ来たのを覚えているかな?」
「覚えてる。黒い水晶があったよ」
「何て呼んでた?」
エリックは、笑った。
「記録水晶でしょ」
「ほかの名前は?」
「知らない」
私は、それ以上、尋ねなかった。
夫妻によれば、この半年で前世らしい発言は、ほとんどしななった。
悪夢もなく、学院では平均的な成績で、火の精との交渉は相変わらず得意ではないが、水系の術は上達した。
友人もできたし、本人は将来、父の農場を継ぐか、魔道放送所で働いてみたいと言っているらしい。
「放送所?」
私は、尋ねた。
「遠くの絵が見られるのが好きなんだ」
エリックが答えた。
「いろんな町を見たい」
その言い方に、前世の影を見ることもできる。
しかし、六歳の子供が遠くを見たいと思うことに、特別な説明はいらなかった。
最後に、私は夫妻へ封印記録の扱いを説明した。
――エリックが成人するまでは公開しないし、成人後も、本人が望まなければ氏名や村名を出さない。
――三つの語と、祭り以前の日付が付いた両親の記録は保存するが、それを『異世界転生の証明』と記載することもしない。
「結局、先生はどう思っていらっしゃるんですか?」
バーナードが尋ねた。
「……あの子は、本当に別の世界から来たんでしょうか?」
最初の取材なら、私はもっと長い答えをしただろう。
――魔石残響、家族からの情報、偶然の発音、幼児の想像、魂の継続。
可能性を並べて、どれも決定的ではないと説明したはずだ。
しかし、一年半、エリックを見てきた後では、答えが少し変わっていた。
「私には証明できません。ただ、エリック君には、確かに、私たちが知らない何かを『知っていた時期』がありました。その事実と、転生が事実であることとは、同じではありません。だから、記録だけを残します」
リディアが、静かに頷いた。
「あの子が忘れても?」
「忘れることも含めて、記録です」
帰る前、私は庭でエリックと少し話した。
彼は、四本腕のゴーレムに『ポン』という名前を付けていた。
不思議な語感なので由来を聞くと『短くて呼びやすいから』と答えた。
以前の記録にはなかった、新しい、この世界で生まれた理由だった。
やがて門の外から魔道駆動車の低い走行音が聞こえた。迎えの車だった。
私たちは荷物を積み、夫妻へ別れを告げた。
エリックは道の端に立ち、こちらへ手を振っていた。その背後で、村の安全紋が橙から白へ変わった。
彼は一歩踏み出しかけ、なぜか止まった。
「どうしたの?」
リディアが尋ねた。
エリックは、安全紋を見下ろし、少しだけ首を傾げた。
「青じゃないけど……まあ、いいか」
「何が青なの?」
「わかんない」
彼は笑い、母親の手を取って道を渡った。
その日の夜、帰路の中継宿で、制作班が最後の記録水晶を確認した。
映像の終わりには、道を渡る母子の後ろ姿が残っている。
白い安全紋、麦畑、夕暮れの魔道灯――どこにも異常はない。
再生を止める直前、音声係が「今、何か入っていませんでしたか」と言った。
巻き戻した。
雑音に混じって、短い高音が一度だけ鳴っていた。
魔道駆動車の制御音にも、記録水晶の共鳴音にも似ていなかった。
私は、三度聞き直したが、正体は分からなかった。
「解析に回します?」
ミレーネが聞いた。
私は、少し迷ってから首を振った。
「いや。機材の雑音として記録してください」
水晶の中で、エリックはもう振り返らなかった。
母親と手を繋ぎ、この世界の道を歩いていく。
私は、再生を止めた。
黒くなった記録水晶の表面に、自分の顔が映った。
その向こうへ、ほんの一瞬だけ、雨に濡れた灰色の固められた道と、見たことのない青い灯りが重なったような気がした。
瞬きをすると、それは、ただの黒い水晶へ戻っていた。
私は、それも記録には書かなかった。研究者が記録すべきなのは、はっきり再現性のある事実だからだ。
結局、研究として得られた事実は、多くなかった。
幼い子供が、誰にも教わっていないはずの三つの言葉を口にした、家族の習慣とは異なる仕草を繰り返した、大人が意味を求めるほど本人は「分からない」と困った――そして、成長するにつれて、それらのことが少しずつ発現しなくなった。
「ふむ……」
ファイルを書棚に戻しながら、私は、考えた。
もし人が別の世界に生まれ直すことがあるのなら、本当に持ち越すのは知識や技術ではないのかもしれない。
魔法の使い方を変える公式でも、未来を先取りする発明でもない。
エリックのように、靴を脱ぐ習慣や『スイッチ』――そんな、本人でさえ意味を説明できない小さな癖のようなものだけなのだろう。
それは、世界を変えるものでは、ない。
ただ、新しい世界に馴染んでいく子供の中で、いつか忘れられるまで、かすかに残り続けるのだ。
(了)
……という訳で、一万三千字ほどの中編です。こちら、note.com/nazomuraにも置いてあります。
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