(Side:アルヴィス・レムナー#1)
アダプトン家は、王都からは、魔道馬車と転移門を乗り継いで一泊する必要がある農村にあった。
王国の飛び地にある、どちらかというと辺境域にある地域だ。
私たちは、アダプトン夫妻から届いた一通の手紙を元に、この地までやってきた。
魔道駆動車が進むと、麦畑の向こうに赤茶けた屋根が見えた。
庭先では四本腕の荷役ゴーレムが、納屋から肥料袋を二つずつ抱えて運んでいた。
近頃のこういった農村では、珍しい光景ではない。しかし、同行したドキュメンタリー班の撮影技師は、まずそのゴーレムへ記録水晶を向けた。
この地方では、魔道テレビそのものがまだ珍しい。
魔道テレビは、王都の放送局で魔石記録媒体に刻まれた映像と音声を送信陣へ載せ、街道沿いの中継塔を経由し、各地の魔道スクリーンへ遠隔送信する魔道機器だ。
生の出来事をそのまま映すことは難しいものの、半日か一日遅れなら、王都の式典も外国の災害も地方の村で見ることができる。
十年前なら吟遊詩人が何週間もかけて運んでいた話を、今では光る板が一晩で届けるのだ。
取材班の目的は、その便利な新技術を紹介することではなかった。
私は、王立知覚研究協会で、幼児が語る『生まれる前の記憶』を調べている学者だ。
今回、同行している番組制作班は、研究を一般向けに紹介する連作の記録番組を作っているのだった。
家屋の入り口にあるベルを鳴らすと、私の前に現れたのは、神経質そうな男と、ふくよかな赤ら顔の女だった。二人とも、三十代といったところか。
記録水晶を三脚で固定し、小型魔方陣に手を触れて、始動の魔力を流した。
記録が開始されて、ピンと場が張りつめたように感じられる。
まず、夫の方に語りかける。
「先に確認しますね。私たちは、エリック君が『転生者』であることを前提とした取材を行う訳ではありません……」
夫のバーナードは神経質そうに指を組み、妻のリディアは膝の上でエプロンを握っている。
二人とも、息子を見世物にして金儲けをしたいような親には見えなかった。
「本人がいつ何を言ったか、誰から何を聞く機会があったかを分けて記録します。こちらから『前は誰だった』『どうやって死んだ』と答えを誘う質問は、できるだけ避けます。分からないことは、分からないままで構いません」
バーナードは、その説明を聞いてようやく小さく頷いた。
「それでいいです。私たちも、何かを証明したい訳ではないんです。ただ、この子が時折、困っている理由を知りたいんです……」
彼は、ごくりと唾を飲んで、言葉を続けた。
「……エリックは、生まれた頃から、普通の子とは、少し違っていました。エリックの上には、姉が二人と、兄が一人いて、四人兄弟の末っ子なのですが、言葉を話すのが、とても早かったんです。上の姉――最初の子は、もう嫁いで、この家にはいませんが」
夫人のリディアも、頷いた。
「ほんとうに! 手のかからない子でした。ぐずることが、まったくなかったんです。ミルクかオムツか、とにかく知らせようという意思のようなものを感じたわ。八ヶ月の頃には、もう、わたしたちの名前をはっきり発音していたわね」
「ほう、賢い子だったようですね」
「それより、私たちが不思議に思ったのは、知っていることの多さより、知らないはずのことを当たり前みたいに探すことでした」
最初の記録は、エリックが二歳四か月のときだった。
夜中に目を覚ました彼は、寝室の壁を何度も撫でて、「ぱちん、ない」と泣いた。
両親は、虫でもいるのかと思った。
しかし、彼は魔道灯を指差し、壁を押す仕草を繰り返したという。
「灯りは、寝台脇の呼び石に触れれば消せます。でも、あの子は、呼び石ではなく、壁の同じ高さにあるものを探したんです。しばらくして『すいっち』と言うようになりました」
私は、そこで口を挟まず、記録帳の余白へ発音をそのまま書いた。
意味を推測して親に伝えれば、次からの発話に、こちらの解釈が混ざる可能性がある。それが統計的な偏りになると厄介なので、極力気を付けているのだ。
「他には?」
「家へ上がるとき、靴を脱ごうとします」
バーナードが神妙な表情で告げた。
「うちは土足です。寝室だけ室内履きに替えますが、玄関で全部脱ぐ家なんて、この辺りの習慣ではない……王都の御貴族様の家では、そういうのがあるんですかね?」
「いえ、我が国の習慣では、ごく一部の家だけだと思います」
客観的な事実についての質問については、そのまま返答する。
「はあ、やっぱり。なのに……二歳の頃から、ドアの内側に靴のまま入るのを嫌がりまして。それと、戸口に置いた姉たちの靴まで揃えて、つま先を外へ向けるんです」
「誰かの真似でしょうか?」
夫人のリディアの方が頭を振った。
「最初は、私たちもそう思いました。でも、親戚にも近所にも、そんな習慣はありませんよ。まあ、姉たちに笑われ、今は、やらなくなりましたが。それでも、眠いときや熱があるときに、玄関で立ち止まることがあります」
リディアは、そこで少し笑顔を見せた。それは、幼い頃の妙な癖を思い出した母親の自然なえ笑みだった。
「ふむ……」
確かに、実際に、何か変わった子供のようだと思った。
私は、取材班へ目で合図し、記録水晶を少し引かせた。
「他になにか、ありますか?」
「これです」
夫妻は、三歳前後のエリックが描いたという絵の束を差し出した。
家族の似顔絵があったが、妙な絵もあった。
その絵には、四角い建物、横に並んだ小さな箱、何本もの平行線が描かれていた。
大人が見れば街の建物や道路について想像するだろう。しかし、線は曲がり、箱の大きさもばらばらだった。
そして、何が描かれたのかを断定できるほど、絵は正確ではなかった。
「この絵を描いたとき、本人は何と言いましたか?」
「『えき』と一度だけ。それから『でんしゃ、くる』と。私たちが聞き返すと、急に怒って紙を丸めました」
「その単語を聞いたのは、その時が最初ですか?」
「はい。エリックには、何か妙なところがある。だから、はっきり記録しておいた方がよいと思いました。農業政策で、そういうのが重要だと以前、農学校で学んだもので」
アダプトン家は、この辺りでは、大地主の農家だった。この主人も、一見は普通の農家という感じだが、文字を書けて、私に連絡をしたところをみても、水準以上の教育を受けている。
それにしても、日付が分かっていることは、大変、重要だった。
記憶を語る子供の調査では、後になって一致した情報より、調査や放送の前に残された記録の方が重要なのだ。後からなら、取材の過程で覚えた言葉だと疑念を持たれてしまう。子供自身も、どう答えたら大人が喜ぶか覚えて、その期待に添った言葉を話すことが多い。
「エリック君が、記録用の魔石に触れたことは?」
これは聞いておかねばならないことだった。魔石は、映像だけでなく、扱い方によっては術者の感覚の残滓まで保持するのだ。
もし子供が古い記録石へ触れられる環境があったなら、その子供が知らない場所の夢を見る例は珍しくない――宗教家は魂の輪廻と呼び、魔道医は残響同調と呼ぶ現象だった。
私の問いかけに、夫妻は、顔を見合わせた。
リディアが先に答えた。
「三歳の祭りで一度。村の広場に大きな魔道スクリーンが来たときに、一度あります。でも、『でんしゃ』や『すいっち』は、その前から言っていました」
私は、記録帳に二本の線を引いた。
祭り以前の発話と、祭り以後の発話を分けるためだった。
そのとき、廊下から小さな足音が近づいた。話題の本人は、父親に手を引かれて現れた。
エリックは五歳と二か月だ。
栗色の髪が額にかかり、知らない大人が三人もいる居間を見て、当然のように母親の後ろへ半分隠れた。
しかし、彼の目はすぐに私ではなく記録水晶へ向いた。
黒い球面に自分の顔が映っているのを見つけると、恐る恐る近づき、指一本ぶん手前で止まった。
「これ、さわっていい?」
「今日は、触らないで見ているだけにしよう。何に見える?」
私が尋ねると、エリックは首を傾げた。
「カメ……みたい。でも、ちがう。カメラ……だったかな」
リディアが息を呑みかけたので、私は手で制した。
大人が反応すると、子供はその語に価値があると学ぶ。
「カメラって、何をするもの?」
「わかんない。見るやつ。ちがうかも」
それだけ言うと、エリックは興味を失い、窓の外のゴーレムを見た。
私は「不明」と記載した。
分からないという答えは、失敗ではない。むしろ、ここから先の意味を大人が与えないことが重要だった。
制作班の監督ミレーネが、持ち込んだ携帯式の魔道スクリーンを卓上へ置いた。
厚さは指二本ぶんほどで、裏面に受信陣、側面に魔石記録媒体の差し込み口がある。
送信塔から届く魔力波を受け、記録石の像を錬金魔術で製造された人工黒曜石の板へ浮かび上がらせる装置だ。
私は、エリックに尋ねる。
「これは、知ってるかな?」
「スクリーン。お祭りで、あった」
「ほかの名前で呼んだことは?」
エリックは板の縁を見つめたあと、眉を寄せた。
「テレビ……かな。でも、テレビは、もっと黒かった気がする」
「黒い?」
「消すと黒い。こっちは、消しても、ちょっと白い」
その説明は、妙に具体的だった。
だが私は黙って、ミレーネに再生を始めてもらった。
映像は事前に用意してあった。
畑、港、市場、山道、王都の広場、鉱山用の軌道車――それぞれ十五秒ほどで、エリックに何かを思い出させる目的ではなく、どこで自発的な反応が出るかを見るためのものだった。
畑では退屈そうにし、港では帆船の大きさに目を輝かせた。
王都の広場では空中広告の魔法に笑った。
ところが、鉱山の軌道車が映ると、エリックは身を乗り出した。
「これ、でんしゃ?」
「君は、どう思う?」
「ちがう。でんしゃは、もっと長い。いっぱいつながってる。ここじゃない」
「どこにある?」
「……わかんない」
言った直後、彼は不安そうに母親を見た。
リディアが膝へ手を伸ばすと、エリックはその手を握ったまま、もう画面を見ようとしなかった。
私は、質問を切り上げた。
子供が嫌がった時点で続けても、得られるものは記憶ではなく、質問者を満足させるための作り話になりやすい。
「今日は、ここまでにしましょうか」
「もう終わりですか?」
バーナードが驚いた。
「まだ、日本とか、前の家族とか、聞かなくていいんでしょうか?」
私は、その言葉に反応した。
「『日本』は、本人が言った語ですか?」
「一度だけです。四歳になる少し前、雨の日に。窓の外を見ながら『にほんも雨だった』と。私が『ニホンってどこだ』と聞いたら、『前のところ』と言いました。そのあと、海があるとか、山があるとか、そんな話になった。でも、私が聞きすぎたせいか、次の日には『ニホン』を言わなくなりました」
バーナードは後悔しているようだった。
私は、勿論、責めなかった。自分の子供が、存在しない国を懐かしそうに口にしたら、親なら当然、聞くだろう。むしろ、黙っていられる方が不自然だ。
「そのときの会話は、覚えている範囲で、後から記録されていますか?」
「はい。ですが、私が質問した部分も一緒です」
「それで十分です。質問したこと自体も資料になります。ただし、今日、こちらから『日本』について本人には尋ねません。自分から言うかどうかを見ましょう」
話を聞いていたリディアが、張り詰めていた肩を少し落とした。
「良かった。あの子、最近は前のことを聞かれるのを嫌がるんです。『わからないのに聞かないで』って」
その言葉を、私は記録帳の欄外に大きく書いた。――わからないのに聞かないで。
おそらく、それがこの取材で最も尊重すべき証言だった。
こちら、アマゾンプライムの『死者の記憶を持つ子供たち』にインスパイアされて、本当にリアルな異世界転生だったら、こうなるかな~と思って考えた話です。




