10.そして、母ちゃんは笑った
数日後。
ガトー村では、村の歴史が始まって以来と言っても過言ではないほどの大宴会が催されていた。伝説の黒竜を討伐し、ついでに悪徳商人との借金問題も、ディーンの金剛級ハンターとしての権力によって白紙に追い込んだのだ。村人たちは狂喜乱舞し、タダで手に入った高級な酒を浴びるように飲み、大ぶりな肉を焼いて騒いでいた。
そんな喧騒の最中、トーマはリジーによって、村の集会所の裏手へと呼び出されていた。
「話があるんだよ。ちょっと来な、トーマ」
珍しく、真面目で神妙な顔つきのリジー。その隣には、バツが悪そうにそっぽを向いている村長とディーン、そしてなぜか最初からニヤニヤしているハンジと、今回の件で完全に改心して村の開拓を手伝うことになった盗賊の頭領、捕まった悪徳商人までが並んでいた。
トーマは首を傾げ、嫌な予感を覚えながら尋ねる。
「……なんだよ、母ちゃん。改まってさ」
リジーは一度大きく咳払いをすると、両手を腰に当てて、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「まず、謝らなきゃいけないことがあるんさね」
「謝る? 何をだ?」
「……今回の、アタシが借金のカタに盗賊にさらわれたって話だけどさ。——あれ、全部狂言だよ」
長い、長い沈黙。
トーマの思考が、完全に停止した。
「……は?」
「だからさ、全部アタシと村長、それにディーンとハンジ、そこの盗賊の頭領と商人で仕組んだ『お芝居』だったんだよ」
「……は?」
「いやー、実はさー、自分も最初から協力者としてグルだったんだよねー。ほら、トーマがあんまりにも引きこもって死にそうな顔してるからさ、リジーおばさんに相談されたの。『何か荒療治はないかい』って。だから自分、この作戦を提案させてもらったんだわ。あはは!」
ハンジが楽しそうに頭を掻きながら笑う。
「……ゑ?」
トーマは、混乱の極みに達した頭を必死に働かせながら、一つずつ事実を確認していった。
「ちょっと待て。……じゃあ、母ちゃんは最初からさらわれてない?」
「さらわれてないよ。ずっとアジトで果物食べてたさね」
「村長の借金は?」
「ないよ。不作は本当だけど、備蓄は十分あったさね」
「盗賊団は?」
「ただの、昔ディーンに命を救われたことがある元冒険者の集まりさ。今回は演技料をあげて一肌脱いでもらっただけだよ」
「……じゃあ、あの黒竜は!?」
「「「完全に本物」」」
全員の声が見事に揃った。
「そこだけ本物かよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ガトー村の夜空に、トーマの、本日一番の絶叫が響き渡った。
その瞬間、集会所の裏手にいた全員が、我慢しきれずに大爆笑を破裂させた。ハンジにいたっては、地面を転げ回って腹を抱えて笑っている。
「お前ぇぇぇぇ、ハンジ! 親友のくせにオレを騙しやがったな!」
「いやいやー、だってさ、あの時のトーマの必死な顔、本当に最高だったんだもん! 生き返ったでしょ、心がさ!」
「うるさいわ!」
◇◇◇
ひとしきり笑い転げたあと、リジーはゆっくりとトーマの前に歩み寄り、その大きくて温かい手で、息子の両肩をがっしりと掴んだ。いつもの、豪快で、けれど底抜けに優しい笑顔だった。
「だってさ……あんた、あの怪我をしてから、まるで心がどこか遠い別の場所に死んじまったみたいな顔をしてたじゃないかい」
トーマは言葉を失い、リジーの瞳を見つめた。
「アタシはさ、理由なんて知らないし、あんたの頭の中で何が起きてるかも分からなかった。でもね、自分の息子がそんな死んだ魚みたいな目で天井を見てるのを、ただ黙って見てられる母親がどこにいるんだい?」
「母ちゃん……」
「だから、無理矢理にでも家から追い出した。旅をさせて、世界を見せて、新しい仲間を作らせた。最悪、嫌われてもいいと思ってたさね。……最後にトカゲが出てきたのは、さすがにアタシも肝が冷えたけどさ」
リジーはそう言うと、トーマの額をごちん、と自分の額に軽くぶつけた。
「でも、結果オーライじゃないかい。今のあんた、最高にいい顔をしてるよ」
トーマは、もう何も言えなかった。ただ、目から溢れそうになる涙を必死に堪えながら、現世の母親の、その不器用で深い愛情を、全身で受け止めていた。
彼女は前世の母親ではない。けれど、間違いなく、今この世界における、唯一無二の「本物の母親」だ。
◇◇◇
その夜、大宴会の喧騒から少し離れた村の外れで、トーマは一人、静かに星空を見上げていた。
ガトー村の、満天の星々。前世の日本の都会では決して見ることのできない、きらびやかな星の海だ。
「……母ちゃん」
その言葉が、どちらの母親に向けられたものなのか、自分でももう分からなかった。いや、両方でいいのだと思う。前世の母も、現世の母も、どちらも、自分という不甲斐ない人間を、それぞれの世界で精一杯の愛を込めて育ててくれた母親たちだ。
「ありがとう。……オレ、もう大丈夫だからさ」
夜風が、優しくトーマの頬を撫でて通り抜けていく。
「さよなら、前世のオレ。——はじめまして、これからのオレ」
忘れるわけじゃない。捨てるわけでもない。前世の記憶も、後悔も、すべてを血肉として抱えたまま、これからはこの世界で、トーマとして、しっかりと足をつけて生きていく。
◇◇◇
翌朝、ガトー村の入り口。
あの、すべての始まりである木製の門の前に、四人の姿があった。
「アニキ! 早く行こうぜ、王都のギルドで新しい依頼が待ってるんだから!」
ラッシュがボウガンを肩に担ぎながら、元気いっぱいに手を振る。
「トーマさん、今日のために新しいクッキー、たくさん焼いてきましたからね!」
アンゼリカが大きな鞄を揺らしながら、太陽のような笑顔を向けてくる。
「さてさて、今度はどんな冒険が待ってるかねぇ。自分としては、のんびりした旅がいいんだけどなー」
ハンジがいつもの飄々とした口調で、隣に並ぶ。
そして、門の陰からは、リジーとディーンが静かに彼らを見送っていた。
リジーが腕を組み、いつもの豪快な声で言い放つ。
「いいかい、トーマ! 今度はちゃんと、お土産を持って元気に帰ってくるんだよ!」
「ああ、分かってるよ、母ちゃん!」
「死ぬんじゃないよ!」
「分かってるって!」
ディーンは無言で、ただ力強く拳を一つ突き出した。トーマもまた自分の拳を突き出し、親父と無言の約束を交わした。
トーマは愛用の槍を肩に担ぎ、一歩、門の外へと足を踏み出した。
「——よし、行こうぜ、みんな!」
どこまでも続く、果てしない道。まだ見ぬ広大な景色、まだ知らない未知の冒険。
今度こそ、自分の足で、前を向いて。
四人の若き冒険者たちは、昇り始めた朝日を背に受けながら、新しい物語の始まりへと向かって、力強く歩き出した。




