1.目覚め
ガトー村の入り口には、いささか無骨すぎる大きな木製の門がある。
近隣の険しい山々から切り出した、樹齢数百年はあろうかという丸太を荒々しく組み上げたものだ。村人たちは親しみを込めて「門」と呼んでいるが、実際のところは引き戸もなければ見張り小屋もない、ただの巨大な木の柵に近い代物だった。野生の獣や、ごく稀に山を降りてくる下位の魔獣を防ぐためだけの、素朴な防壁である。
初夏の陽気が差し込む昼下がり、山での狩りから帰ってきたトーマは、その頼りない門の下をくぐろうとしていた。
「今日はウサギ三匹か。まあ、上出来だな……」
仕留めた獲物の足を紐で縛り、ずっしりとした重みを肩に感じながら、トーマはのんびりと青い空を見上げていた。
今年で十八歳。ガトー村で生まれ育った、生粋の狩人だ。
村の若手としては頭一つ抜けた腕前を持ち、父親譲りの槍捌きは実に鋭かった。村の老人たちからは「このままいけば、街へ出て立派な高位魔獣ハンターになるだろう」と期待されており、トーマ自身も、自分の人生はそういうものなのだろうと、なんとなく受け入れていた。
そのときだった。
ギシッ、という頭上からの不吉な軋み音が鼓膜を震わせた。
「ん……?」
違和感を覚えて視線を真上へ向けた、まさにその瞬間だった。長年の風雨に晒されて固定の縄が腐り落ちていたのか、門の上部を横に渡していた太い丸太が、あろうことか完全に外れて落下してきたのだ。
「うおっ!?」
避ける間すらなかった。
ゴッ!!
鈍く重い衝撃音が響き、丸太はトーマの頭頂部へと見事に直撃した。
強烈な痛みを自覚するよりも早く、脳の奥深くが爆発したかのような衝撃が走り、意識が深い闇の底へと引きずり落とされていく。
そして——意識の混濁とともに、大量の記憶の奔流が、堰を切ったように頭へと流れ込んできた。
それは、ガトー村のどこにも存在しない、光景の数々だった。
雲を突き抜けるほどに高い、ガラスとコンクリートの建造物。鉄の塊が轟音を立てて線路の上を走る電車。人々が歩きながら手元で光らせるスマートフォン。夜になっても昼間のように明るい街灯と、二十四時間いつでも食べ物が手に入るコンビニエンスストア。
それらの光景に伴って、じっとりとした息苦しい感情が蘇る。
終わりの見えない残業。理不尽に怒鳴り散らす上司の顔。狭いアパートの一室。
そして——何よりも鮮明に、一人の女性の姿が浮かび上がった。
少し背中が丸まって、白髪の混じり始めた、前世の「母親」だ。
記憶の中の自分は、三十歳になっても大した親孝行もできず、日々の仕事に追われ、母親からの心配の電話を「今忙しいんだよ」と冷たくあしらい続けていた。
最後に見えたのは、無機質な病室だった。過労による心不全で倒れた自分が、そのまま帰らぬ人となったあとの光景。冷たくなった自分の傍で、崩れ落ちるようにして大粒の涙を流していた、母親の姿。
ごめん、母ちゃん。
ろくに話も聞いてあげられなくて、いつも不機嫌な顔ばかり見せて、こんなに早く置いていってしまって——。
伝えられなかった無数の言葉と、激しい後悔。そして、その人生の主であった男の名前。
佐竹冬真。三十歳。日本の会社員。独身。趣味はゲーム。
そんな、この世界とは全く異なる次元で生きていた一人の男の人生すべてが、泥流となって十八歳の狩人トーマの脳髄を埋め尽くしていった。




