1話 転移
「魔法ってどんな原理だろう」
当然、そんなこと本気で考えたことなんて無かった。
魔法なんて、詠唱すれば勝手にMPとかを消費して出てくるものだと思っていた。
異世界に行くまでは――。
―――
その日は、蒸し暑い夏の夜だった。
月明かりに照らされた夜道に、鈴虫の鳴き声が静かに響いている。
その道を、これといった目的も無くフラフラと歩いていた。
いや、詳細に言えば目的はある。
思考に耽るためだ。
人がいなくて暗い道なんて、思考の邪魔をされない最高のシチュエーションだ。
今日は何について考えようか。
(…考えるってなんだろ?)
俺は頭の中で自分の声を再生して思考していると思う。
ほとんどの人が、考えるときはこのようにしているとはずだ。
いわゆる内言語思考というやつだ。
それ以外で言えば、何があるだろうか。
言語以外の思考方法を考えてみる。
俺は、立方体とかを組み合わせるイメージをした。
さらに、自分がバットを振ってホームランを打ち上げ、歓声を浴びるイメージをした。
これらは言語でなく映像で思考していると言えるかもしれない。
ほとんどの思考は言語と映像で説明がつくだろう。
でも、数学は映像も言語も使わなくても答えが浮かぶこともある。
運動やスポーツも考えてないのに自然と身体が反応することがある。
(映像や言語以外だけでは説明できない思考があるのか?)
「よっ、ヒナタ」
耳に馴染んだ声が鼓膜を揺らし、思考を中断する。
声のした方を見ると、予想通りの見知った顔がいた。
「うっす」
俺は適当に返事をして通り過ぎようと試みる。
「つれないな。暇なんだろ?」
しかし、止められる。
もう少し一人で思考を楽しみたいので言い訳を試みる。
「忙しい」
用事はないが、思考で忙しいのであながち嘘でも無い。
「よし、暇だな。俺ん家くる?」
「忙しい」
「どうせ変なこと考えてただけだろ?」
「忙しい」
「あー、そういえば新作ゲーム買ったんだよなぁ」
「忙しくなくなったかも」
ゲームとなれば話は別だ。
「都合のいい用事だったようでなにより」
「じゃあ行きますか」
そして、俺達は家に向かって馴れ親しんだ道を進む。
学校に行く時も、遊びに行く時も、塾に行くときも、何の用事もないときも、
何度も通ってきた道だ。
「ん?」
しかし、その見慣れたはずの風景に違和感が生じる。
気づけば、俺たちは同時に足を止める。
そこで違和感の原因は道沿いの建物や電柱が、二重になっていることだと気づく。
(乱視か?)
しかし、その可能性を俺は即座に否定した。
電柱そのものが二重に見えているわけじゃない。
電柱と、その周囲の空間の位置関係がおかしい。
まるで、何かしらの規則に従って空間そのものがズレているような。
そう認識した瞬間、
「危ない!」
友人の手が俺の身体を後ろへと強く押し出した。
「え?」
そのまま倒れる。
その直後、目の前の空間が耳の奥を刺すような音を立てて裂けた。
目の前の景色が歪む。
道路も、建物も、電柱も、すべてが引き伸ばされ、ねじれていく。
俺は親友の方へ手を伸ばした。
「あ――」
言葉が最後まで出る前に、
俺達は、その裂け目に呑み込まれた。
「痛ッッッ!」
その直後、全身を激痛が駆け抜け、思わず目を閉じる。
それでも連続的な痛みは消えない。
「クソッ。なんなんだよ!」
歯を食いしばりながら目を開けると、自分の指先が見えた。
「……え?」
その異変に思わず、顔の前に手を持ってくる。
…指先が崩れていた。
皮膚が剥がれているわけじゃないし、血が出ているわけでもない。
そこにあったはずの指が、細かな何かへと崩れて、消えていっている。
まるで砂を風にさらしているように、指先から少しずつ形が失われていく。
「なに、これ……」
理解が追いつかない。
だが、身体の崩壊は待ってくれない。
指先以外からも崩壊が始まっているのがわかった。
(何が起きてる?)
痛みに耐えながら、周囲を見る。
さっきまで隣にいた友人の姿はない。
「おい!」
強く呼びかける。
しかし、返事はない。
親友の名前を呼んでみる。
「―――!」
そして、耳元に自分の声だけが残る。
「ッ!」
もう一度叫ぼうとした。
しかし、声が出ない。
崩れかけた手を喉元にやる。
そこにあるはずの喉仏が、なかった。
喉も、既に塵になってしまったのだろうか。
俺は辛うじて残っている目で周りを見る。
(………)
空間の地平線。その中心が強く光り、外側へ向かうにつれて、景色はグラデーションのように暗くなっていた。
朗らかで、不気味で、悲しくて、愛おしい。
触れたいのに、触れたくない。
そんな矛盾した光が、この空間の地平線を照らしていた。
その光を見つめていると、
(もう少し生きたかった、殺してやる、もっと色々……、いやだいやだいやだ……、楽しかったな)
突然、頭の中に声が響いた。
いや、声というよりも感情そのものが流れ込んでくるようだ。
自分のものではないはずの感情が、次々と俺の中に押し寄せてくる。
(俺は、私は、親に、もっと、生きたい、いやだ、誰?、辛かった……?)
誰かの記憶なのか、それとも感情だけなのか。
俺には分からない。
ただ、いくつもの矛盾した感情が、際限なく流れ込んでくる。
そのたびに、思考が乱れた。
自分というものの輪郭が曖昧になる。
俺が自分でなくなる。
消えてしまう。
―――
(いやだ!)
喉があれば、はち切れるほどに心の中で叫んだ。
まだ、やりたいことが山ほどあるんだ。
ずっと思考に耽っていたい。
アイツとも遊びたい。
新作ゲームにも、まだ手をつけていない。
今週のアニメだって見ていない。
そんな、くだらないことまで頭に浮かんでくる。
かけがえのない記憶がたくさんある。
失いたくない。
俺でいたい。
まだ終わりたくない。
『まだ生きたい』
その意志だけが、強く胸に残った。
――気づいた時には、深い暗闇に包まれていた。
何もない。
音もない。
光もない。
痛みもない。
(……死んだ……のか?)
思考だけが、そこに残っていた。
さっきまでの意識の喧騒が嘘のように消えている。
(…………)
(……いや、おかしい)
俺は今、何をしている?
何も感じない。
それなのに。
(俺は『思考』している)
その事実だけは、はっきりと分かった。
(つまり――)
(意識が残っている?)
それが分かった瞬間、
ほんの少し、ほんの少しだけ、希望が生まれた。
まだ終わっていない、それなら、
「――!」
目を開けようとする。
しかし、何も見えないし動かない。
更に言えば暗いと感じることすらできない。
手を動かそうとする。
足を動かそうとする。
だが、こちらも何も感じない。
そもそも、動かすという命令が伝わっている感覚すら無い。
身体の境界線すら知覚できない。
それでも、
(こんなところで終わりたくない)
(身体を取り戻すんだ!)
今までの人生で感じてきた、自分を構成するすべてのものを強く思い出す。
感情も、感覚も、視覚情報も、質感も、記憶も、
かつてないほど鮮明に。
(身体を! 身体を作れ!)
そう強く念じた瞬間――。
「……は?」
目を開けると、
そこには、青い空があった。
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