#1 不死身の騎士、殺され方を教える
「薄い」
黒騎士ガルヴァンは、毒入りの豆スープを一口すすって言った。
厨房の梁から逆さにぶら下がっていた少女は、思わず身を乗り出した。外套の裾がめくれ、隠していた短剣が床へ落ちた。
「飲んでから言うこと、それ?」
「墓苔の苦味はする。だがこの量では、せいぜい馬が二日寝込む程度だ」
「あんた、馬より大きくないでしょ」
「不死身を殺すつもりなら、馬より少なく見積もるな」
ガルヴァンは律儀に皿を空にした。それから立ち上がり、二歩進み、食卓に額をぶつけて倒れた。
少女は梁から飛び降りた。黒い兜を剥ぎ、頬を叩き、鼻先に指を当てる。息はない。胸も動かない。
「やった」
九分後、死体が目を開けた。
「だから薄いと言った」
少女は悲鳴を上げ、短剣を三度落とした。
王国の北端、屋根の半分が飛んだ宿屋でのことだった。窓の外には麦畑の代わりに灰色の荒地が広がり、街道標識には王都までの距離ではなく、次に追い剥ぎに遭うまでの予想歩数が書かれていた。
少女の名はリナといった。十七歳。自称暗殺者。実績は鶏三羽と、今しがた九分間だけ死んだ男ひとり。
「代金を払え」
リナが手を出すと、ガルヴァンは床から起き上がり、首を鳴らした。
「失敗にも?」
「毒だってただじゃない」
「では雇おう」
「何を」
「私を殺す仕事を」
「三百年も死ねなかったくせに、私で?」
「私を憎む者は多い。殺せる者は少ない。殺せる者は、たいてい私より金を愛している」
彼は卓上に金貨を一枚置いた。王の横顔が刻まれていたが、鼻の部分だけ誰かに削り取られている。
「毎朝、夜明けから朝食まで。方法は問わん。成功報酬は残りすべてだ」
革袋が重く落ちた。中で金貨が、景気のいい国の音を立てた。
リナは袋を見ず、兜の下の男の顔を見た。左の眉から顎まで、古い火傷が走っている。三百年前から王の軍を率い、反乱村を畑ごと灰にしてきた不死身の英雄。その肖像は、徴兵所にも処刑台にも掲げられていた。
「杭打ち村を覚えてる?」
「覚えている」
「私の父と母は、あそこで焼けた」
「そうか」
「心から、あんたを憎んでる」
ガルヴァンは、初めて少しだけ笑った。
「採用だ」
翌朝、リナは寝台の天蓋に大石を仕掛けた。
ガルヴァンが目を覚ますと、石が落ちた。天蓋の柱が折れ、床が抜け、黒騎士は寝台ごと階下の浴槽へはまった。
「発想はよい」
瓦礫から兜だけ出して、彼は言った。
「石が軽い。綱が太い。結び目が見える。床下を確かめていない」
「死にかけたくせに、よく喋るわね」
「死にたいから喋っている」
彼が住み着いていた古い見張り塔には、その日から奇妙な時間割ができた。夜明けに暗殺。朝食後に反省会。昼から実習。夕刻には、壊れた家具と黒騎士の骨を直す。
最初の授業は毒だった。
「墓苔一つまみ、灰蝮の胆汁を三滴。標的の体重と体調で増減する」
ガルヴァンは鍋をかき混ぜながら言った。
「昨夜の私は酒を飲んでいた。肝が鈍っているから効きは遅い。遅い毒は、標的に遺言と犯人捜しの時間を与える」
「親切じゃない」
「暗殺に必要なのは親切ではなく、時間の管理だ」
リナは二つの黒い杯へ薬を注いだ。片方を彼の前に置き、もう片方を自分で飲んだ。
三呼吸して、彼女の顔が青くなった。
「杯を間違えた」
「どっちも黒いじゃない!」
「ならば葬式のような食器で暮らすな」
ガルヴァンは毒杯をあおり、痙攣するリナを担いで塔を駆け下りた。廃修道院の薬師を叩き起こし、解毒薬を飲ませ、夜が明けるまで寝台の脇にいた。
目覚めたリナは、枕元の黒兜を殴った。
「あんたが飲む必要、なかったでしょ」
「同じ症状なら診断が早い」
「馬鹿なの?」
「三百年生きる程度には」
次は落とし穴だった。
リナが一晩かけて掘った穴へ、ガルヴァンはまっすぐ落ちた。ただし深さは腰までで、両腕を縁に置いて彼女を見上げた。
「浅い」
「一晩中掘ったのよ!」
「自分の墓から肘が出ていれば、死人でも這い上がれる」
彼は、掘った土の隠し方、底の杭を傾ける方向、雨水の逃がし方を教えた。
三日後、ガルヴァンは二間の穴に落ち、四本の杭に貫かれた。
「今度は?」
「深さも杭も申し分ない」
「じゃあ死んで」
ガルヴァンは穴の底から、黒く垂れこめた空を見上げた。
「水抜きを忘れた」
その晩は大雨になった。リナは溺れかけた不死身を縄で引き上げる羽目になった。
「放っておけばよかった」
「溺死も試せたな」
「次から受講料を取る」
剣の授業には、近隣の村から買えるだけのキャベツを使った。
「首は丸太ではない。前から斬ると顎に当たる。横から、頸の後ろを抜く。腕で振るな。腰を回せ」
リナの一撃で、キャベツが台から跳び、窓を破って外へ消えた。
「今の標的は逃げたぞ」
「野菜ならね」
「村に残った最後の十二玉だ。明日から何を煮る」
「あんた」
「塩は控えめにしてくれ」
やがてキャベツは飛ばず、その場で二つに割れるようになった。羊の骨を吊るし、古い兜を載せ、刃が骨へ入る角度を繰り返した。
初めて本物の首を狙った朝、刃は半ばまで食い込み、抜けなくなった。
ガルヴァンは首を傾げたまま、血泡を吐いた。
「踏み込みは、よかった」
「喋らないで! 怖いから!」
「刃筋が、二寸、寝ている」
「首が半分ない人に教わりたくない!」
「半分ある」
「そこを誇るな!」
彼女は泣きながら剣を抜き、傷口を押さえた。黒騎士の首は夜までに塞がった。翌朝、リナの剣の柄には新しい革が巻かれていた。汗で滑らないよう、彼が替えたのだった。
季節が一つ変わった。
リナは足音を消し、鍵を開け、寝息の偽物を聞き分けるようになった。朝ごとにガルヴァンは、井戸へ落ち、窓から射られ、鎧の内側で火薬を爆発させられた。
街道の追い剥ぎが塔へ押し入ったとき、リナは三人を殺さずに縛り上げた。粉袋を落として目を塞ぎ、扉の蝶番を抜き、逃げ道に縄を張った。ガルヴァンは暖炉の前で茶を飲んだまま、手を出さなかった。
「助けなさいよ」
最後の一人を踏みつけたリナが怒鳴った。
「必要なかった」
「師匠面して」
「師匠だからな」
「標的でしょ」
「兼任だ」
追い剥ぎの袋からは、徴税吏の印章と、農家から奪った冬越し用の銀貨が出てきた。二人は持ち主を訪ねて村々を歩いた。
ある村の広場には、ガルヴァンの木像が立っていた。黒い剣を掲げ、足元の小さな農民を踏んでいる。台座には《不死身の英雄に倣い、王国へ命を捧げよ》と彫られていた。
その脇には、刷られたばかりの王命が釘で打ちつけられていた。
《春の三百年戦勝祭にて、不死身の英雄ガルヴァン、王都へ帰還。新軍志願者を各戸一名募る。志願なき家からは二名を徴す》
「志願って言葉、知ってる?」
「三百年の間に意味が変わったらしい」
「帰還するの?」
「王都へ行くつもりはない」
「じゃあ、これは何」
ガルヴァンは紙の中で剣を掲げる自分を見た。
「私の返事を必要としない帰還だ」
「お前、まだ生きていたのか」
木像の脇にいた老婆が、ガルヴァンを見ていた。
「あの冬、私の家には七人いた」
「覚えている」
老婆は彼の胸鎧へ唾を吐いた。その隣で、役人が戦勝記念税を取り立てていた。
夜、木像は何者かに倒され、薪にされた。王命だけは、火に入る前に台座から剥がされていた。徴税吏は下着一枚で村外れの樹につり下げられた。足元には、返された銀貨を数える村人たちがいた。
「暗殺者は人助けでは食えないぞ」
塔へ戻る道で、ガルヴァンが言った。
「あんたを殺せば食える」
「まだその気があって安心した」
リナは返事をしなかった。彼の外套の裾が裂けているのに気づき、歩きながら針で縫った。
「殺した人の顔を、あんたはどうやって忘れたの?」
ガルヴァンは歩き続けた。
「ねえ、師匠」
「知らん」
冬の最初の雪が降った朝、リナは塔の鐘を鳴らした。
ガルヴァンが起きたとき、部屋には誰もいなかった。廊下へ出ると、敷石に水が薄く凍っていた。滑った先で綱が足首をさらい、彼の身体を逆さに吊るす。同時に鎧の継ぎ目へ三本の矢が刺さった。矢尻の薬で腕が痺れ、隠していた刃を抜けない。
天井の梁が外れ、黒騎士は床下へ落ちた。穴は深く、水抜きもある。底へ着く寸前、壁に伏せていたリナが背後から飛びつき、細い鋼線を兜の下へ回した。
「防げる?」
「いや」
「逃げられる?」
「無理だ」
「毒の量は?」
「正確だ。傷から入り、あと四十息で心臓が止まる」
「落とし穴は?」
「深さ、支柱、排水、すべてよし」
リナは鋼線を捨て、剣を抜いた。兜が外れ、白髪混じりの頭が露わになる。刃を首の横へ置き、腰をひねった。
剣は、皮一枚を切ったところで止まった。
「どうした」
「動いたでしょ」
「動いていない」
「じゃあ、刃こぼれ」
「昨夜、研いだ」
「黙って」
四十息が過ぎた。ガルヴァンの心臓は確かに止まり、また動き始めた。
リナは剣を放り出した。
「どうして死なないの」
「呪いには条件がある」
穴の底で、ガルヴァンは静かに言った。
「私を心から憎む者の手でなければ、傷は必ず戻る」
「だから私を雇ったの?」
「杭打ち村の生き残りを探した。お前が宿で私の杯へ毒を入れるのを見て、これならばと思った」
「最初に言えばよかったでしょ。憎み続けろって」
「憎み続けろと命じた瞬間、それは憎しみではなく命令になる。呪いは、それを認めない」
「ほかの人は」
「私を憎む者は、私の首まで届かなかった。届く者は、王か金貨のために剣を振った。どちらも足りなかった」
リナは彼の頬を殴った。次に鼻を殴った。三度目は振り上げただけで、拳を下ろした。
「私の村を焼いただけじゃ足りなくて、その憎しみまで使ったのね」
「そうだ」
「私が失敗するたび、上達させれば憎しみが刃になると思った?」
「そう思った」
「教えれば、私はあんたを知る。知れば、憎しみが濁る。分からなかったの?」
ガルヴァンは、すぐには答えなかった。
「三百年、誰かと朝食を食べたことがなかった」
穴へ雪が落ちてきた。黒い肩で、一粒ずつ溶けた。
「あんたを許したわけじゃない」
「分かっている」
「父と母は帰らない。命令だったなんて言い訳も、聞かない」
「命令だった。だが、剣を振ったのは私だ」
リナは穴の壁へ手をかけ、登った。上へ着くと、縄を回収した。
ガルヴァンは呼び止めなかった。
雪は夜まで降った。
穴の底から見える空は、少しずつ狭く、暗くなった。毒の痺れは消えたが、凍った壁には指がかからない。ガルヴァンは何度か登り、同じ場所まで滑り落ちた。
穴の縁で雪が崩れるたび、彼は顔を上げた。
夜明け前、空から縄が落ちてきた。
ガルヴァンはしばらく、それを見ていた。
「登って」
リナの声がした。
彼が地上へ出ると、少女は焚き火の前に立っていた。手には、村の木像から剥がしてきた王命がある。端が焦げ、黒騎士の顔だけが残っていた。
「訓練は終わりよ」
「退学か」
「卒業」
リナは王命を彼の胸へ押しつけた。
「あんたは殺せない。でも春になれば、その顔で何千人も連れていかれる」
「そうだな」
「王を殺しても、次の王がその顔を使う」
「だから殺す」
「誰を」
「不死身の英雄を」
春、王都で三百年戦勝祭が開かれた。
王宮の厨房と旗倉の錠が、前夜に一度ずつ開いていたことを、まだ誰も知らなかった。
城壁の外には難民の天幕が並び、城壁の内側には黒騎士の旗が千本並んだ。王は飢えた民へパンを配る代わりに、ガルヴァンの帰還を発表した。英雄が再び軍を率いると聞けば、徴兵簿の空欄も埋まるという算段だった。
ガルヴァンは磨き上げた黒鎧で王宮の露台に立った。下の広場には、歓声を上げるよう兵士に槍で促された群衆がいる。
王が冠を傾け、笑みを崩さずに囁いた。
「民は、お前が本当に生きているかなど見ておらぬ。死なないと信じている限り、息子を差し出す」
ガルヴァンは広場を見下ろした。旗の下で、母親が少年の肩を抱いていた。
「では今日は、よく見てもらおう」
広場の鐘が三度鳴った。
最初の音で、王の杯に仕込まれた薬が効いた。王は演説台へ抱きつき、威厳だけを先に落とした。
二度目の音で、露台を囲む十二本の旗綱が一斉に走った。近衛兵の足首をさらい、剣ごと逆さに吊り上げる。
三度目の音で、喪服の少女が旗柱を伝って露台へ降りた。
「黒騎士ガルヴァン!」
リナの声が広場を切った。
「杭打ち村の死者に代わって、あんたを殺す!」
残った兵が動くより先に、黒い旗が綱から外れた。十二枚の布が兵も役人も王も覆い、露台の中央だけを空けた。
ガルヴァンは剣を抜いた。二人は三合打ち合った。稽古より遅く、芝居より速く。四合目、リナの刃が彼の剣を払い、五合目で兜を飛ばした。
左の眉から顎まで走る火傷が、春の日差しにさらされた。
リナの剣が止まった。
ガルヴァンは剣を捨てた。
群衆から、初めて促されていない声が上がった。
「やれ!」
リナは横へ踏み込み、腰を回した。刃は顎を避け、頸の後ろへ抜けた。
黒騎士の頭が露台を転がった。
一瞬、王都中が静まった。
それから誰かが笑った。次に別の誰かが手を叩き、やがて広場は歓声で揺れた。
「英雄が死んだぞ!」
「不死身じゃなかった!」
旗の下にいた母親が、少年の手を引いて広場の出口へ歩き出した。一人の兵が槍を向けた。隣の兵が、その柄をつかんで下ろした。
リナは転がった頭を拾い、片腕で高く掲げた。ガルヴァンの目が一度だけ開き、口が小さく動いた。
「刃筋、よし」
「喋らないで。台無しになる」
その夜、王宮の霊安室で、リナは棺の錠を七秒で開けた。
中ではガルヴァンの頭と胴が、銀糸のような肉でつながりかけていた。彼女は頭を正しい向きへ押し戻した。
「逆だったらどうなる?」
「試すな」
黒鎧を脱がせ、同じ重さの石と、肉屋から買った豚骨を棺へ詰める。蓋を閉める頃には、ガルヴァンは咳き込みながら立ち上がった。
「王国一の暗殺者になった気分は?」
「標的が生きてるから、経歴詐称ね」
「英雄は死んだ」
遠くで鐘が鳴り、黒騎士の旗が焼かれていた。炎に照らされた群衆は、三百年ぶりに恐怖ではなく笑いながら、彼の名を口にしていた。
「これからどうするの」
リナが尋ねた。
「まず、自分の葬式を見に行く」
三日後、黒騎士ガルヴァンの国葬が行われた。
棺は王都の大通りを進み、王は予定どおり涙の演説をした。沿道の人々は、兵に命じられた分だけ頭を下げた。泣く者は少なく、欠伸をする者は多かった。
葬列の最後尾に、猫背の老薬売りと、その孫娘に見える二人連れがいた。老薬売りは付け鼻をいじりながら、自分の棺を眺めている。
「歩き方でばれる」
孫娘が囁いた。
「三百年も英雄らしく歩かされた。猫背は難しい」
「自由になった最初の日に捕まりたい?」
「それより見ろ」
棺の上には、王が置いた金の花輪と、役人が置いた造花が二つあるだけだった。沿道から投げられるのは、花より丸めた徴兵票のほうが多い。
「私の葬儀だぞ」
「知ってる」
「三百年も働いたのに、花が三つとは」
「二つは造花よ」
「数えるな」
リナは外套の内側から、小さな白い花を一輪取り出した。杭打ち村の焼け跡に、春になると咲く花だった。
棺へは投げず、ガルヴァンの胸元へ挿した。
「一輪か」
「文句があるなら返して」
ガルヴァンは花を片手で覆った。
「これは要る」
二人は頭を下げた。通りの先で、死んだ英雄の棺は墓地へ曲がった。二人は反対側の市場へ歩き出した。
「明日の朝食は?」
「豆スープ」
「毒は?」
「入れない」
ガルヴァンは少し考えた。
「なら、味は濃くしてくれ」




