アイデンティティ/椎名林檎
「あ、マツノさん、書き置きなんかで呼び出してゴメンなさい! あー、でも来てくれて良かった!!」
サクラがカウンター内で、レジ締め作業をしながら申し訳なさそうにそう言った。
「もう俺に拒否権なんて無さそうだからね……っつーか、辞めさせてくれないって、一般企業ならパワハラで訴えられるよ?」
今すぐ本気でバンドに取り組める心持ちではないが、諦めて立て掛けられたギターのハードケースを手に取る。
「Aスタ空いてるから、アミオはそのままスタジオ入っちゃって?」
開かれた扉に向け、エリカに背中を押されて室内に入ると、ユウコのバンドで使った渋谷のスタジオよりも明らかに狭かったが、何だか落ち着く広さである。
「さっさと準備してよ? アミオくん、チューニング時間掛かるんだから」
俺の後に続くように、マキとミチヨの弦楽器隊が入ってきて、ドカドカと機材を床に置いた。
「そうだアミオさん! チューニングって言えばイイ商品があるんすよ!! ほとんど使ってなかったんで、良かったら買いません?」
テレビショッピングのような口調で、ミチヨはクリップ型のチューニングメーターを手にしていた。
「でも、お高いんでしょ? ……って言いたいトコだけど、それ昨日ユウコさんに貸してもらったヤツだわ。定価で千円ぐらいなら、中古を幾らで俺に売り付けようとしてるのかね?」
あからさまに不機嫌そうな表情になったミチヨから、小さく舌打ちが聞こえた。
「じゃあ……千円?」
「おお強気だな! あのさ、減価償却って知ってる?」
俺の言うコトには聞く耳を持たない様子で、ミチヨはこちらに手のひらを差し出したままである。
まぁ面倒なチューニングが楽になるコトを考えれば、千円程度で解決出来るなら安いモノか……俺は財布から千円札を1枚取り出してミチヨに渡した。
「へいへい。毎度あり!」
紙幣と引き換えに受け取ったチューニングメーターを、さっそくアンプに接続したギターのヘッドに取り付けてペグを回していると、前日の嫌な記憶が蘇って手が震える。
彼女達に悟られないよう、俺は壁を向いて、無心で緑色のゲージになるように弦のチューニングを合わせていた。
元々がバンドマンであるならば、きっと爆音でギターを掻き鳴らしてイヤなコトを忘れたり出来るんだろうが、俺の場合はその元凶がギターやバンドである以上、忘れるどころか、より鮮明に思い出してしまうだけなのである。
「お、準備早いですね! じゃあ私もチャチャとやっちゃいます」
レジ締めが終わったのか、遅れてサクラも入室してきて、ドラムのセッティングをし始めた。
エリカも無言でマイクの準備をしていたが、1本だけで良いハズなのに、何故か俺の前にもマイクスタンドを立てているので、ただただそれを眺めていた。
「はい。これアミオのマイクね?」
「え? 俺? 歌うの?」
自分の前にマイクを立てられたところで、何を歌ったらイイのかわからん……困惑しつつ4人の顔を見渡す。
「そ! アミオさんが歌うんだよ!! だって歌う練習もしてたでしょ? ほら、歌詞もプリントアウトしといたから」
マイクスタンドの隣に譜面台が設置され、ミチヨがそこにA4サイズのプリント用紙を置いた。
「マツノさんは基本的に歌うコトだけ考えてください。私達がキッチリ合わせますからね?」
俺に対する態度の端々から、気を遣われているような感じがしてならない。出来るコトなら、しばらくそっとしておいてくれるのが一番有難いんだけど。
「何か気を遣ってもらってるトコ申し訳ないんだけど、俺、そんなに惨めそうに見えるかな? 同情とか、そういうのだったら大丈夫だから」
彼女達の顔もまともに見れないほど、言ってて自分がイヤになる言葉しか吐き出せない。
「アミオさ~ん、同情なんかじゃないってばぁ!」
ミチヨが重たい空気を払拭しようと、俺の肩をポンポンと叩き、無理に明るく否定する。
「じゃあ何? スタジオ代のワリカン要員だったら現金置いて帰るけど……俺なんか、そのくらいしか役に立たないからね?」
言ってしまってからハッとして、マズイと思いながら顔を上げると、一瞬で全員が悲しそうな顔になっていた。
「……ちゃんと説明出来なくてゴメンなさい。別に同情とかお金のためじゃないんですよね……ただ、バンドを嫌いになって欲しくないだけなんだけど、私達、頭良くないから、そういうの、どうしたらイイかわかんなくて……」
サクラが今にも泣き出しそうな顔をしている。男として、女の子にこんな顔させちゃダメだろ……俺。
「ゴメン。言い過ぎた」
「ホントですよ! 『俺なんか』とか『役に立たない』とか、そんな悲しいコト言わないでくださいよ!!」
声の感じで、泣いてるようにも思えたから、まともにサクラの顔を見るコトが出来なかった。
「そうだよ! いくらアミオくんが残念オジサンでも、同情でギター教えたりしないから!!」
「ホントね……損得だけで、これだけアミオに私達の時間奪われてたら、まったく割に合わないモノね? 拗らせ過ぎて、そんなコトもわからないのかしら」
これは……フォローなのか? 悪口なのか?
「アハハ! 言われ放題。アミオさんはさぁ、もうとっくにアタシ達の仲間なんだよ? 仲間の為に動くコトに理由とか要らないっしょ?」
何だよ急に……少年マンガの主人公みたいなコト言いやがって……ミチヨの言葉で泣かされるとか、死んでも回避したいモンだ。
「あー! もう!! わかったよ! ギター弾き続けるし、バンドも嫌いになったりしないから」
「あと、もうお金が目当てみたいなコトも、絶対に言わないでくださいよ?」
「わかったわかった。約束する」
それにしても、サクラは俺がギター辞めようとすると、いつでも全力で引き留めてくるなぁ……
いや、サクラだけじゃない。みんな俺のコト、仲間だって言ってくれてるんだから、それには応えてやらなきゃ男が廃るわな。
「んで、俺は歌重視でイイの? エリカは何すんの?」
「私はピアノもギターも弾けるから、やろうと思えば何でも平気だけど……人の心配してる余裕ある?」
くぅぅ……こういうコト言うよなぁ。悔しいけど反論も出来ない。
「安心してくださいマツノさん! 私達、色々と考えてますから!! まず、この曲は歌がメインで……」
サクラはすっかりいつもの調子に戻っていて、覚えきれない程の指示を俺に出し始めていた。
はぁ……逃げ出したくても、泣き言すら吐けない状況に自分のコト追い込んじゃったなぁ。
仕方ない。ユウコとのスタジオを思い出せなくなるぐらい、ギターにでも没頭してバンド活動に付き合ってやるか。




