大惨事の理由と暗雲
それは、遡ること少し前のこと。僕らの前に険しい表情をしたカルファが現れ、リオとともに薬草を取りに行ったすぐ後のこと。
「言わなくていいの?」
大股で怒りを露わにするカルファの後姿を見ながら、姉はそうフィルマンに声をかける。最後の薬草を勝手に使ったとなると管理するカルファの怒りは最もだと思う。しかし、その使用した理由を知れば、彼もあれほどまで怒りを露わにはしなかったことだろう。フィルマンは困ったように笑い、人差し指を口元に当てた。
「どちらにせよ、あいつはあまりいい顔をしないでしょうからな」
そして、彼は大きな袖から何かを取り出した。柔らかそうな毛並みのそれは、もうすっかり怪我の調子は良さそうだ。寝息をたてるその姿は一見動物のよう。しかし、その額に生えた角からそれが魔物だと分かる。
「心配ないわエド。『灰猫』は動物扱いにされているほど危険性は低い魔物よ」
姉が僕に笑みを零す。・・・それくらい知っている。そう僕が彼女に言い返すと、
「あまりにもエドが不安げな顔をするから知らないと思っていたわ」
と姉はクスクスと僕をからかうように笑う。そんなやり取りを繰り返していると、灰猫がピクリと身じろぎ、僕たちは二人揃って口を閉じる。先ほどまで僕をからかっていた姉上もだ。フィルマンが声を上げて笑う。
「まだ目を覚ましはしませんので、ご心配ありません。本来は人間用の薬草を薄めて使用しなければならなかったのですが、急を要しましたもので」
この灰猫は他の魔物から攻撃されたかのように、血だらけの状態で僕らの前に姿を現した。警戒したように唸る灰猫を保護したのはフィルマンだ。フィルマンの慣れた手つきを見て、彼はよく魔物を保護しているようだった。それを本人に聞いても、困ったようにはぐらかされたが・・・
「しかし、そろそろ動き出さねばカルファに叱られてしまいますな」
何をするのかと思えば、フィルマンは灰猫の怪我の状態を確かめて、僕らから少し離れた茂みの前に灰猫を置いた。そして、彼はカルファに渡された弓を背負った。結った紫色の髪が左右に揺れ、フィルマンの老若男女見惚れる顔立ちが憂鬱そうにする。僕らが住んでいた王宮では、狩りはあくまでも嗜みとしてであり昼食ではなかった。彼は狩猟が苦手なのだろうか?あんなにも弓と矢を使うのは長けており、度々稽古を付けてもらった記憶があるのに。
「あとは頼んだぞ、ギル」
すると、タイミングを見計らっていたようにギルが現れた。考えに気を取られている間に気配無く現れたギルに、僕は思わずビクッと体を震えさせる。
「まったく・・・。人使いの荒い魔術師殿ですな。この礼は高くつきますぞ」
口を尖らせるギルに、フィルマンは何かを渡すと笑みを浮かべた。
「能力を買っているのだ。貴様の能力は狩りに向いているからな」
ギルはその渡された何かを見てにやりと笑うと、フィルマンに獲物の場所を伝える。フィルマンは立ち上がり、そしてギルは残った。隠しもせず満面の笑みを浮かべて、上機嫌に。
「・・・・・・黒い取引をみてしまった気がする」
二人の背中を見て、僕は思わずそう呟いてしまった。
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「・・・・・・黒い取り引き?」
私はここで思わず口をはさみました。今まで話されていたエド様が口を閉じられ、不安そうなお顔をされます。・・・えっと・・・私は今、黒焦げの昼食たちやズタズタになった服たちの悲惨な状況の経緯を聞いていたはずです。しかし、その結末よりも先に気になってしまったことがあり、私はフィルマン様と隣で気まずそうにしているギルを見ました。
「一体、フィルマン様はギルに何をお渡しになったのですか?」
「えっ!? い、いやいや・・・リオ殿が気にされるようなことでは・・・・・・」
ギルが必死で私に首を振ります。フィルマン様は苦い顔をされ、カルファをちらりと見ています。二人とも明らかに動揺されているのは事実。
「何か小さい紙切れのようだったわ。あんなものでも取引に使えるのね」
エマ様が呆れたように二人を見ました。・・・紙切れ?再び彼らを見ると、額には大きな汗粒が見られます。・・・いつも飄々とされている二人だからこそ、気になりますね。そういえば・・・と私はカルファを見ました。フィルマン様の身の回りの世話を任されているカルファなら何か知っているでしょう。
「・・・・・・フィルマン様が持っていて、ギルさんと取引にできるような何かっすね」
今まで沈黙をしていたカルファがようやく口を開きます。その顔は真っ赤でした。
「やっぱりあれ処分していなかったんすね!! この色ボケ師匠!!」
やはり心当たりがあったようで、カルファは失望したとばかりに激しく首を振ります。これに慌てられたのはフィルマン様です。こちらも大きく首を振られます。
「な、何か使い道があるやもしれんと思っただけだ!! 自分で使うために残して置いたわけではない!!」
心外とばかりにカルファの肩を掴みました。・・・色ボケ・・・使い道・・・?ますます謎は深まるばかりです。そして真っ先に目が合い、状況を察した顔をするベルンに近寄りました。
「・・・俺に言えというのか?」
最初は渋るベルンでしたが、私は彼の近くに落ちていた見るも無残な服を手に取り、彼に見せました。本当のことを言えば替えは多めに持ってきているのですが、それを負い目に感じているベルンは観念したように手招きをしました。私は一緒に付いて来ようとするエマ様とエド様を押し止め、彼の口元に耳をやりました。ここまで勿体ぶらなくてもよいのに、と半ば呆れながらその言葉を待ちました。すると、その声は彼には珍しく0距離でもやっと聞き取れるような音量で
「・・・・・・・・・あれは貴族御用達の店だ。女性と戯れる城下町の店のな」
と言います。私は思わず噴出してしまい咳き込みました。予想外の言葉過ぎます。つまり、キャバクラってことじゃないですか!!この世界にも、そのような店はあるんですね・・・。女なのでそんな気持ち全く分かりませんが、受容があるのでしょう・・・。ドン引きした私を見て、だから言いたくなかったんだとため息を吐くベルン。私はハッとしました。え・・・まさか・・・・・・
「まさか・・・行ったこと・・・」
思わず出た言葉に、ベルンが顔色を変え私の肩を掴みます。
「あるわけがないだろう! 他の町を訪れたときに声をかけられただけだ!!」
キッと睨むその目にベルンの言葉に安堵している私の顔が映りました。・・・私が安堵する意味なんてないのに。私はそれから逃れるように顔を背けます。
「それはよろしゅうございました。御用達になってしまっては、貴方様のお相手の方がお気の毒ですから」
・・・そう、ベルンには戦争を終えた後に婚約しようと思っている相手がいるんですから。自分で発した言葉に、チクリと痛む胸。私は肩から彼の手を払いのけると、この話は終わりとばかりに手を叩きました。
「早々に切り上げたいですので続きをお願いします! ほら、カルファ。こちらに戻って! あ、ギルはそちら側でお願いしますね」
「そ、そんなっ! あんまりです、リオ殿!」
まぁ、私もカルファも最初から怒ってなどいないわけでして。ふと、カルファと目が合い、彼がペロっと舌を出します。どうやら私たちの考えは一緒のようです。彼が私の隣へと戻ると、私は彼と同じキリッとした顔をし、再び彼らの話に耳を傾けるのでした。
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ハウヴァーの皇太子一行がそんな騒ぎを見せる中、打って変わって…ここは深緑の木々が生い茂る地。そこに女神の加護を受けた女がいた。女の周りには3人の付き人がおり、力なく倒れている。女は付き人たちを気遣うように一瞥し、何度目になるか分からない呪文を唱える。
「・・・今回の『女神の代行人』はよほど諦めが悪いのね。・・・それとも頭が弱いのかしら?」
姿無き声が辺りに響き渡る。女は舌打ちをし、叫んだ。
「私をこのようなところに連れてきて何が目的!」
女の言葉に複数の男女の笑い声が聞こえ、女は臆するような表情をする。しかし、それを一瞬のうちに隠し、女は再び叫んだ。
「姿を現しなさい、卑怯者! こんなことをしても、女神の加護は得られないわよ」
女にとってこれは日常茶飯事とも言えるような出来事だった。女神の代行人という役目を担っている女に、邪な考えで近づいてくる輩は少なくはなかった。しかし、女は焦っていた。女の魔術師としての才能が彼女に警告していたからだ。彼らは今までの輩とは違う、と。
「・・・・・・女神の加護? そのようなものに興味はない」
先ほどと声が変わり、今度は高齢の男の声のようだった。主犯の男だろうか・・・。女は激しくなる鼓動を抑えるために何度も深呼吸をした。先ほどの笑う声はピタッと止み、聞こえるのは男の声と風が木々を揺らす音だけ。
「何せ、我々は今から女神本体を呼び出すのだからな」
風の音が激しくなる。そこで女は異変に気づいた。確かに強い突風を感じているはずなのに、彼女の周辺にある木々は全く揺れていなかったからだ。女はすぐに気づいた。今まで女が感じたことのないほどの強い魔力が女たちに向けられていることを。
「お前は我らのための贄とさせてもらおう。女神の代行人となった不運な娘よ」
女は娘と呼ばれるような年齢ではなかった。しかし、すぐに納得する。こんな強い魔力を持つ彼らにとってみれば・・・たかが30数年生きてきた自分など小娘のようなものだと。
「・・・・・・絶対助けには来るな。寿命を吸い取られる。次の代行人を決めよ・・・そう魔術師たちに伝えなさい」
女はそう呟くと、意識を失っていたはずの付き人の一人を見た。付き人は顔を真っ青にして、泣きそうな顔で何度も頷いた。攻撃を受けた際、一番最年少の子供を咄嗟に女が庇ったのだ。それを見て女は微笑んだ。大きな光が付き人たち三人を包み込む。
「我らの守るべき民たちに幸あらんことを」
そして、その光が徐々に消えていくと、そこには付き人たちの姿はなかった。
「・・・古代の魔法か・・・。忌々しい・・・」
苛立つ男の声と共に、女は強い力で地面に押し潰される。薄れ行く意識の中、ふと女の脳裏に無愛想な男の顔が浮かぶ。
「・・・・・・世界最高峰の魔術師・・・か。・・・来るんじゃないわよ・・・フィル坊」
女は無意識にそう呟くと、静かに目を閉じた。しかし、そうは言いながらも彼女は知っていた。その世界最高峰の魔術師は必ずここへ辿り付く事だろうと。・・・なにせ、彼は魔術の才能も世界最高峰なのだが、その好奇心もまた世界最高峰レベルで旺盛なのだから。
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