リアリー戦争~初陣は死との合間~
戦開始を告げる煙幕が立ち上り、僕はそのにおいに顔をしかめた。父上はもうすでにこの場にはおらず、いるのはお供であり最強という称号を持つ、ジーニアスの部隊だけだ。その空気は張り詰めていて暗く、僕は息を短く吐いた。まだ戦が始まって数分も経っていないが、すでに僕は音をあげそうだった。
「おいおいおい…」
その雰囲気をいとも簡単に壊したのは、この部隊を率いるジーニアスだった。先ほどから姿が見えないと思っていた彼は、片手にパンを持ち、それを頬張りながら呆れた顔をして兵士たちを見つめていた。
「お前らの辛気臭い雰囲気が、殿下にも伝わっているじゃねぇか。お前らと違い、殿下は初陣だぞ。もっとこう……柔らかい雰囲気にしようとかそういう気遣いはないのか。まあ、緊張するのは分からんでもないが、これだと臆病な仔馬と大して変わらんぞ。」
ジーニアスの冗談に笑う兵士たち。その光景は父上とは違った兵の統率の仕方だった。ジーニアスはまだ硬い顔の新兵には生まれたばかりの仔馬の真似をさせたりと、いつもと変わらない様子でみんなの緊張をほぐしていく。
「……ジーニアスは空気を壊す天才だな。」
僕はそうつぶやいた。僕は褒め言葉のつもりで言ったのだが、それを聞いたジーニアスは何故か口を尖らせ僕に向かって顔を上げた。
「殿下、それは私が空気が読めないお調子者だと言われているかのように聞こえますが……」
「ち、違う。私が言いたかったのは、その、ジーニアスがいるのといないとでは、兵の様子が違うな…と。」
慌てて僕は言葉を足した。思わず出てしまった僕の言葉に、ジーニアスは気分を害してしまっただろうか……。しかしそれは杞憂だったようだ。ジーニアスはそんな僕のうろたえる姿を見て大笑いしたのだ。
「褒めてくださっていたこと、承知していますよ殿下。冗談です。いや、お戯れが過ぎましたな。失礼いたしました。」
あまりにも笑うジーニアスの姿に、僕も次第に笑いがこみ上げてくる。そしてふと、自分の体がこわばっていたことに気づいた。その証拠に手の平にはアイーダの手綱の跡がくっきりと残っている。ジーニアスを見ると、彼は頷き微笑んでいた。
「戦というものは案外難しいものでしてな。ある程度の緊張は大事ですが、行き過ぎるとそれは敗北へとつながります。さらに、上の緊張は下の者にも伝わりやすいもの。上に立つものはそれを頭に入れて戦へと臨まなければなりません。そのことを、しばし頭の隅にでも留めておいてください。」
「ああ! 勉強になった。」
ジーニアスのこのようなところが、彼らをハウヴァーの最強部隊へと導いたのだなと僕は内心頷いた。適度に緊張を抜き、兵士たちが戦いやすい場を作る…それが上に立つ者の役割なのだとジーニアスがよく言っており、その言葉の真意がこの初陣でようやく分かったような気がした。ベルンフリートのような屈強な強さを持ちながら、フィルマンのようにさりげなく教育する、これがジーニアス・チェーンというハウヴァーが誇る武人。
「……始まりましたな。」
ジーニアスのその声で僕にもようやく人々の争う声などが聞こえ始めた。途端に不安や恐怖などの感情が僕を襲い始めた。…大丈夫。ジーニアスがいるのだ。いざということもないだろう。だから……。僕は慌ててその考えを振り払った。だから…だからなんだというのだろう。このまま臆病風に吹かれて、ジーニアスたちに任せておけと?…何を馬鹿なことを考えたものだ。僕は王子でここは戦場。人を殺して勝ち負けを決める場であり、僕はその争う頂点の子供。他の兵士たちより命を狙われる可能性が高く、さらにここで何かしらの戦果を挙げねば、ますます父上を失望させてしまうだろう。もしかしたら王宮から追い出されてしまうかもしれない。
「……で…か…」
今まで何を学んできた!武術面ではまだまだジーニアスの足元にも及ばない僕だが、何かしらの役には立つはずだ。フィルマンも言っていたではないか。戦場で生き残るには、周りをよく見て考えることだと。
「殿下? どうかされましたか? 何があってもその場から離れないでください。」
不意に声をかけられ、僕は慌てて頷いた。今そのようなことで考えにふけっている場合ではない。僕はゆっくり深呼吸をし、息を整えた。そして今度は心を落ち着けようと、愛馬のアイーダを撫でた。アイーダがいつもと同じように気持ちよさそうに鳴くのを見て僕は笑みをこぼした。
「……殿下。おそらくそろそろ敵がこちらに気づく頃です。お気をつけて」
「分かった。世話をかけるな」
僕のねぎらいの言葉に笑みを浮かべて、再び周りを警戒する護衛の一人。先ほどとは違い、ほどよい空気が辺りを包んだ。
「なーに、陛下は高みの見物ぐらいに思っておればよいのですよ。何も気負うことはありません。」
ジーニアスの言葉に僕は微笑んだ。そして、僕もまた周りの様子をうかがった。こんなときでも気をきかせてくれるジーニアスが僕はありがたかった。
「……?」
不意に僕は違和感を抱いた。辺りがあまりにも静かすぎるからだ。その違和感をジーニアスに話そうとしたが、彼は僕よりも早く気づいていたようだ。武器を構えて、兵士たちに僕の周りを取り囲ませた。しばしの沈黙。そして僕は空気が揺れるのを感じ、その方向を見た。
「危ない!」
「ハウヴァー国王子、お覚悟!!」
僕の叫びと同時に、馬を持たぬ兵士が何十人も物陰から出てきた。不意をつかれ兵士の何人か傷を負ったが、そこはやはりハウヴァーで最強部隊と呼ばれるだけある。次々と敵を薙ぎ払っていった。僕はそれを呆然と見ていた。
「殿下、場所を変えましょう」
襲撃者をすべて片付け、僕らは馬を歩かせた。ぴりぴりした空気が再び僕らを包み、僕は耐え切れず息を吐いた。何故だか胸がざわつく。初陣だからか…?いや、それだけではないような…。僕は言いようもない心境に思わず空を見た。太陽が雲に隠れて、出てくる気配はなかった。
「殿下!!」
ジーニアスの声に僕ははっと前を見た。そこには明らかに人とは違う者たちが僕らの行く手を遮っていた。その顔にはぞっとするような笑みを浮かべている。ジーニアスが僕をかばうように前へと出た。
「……ナノエと手を組んだ魔族どもか。」
「我々は、下等な人間と手を組んだり等、しない。」
一人だけ顔全体を布で覆っているリーダー格の魔族が、ジーニアスにそう言った。言葉を発するたびに、ヒューヒューと隙間風のような音がその魔族から聞こえる。表情は隠れていてよくわからなかったが、唯一あらわになっている両目からは、憎悪のような感情が見えたような気がし、僕の体は震えが止まらなかった。
「……だったら、なぜナノエと行動を共にしている? 人間の争いに加担してもお前らの得にはならないだろう」
「そんな、こと、知って……」
会話の途中、僕は一瞬その魔族の姿がぶれたように感じ、とっさにジーニアスの服を力いっぱいに引っ張った。
「どうす……!?」
いつの間にかジーニアスの近くに来ていたその魔族は、ジーニアスの首をはね損なった。強化した鋭い右腕を掲げて、僕が取った行動に驚きを隠せない様子だった。ジーニアスは体勢を崩しながらも、その魔族に向かって短剣を投げた。
「………なん、だ? オマエは……」
その魔族は簡単にその短剣を払い、後ろに下がった。その間にジーニアスは体勢を整えて、僕をちらりと見た。僕は自分自身のその行動に驚きながらも、その魔族を見て答えた。
「ハウヴァー大国王太子、エドワール・カナンだ。」
「……………おう、たい、し…」
そうつぶやいたその魔族は、今度は分からない言葉でぶつぶつと何かを話し始めた。心はそこにあらずといった様子だったが、その目は僕を凝視しており、僕はそれがとても恐ろしかった。
「そうだ。そなたも名を名乗れ」
威勢を張った声で僕は叫んだ。するとその魔族は呟くのを止め、目線を下へと向けた。そして最後に何かを呟いたかと思うと、再び僕の方を向いた。
「……人間に、名乗る名等、ない。…殺せ」
その魔族が手を振り下ろすと、一斉に魔族たちが僕らに襲い掛かって来た。僕は剣を握りしめ、目をつぶった。暗い瞼の裏に、王宮にいる姉上やリオの顔が浮かび、僕は胸が締め付けられた。
「……おいおいおい、俺らを無視して話を進めんなよ。」
しかし、いつまでたっても来るはずの痛みがない。ジーニアスの声に僕は目をゆっくり開けた。僕らの足元には、襲い掛かって来た魔族たちの残骸があり、僕は唾を飲み込んだ。いつの間にか僕の前には、ジーニアスの他にも数名の兵士が立ちはだかっていた。
「そう簡単に、我らの王子を殺させてはやれないな。」
ジーニアスのその言葉に、今度は兵たちが魔族に襲い掛かる番だった。その兵士たちに臆することなく、魔族たちも応戦する。ジーニアスは、一番厄介そうなあの魔族の相手をし、僕はそれを一歩引いたところで見守っていた。何もできない自分がとことん嫌になる。
「……下等な人間、のくせに、中々……」
「当たり前のことを言うなよ。ハウヴァーの騎士なんだ、強くて当然だろ」
「そう、か」
会話をする余裕を持ち合わせた二人に、僕は目が離せなかった。ジーニアスもその魔族も攻撃する速さが桁違いなのだ。それは他の兵士たちの戦いを見ていても歴然だった。そこだけ時間の流れが違うような気がし、僕はただ固唾をのんで見守った。
「……これが、ハウヴァーの、騎士か」
ジーニアスの攻撃を紙一重で避けているその魔族は、息を大きく吐いた。
「いやいや、お前さんも中々のもんだぜ? 魔族と戦うのは初めてだが、皆こんなもんなのか? それだったら人間なんて簡単に滅ぼされるな」
「それは、残念な事を、聞いた。俺を、屈服させられるのは、我が王以外におらん。」
「……そうか、それは良いことを聞いた。だったら、お前のところの魔王よりも速く剣を振ればいいってはなしだろ?」
「……それは、不可能だ。我らが王は、魔王よりも、恐ろしく、強い。あんな、王は我らは、認めない。」
魔王より強い魔族の王?僕はその魔族の言っていることが分からなかった。魔王にも色々あるのだろうか?……もしや、その魔王を今の地位から蹴落とすために、彼らは今回の戦に加担した…?いや、しかしそれならなぜナノエと…??疑問が疑問を呼び、僕の頭は答えを見出すことができなかった。それはジーニアスも同じだったようだ。眉をひそめ、その魔族に問いただそうとした。
「……話が、過ぎたな。もうそろそろ、終わるとしよう」
しかしその前に、魔族は再び攻撃を仕掛けた。魔族の体が再びぶれ始めるのを見て、ジーニアスは舌打ちを一つし、馬を走らせた。僕は顔から血の気が引いていくのが分かった。あのとき、ジーニアスはあの魔族の速さに反応できていなかった。このままではジーニアスが……。僕の頭の中に、自分の血に染まっているジーニアスの姿が浮かんだ。なんとかしなければと思うが…しかしあの場に僕がいたとしても、何も手助けできないことは明白。あのときはたまたま回避することができたので、その奇跡が二度も訪れるとは思えない。そう考えている間にも……あの魔族の姿が消えた。僕は恐ろしくなって目を伏せた。
「……く…」
どちらかが落馬し、地面に倒れた音がした。馬のひづめの音が嫌に耳につく。心臓の音がうるさくて、僕は顔を上げるのが恐ろしくてたまらなかった。
「おやおや殿下。戦闘中に敵から目を逸らすなど、師匠殿に叱られてもしりませんぞ」
そんな時、陽気な声が僕の耳に入った。それは紛れもなくあの魔族の声ではなかった。僕は恐ろしかったことなどすぐに忘れて、顔を上げた。
「まさか殿下、よもや私が負けるなどと思ったのではないでしょうね? 申し上げたではないですか」
気付けばジーニアスだけではなく、他の兵士の戦いも終わっていた。彼らは全員、僕に向かってまっすぐな目線を送っていた。
「我らはあなた様がいらっしゃる限り、滅ぶことなどありはしないのです」
いつの間にか出ていた太陽が、彼らを照らし、きらきらと光った。それはとてもきれいで力強い光だった。ハウヴァーの紋章にもある無数の光のようだと思った。そして僕は口を開いた。
「ジーニアス、そして他の者たちも、見事な戦いであった。みなの活躍で、このとおり私には傷どころか埃一つついておらぬ。私は礼を言いたい。私を守ってくれて…ありがとう」
「我々には勿体ない言葉ではありますが…しかし殿下、礼には及びません。我らの国の未来を担う方に、指一本触れさせないようにすることは当たり前のことですから。」
微笑んで敬礼の仕草をとるジーニアス。他の者たちも同じように頭を下げる。僕は目をつぶった。彼らにこの恩を返すためにも…僕はこの期待に応えなければならない。その重圧に押しつぶされようとも、王の子として生を得た自分にはその責任がある。いつまでも周りに甘えてはいけないのだ。僕は深く息を吐き、そして目を開けた。
「……ところで話は変わるのだが……ジーニアス。そんなかっこいいこと、僕にいつ言ったのだ?」
「……それを今言いますか殿下」
ジーニアスが気まずそうに明後日の方向を向いたので、僕は笑った。それにつられるように、兵士たちの間で笑い声が広がった。ここは戦場だが、このような時が続いていけばいいと思った。その時だ。大きな音が聞こえ、兵士たちがいる前方から煙が上がった。
「爆発!?」
僕はジーニアスによりさらに後方へと下がらされた。大きな音にアイーダが不安そうにしていたので、首を優しく撫でてやると、少し落ち着いた様子になった。
「く…くくくく」
「お前…まだ生きていたのか」
ジーニアスが兵士に様子を伺いに行かせた瞬間、そばで倒れていたあの魔族がジーニアスに牙をむいた。ジーニアスは乾いた唇を舐め、顔をしかめた。
「殿下!! お下がりください」
何人かの兵士が僕の近くに寄った。そして、僕を戦いから遠ざけたところに誘導する。…復活したあの魔族は先ほどより激しくジーニアスに攻撃している。確かに、戦えない僕がここにいても邪魔になるだけ。僕は頷き、兵士たちの言う通りにその場から離れた。しかし退避する最中、兵士の一人に僕はただならぬ違和感を覚えた。その兵士は、ただひたすら僕を見ていたのだ。
「どうかされましたか? 殿下」
その兵士は、にこりと僕に微笑んだ。歳はベルンフリートと変わらないくらい…しかし、その瞳には暗いものが宿っていた。僕はその目にぞわりと鳥肌が立ち、慌てて首を振った。その兵士は僕から目を離すと、今度はジーニアスの方に目線を移した。…確か彼は、今回ジーニアスの部隊にいるが、前はイッシュバリュートのところの……。僕は早まる鼓動を押さえながら彼を見た。初めて会うはずなのに…何故だかこの人が危険だと…そう僕は思った。
「…おや、殿下。髪の毛に何かついて…」
彼が不意に僕の頭に手を伸ばした。気づいた時にはもう彼の指が僕の頭に触れそうだった。僕はとっさにその手を払った。
「うわっ!?」
その時、ばちっと静電気のようなものが僕らを貫いた。僕はしびれる手を引いて、彼を見た。僕に払われた手をじっと見つめていた。そして、笑った。
「……そうか。そういうことか」
その声に僕はぞくっとした。明らかに人間の声ではなく、さらにその口から鋭い歯が見えたからだ。明らかにいち兵士ではない雰囲気が漂っている。
「おい、お前何して……」
他の兵士が彼に近づく。しかし、彼に触れようとした瞬間、その兵士の首が飛んだ。僕はその兵士が地面に落ちるのを見て、そして周りを見た。左ではジーニアスが戦っている、そして右では……
「……やはり、思った通りだ。ハウヴァーの王子」
先ほどまで笑い合っていた兵士たちが……死んでいた。ある者は地面にあおむけに…ある者は馬の上で……そしてある者は剣を握ったまま…。僕はその光景に、胃からこみ上げてくるものを何とかこらえて、涙目の顔で目の前で血まみれの剣を握っている彼を見た。
「計画どおりだな。あとはこの王子様を王宮まで連れて行けば、俺たちも無事今より良い地位にいける」
その隣で唯一生き残っていたもう一人の兵士が、僕を見て笑った。僕は突然のことで頭が追いついていかなかった。呆然と、彼らを眺めていた。目の前の彼はただにやりと笑って、僕を観察していた。
「お前たち……まさかナノエに…」
やっと口に出せた言葉はそれだった。隣にいる兵士が笑って、ジーニアスを指した。ジーニアスはこちらの状況に気づきながらも、魔族の攻撃をかわすのに手いっぱいのようだ。歯がゆそうにこちらを見ている。
「この国ではいかに戦果をあげるか、それが昇格する唯一の条件です。しかし、彼らのように誰もが強いわけではありません。我々のように地位も才能にも恵まれないものにはこのようなやり方しかないのですよ、殿下」
そして、その兵士はジーニアスの方に向かって、何かを投げた。それは一目で爆発性を持った煙球だと分かり、僕は叫んだ。
「ジーニアス!」
ジーニアスがこちらを見た時にはもう遅かった。激しい爆発が彼らを包んだ。この距離だと僕も危ない…しかし、僕と裏切り者の二人は何かによって身を守られていた。それは魔術使いしか扱えないはずの……
「…勝手なことを」
どうやらそれは彼が施したものらしい。苛立った顔をし、隣にいる兵士をにらむ。しかしその兵士は悪びれもせずに笑った。
「穢れの者の一人や二人いなくなっても、何の問題もな…」
しかしその言葉は最後まで言われることはなかった。煙の中から飛び出してきた何者かによって真っ二つにされたからだ。ここは結界の中であるのに…。
「これ、だから、人間は、信用できない」
その兵は何が起こったか分からないと言った表情でその場に倒れた。その兵士の体から赤いものが、地面に流れた。僕は彼を攻撃した者を見た。そこにはまだ動けることが不思議なくらいボロボロな魔族の姿があった。顔に巻いてあった布はすでにかろうじて顔が隠れるくらいになっていたし、片腕も失っていた。下半身も原型がわからないくらいにひどかった。いつの間にか、彼の姿が消えていた。その魔族は僕の方を指さし、呟いた。
『移動魔法』
それが唱えられた途端、僕は体が浮くような感覚に陥った。そしていきなり落下し、ろくに受け身もせず体が地面に叩き付けられた。辺りを見ると、アイーダもジーニアスも兵士たちの死体もない。どうやらこの魔族も魔法が使えるらしく、僕はどこか違う場所も飛ばされたようだ。
「…これで…邪魔者は……いない。我と、来て、もらうぞ」
その魔族は僕から少し離れたところに倒れていた。素人の僕でさえ、その魔族がすでに生きていることが不思議であるくらいに傷が深いことは分かっていた。本人ならば、すでにその状態での移動は不可能だということくらい分かり切っていることだろう…。…何をそこまで…
「……うっ…」
「___っ! もう動くな。このままだと…」
僕はその魔族に一歩近づいた。しかし、彼はそんな僕を見てにらみつけた。
「余計な、お世話だ!! お前ら、人間は、そうやって……ごほごほっ!!」
「余計なお世話なのは承知の上だ! しかしお前は、今回の戦いに参加したのは主のためだと言っていただろう。このままだとそれを見届けることもないまま死んでしまうぞ!」
「…お前には…関係ない、ことだ。人間の、子供の、お前には」
なんといっても僕を拒絶する彼は、重い体をなんとか動かして座った。そして僕を見た。顔の布はほとんど取れ掛かっていた。
「…なぜ…そんなにも、人間を嫌う? 人間がお前に何をしたというのだ」
僕は今まで疑問に思っていたことを、彼に問いた。何百年も不干渉を貫いてきた人間を…それほどまでに嫌う理由が知りたかったのだ。その魔族は僕の問いに答えるかのように、顔の布を自ら取った。
「これが、答えだ」
僕は彼の顔を見て言葉を失った。それは、もはや顔と呼べるものではなかった。皮膚は焼けただれ、鼻はそぎ取られたような形。瞼はなく、眼球は飛び出した状態。唇は全くないに等しく、歯はむき出しだった。彼のその傷は明らかに人為的なものだと気づくのにさほど時間はかからなかった。
「醜いだろう? お前らが、したことだ! 口を焼き、喉を裂き、そして家族までも…ごほごほごほ!!」
魔族は僕へとゆっくり近づいてくる。一歩、また一歩と。おびただしいほどの血を吐きながら…。それでもこちらへ来ることをやめようとはしない。
「俺たちが、なにを、した? なにを、犯した? 家族は、妹は、なぜ、殺された? なぜ……」
僕は動けず彼を見た。彼の目に宿しているのはすでに憎悪などではなかった。彼は泣いていたのだ。涙は流さず、ただ、一人の生きるものとしての……理不尽に奪われた者としての……苦痛な叫びだ。彼は僕の目の前まで這いずって来て、僕と目を合わせた。すでに彼の両足は存在していなかった。僕と同じ赤い血を吐きながら、それでも彼は僕と……憎いはずの一人の人間の子供と…目を合わせた。
「……俺は……」
「エドワール殿下!!」
彼の最後の言葉は、僕の耳に届くことはなかった。僕の体は誰かから掴まれ、すごい速さでその場から遠ざかっていた。僕は命を奪われることなく、生き延びたのだ。しかしそれでも僕は彼から目が離せなかった。遠ざかっていく彼が僕の方を見て、何かを言い、そしてそのまま力尽きたように地面に倒れた。
「殿下! お怪我はありませんか!!」
ベルンフリートがセンダ―リアを止めながら、僕を見た。僕は…彼がいる場所から…なんとか目を逸らし、ベルンフリートを見て答えた。
「……ああ、大丈夫だ。ありがとう、ベルンフリート」
僕はベルンフリートに抱えられ、地面へと下りた。センダ―リアが僕に鼻先を押し付けてきたので、僕は笑いかけた。
「お前もありがとう、センダ―リア」
「殿下、アイーダへとお乗りください。王宮へと戻りましょう」
ベルンフリートは物陰からアイーダを連れ、僕にそう言った。そのただならぬ様子に、僕は頷くしかなかった。……これが戦争。死んだ者のことを考える暇さえないのだ。僕は今はただ目をつぶり、死の世界へと先に旅立った彼らのことを思い、そしてアイーダへと飛び乗った。