自分という存在の確立
☆
心地よい風が私の体を通り抜け、私の鼻になつかしい香りを届けました。髪は風と共に様々な方向へとなびきますが、不思議と不快な気持ちにならず、私は閉じていた目をゆっくりと開きました。視界が明るくなるとともに、私の目は様々な色彩を映し出していきます。青々と生い茂った野原の緑色に、その向こうに広がる湖の澄んだ青色、そして振り返れば私の前には大きな桜の木のピンク色が広がっていました。
「里桜。綺麗な桜の季節に産まれた、私の可愛い子…」
後ろから、忘れかけていた聞き覚えのある声が聞こえ、私は振り返りました。そこには私と同じ黒い髪の女性が立っていました。その腕には小さな赤ん坊が抱えられています。
「……故郷の桜はもう見ることはできないが…この子の笑顔を見ていると、まるであの桜を見ているような気持になる。里桜、お前のいるところが俺たちのいる場所だ。生まれてきてくれてありがとう」
その隣には背が高い男性が笑って、二人を抱きしめるように立っていました。…女性も男性もとても幸せそうに微笑んでいます。私は彼らに手を伸ばしました。
「おとうさん………おかあさん……」
しかしその手が彼らに届く前に、彼らの姿は消え去り、私は一人だけその場に残されました。涙が頬を伝い、私は嗚咽を止めることができませんでした。諦めていたはずなのに……こんなにも自分が未練がましいなんて……。風の音と共に、妹の笑い声や、幼い頃歌ってくれた祖母の子守唄が聞こえたような気がし、涙がとめどなく溢れました。………戻りたい。彼らの元に…帰りたい……何をしても。そんな考えが私の頭を過ぎりました。
「リオ」
ふと私を呼ぶ声がしたかと思うと、温かい手が私の手をとりました。振り返ると、そこにはこの世界で私を受け入れてくれた方々が私に笑いかけてくれていました。私の手を取ってくれていたのはエマ様で、その後ろにはエド様が笑っていました。
「大丈夫よ、リオ」
エマ様は笑って、私の手をほんの少し強く握りました。…そうです。私は居場所を失ったわけではないのです。大好きな家族のそばにいることはもう叶いませんが、私には私を必要だと言って下さる方々がいるのです。それ以上の喜びがあるでしょうか。私は涙を拭いて、そして笑いかけました。大好きな彼らの周りには綺麗な桜の花びらが舞っていました。
☆
「……ん…」
重い目を静かに開けると、私は自分が暗い通路の隅に座って眠り込んでいたということが分かりました。点々とあるろうそくが辺りを薄暗く照らしていますが、奥の方は目を凝らしても何も見えず、私はふとホラー映画のワンシーンの映像が頭に過りました。
「…こ、ここは? 確か私…エマ様と…エマ様!?」
鈍い痛みを感じる首を急に動かしたところで、私は隣で寝ていらっしゃったエマ様に気づきました。しかも私の肩に頭をのせていらっしゃったので、あやうく頭が落ちそうになったのです。私は慌てて彼女の頭を再び自分の肩へと戻し、胸を撫で下ろしました。…起きて早々、心臓が止まりそうになる出来事でした。頭が落ちそうになりながらも起きる気配のないエマ様に笑い、私は辺りを見渡しました。明かりはうっすらとあるものの辺りは薄暗く、少々埃っぽいことからあまり人が使わない場所だということが分かります。……と言いますか、こんな場所…ありましたっけ?寝起きの頭を働かせ、私はここで寝ることになった経緯を思い出そうとしました。
「隠し通路じゃよ。おはようリオ…と言ってもまだ夜も明けてはおらんがな」
そんな私の疑問に答えてくれたのはアヒム様でした。アヒム様は微笑みながら、こちらへ来られます。私ははっとしてアヒム様を見ました。…そうでした。襲撃から数時間。ナノエの猛威は想像以上にすさまじく、なんとか数少ない兵士たちと応戦した私たちでした。しかし、なにしろナノエは内部から侵入し、戦況は明らかにこちらが不利でした。…アレクサンドロス王の軍制が戻って来られていたらまた違っていたでしょうが…。その状況の中、私はアヒム様と共にエマ様と隠れ通路に避難し、いつの間にか寝てしまっていたと…こういうことでした。
「エマリア姫をこのような場にお連れすることになるとは…陛下からお叱りを受けるの」
私の隣ですやすやと寝ておられるエマ様を見て、アヒム様がため息をつかれました。今気づいたのですが、私の右手…エマ様の左手にしっかりと握られています。どうりで動きにくいはずです。私は苦笑するとともに、あの夢のことを思い出し、思わず声を出して笑ってしまいました。案外エマ様が励ましてくれたのかもしれません。
「エマリア姫様といいリオといい、ハウヴァーが誇る女性組はなんとも強いものか。これは将来、ハウヴァーの男どもは女性に頭が上がらんくなるの」
アヒム様が微笑みながらおっしゃられたのを聞き、私は恥ずかしさがこみ上げてくるのが分かりました。……敵の侵入を許してしまったこの状況下で笑うなど、なんとも緊張感のない…それに私も人様のことは言えませんが…エマ様もこの状況下でよく寝れるものです。この下では私たちのことを血眼になって探すナノエの兵士たちがいるというのに…。
「…どんな状況であれ、冷静になれ…教えてくれたのはアヒムよ。それに寝るときに寝ておかなきゃ。これから慌ただしくなるのだから」
いつの間に起きられたのかエマ様が大きなあくびをしながら私の肩から頭を離しました。アヒム様は軽く笑われ、
「これはこれは。お目覚めでおいででしたか。エマリア姫様」
と深々くお辞儀をしました。私も慌ててそれに続きました。エマリア様は再び大きなあくびを隠そうともせず、そして私の方を見ました。
「おはようリオ。ご機嫌はいかが?」
「おはようございますエマリア様。…そうですね。多少腰や首や肩に鈍い痛みを感じますが…ええ、今日も清々しい天気となりましょう」
「そう。私はどちらかと言えば気分はいい方よ。そうね…しいて言うなら…お腹の虫が鳴きそうってことくらいかしら。昨日から何も口にしていないんだもの」
…そういえば…。エマ様の言葉で気づきましたが、私も同じく昨日から…ん?私朝ご飯のパンを慌てて胃に入れて……お昼は食べてなくて……夜も……はっ!?私朝のパン以外、一日食べ物を口にしていないではないですか!?
「では、次に食欲を満たすといたしましょう。こんなもので申し訳ないのですが、腹には溜まりましょう」
アヒム様が笑われて、どこからかパンと飲み物を取り出されました。エマ様はそれを一口食べられると、目を輝かせました。
「これ、今まで食べた中で一番美味しいわアヒム」
「それはそれはよろしゅうございました。リオも食べなさい」
アヒム様は微笑み、そして私にも同じものを渡されると私たちの前に座られました。パンを一口食べると、どうやら私の体は食べ物を欲していたようです、食べる手が進む進む。
「食べながらでよいのでお聞きください。城中を一通り見て参りましたが、どうやら城はナノエの手によって陥落してしまったようです。」
私は食べる手を思わず止め、アヒム様を見ました。陥落?…私が拾われ育ったこの城が…?あの騒動が嘘のように今は静かになっていることから、それは容易く想像できたことでしたが…。現実を突きつけられ、私は唇を噛みしめました。
「……ここ以外の隠し通路はすべてナノエの兵に知られており、そこから脱出することは不可能だと分かりました。この人数と戦力で強行突破は諦めた方がよいでしょう。ここもいつ、ナノエに知られるか分かりませんな」
「…やはり…ナノエに寝返った者が…」
私は震える声でアヒム様に問いかけました。考えたくありませんが、あまりにも手際が良すぎます。アヒム様は静かに頷かれました。
「…目星は大体ついております。ですが、そやつらだけだとは限りませぬ。…なぁに心配はいりません。そやつらにはそれ相応の報い…というものがありますからな」
初めて聞くアヒム様の冷たい声に私はぞっとしました。…こんなに怒ったアヒム様を見るのは初めてです。私は思わずスカートの裾を掴みました。手に汗がにじみます。
「そうね。その不届きものには王である父がしっかりとお灸を据えてくださることでしょう。彼らには地の下に落ちるよりもさらに悲惨な目にあうことでしょうね。…それでこれからどうするの? 脱出は不可能。籠城もできない。戦地にいるお父様たちの安否も分からない。これじゃあ、手持ち無沙汰じゃない」
エマ様が大きなため息をつきました。わざと軽い冗談ような言い方をしたのは、場の雰囲気を少しでも和ますためでしょう。そのおかげか、アヒム様も私もエマ様の言葉に笑うという余裕を取り戻しました。
「そうですな。エマリア姫はなによりもお暇なことをお嫌いになりますからな。もちろん策はありますとも。まず、リーマンのところに参ろうと思います。リーマンは大臣室におり、かつ見張りも手薄。接触するには絶好のチャンスかと」
確かに王がご不在の今、大臣であるリーマン様が指揮をとられていたはず。現場の状況を一番よく分かっておられるあの方に指示を仰ぐのが一番確実でしょう。
「姫様はご存じないかと思いますが、ここは城の二階にあたる天井に位置しております。さすがに彼らもここの場所のことは知らなかったようですな。ここの通りをまっすぐ行きますとちょうどリーマンの部屋の真下にたどり着きます」
そして、リーマン様と接触後、私はエマ様と何故かフィルマン様の部屋がある離れに向かうように言われました。
「フィルマンの部屋には緊急時のための伝書鳥がおります。それにこれを巻き付けて飛ばして欲しいのでございます」
伝書鳥。帰巣性を利用して、離れた場所から連絡を取り合うこの国の連絡手段の一つ。…なるほどその手がありましたか。アヒム様の的確な指示に私は希望が指したような気持ちになりましたが…しかし、あのフィルマン様のお部屋…ですか…
「ん? どうかしたかの?」
「いっ、いえ!! なんでもありません」
不思議そうに私を見つめるアヒム様に私は慌てて首を振りました。そして、引きつりそうになる顔を見せないように、私はエマ様から受け取った文をポケットにしまいました。
「その後、王妃の元へとお行き下さい。王妃はお部屋にいらっしゃいますが、外には見張りが数人おります。お気を付けて。私は捕らえられた者たちの様子を見て参ります。隙を見てできそうならば彼らを解放いたします。王妃の部屋でお待ち下さいませ。そこで落ち合いましょう。そしてリオ、これを」
アヒム様が不意に渡されたのは、あのとき王からいただいた剣でした。…正直今まで思い出しもしませんでしたが…。その剣は私の手にちょうどいい大きさで、これならばポケットにも入る……ん?
「ア、アヒム様。これ…前見た時よりも小さくなっているように思うのですが…」
以前はもっとこう…私の手には扱えないような大きさで…なんというか…そう!物干し竿に適したようなものだったはず。しかし、生き物ではあるまいし剣が成長するなんて…私の勘違いでしょうか??
「女であるお主が使いやすいようにちといじったのじゃよ。王にはくれぐれも内密にな」
アヒム様がウインクをされ、その剣を鞘から出しました。するとたちまちその剣が先ほどまで収まっていた鞘の何倍も大きくなり私は呆気に取られてしまいました。
「これは圧縮魔法を応用したものでな。ベルンフリートの武器にも施しておる。リオの場合、あまり武器は目立たぬ方がよいからあやつのとは逆じゃがな。最初は扱いが難しいじゃろうから、戦闘ではあまり長さを変えぬ方がよいじゃろう。あと、そこについておる袋、これにも魔法を施しておいた。これはメイドであるお主の役に立つじゃろう」
鞘の方についていた黒い袋、私はそれをまじまじと見ました。お守りを入れておくにしては小さすぎるような…?
「これはこうやって使うのじゃよ。そうじゃの…砂糖を二つほど欲しいかの」
アヒム様が鞘をひっくり返しました。すると鞘の中から何か出てきました。それはお茶に入れる四角型の砂糖でした。私は驚いてアヒム様を見ました。先ほど鞘を持った時には角砂糖が入っている音なんてしませんでした。しかし現に今、アヒム様の手の中には二つの角砂糖があります。
「これにも圧縮魔法及び空間魔法を施してあっての。…いやいや、鞘ではなくこの袋にじゃよ。この鞘はなぜか直接じゃと魔法をはじいてしまってな。できれば鞘にも色々施したかったところなのじゃが…。」
どうやらアヒム様は鞘にも何か飛び道具などを装備したかったようです。ふうと不満そうに鞘を見るアヒム様に思わず笑ってしまいました。その姿がベルンと重なるところがあったのです。このようなところをみるとやはりお二人は血がつながっているのだとしみじみと感じてしまいますね。
「まあ、よしとしよう。話を戻すが、この袋の紐にかけられたものはなんでも大容量の袋となるのじゃよ。とは言っても、この鞘に物が収納されているわけではないのじゃよ。…まあ、その説明をするとかなり専門的な話になってしまうから省くがな。壺やポケットなんでもよい。とりあえずそこに空間があればこの袋は役割を果たす。今じゃと食べ物とかがはいっておるの。何が欲しいか呟くだけでそれを出してくれる優れものじゃ」
…すごい。私はただ唖然とするしかありませんでした。アヒム様はさらりと言っておりますが、圧縮魔法も空間魔法も上級魔法。どんなに優れた魔法使いでも使える者は少ないと聞きます。最初はフィルマン様が施したのかと思っていましたが…受け取ったこの剣からはアヒム様の魔力が伝わってきました。私はなんと言ってよいか分からず、ただ剣を握りしめて、勢いよく背中を曲げました。
「ありがとうございます。私ごときにここまでしてくださり、感謝の言葉もありません」
「なに、久々に楽しかった。わしもまだまだ腕はなまってはおらんの」
そういえば、弟子たちの武器の整備も趣味でアヒム様がやっていらっしゃったというのを思い出しました。これが中々個人個人の能力にぴったりで評判だとか。
「よかったわねリオ。これで荷物運びの時に転ばなくて済むわね」
エマ様の言葉に私は一瞬言葉に詰まりましたが、一度咳ばらいをし微笑みました。
「いっ、嫌ですわエマ様。それはたまたま転んでしまっただけであって…」
「そうなの? じゃあ、転んで皿を割ったり、お茶をこぼしたり…あっ、あとバケツに足を突っ込んで転んでいたのも私の見間違いねきっと」
「み…みていらっしゃ…ではなく…そうですね。最近暑いですからね。……で、では、アヒム様、そろそろ参りましょう。夜が明けてしまっては再び動きづらくなっ!?」
バタンッという大きな音がしたかと思うと、私は地面に倒れていました。体を起こし足元を見ると、少々の段差がありました。…………………………………………。その場に何とも言えない雰囲気が漂っている…ような気がし、恐る恐るエマ様を見ると、
「あら? リオ、どうやら暑さのせいだけではなかったようね」
ふふっと、エマ様はにこやかに微笑まれ私の前を歩いて行かれました。
「リオ、お主のその不注意はいつになっても直らんな」
アヒム様があきれ顔で私に手を差し出しました。……ぐうの音もでません。
「その歳になっても直らんとなると…やはり姿勢か? いや、確かその方法はすでに試して…。では歩き方を変えてみるというのも…」
リーマン様のお部屋に向かう移動中、アヒム様は私の転ばない方法についてずっと頭を働かせておいででした。
「アヒム、リーマンよ。今一人みたいだわ。どうする?」
「おおっ! それは好都合ですな。では、失礼」
アヒム様はエマ様の言葉に思考を中断させ、エマ様に代わりのぞき穴から下を覗かれました。私はひとまずアヒム様が考えを中断してくださったことにほっとし、その様子を見守っておりました。…最終的に矯正器具まででてきたので、内心気が気でなかったのです。
「姫様、リオここへ」
私は言われるままアヒム様の左側に、エマ様はその逆側に座りました。…これからどうするのでしょう?アヒム様は何か筒のようなものを持って、それを床に置かれました。
「…エマリア様…リーマンでございます。ご無事で何よりでございました」
なんとその筒からリーマン様のお声が聞こえるではありませんか。私は驚いてアヒム様を見ました。アヒム様は微笑んで、
「お主が非常用に使ったものは、この城のどこにいても聞こえるようになっておる。わしはそれに手を加えただけじゃよ」
私はそれを聞いて納得しました。いわゆる糸電話と同じ仕組みなのです。糸の代わりに鉄の管が城中にはい巡らせられており、故にどこにいても聞こえるような仕組みになっていると…フィルマン様から教えていただいたことがあります。しかし、それら全部に声を伝わせるとなると難しいものがあるらしく、鉄の管の中には音を振動させる性質を持った石が設置してあるのだそうです。…と昔こうフィルマン様から教えていただいたような…気がしますね。
「リーマン、状況を把握したいのじゃ。今どうなっておる?」
アヒム様がそう聞かれると、筒からは少々の沈黙がありました。そして、暗い声が聞こえました。
「…最悪…としか言いようがない。敵の戦力はこちらの何十倍、しかし籠城すればなんとかなるという状況だった。しかし内部からの侵入によりそれは不可能となり、さらにこちらの戦力は削られてしまっていた。我らはただ降伏するという道しかなかったのだ。ナノエはそれには応じ、生き残った兵士たちを地下牢に閉じ込め、さらに王妃様もわしも動けなくされておる」
「…お主はようやった。何しろナノエの第二王子自ら率いて来られたのだ。そのような大事、誰が想像できよう。お主のその判断は賢明だった。無駄な犠牲は出さぬ方がよいからな。あとはわしらでなんとかしよう」
アヒム様がリーマン様に声をかけました。アヒム様を見ますと、その拳は強く握られておりました。襲撃時、アヒム様もその場におられたのです。このような事態になる前に防げなかったことを悔いておられるのでしょう…。私は思わずアヒム様の腕をそっとつかみました。アヒム様は私の方を見て微笑み、軽く肩を叩かれました。このような時、私は自分の無力さを痛感してしまうのです。
「ナノエの王子はエマ様を血眼になって探して居られる。…ところでお主はいまどこにおる? これが通じておるということは大広間か中庭か?」
「それは言えぬ。しかし、ひとまず奴らの目を欺くには最適の場とも言えよう」
「そうか…。まあよい。とりあえずエマ様を連れてこの城から離れることだ。王の帰りはわしが待とう。地下牢の鍵は地下にいる見張りが持っているはずじゃ。手際よくやれよアヒム」
私はリーマン様のお言葉にはっとなりました。リーマン様はすでに敵地となってしまったこの場所に一人で残るとおっしゃっているのです。
「…リーマンお主…」
「私は大臣。王から任されたこの場所を放って置いて逃げ出すことはできん。それより、リオはそこにおるのか?」
突然リーマン様の口から私の名前が出て、私は慌てて返事をしました。
「リオ、こんなことになってしまい申し訳なく思って居る。そして結果的に、お主に頼ってしまうことを許してほしい」
「いえ…私は何もできませんでしたから。…リーマン様、何か私にできることがあるのですか?」
「勇者リオとして、女神に会いに行ってほしいのじゃ。今回のナノエのこの件を女神に報告して欲しい」
…女神?私はリーマン様の言葉に頭が混乱してしまいました。いきなり何も説明もなしにおっしゃられても頭がついていきません。…つまりあの妖怪と旅をするお坊さんのお話のように神様が住むと言われる場所へ行け…ということでしょうか?それならば、女神という方がいらっしゃるとすればそれは雲の上…ですか…。…困りましたね。私は空を飛ぶということはできませんし…
「…リーマン、それは…」
アヒム様が険しい顔つきになられ、何か言われようとなさいますが、リーマン様は言葉をかぶせられます。…何か焦っていらっしゃるように聞こえるのは…気のせいでしょうか?
「勇者であったら通らねばならぬ道だアヒム。幸運にもリオはメイドという身分であり、婚約している相手もいない。魔王がナノエ側についているのであれば、まだ力を十分に発揮できない勇者では到底かなうはずもない。リオには女神に会いに行ってもらい、女神本人が赴いてもらう、もしくはその加護をいただければ我らの勝利は確実のものとなる」
リーマン様のその勢いに私は多少押されそうになりましたが、アヒム様は淡々とした口調で話を続けられます。
「…しかしそれはあまりにも時間がかかりすぎる。その前にナノエが他国を侵略しつくしてしまったならばどうする? そうなればさすがの女神であっても何もできんぞ」
再び沈黙があり、筒の奥からため息をつくような音が聞こえました。そして、リーマン様が息を吸いこみます。
「……では、状況を見てお前が決めればよい。どうせわしはここから動けん。お前がそうするべきだと感じた時、そうすればよい。…それでよいか?」
「ああ。恩に着るの。」
「……アヒム。戦場でも政でも何事も選択することが未来を作用する。同時に相反するものを選択することは出来んぞ。…どちらか一方は必ず捨てなければならん時が来る」
「わしはそう思わん。己にとって譲れぬものが危機に陥ったとき、人は戦うものじゃ。それらを取捨選択することはすなわち、己自身も捨てることと同じこと。己という存在の確立は、それらによって成り立っておる。それらがないと戦いも…もちろん政もできぬよ。リーマン、お主にもあるじゃろう。譲れぬものが」
「…忠告はしたからな」
リーマン様は小さい声でそう呟かれました。私はただそんなお二人の会話を黙って聞くことしかできませんでした。譲れぬもの。己の存在を確立するもの。…私にとってそれは、この世界で私に居場所を与えてくださった方々のことをいうのでしょう。確かに彼らのためならば、私はこの剣を取り、戦いの場へと赴くでしょう。私は剣に触れ、そして前を向きました。
「ああ、感謝する。では切るぞ」
「…ああ。検討を祈っているぞ友よ」
お二人の会話は、プツンッと音を立てて終わりました。私はアヒム様を見ました。アヒム様は私の視線に気づくと微笑まれました。




