第24話 王都
長い旅路の果て、俺とアヤメはついにムステラ王国の王都ニヴァリスの巨大な正門をくぐった。
白亜の石造りが整然と並び、網の目のように張り巡らされた運河が太陽の光を跳ね返すその景観は、まさに「水の都」と呼ぶにふさわしい。
今までも旅の途中でいくつか大きな街を通り抜けてきたが、ここはそれらとは比べものにならないほどの熱気と、圧倒的な規模を誇っていた。
「……ねえ、おじさん。ほんとに、ほんとにこっちで合ってるのかな……?」
隣を歩くアヤメが、不安に押し潰されそうな様子で俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。
これまで見てきた都会の賑わいには少しずつ慣れてきたはずのアヤメだったが、王都の圧倒的な人の波と、首が痛くなるほど高い石造りの建物には、すっかり気圧されているようだ。
彼女は遠慮がちに俺の背中に隠れるようにして、人混みに流されないよう、小さな歩幅で必死に俺についてくる。
「ああ、大丈夫だ。フランチェスカに聞いていた特徴はしっかり覚えている。……あそこだな」
俺が人混みの先を指差すと、そこには周囲の豪華な邸宅の中でも一際目を引く、重厚で洗練された佇まいの建物が建っていた。
俺たちは誘われるようにその門をくぐり、複雑な彫刻が施された漆黒の大きな扉の前に立つ。
一呼吸置いてから、俺は静かに、だが確かな音を立てて扉を叩いた。
「はい、どなた様でしょうか?」
間もなくして音もなく扉が開くと、そこにはピンと立った耳と、しなやかな尻尾を持つ猫獣人のメイドが立っていた。
俺は懐から用意していた紹介状を差し出し、「ブルッフのフランチェスカに聞いて来た」と短く告げた。
彼女は鋭い視線で俺たちの姿と手紙の封蝋を交互に確認すると、納得したように深く、音もなく一礼した。
「……お待ちしておりました。主より詳しく伺っております。どうぞ、中へお入りください。旅のお疲れもございましょう」
招かれるままに足を踏み入れた邸宅の内部は、外観の威容に違わず、息を呑むほど豪華な造りだった。
さらに驚いたことに、廊下や吹き抜けの至る所には、この冷涼な北方の王国ではまずお目にかかれないような、色鮮やかで巨大な熱帯の植物が所狭しと飾られていた。
その光景を見て、俺の脳裏に既視感が走る。建物の造りこそ違えど、所狭しと南国の植物が並ぶこの独特な内装の雰囲気は、以前足を踏み入れたブルッフのフランチェスカの家と、驚くほど似ていたのだ。
「わあ……おじさん、見て見て! すごく大きな葉っぱ。それに、変わった形の木がいっぱい。なんだか、フランチェスカさんがつけてた香水の匂いに似てる気がするね」
「……そうだな。ブルッフのあの家と、どこか雰囲気が似ている。王都の真ん中でこれだけの植物を揃えるとは、ずいぶんと凝った趣味だ」
アヤメは少しだけ緊張が解けたのか、目を輝かせて周囲を見回している。
やがて通されたのは、廊下の突き当たりにある格式高い応接室だった。
メイドが静かに扉を閉め、広い室内には俺とアヤメの二人だけが残される。
「おじさん、ここのご主人さまって、どんな人なのかな。フランチェスカさんのとっても偉い親戚の人……?」
「さあな。だが、これほどの大邸宅を構え、南国の植物をこれだけ運び込める奴だ。この国の相当な実力者であることは間違いないだろう」
窓のカーテンの隙間から差し込む穏やかな午後の光を眺めながら、俺たちは主が誰なのか、期待と不安が入り混じった心地で待っていた。
やがて、部屋の奥にある重厚な扉がゆっくりと開き、カツン、カツンと軽やかな足音が近づいてくる。
「……ふふっ、ずいぶん時間がかかったわね。待ちくたびれて、お茶を三杯も飲んでしまったわ」
聞き覚えのある、涼やかな鈴の音を転がすような声。
姿を現したのは、艶やかな黒髪をさらりとなびかせ、唇の端を悪戯っぽく吊り上げた女性――。
「フ、フランチェスカ!? なんで、なんでお前がここに……っ!」
「フランチェスカさん! また会えてうれしいです……っ」
俺とアヤメは思わず声を揃えて叫んでいた。
ブルッフで別れたはずの彼女が、なぜこの王都の豪華な屋敷で俺たちを「主」として迎えているのか。
驚愕に目を見開いたまま固まる俺たちを、フランチェスカは優雅な仕草でベルベットの椅子に腰掛けながら、心底楽しそうに見つめ返していた。
「そんなに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしないで。……ようやく着いたのね。歓迎するわ、二人とも」
「それにしても、フランチェスカ……。俺たちより先に着いているなんて、一体どういう手品だ?」
俺は椅子の背もたれに体を預け、呆れたような、それでいてどこか釈然としない思いを口にした。
ブルッフを出てから、俺たちは自分たちの足で一歩ずつ進み、街道をのんびりと歩いてここまでやってきた。
それなりに時間はかかったはずなのに、彼女は何事もないような顔をして、この王都の屋敷で俺たちを待っていたのだ。
「そんなに早く移動できる乗り物があるなら、最初から俺たちも誘ってくれればよかったのに。そうすればアヤメだって、歩き疲れて眠そうにすることもなかったんだぞ」
俺の言葉に、隣に座るアヤメも「そうだよ、おじさんだって、時々おじいちゃんみたいな顔してたもん」と小さく頷く。
俺は苦笑交じりに、正面で優雅に紅茶を啜る黒髪の女性を見やった。
「あら、そんな魔法の絨毯、私だって持っていないわよ。ただ、少しばかり要領が良かっただけ。女には、移動中にも磨かなきゃいけない美意識と、それなりの準備があるの」
フランチェスカはそう言って、悪戯っぽく笑ってごまかした。
「準備って……。俺たちは野宿の準備だって自分たちでしてきたんだ。お前、まさか転移の魔法でも使ったんじゃないだろうな?」
「……さあ、どうかしらね? そんな便利なものがあったら、今頃もっと優雅に人生を謳歌していると思わない? それより不服かしら? こうして再会できたんだし、結果オーライじゃない。それとも、私の顔を見るのがそんなに嫌だった?」
言葉を濁しながらも、煙に巻くような彼女の仕草は相変わらず鮮やかで隙がない。
彼女の言う「要領」が、単なる旅の工夫でないことくらいは察しがつくが、深く問い詰めたところで上手くはぐらかされるのが落ちだろう。
「……ふふ、でも感謝しているわよ」
不意にフランチェスカが、含みのある笑みを浮かべて言葉を継いだ。
「あなたが道中で出会った悪党たちを、片っ端から懲らしめて歩いてくれたでしょう? おかげで、あの街道の治安も少しは良くなったんじゃないかしら。まるで、王都までの道を綺麗に掃き掃除してくれたみたいね」
「別に、ボランティアのためにやったわけじゃない。ただ降りかかる火の粉を払っていただけだ」
「あら、理由はどうあれ結果がすべてよ。あなたのその『火の粉を払う』手際の良さのおかげで、後続の商隊も通りやすくなったはずだわ」
彼女は事もなげに言うが、俺が旅の途中で戦った出来事を、まるですべて見ていたかのような言い草だ。やはり、この女の正体は測りきれない。
しばらくそんなとりとめのない会話が続いていたが、ふと、フランチェスカが表情を和らげ、アヤメの方へ視線を向けた。
「ところで、アヤメちゃん。……旅の話もいいけれど、これからのことを話しましょうか」
アヤメが不思議そうに首を傾げると、フランチェスカはさらりと、当然のことのように告げた。
「アヤメちゃんを、王都の学校に入れるわ。手続きはもう進めてあるのよ」
その言葉に、俺はハッとした。
「学校……。そういえば、そんなことも言っていたな。すっかり忘れていたよ」
「ひどいわね、忘れていたなんて。私はいつだって冗談なんて言わないわ。それとも、あなたの記憶力もその街道に置いてきちゃったのかしら?」
以前、彼女が口にしていた言葉が、現実味を帯びて脳裏に蘇る。あの時はまだ先の話だと思っていたが、どうやら彼女は裏で着々と準備を進めていたらしい。
「学校……。おじさん、わたし、みんなと一緒にちゃんとお勉強できるかな……?」
少し不安そうに、けれど期待を隠しきれない様子で俺の顔を覗き込むアヤメ。
「で、アヤメちゃんが行くその学校というのは――」
「……王立魔法学院だって?」
そのあまりに重みのある名前に、俺は思わず耳を疑い、手に持っていたティーカップを危うく落としそうになった。
王都ニヴァリスの象徴とも言えるその場所は、ムステラ王国における最高学府であり、国内の全魔導士が羨望の眼差しを向ける頂点だ。
厳しい選別を勝ち抜いた圧倒的な才覚の持ち主しか、その門をくぐることすら許されない。
代々続く名門貴族の師弟や、国中から血眼になって探し出された神童たちが集う、まさに選ばれしエリートたちのための聖域なのである。
「おい、フランチェスカ、冗談はやめてくれ。あそこがどんな場所か分かって言っているのか?」
「確かにアヤメは才能のある子だが、そんな浮世離れした連中が集まる場所に、いきなり放り込むなんて無茶だ。いくらなんでも荷が重すぎるだろう」
俺が椅子から身を乗り出し、詰め寄るように言うと、フランチェスカは「やれやれ」と言わんばかりに、大袈裟なジェスチャーで肩をすくめてみせた。
「あら、本気でそんな心配をしているの? クライドさん。それとも、毎日一緒にいて、まだその子の本当の輝きに気づいていないのかしら。あなたの目は節穴なの?」
彼女はゆったりとした優雅な動作で椅子から立ち上がると、アヤメの隣へと歩み寄った。
そして、その小さな頭を慈しむように、細く白い指先で優しく撫でた。
「私はね、自分の目に狂いはないと自負しているわ。アヤメちゃんがその身に秘めている、底知れないほど膨大な魔力量。そして、それを御するための、驚くほど純粋な魔術的素質」
「ブルッフで初めて彼女の力の一端を垣間見たときから、私は確信していたのよ。彼女は、そこらでふんぞり返っている一流魔術師たちを、将来的に軽々と凌駕するポテンシャルを持っているわ」
「そんな特別な力を、このまま辺境の田舎で埋もれさせておくなんて、それこそ王国にとって取り返しのつかない損失だと思わない?」
アヤメは「おうりつ……まほう、がくいん?」と、まだ自分に何が起きようとしているのか実感が湧かない様子で、その重々しい響きの言葉を何度も舌の上で転がしている。
しかし、戸惑いを見せる一方で、その大きな瞳の奥には、今まで見たこともない未知の知識や新しい世界に対する、純粋な好奇心の火が、確かにポツリと灯り始めていた。
「心配しなくても、必要な推薦状は私の権限ですべて用意してあるわ。あとは最低限の書類手続きと、あなたたちが得意な、ちょっとした形式ばかりの試験を受けるだけ。ね、悪い話じゃないでしょう?」
フランチェスカは、まるで盤面の駒をすべて動かし終えたかのように、不敵で、それでいて確信に満ちた笑みを浮かべた。
どうやら俺たちが街道でのんびりと旅を続けている間に、アヤメの将来という大きな航路は、すでに「王立」という巨大な看板が掲げられた輝かしい道へと、彼女の手によって強引かつ鮮やかに舵を切られていたらしい。




