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F級暗殺者――社会の害虫を退治する低ランク暗殺者のおっさんと少女の物語。  作者: 秋ヶ瀬胡桃


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第20話 通行料

 王都へと続く石畳の街道。

 乾いた風が土埃を巻き上げ、街道沿いの木々がざわめく中、俺とアヤメはひたすら目的地を目指して歩みを進めていた。

 照りつける太陽が真上を過ぎ、地面に落ちる影が少しずつ伸び始めている。


「……ねえ、あとどれくらいで着くの?」


 隣を歩くアヤメが、その綺麗な青い髪を揺らしながら尋ねてくる。

 十歳ほどの少女にとって、この延々と続く単調な景色は、大人以上に長く感じられるのだろう。


「順調にいけば、あと三日はかからないはずだ。このままのペースで行ければだがな」


 俺の答えに、アヤメは「そっか、あと少しだね」と自分に言い聞かせるように短く返し、小さく息を吐いた。

 二人の足取りはまだ確かだが、連日の長旅による肉体的な疲れは、歩幅のわずかな乱れとなって隠せなくなっていた。

 ちょうど腹の虫が鳴り始めた頃、街道沿いに一軒の古びた宿屋が見えてきた。

 石造りの壁はあちこちが欠け、使い込まれた看板が風に揺れている。

 俺たちは顔を見合わせ、示し合わせたように、吸い込まれるようにその食堂へと足を踏み入れた。

 薄暗い店内は、煮込み料理のスパイスの匂いと、数人の旅人たちが交わす喧騒に近い話し声で満ちていた。

 空いている隅の席に陣取り、運ばれてきたエールで渇いた喉を潤していると、すぐ隣のテーブルからひそひそとした、だが切迫した会話が漏れ聞こえてきた。


「……おい、聞いたか? この先の『鴉の峠』に居座ってる連中の話」


 身なりの汚れた商人風の男が、不安げな表情で連れに身を乗り出している。


「ああ、例の勝手な通行料だろ? 冗談じゃないぜ。まともな金額じゃないって話だ。払えなきゃ荷物を奪われ、挙句に身ぐるみ剥がすような真似までしやがって」


 俺はジョッキを持つ手を止め、視線は落としたまま、さりげなくその会話に耳を傾けた。


「王国軍は何をしてるんだ。あんな主要な街道の峠に悪党が堂々と陣取ってるってのに、取り締まりにも来ないのか」


「それが、今はそれどころじゃないらしい。国境をまたいだ盗賊団の捜査に、騎士団の連中は総出でかかりきりだそうだ。おかげで、あんな場所の小物どもまで手が回らず、ほったらかしなのさ」


「野放しか……。無事に通るには、奴らの言い値の金を大人しく払うか、それとも命を捨てるか。二つに一つってわけかよ」


 男たちは忌々しげに、そして諦めを含んだ溜息とともに吐き捨て、話を切り上げた。

 俺はそっと視線をアヤメに戻す。

 彼女もまた、運ばれてきたスープを口にする手を止めて、じっとその話に聞き入っていた。

 アヤメにとっては、世の中の不条理を突きつけられるような酷な話だったかもしれない。

 彼女の瞳には、困っている旅人たちへの深い同情と、どうにもできない現状へのやり場のない悲しみが浮かんでいる。


「……王都への最短ルートは、あの峠を通る道だ。避けて通るには、数日のロスを覚悟しなきゃならん」


 俺が周囲に聞こえないよう小声で言うと、アヤメは不安そうに俺の服の袖を、細い指先で少しだけ握りしめた。


「……そんなことしてる人たちがいるんだね。王様の方の人たち、お仕事が忙しくて助けに来てくれないのかな。みんな、すごく困ってるのに」


 小さな、消え入りそうな呟きだったが、その優しさが胸に刺さる。

 俺は腰に下げた剣の柄の感触を掌で確かめながら、彼女に不安を与えないよう、努めて落ち着いた声で返した。


「そうだな。だが、俺たちが王都へ行くにはあの道を通るのが一番早い。……大丈夫だ、何があっても俺がついてる。アヤメは心配しなくていいぞ」


 俺の言葉に、アヤメは少しだけ安心したように顔を上げ、小さく、静かに頷いた。

 俺だって自分から揉め事に首を突っ込むつもりはない。だが、もし俺たちの歩みを無理に止めようとする者がいるなら、その時は相応の対処をするだけだ。

 俺たちは冷めかかった残りの食事を素早く済ませると、勘定を終えて席を立った。

 宿屋の扉を開けると、午後の強い日差しに照らされた険しい峠の稜線が、王都へと続く道の上に重く横たわっている。

 国が動かないのなら、自分たちの道は自分たちで守るしかない。

 俺とアヤメは、再び土埃の舞う街道へと踏み出し、一歩ずつ峠に向けて歩き始めた。



 峠の奥へと進むにつれ、道幅は目に見えて狭まり、切り立った岩肌が両脇から覆いかぶさるように迫ってきた。

 乾いた土を踏みしめる音だけが、静かな山間にどこまでも響き渡る。

 隣を歩くアヤメは、どこか落ち着かない様子で、不安げに周囲の木々や岩の陰を見渡していた。

 先ほどの宿屋で耳にした「峠を占拠する悪党」の話が、彼女の小さな胸に暗い影を落としているのは間違いなかった。

 俺は彼女を安心させるように歩調を合わせつつも、その思考は深く険しい海へと沈んでいた。

 この先に陣取っているという悪党の集団。

 かつて俺たちが因縁を持った、あの「オーク衆」と呼ばれた残虐な連中。

 さらには、旅の途中でアヤメを誘拐しようと目論んだ者たち。

 それらの点と点は、果たして偶然の一致なのか、それとも見えない一本の線で繋がっているのだろうか。

 もし、国境を越えて暗躍しているという大規模な盗賊団が「オーク衆」の一派、あるいはその本体なのだとしたら。

 そして、今この峠を勝手に占拠している小物どもがその末端組織として動いているのだとしたら、これまでの出来事に多くの合点が行く。

 彼らはそれぞれ独立した集団なのか、それとも一つの巨大な闇の意思の下で密かに手を組んでいるのか。

 あるいは、単に近頃の治安悪化に乗じて、あちこちから湧き出した別々の毒虫に過ぎないのか。

 だが、俺はすぐに頭を振って、取り留めのない思考を無理やり断ち切った。

 今この時、俺がそんな複雑な組織図を解明したところで、何の実利もない。

 そもそも軍や騎士団の真似事をして正義を振りかざすつもりなど、俺には毛頭なかった。

 今の俺にとって、この世で唯一の、そして絶対的な優先事項は、隣で俺の服を頼りなげに掴んでいるアヤメを、何事もなく無事に王都へと送り届けること。

 ただそれだけなのだ。


「……あ、おじさん、人が来るよ」


 アヤメが緊張を含んだ声で前方を指差す。

 道の向こう側、舞い上がる土埃の向こうから、数人の人影がこちらへ向かってくるのが見えた。

 陽光を鋭く跳ね返す銀色の甲冑。

 王国の紋章が厳かに刻まれた盾を背負った、数人の騎士たちの一団だった。

 俺は足を止め、道の脇に寄って彼らが通り過ぎるのを待った。

 だが、馬を連ねたすれ違いざま、俺は意を決して最後尾を行く騎士に声をかけた。


「……失礼します。少しお伺いしてもよろしいでしょうか」


 呼びかけに応じて馬を止めた騎士は、面頬の奥から射抜くような鋭い視線を向けてきた。

 だが、俺の隣に立つ幼いアヤメの姿が目に入ると、その張り詰めた警戒をわずかに緩めたようだった。


「何だ、旅人か。この先へ行くというのか?」


「はい、王都まで。……一つお聞きしたいのですが、この先の道中で、何か不審な者たちを見かけませんでしたか? 麓の宿屋で、少々物騒な噂を耳にしまして、用心のために伺えればと」


 騎士は、隣に並ぶ仲間の騎士と一度だけ無言で顔を見合わせた。

 そして、特段の感慨もなさそうに、短く首を横に振って答えた。


「いや、我々が通ってきた限りでは、特に変わった様子はなかったな。不審な者もいなければ、路銀をせびるような下劣な手合いも見かけていない。噂の類だろう」


「……左様ですか。それなら安心しました。お引き止めして申し訳ありません」


「我々は捜査の応援で急いでいる。この先も気をつけて行くがいい」


 騎士たちはそれだけ言い残すと、再び馬の腹を蹴って速度を上げ、去っていった。

 遠ざかっていく規則正しい蹄の音を聞きながら、俺は険しい表情のまま、再び峠の先へと視線を戻した。

 騎士たちが「誰もいなかった」と断言したのはなぜか。

 ただ単に騎士団の目が節穴なのか、それとも、あの悪党どもが相手の力量や武装を見て、賢しく姿を隠しているだけなのか。


「おじさん、騎士の人たちは大丈夫だって言ってたね。悪い人たち、もういなくなったのかな」


 アヤメが少しだけ安堵したように俺を見上げてくる。

 俺はその綺麗な青い髪にそっと手を置き、自分自身にも言い聞かせるように、再び一歩を踏み出した。


「ああ。……だが、念のため最後まで気を引き締めて行こう。自分たちの目で見極めるまでは、油断は禁物だからな」


 俺は懐の先割れスプーンに意識を集中させ、物言わぬ岩肌の合間を縫うように、静かに峠の深奥へと足を踏み入れた。



 峠の道はいっそう険しさを増し、切り立った岩肌が両脇から覆いかぶさるように迫ってきた。

 頭上を流れる雲は速く、岩の隙間を吹き抜ける風が、低く唸るような音を立てて通り抜けていく。

 乾いた土を踏みしめる音だけが、静かな山間にどこまでも響き渡る。

 かつて暗殺者として闇に潜み、数多の死線を超えてきた俺の嗅覚が、前方の空気のわずかな揺らぎを捉えた。

 この先に、明確な悪意を持った集団が潜んでいる。

 それは単なる旅人の集まりではない。

 獲物を待ち構える捕食者のような、粘りつく殺気と、統制された静寂。

 おそらくは宿屋で旅人たちが怯えていた悪党どもだろう。


「……おじさん?」


 隣を歩くアヤメが、俺のわずかな変化を察して不安げに袖を引く。

 彼女の直感は決して鈍くはない。

 俺は彼女を安心させるような視線を送り、静かに声を潜めた。


「少し休憩しよう。アヤメ、こっちへ」


 俺は彼女を促し、道沿いにある大きな岩の陰へと身を隠した。

 岩肌は冷たく、ざらついた感触が掌に伝わる。

 表向きは旅の疲れを癒やすための休憩だが、俺の目的はあくまで前方の様子を伺うことにあった。

 無理に突っ込んで、アヤメを危険に晒すわけにはいかないからだ。

 しばらく岩陰で息を潜めていると、後方から馬のいななきと、車輪が規則正しく軋む音が聞こえてきた。

 現れたのは、中規模な荷馬車を引かせた商人らしき初老の男性と、その供回りの二人だった。

 馬車にはいくつかの荷が積まれ、軽快に土を蹴りながら進んでいく。

 彼らは俺たちの存在に気づくこともなく、呑気な様子で峠道を先へと進んでいく。


「おじさん、あの人たち、行っちゃったけど大丈夫かな……?」


 心配そうに呟くアヤメに、俺は短く答えた。


「……少し距離を置いて、後を追ってみよう」


 俺たちは荷馬車の一団が視界から消えかけ、だがその気配だけは感じ取れる程度の距離を保ちながら、音を殺して歩き出した。

 アヤメの手をしっかりと握り、不測の事態に備えて全身の筋肉を緩める。

 不意に、前方の沈黙が破られた。


「おっと、失礼。少々お待ちいただけませんか? この先は私どもの管理地となっておりましてね。無事に通りたいのであれば、相応の『通行料』を納めていただかなければなりません」


 慇懃無礼な、粘つくような声が響き渡り、荷馬車が急停車した。

 道を塞ぐように現れたのは、布で顔を半分隠し、腰に剣を帯びた柄の悪い男たちだ。その数は五、いや六人か。

 強そうな通行人なら隠れ、弱そうなら出てくるのだろう。

 商人の荷馬車はあっという間に囲まれ、怯えた馬が激しく前足を蹴る。

 商人と供の男たちは突然の事態に言葉を失い、青ざめた顔で立ち尽くした。

 悪党たちは冷ややかな笑みを浮かべ、威圧するように商人を品定めしていた。

 岩陰からその光景を静かに見守りながら、俺は再び思考を巡らせる。

 この程度の「小物」であれば、一人で片付けるのは容易い。

 だが、今は隣にアヤメがいる。

 無駄に血を流すような事態は避けたかった。

 彼女にこれ以上、凄惨な光景を見せたくはないという思いが、俺の動きを押し留めていた。


「おじさん……どうしよう、あの人たちが……」


 アヤメが怯えながら、俺の腕にしがみつく。

 指先に力がこもっているのがわかる。

 俺は彼女を背に庇いながら、男たちの動きを冷徹に観察し、懐にある先割れスプーンの感触を確かめた。

 自分たちに危害が及ぶことがなければ、あえて手を出す必要はない。

 だが、もし奴らが道を完全に塞ぎ、俺たちの王都行きを阻むというのであれば――話は別だ。

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