第1話 F級の男
「クライド。お前、今日限りでクビだ」
リーダーのレジーが、冷たく言い放った。
場所は王都でも指折りの高級酒場。S級冒険者パーティー『白銀の荒鷲』の定宿だ。
「え……? あ、あの、レジー。今、なんて……?」
「耳まで腐ったか。クビだと言ったんだ。聞こえなかったか?」
レジーは二十歳そこらの若さで『剣聖』の称号を持つ天才だ。
俺みたいな、パッとしない三十男とは住む世界が違う。
俺は思わず、俯いた。
「……あ、ああ。わかった。俺、何か悪いことしたかな」
「全部だよ。お前の存在そのものがな」
レジーの横で、魔術師のエリザが、退屈そうに銀髪を指で弄んでいる。
「悪いわね、クライド。これ、もう決定事項なの。わかるでしょ?」
「……うん。エリザがそう言うなら」
「分かればいいのよ。正直、あなたの顔を見るのも飽きてたしね」
彼女の視線は、俺の足元あたりを彷徨っている。
ゴミを見るような目ですらない。
そこに存在しないものを見るような、無関心。それが一番こたえた。
「正直、お荷物だったんだよ。お前はさ」
重戦士のボルドが、ジョッキの酒を豪快に飲み干した。
大きな音が机に響く。俺の肩が、びくっと跳ねた。
「俺たちはS級だ。なのに、一人だけF級の無能が混ざってる。これじゃ示しがつかねえだろ?」
「ボルド、その通りだね。俺のスキルは『暗殺』だけど……」
「そう、その『暗殺』が問題なんだよ! ギルドの判定は最低のF級。モンスターの弱点すら突けない。そんな奴、戦場に居場所なんてねえんだよ」
ボルドの怒鳴り声が店内に響く。
周囲の冒険者たちが、一斉にこちらを見た。
好奇と、少しの蔑みが混じった視線。
「……そうだね。俺、F級だもんね。みんなの足、引っ張ってたよね」
「自覚があるなら話が早い。お前みたいな無能を置いておく余裕は、俺たちにはないんだ」
レジーが、腰の聖剣をガチャリと鳴らした。
「さあ、荷物をまとめて、さっさと出ていけ。これ、手切れ金だ」
レジーが懐から革袋を取り出し、テーブルに放り投げた。
チャリン、と硬貨の擦れる嫌な音がした。
「……これ、もらっていいの?」
「ああ。二度と俺たちの前にツラを見せるなよ。田舎で細々と土でも弄ってろ」
三人はもう、俺のことなんて見ていない。
「ねえ、次はどのS級魔術師を勧誘する? やっぱり火力が欲しいわよね」
「ああ、王都のギルドにいいのがいるって聞いたぜ」
「ふん、俺の剣に追いつける奴なら誰でもいいさ」
俺は震える手で革袋を拾い上げ、静かに席を立った。
「今まで、本当に、ありがとうございました……」
深々と頭を下げたが、返事はない。
俺は逃げるように酒場を飛び出した。
外に出ると、夜の冷たい風が頬を刺した。
王都の夜景は、いつになく眩しい。
でも、その光のどれもが、俺を拒絶しているように見えた。
「……さて。これから、どうしようかな」
ポツリと独り言をこぼす。
目的もなく、夜の町を歩き出した。
「おじさん、邪魔だよ!」
「あ、すみません……。ごめんなさい」
ぶつかった子供にさえ、俺は反射的に謝ってしまう。
昔からおとなしくて、人に逆らうのが苦手だ。
嫌だと言えない。
だから、いいように使われて、いらなくなったら捨てられる。
「……三十にもなって、これか」
情けなくて、視界が滲んだ。
俺の『暗殺』スキル。F級なのは事実だ。
派手な魔法も、華麗な剣技も、俺にはない。
ただ、気配を消して後ろに立つ。それだけ。
正面から戦えば、ゴブリン一匹にだって苦戦するだろう。
「あはは……。無能、か」
乾いた笑いが漏れた。
気づけば、賑やかな大通りを避け、裏路地へと入っていた。
暗い場所の方が、今の俺には落ち着いた。
「……どこに行こう」
自問自答しても、答えは出ない。
指示を失った俺は、ただの空っぽな人間だ。
俺は幽霊のように、当てもなく夜の町をさまよい続けた。
手に握った金貨の重みだけが、俺がまだ生きていることを教えていた。
「こんな追放のされ方、よく聞くけど、俺がこうなるとはな……」
「……ひっ、ご、ご勘弁を! これだけは、これだけは勘弁してください……っ!」
老人が荷車の影でガタガタと震え、両手で頭を覆った。
絶望に染まったその視界には、もう俺の姿も、ごろつきたちの下卑た笑いも映っていない。
「うるせえんだよジジイ! 命が惜しけりゃ、その薄汚い袋をさっさと寄こせ!」
リーダー格の男が怒鳴り、腰の重苦しい鉈を引き抜く。
治安の悪い場所ではありがちなこと。
いつもの俺なら無視していただろう。
だが、この時の俺には多少の苛立ちがあった。
「ちっ、むかつく奴らだ」
俺は、ポケットから「それ」を取り出した。
銀色に鈍く光る、安物の先割れスプーン。
これでも、俺の天賦の才能が『暗殺』だと判明した時、冒険者ギルドから与えられた暗器だ。
俺が持っている唯一の武器。俺のすべてを知る、唯一の相棒だ。
「……あ?」
男が異変に気づいた時には、俺はすでにその懐に潜り込んでいた。
「あ、すみません。ちょっと、そこを通りますね」
左手で男の口を優しく、だが鉄の枷のように塞ぐ。
同時に、右手で逆手に持ったスプーンを、喉仏の真下――骨の隙間にある「急所」へ向けて、一点に力を集中させ突き立てた。
プツリ、と嫌な手応え。
三股に分かれた先端が、正確に気道と頸動脈を深く抉る。
「……ッ、…………」
声にならない震え。俺はその巨体を抱きかかえるようにして、音もなく地面へ下ろした。
老人はまだ、固く目を瞑っている。
「な、なんだ!? お頭、急にどうしちまったんだよ!」
「おい、しっかりしろ! お前、何をした!」
異変を察した残りの二人が振り返る。
だが、俺はもうそこにはいない。
「……こっちですよ」
「なっ、後ろか! 死ねぇッ!」
一人目の男の真後ろに立ち、スプーンの柄の端を掌で叩く。
後頭部の盆の窪へ、硬い銀色が深く沈み込んだ。
「……が、はっ」
男は糸が切れたように膝を突いた。
俺は倒れゆくその体を利用して、最後の一人の視界を遮りながら接近する。
「ひ、ひぃっ! 化け物だ、お前、何者だ!?」
「ただのF級ですよ。……ごめんなさい。これで、混ぜるのが得意なんです」
俺はいつもの、情けない笑みを浮かべた。
次の瞬間、スプーンの先端を男の眼窩の奥、脳へと続く最短ルートへ一突き。
引き抜く際、血が飛ばないように計算された、完璧な角度。
三つの死体が、まるで最初からそこで昼寝でもしていたかのように、静かに横たわった。
「……あ、あの……。旅の方……? もう、いらっしゃらないのですか……?」
老人が恐る恐る目を開けた。
俺はすでに血を拭ったスプーンを隠し、散らばった薬草の袋を拾い集めていた。
「大丈夫ですよ。おじいさん、怪我はないですか?」
「え……? あ、ああ……。奴らは、奴らはどこへ……?」
「彼ら、急に『今日はこれくらいにしてやる』って、あっちへ走っていきましたよ。変な人たちでしたね」
「左様ですか……。ああ、助かりました……本当に、ありがとうございます……っ」
老人は呆然と、誰もいない路地の先を見つめている。
足元に転がっている「動かない塊」には気づかない。
俺の『暗殺』スキルは、死体さえも風景の一部に変えてしまう。
「さあ、今のうちに。そのお薬、娘さんに届けてあげてください」
老人がよろよろと、何度も頭を下げながら去っていく。
俺は一人、静まり返った路地で、ふぅ、と息を吐いた。
「……さて。洗い物は、誰かに任せようかな」
手入れの行き届いた『白銀の荒鷲』の聖剣に比べれば、この先割れスプーンはあまりに滑稽だ。
でも、今の俺にはこれで十分だった。
冒険者パーティーにいては、かえってできないこと。
それをこれからの稼業にするのも悪くない。
俺は汚れていない袖を払い、再び夜の闇へと溶け込んでいった。




