9話 王家の呪い
「レティシア、ねえ。このお菓子も食べてみて。美味しいわ」
王宮のレティシアの部屋で、そう楽しそうに話しかけてくるのは、マデリーンだ。近年めきめきと力をつけてきている新興貴族、エイミス子爵家のご令嬢である。
レティシアがまだカトレア森でオースティンと共に暮らしていたころ、マデリーンは魔法の依頼でその家を訪れ、レティシアと出会い親しくなった。
レティシアは先日、アンドレアスと共に王都で開催されている祭りに遊びに行った。そのときに偶然、マデリーンと再会したのだ。
マデリーンは大いに喜び、それからは彼女の父が仕事で王宮を訪れる度に同行し、父が用を済ませている間に、お茶菓子を持ってレティシアを訪ねてくるようになった。
「そういえば、マデリーン。……ビビの行方は結局わからないわよね」
「……うん。私もいろいろ調べてみたけど、やっぱり見つからなかったわ」
マデリーンは悲しそうに答えた。
ビビとは、マデリーンと共に、一時期あのカトレア森で仲良くしていた少女である。貴族の家に仕えていた従者で、女ながら剣を扱い、雇い主の護衛のような仕事もしていた。三年前、カトレア森でとある事件が発生し、それが原因でビビは解雇され、行方知らずとなってしまった。それきり、ビビとは会えていなかった。
コンコンと部屋の扉が叩かれ、間を空かずに扉が開いた。入ってきたのはアンドレアスだ。レティシアが慌てて立ち上がる。
「アンディ様、どうかされましたか?」
「今日午後は空いているか?」
「午後は一時間だけ古語の授業がありますが、その後は空いています」
「わかった。では、終わり次第、連れて行きたいところがある。また来る」
「承知しました」
アンドレアスはマデリーンに視線をやると、「マデリーン嬢、来ていたのか」と微笑んだ。
「は、はい! 殿下!」
「ゆっくりしていけ」
扉が閉められたと同時に、マデリーンがほうっと溜め息を吐いた。
「殿下、わざわざご自分でレティシアを訪ねてきて……。レティシアのために教育係をつけたり、よく授業の進捗状況を気にして見に来ているようだし……」
ぶつぶつとつぶやくマデリーンに、レティシアは首をかしげた。
「レティシア、私は殿下とレティシアのことを応援しているからね!!」
「はあ……?」
マデリーンは頬を紅潮させ、目には涙を滲ませて、レティシアの両手を握った。
「殿下とレティシアはとってもお似合いよ!」
力強く言うマデリーンに、レティシアは一瞬硬直したが、すぐにコホンと咳をした。
「何を言ってるの? ……ありえないわ」
先日、グレンから直々に忠告されたばかりである。レティシアは軽く流そうとしたが、続くマデリーンの言葉に心臓が飛び出そうになった。
「なぜ? 絶対に殿下はレティシアのことが好きよ!?」
「はあ……? ちょ、待って……」
レティシアは顔を赤くして、「何を根拠に……?」と小さい声で訊いた。
「だって! レティシアは殿下の命を救ったのよ。それに、こんなに綺麗なんだし。私が殿下なら絶対に好きになってるわ!!」
「な、何それ……」
「私と再会した祭りのときだって、あんなに仲良さそうにしてたじゃない! あれで何もないってことある?」
「……」
まくし立てるマデリーンにより、先日、王都の祭りへアンドレアスと一緒に遊びに行ったときのことを思い出す。
(確かに……アンディ様はいつも私に優しくしてくれる……)
祭りを案内してくれ、一緒に楽しく過ごして、そのうえ服やアクセサリーまで贈ってくれた。
「おしゃれをしたことがない」と告げたレティシアに対し、「これからはしていけ。君は何でも似合う」と言ってくれたのだ。
あの日のことを考えると、レティシアの胸の奥は、じんわりと温かくなる。
――だが、それを打ち消すようにグレンの顔が浮かんだ。
「……アンディ様はご厚意で私に優しくしてくれてるだけよ」
レティシアは努めて冷静に答えた。
すると、何かを閃いたようにマデリーンが言った。
「もしかして――レティシアは他に好きな人がいるの?」
「え?」
「ま、まさか、オースティン様……!?」
ハッとしたように手を口元で押さえ、マデリーンはつぶやいた。
「確かにオースティン様は絶世の美男よね……私、初めて見たときは腰を抜かしたし……。少しぶっきらぼうなのが玉に瑕ではあるけど、めちゃくちゃいい男なのは間違いないわ」
マデリーンは合点がいったとばかりに、ぶるぶると体を震わせ、両腕で自分を抱きしめた。
「まさか。そんなわけないでしょ」
(というか、絶世の美男って……。その形容が相応しいのはアンディ様じゃない……?)
つまらないわね……、と残念そうな顔をするマデリーンを尻目に、レティシアはそんなことを考えていた。
講師の授業が終わる時間に、約束通りアンドレアスは部屋まで迎えにきた。彼に連れられて向かった先は、王宮の一室だった。
「いらっしゃい、アンディ」
中でベッドから体を起こし出迎えてくれたのは、黒髪で黒い瞳、口元の右下に黒子がある若い女性。
「具合はいかがですか?」
「ええ、平気よ」
「レティシア、こちら、私の姉のイザベラ王女だ」
そうアンドレアスから女性を紹介され、レティシアは慌てて頭を下げ、挨拶をした。
病床に伏せっていたのか、少し具合が悪そうに見える。体も折れそうなほどに細い。しかしさすが王族とも言うべきか、全身から気品があふれていた。
(……アンディ様にそっくり。お美しい方だわ)
イザベラがアンドレアスに目配せすると、彼は部屋の外に出て行ってしまった。いきなりイザベラとの二人きりにされたレティシアは、心細さに思わず背筋が強張った。
「まあまあ、アンディの言っていた通り、とても可愛いわ! お人形さんみたいね」
「あ……ありがとうございます」
アンドレアスが言っていた、という言葉にレティシアの胸がドキリと鳴った。
イザベラはもっとこっちに来て、とレティシアを手招きしたので、一歩近づき、彼女との距離を詰めた。
「アンディに頼んで、貴女を呼んでもらったの。話したかったから」
「私と、ですか……?」
「ええ、アンディのこと。本当にありがとう」
イザベラは美しい笑顔を浮かべた。
「……私が、王になりたくなかったこと、聞いているかしら?」
レティシアは一瞬迷ったあと、こくんとうなずいた。
「私は昔からお母様やお祖母様、歴代の女王たちとは違うって自覚していたわ。臆病だし、頭だって特別いいわけじゃない。国を引っ張っていく器ではないの」
イザベラが自嘲するように続けた。
「とうとうプレッシャーに耐え切れなくて、婚約者とは別の男性と駆け落ち騒ぎなんて起こして、無理やり王位継承権を放棄したわ。……今となっては色んな人たちに迷惑をかけて、反省してる」
幸いにも、駆け落ち相手の男爵令息はイザベラが無理矢理協力させたとして目立ったお咎めはなかった。婚約者だったジーニー侯爵令息とは多少揉めたが、王家が婚約破棄の慰謝料を払い示談は済んだ、とレティシアは聞いていた。
「私が身勝手なことをしたせいで少なからず王家の不信に繋がったわ。アンディが呪われたままだったら、王位の座をめぐって争いが起きてもおかしくなかった。……レティシアのおかげよ。本当にありがとう」
それが言いたかったの。と、イザベラはレティシアの手を取り微笑んだ。
「私ね、度々離宮に訪れてアンディに「なんで貴方が王位を継がないの? 何で貴方は呪われているのかしら?」ってよく愚痴を言っていたの。……あの子が一番苦しんでいるはずなのに」
イザベラはうつむく。
「ある日ね、私、ヒートアップしちゃって、離宮で自殺未遂騒ぎなんて起こしちゃったの。バルコニーから飛び降りて死んでやる! って。……それであの子、慌てたのね。私を落ち着かせたあと、グレンに見張らせて、自分は急いで魔導士オースティンがいると言う噂の場所へ、側近も連れず向かったのよ。そこで、貴女と出会った」
イザベラの告白にレティシアは目を見開いた。
(アンディ様……)
アンドレアスが言った「時間がなかった」とは自分の命のことではなく、イザベラのことだったのか。
「わがままなのはわかっているわ。でも、私は本当に王になりたくなかった。……だって、王になれば私が産んだ男子は絶対に呪われているもの。……それが、どうしても耐えられなかったの」
イザベラの漆黒の瞳はまるで暗い空洞のようで、レティシアは寒気がした。
……マチルダの呪い。
この王家では、男に生まれても女に生まれても苦しむのだ、とレティシアは悟った。
「レティシア」
イザベラの部屋から出ると、近くで待機していたアンドレアスが、声をかけてきた。
レティシアは、アンドレアスの顔を見て、「アンディ様は、王位を継ぎたかったですか?」と訊いた。彼はわずかに驚いた表情を浮かべたが、静かに口を開いた。
「……正直、そんな気はなかった。成人まで生きられないことは幼少のころより教えられていたからな。……しかし、姉が苦しんでいるのを見ていられなかった」
その言葉を聞き、レティシアは今まで以上に王家の呪いを何とかしたい、と強く感じた。
「今、アンディ様が子供を作ったら、どうなるのでしょうか」
「……はっ?」
ふと、レティシアは思ったことを口に出した。
「まだ王を継ぐ前に産まれたご子息は呪われているのですか?」
この百年、女王が王女のときに子供を持ったケースはあるのだろうか。その場合、その子息は呪われて産まれてくるのか?それとも、王女が正式に女王になったとき、子息は呪われるのだろうか。
呪いの発動条件が知りたい。
目の前のアンドレアスは、頬を赤くしつつ、答えた。
「…………私の祖母に当たる先代女王は、王女のときに王子を出産したが、彼女が王位を継いだときにその王子に呪痕が現れ、その王子は成人前に亡くなっている」
「となると、アンディ様が王子の段階でご子息ができても、アンディ様が王を継いだ時点で結局ご子息は呪われてしまうのですね」
やっかいな呪いである。
なぜ、魔女マチルダは呪いの対象を「男子」に限定したのか?
理由は簡単に推測できた。もともと歴史上、ユハディーア国では男子が王位を継いでいた。てっとり早く王子を呪うことで王家の血筋を途絶えさせたかったのだろう。しかし、ここ何代もの女王が有能揃いで、こうして王家は滅びることもなく現代も続いている。
「……どのみち、完全に呪いが解かれないうちは、妃も子供も持つつもりはない」
考え込んでいるレティシアに向かって、アンドレアスが硬い声で言った。
「そうですか……」
オースティンがこの王宮に来る日が、刻々と迫っている。
無事に彼が王家の呪いを解き、またあの山奥の家に戻る自分を、レティシアは想像する。その後、噂でアンドレアスの結婚を知り、子供の誕生も知るのだろうか。
先ほどまで、王家の呪いを解きたいと強く願っていたはずなのに、途端にレティシアは胸に圧迫感を感じた。
アンドレアスは今の教育が終わり次第、立太子される。すでに全国の貴族たちが娘を王子妃に、と名乗りをあげてきている、ということをレティシアは噂で聞いていた。
(アンディ様の妃になられるのはどんな方だろう……)
そんな考えが頭をよぎったが、すぐに自分には関係ない、とその思いを振り払い、心の奥へ押し込めた。




