4話 時間操作魔法
※残酷な描写注意
両腕を解放されたアンドレアスは、レティシアから渡されたお茶を一口飲んだ。
「見てください、殿下。呪痕も剥がれ落ちてきて、新しい肌が見えています。……このまま、解呪できているといいのですが」
「ああ……。本当にありがとう、レティシア……!」
アンドレアスは感極まったのか、レティシアの両手を上からそっと包み込んだ。
――上半身裸の王子に、手を握られている。
上半身を裸にしたのは自分なのに、レティシアはこの状況の奇妙さに一瞬沈黙した。
何も言えないで握られた手を見つめていると、アンドレアスはぱっとそれを離し、少し赤い顔で「すまない」と言った。レティシアはなんだか恥ずかしいような、むず痒いような妙な感覚になり、それを振り払うように立ち上がった。
ひと仕事終えたら、お腹が空いた。深夜ではあるが、レティシアは小腹を満たすために何か作ろうと思い立った。アンドレアスに訊くと、彼も食べるという。
キッチンでさっと作ったものを二人分の器に注ぎ、「熱いので気をつけてください」とスプーンと共に渡した。器を受け取るアンドレアスの骨ばった手を見て、レティシアは少しだけ落ち着かない気持ちになった。
「これは?」
「トマトリゾットです」
「……さっきのスープにもトマトが大量に入っていたな」
確かに、先ほど作ったスープもトマトスープだった。
「ああ、村の青果店のおばさんが気を使ってたくさんくれたのです。トマトは師匠の好物なので」
「……オースティン殿の?」
「はい。師匠、よく「俺はトマトがあれば生きていける」って言うんですよ」
レティシアは肩をすくめた。
「何が食べたいか訊くと、トマトサラダなのです。腕が鳴りません」
笑いながら軽い愚痴をこぼすと、アンドレアスはスプーンを口に運びながら、わずかに眉を寄せた。その手が、ほんの一瞬止まる。
「――オースティン殿は、非常に優れた魔法使いというだけでなく、貴族も平民も分け隔てなく接する人格者……という評判は聞くが、当たっているか?」
アンドレアスがそう尋ねると、レティシアはうーんと首を傾げた。
「人格者かどうかはわかりませんが……そうですね……困っている人をほっとけない、優しい人ですよ」
なにせ、死にかけていたレティシアを拾い、魔法の使い方を教えてくれ、今まで育ててくれた人なのだ。オースティンには感謝してもしきれない。
「……百年以上生きているが、青年時の姿を保っているらしいな。それも彼の魔法か?」
「いえ、魔法ではなく……殿下は、ホルルン村龍災をご存知でしょうか?」
「もちろんだ。王歴四百十二年――今から九十五年前、元辺境伯領のホルルン村にて、龍の災いにより、村人たちが次々と死んでいった。その龍を魔導士オースティンが討伐した」
オースティンの数ある功績の中でも、特に知られているものの一つだ。
「はい。……しかし、記録では龍を討伐したとなっていますが、実際は違います。師匠は龍を殺していません」
「何?」
アンドレアスは目を丸くする。
「龍は、悪い魔法使いに操られただけだったそうです。師匠はその洗脳を解き、解放しました。――そして、龍と友となり、その涙を浴び、今の体を手に入れたと言っていました」
龍の涙には、不老長寿の力があると古くより伝わる。
「龍は寿命が長い生き物ですから、共に生きる友情の証として」
「……なんと……初めて知った」
「初日に殿下に使った痛み止めも、原材料にその龍の鱗を使っているのですよ」
その痛み止めもアンドレアスに使ったのが最後であったが、またオースティンが龍から鱗を貰ってきてくれるはずだ。
レティシアは、この龍とはオースティンから紹介され、数回会ったことがある。美しい真っ白の体を持つ立派な白龍で、その瞳と髭は紫色だった。龍相手におかしい話だが、レティシアがこっそり親近感を覚えていたのは秘密だ。
食事が終わったあとも、アンドレアスは眠れないのか、レティシアにぽつぽつと話を振ってきた。
年齢は? 出身地は? いつからオースティンに師事を受けているのか――
レティシアは生家や髪、瞳については隠しながら、それ以外のことは素直に話した。
年齢は十七歳で、出身は南の方。七年前、王都の祭りに行ったときに賊に誘拐され、命からがら抜け出した。しばらく貧民街で暮らしていたが、そこも追い出され、さまよって死にかけていたところをオースティンに助けられた。それから彼の弟子になり、魔法を学ばせてもらっている、と。
「誘拐」という言葉に、アンドレアスが眉を寄せた。
「……この国で人身売買が蔓延っているのは不徳の致すところだ。君もその犠牲者の一人だったのか。すまない」
真剣な顔でそう謝るアンドレアスに、レティシアは少し驚いた。
「……以前、貴族の少女が王都の祭りで行方不明になった事件があった。未だ見つかっておらず、誘拐だとの見方が濃厚だ。そのこともあり、国も取り締まりには力を入れている」
レティシアはぎくりとした。顔が強張る。
……貴族の少女とは、もしかして。
「ま、まあ……。私は事なきを得ましたし、一緒に捕まった子たちも逃げられたはずなので、大丈夫です! そのおかげで師匠とも出会えたし、今は楽しく暮らしています」
レティシアは何でもないように笑った。嘘ではなく、本当のことだ。レティシアはオースティンを心底慕っていた。ロブ村の住人も優しい人たちばかりであり、彼女はこの暮らしが気に入っていた。
アンドレアスはぴくりと眉を上げたあと、視線を逸らした。
「…………。君のご実家は? 戻らなくていいのか? ご両親が心配しているだろう」
至極真っ当な指摘に、レティシアは一瞬言葉を詰まらせた。
「……母は私が産んですぐ亡くなり、父とはもともとあまり仲が良くなかったので……心配はしていないと思います」
そもそも、その父に売られたのだが、そのことは言えなかった。
「そうか……」
アンドレアスは複雑な表情を浮かべたが、それ以上追及することはしなかった。
「私と同じ年齢だと言うのに……。レティシアは大変な思いをしてきたのだな。今が平穏なのだったら良かった」
その労わるような優しい眼差しに、レティシアは咄嗟に視線を落とした。なぜか、胸がざわざわと騒ぎ、顔が熱くなる。
「……もう寝ますね」
「ああ、遅くまで付き合わせてしまい悪かった」
おやすみなさい、と言ってレティシアは部屋を出た。オースティンの部屋のベッドに入ったが、なんだかなかなか寝つけず、その夜は何度も寝返りを打つことになった。
――次の日の朝。レティシアとアンドレアスは顔を青くした。
左胸の呪痕が復活していたのだ。
確かに昨日は手応えがあった。呪痕がボロボロと剥け落ちたのは、解呪の証のように思えたのに。
「他に、何か打つ手はあるか? レティシア」
アンドレアスが問う。
「……今夜もまた、呪痕の根を焼き切ってみましょう」
その晩、再び昨晩と同じように炎で呪痕の根を焼いた。呪痕も剥がれた。アンドレアスは痛みに一晩中苦しまずに済んだ。しかし、やはり次の日には呪痕は復活していた。
「何か、他の方法を考えないと……」
やはりマチルダの呪具自体を壊す以外、呪いは解かれないのか。しかし、呪具の在処について何の手がかりもない。
これから先毎晩レティシアが呪痕の根を焼くというのも、あまり現実的ではなかった。
(……時間がないのよね……)
放っておいたらアンドレアスは死んでしまう。
(師匠なら、なんとかできるのかな……)
オースティンの顔を、レティシアは思い浮かべた。百年以上生きている彼なら、呪いを解く方法も知っているに違いない。ひとまず、彼が帰ってくるまで、アンドレアスが延命できる方法を考えることにした。
さらに次の日の晩。
「殿下、上を脱いで横になってください」
「うん」
慣れたもので、アンドレアスはすぐにパジャマの上を脱ぎ、ベッドに横たわった。
「? ……今日はチェーンはいいのか?」
昨日も一昨日も腕をベッドのパイプにチェーンで拘束されたのに、今日はそれをされる様子がなく、アンドレアスは首を傾げた。
「はい、今日は大丈夫です」
そういうと、レティシアは恒例の透視サングラスをかけた。そうして呪痕の根が出現するいつもの場所に、ある魔法をかける。
深夜十二時を幾ばくか過ぎても、いつもの痛みがまったく襲ってこないことに、アンドレアスは困惑したようにレティシアを見た。
「……どういうことだ?」
「時間操作魔法です」
そう、レティシアは言った。
レティシアの得意な魔法は火魔法と、もう一つ、時間操作魔法である。この時間操作魔法には二種類あり、「世界の時間」を操作する魔法と「物体の時間」を操作する魔法が存在する。今回使ったのは後者だ。
物体の大きさは掌幅三つ分程度までと制限はあるものの、最大七日の範囲で、時を逆戻りさせたり、早送りしたり、停止させたりすることができる。
今回、レティシアは呪痕の根が発生する部位自体に「時間を止める」魔法をかけた。時を止めてしまえば、呪痕の根は出現しない。つまり、七日後に再度同じ場所に時間を止める魔法をかけ、それを都度続けていけば、呪いを解けずともアンドレアスは痛みでショック死することもないわけだ。レティシアは魔法の説明をすると、少し目を擦った。
(……疲れた)
唯一の欠点は、この魔法が神経を非常に使うことだ。毎晩呪痕の根を焼き切るという作業を続けていたため、レティシアは疲れきっていた。
「……レティシア、大丈夫か?」
パジャマを羽織ったアンドレアスが、上半身を起こし、調子の悪そうなレティシアを心配そうに覗き込む。
ちょうど、そのときだ。
家の外で怒号が響き渡り、ドアがドンドンと乱暴に叩かれ、ついには蹴り破られた。中に入ってきたのは、数日前に遭遇した二人の盗賊で、さらに数人の仲間を引き連れていた。
「おい、娘。この前の借り、晴らさせてもらうぞ」
「死にかけてた貴族のガキもいるじゃねえか」
盗賊たちは笑みを浮かべた。
(まずいわね…)
普段なら魔法ですぐに撃退できるのだが、今は意識が朦朧としていて、上手く魔法をコントロールできる気がしない。
「ここ、魔法使いの家なんだろう? 薬とか売れそうなもの全部盗っちまおうぜ」
盗賊の一人が棚に並んでいる薬瓶に手をかけた、その瞬間――
「ギッ……ギャアア!!」
(えっ……)
アンドレアスがベッドのそばに置いてあった剣を取ったかと思うと、次の瞬間には盗賊の右腕が宙を舞っていた。
「うわっ!」
「な、なんだ、お前ッ……」
手前にいた盗賊が、大鎌のような武器を振りかぶってきた。アンドレアスは素早く攻撃を避けると、相手の腕を斬り落とした。鎌が床にガランと落ちた。
「ぎゃああ!! 腕が……腕が……」
「俺の腕ェ……俺の腕ェ!!」
利き腕を失い、床に転がり回って泣き叫んでいる盗賊二人。それを見た他の仲間たちは、怖気づいて逃げ出した。
「待て、この二人を連れていけ。腕もな」
最後に逃げ出そうとした盗賊の首根っこを掴み上げ、アンドレアスはそう告げた。その盗賊は半べそをかきながら、腕を失った二人を両肩に抱え、さらに切り落とされた腕を持って退散した。
「……殿下、お強いのですね」
蹴破られて倒れていたドアを持ち上げ、元の場所に嵌め直そうとしているアンドレアスへ、レティシアは声をかけた。
「……呪いを忘れたくて昼間は稽古ばかりしていたからな。剣は好きだ」
「そうなんですね……」
確かに、そのどちらかと言えば中性的な顔に似合わず、鋼のように鍛え抜かれた肉体を、レティシアは何度も目にしていた。アンドレアスの後ろ姿に、レティシアはなんだか胸の鼓動が早くなったのを感じたが、その理由がわからなかった。
(……限界……眠い……)
「? レティシア、おい!」
そこでレティシアは意識を手放した。




