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4話 時間操作魔法

※残酷な描写注意

 

 両腕を解放されたアンドレアスは、レティシアから渡された温かいお茶を一口飲んだ。


「見てください、殿下。呪痕も剥がれ落ちてきて、新しい肌が見えています。……このまま、解呪できていると良いのですが」


 いつもは夜が明けるまでアンドレアスは痛みに苦しむ。現時刻はまだ深夜なのに痛みがないことが、彼にとってはまるで奇跡のように思えた。


「ああ……。本当にありがとう、レティシア」


 アンドレアスは感極まったのか、レティシアの両手を握り、笑顔を向けた。


 ――上半身裸の王子に、手を握られる。上半身を裸にしたのは紛れもなくレティシア自身だったが、この状況の奇妙さに一瞬沈黙した。しかし、嬉しそうなアンドレアスを見て、レティシアはすぐにその表情に引き込まれ、自然と顔を綻ばせた。




 ひと仕事終えたら、お腹が空く。深夜ではあるが、レティシアは小腹を満たすために何か作ろうと思い立った。アンドレアスに聞くと、彼も食べるという。

 キッチンでさっと作ったものを、アンドレアスと自分の分をそれぞれ器に注ぎ、「熱いので気をつけてください」とスプーンと共に渡した。


「これは?」


「トマトリゾットです」


「……先程のスープにもトマトが大量に入っていたな」


「気付きましたか? 村でたくさんもらったんです。トマトは師匠の好物ですから、青果店のおばさんが気を使ってくださって。よく師匠はトマトがあれば生きていける、と言ってるんです。私が日頃手の込んだ料理を作ったりしているのに、何が食べたいか聞くとトマトサラダをリクエストしたり。腕が鳴りませんよ、全く」


 レティシアは口元に笑みを浮かべながら、軽い愚痴を漏らした。


「……オースティン殿は、」


 ふと、アンドレアスが口を開く。


「強力な魔法使いというだけでなく、貴族も平民も分け隔てなく接する人格者……と評判は聞くが、当たっているか?」


「人格者かどうかは分かりませんが……そうですね……困っている人をほっとけない、優しい人ですよ」


 レティシアは柔らかい笑みを浮かべて答えた。何せ、死にかけたレティシアを拾い育て、魔法の使い方まで教えてくれたのだ。感謝してもしきれない。


「……百年以上生きているが、永遠の命を手に入れ青年時の姿を保っているらしいな。それも彼の魔法か?」


「……ああ、それは……殿下はホルルン村龍害事件はご存知でしょうか?」


「もちろんだ。今から九十五年前、元辺境伯領地にあるホルルン村にて、龍が祟りを起こし、村人たちが次々と死んでいった事件だ。その龍を魔導士オースティンが討伐した」


 オースティンがこの国で最高の魔法使いと称される理由の一つだ。


「はい。……しかし、記録では龍を討伐したとなっていますが、実際は違います。師匠は龍を殺していません。龍に二度と人間を襲わないことを約束させ、友情を結びました」


「何?」


「そしてその時、師匠はその龍の涙を浴びたのです。……龍は寿命が長いですから、共に生きる友情の証として」


 龍の涙には、不老長寿の力があると伝わっている。


「初日に殿下に使った痛み止めも、原材料にその龍の鱗を使っているのですよ」


 その痛み止めもアンドレアスに使ったのが最後であったが、またオースティンが龍から鱗を貰ってきてくれるはずだ。

 龍とはオースティンから紹介され、数回会ったのみである。美しい真っ白の体を持つ立派な白龍で、その瞳と髭は紫色だった。


 龍相手に可笑しい話だが、レティシアがこっそり親近感を覚えていたのは秘密だ。



 その後も、アンドレアスは眠れないのか、レティシアに色々と話を振った。


 年齢は? 出身地は? いつからオースティンに師事を受けているのかーー


 レティシアは生家や髪、瞳については隠しながら、それ以外のことは素直に話した。年齢は十七歳で、出身は南の方。七年前、賊に誘拐され、命からがら抜け出し、しばらく貧民街で暮らしていた。しかし、そこも追い出され、彷徨(さまよっ)って死にかけていたところをオースティンに助けられた。それから彼の弟子になり、魔法を学ばせてもらっている、と。


「誘拐」という言葉に、アンドレアスはピクリと眉を上げた。


「……この国で人身売買が蔓延っているのは不徳の致すところだ。君もその犠牲者の一人だったのか。すまない」


 真剣な顔でそう言う彼に、レティシアは少し驚いた。


「……以前、貴族の少女が王都の祭りで行方不明になった事件があった。未だ見つかっておらず、誘拐だとの見方が濃厚だ。そのこともあり、国も取り締まりには力を入れている」


 レティシアはぎくりとした。顔が強張る。


 ……貴族の少女とは、もしかして。


「ま、まあ……。私は事なきを得ましたし、一緒に捕まった子たちも逃げられたはずなので、大丈夫です! そのおかげで師匠とも出会えたし、今は楽しく暮らしています」


 レティシアは何でもないように笑った。嘘ではなく、本当のことだ。オースティンのことを、レティシアは心底慕っているし、ロブ村の住人も優しい人たちばかりである。彼女はこの暮らしが気に入っていた。


 アンドレアスはぴくりと眉を上げた後、視線を逸らした。



「…………。君のご実家は? 戻らなくて良いのか? ご両親が心配しているだろう」


 アンドレアスがそう尋ねてくるので、レティシアは返答に困った。


「……母は私が産んですぐ亡くなり、父とは元々あまり仲が良くなかったので……多分心配はしていないと思います」


 そもそも、その親に売られたのだが、そのことは言えなかった。


「そうか……」


 アンドレアスは複雑な顔をしたが、それ以上追及することはしなかった。


「私と同じ年齢だと言うのに……。レティシアは大変な思いをしてきたのだな。今が平穏なのだったら良かった」


 その労わるような優しい眼差しに、レティシアは咄嗟に合わせていた視線を落とした。なんだか顔が熱くなり、胸がざわざわと騒ぐ。


「……もう寝ますね」


「ああ、遅くまで付き合わせてしまい悪かった」


 おやすみなさい、と言ってレティシアは部屋を出た。オースティンの部屋のベッドに入ったが、何故だか中々寝付けず、一晩中寝返りをうつ羽目になった。





 ――次の日の朝。レティシアとアンドレアスは顔を青くした。


 左胸の呪痕が復活していたのだ。



 ♢♢♢♢♢




(おかしい……)


 確かに昨日は手応えがあった。呪痕がボロボロと剥け落ちたのは、解呪の証のように思えたのに。レティシアは頭を抱えた。


「他に、何か打つ手はあるか? レティシア」


 アンドレアスが問う。


「……今夜もまた、呪痕の根を焼き切ってみましょう」


 その晩、再び昨晩と同じように炎で呪痕の根を焼いた。呪痕も剥がれた。アンドレアスは痛みに一晩中苦しまずに済んだ。


 しかし、やはり次の日には呪痕は復活していた。


「何か、他の方法を考えないと……」


 やはり呪具自体を壊さないと、呪いは解かれないのかもしれない。しかし、それがどんなものなのか、どこにあるのかは全く見当もつかないのが現状だ。


 かと言って、これから先毎晩レティシアが呪痕の根を焼くというのも、あまり現実的ではない。


(……時間がないのよね……)


 放っておいたらアンドレアスは死んでしまう。


(師匠なら、なんとか出来るのかな……)


 オースティンの顔をレティシアは思い浮かべた。


 百年以上生きている彼なら、呪いを解く方法も知っているに違いない。

 ひとまず、オースティンが帰ってくるまで、アンドレアスをなるべく痛みを感じさせずに延命できる方法を考えることにした。


 更に次の日の晩。


「殿下、上を脱いで横になってください」


「うん」


 慣れたもので、アンドレアスはすぐにパジャマの上を脱ぎ、ベッドに横たわる。


「? ……今日はチェーンは良いのか?」


 昨日も一昨日も腕をベッドのパイプにチェーンで拘束されたのに、今日はそれをされる様子がなく、アンドレアスは訝しむ。


「はい、今日は大丈夫です」


 そういうと、レティシアは恒例の透視サングラスをかけた。


 そうして呪痕の根が出現するいつもの場所に、レティシアはある魔法をかけた。


「………」


 深夜十二時を幾ばくか過ぎても、いつもの痛みが全く襲ってこないことに、アンドレアスは気づいた。


「……どういうことだ?」


「時間操作魔法です」


 そう、レティシアは言った。


 レティシアの得意な魔法は火魔法と、もう一つ、時間操作魔法である。この時間操作魔法には二種類あり、『世界の時間』を操作する魔法と『物体の時間』を操作する魔法が存在する。今回使ったのは後者だ。


 物体の大きさは掌幅三つ分程度までと制限はあるものの、最大七日の範囲で、時を逆戻りさせたり、早送りしたり、停止させたりすることができる。例えば、怪我をしたらその傷に七日分の時を早める時間魔法をかければ、軽いものなら治っているだろう。


 今回、レティシアは呪痕の根が発生する部位自体に『時間を止める』魔法をかけた。時を止めてしまえば、呪痕の根は出現しない。つまり、七日後に再度同じ場所に時間を止める魔法をかけ、それを都度続けていけば、呪いを解けずともアンドレアスは痛みでショック死することもないわけだ。


 レティシアは魔法の説明をすると、少し目を擦った。


(……疲れた)


 唯一の欠点は、この魔法が神経を非常に使うことだ。毎晩呪痕の根を焼き切るという作業を続けているため、レティシアは疲れきっていた。


「……レティシア、大丈夫か?」


 上半身を起こし、パジャマを羽織ったアンドレアスが、調子の悪そうなレティシアを心配そうに覗き込む。


 丁度、その時だ。

 家の外で怒号が響き渡り、ドアがドンドンと乱暴に叩かれ、ついには蹴りで壊された。中に乗り込んできたのは、数日前に遭遇した二人の盗賊だった。彼らはさらに数人の仲間を引き連れている。



「おい、娘。この前の借り、晴らさせてもらうぞ」


「死にかけてた貴族のガキもいるじゃねえか」


 盗賊たちは笑みを浮かべる。


(まずいわね…)


 普段ならレティシアの魔法ですぐに撃退できるのだが、今は意識が朦朧としていて、上手く魔法をコントロールできる気がしない。


「ここ、確か魔法使いの家なんだろう? 薬とか売れそうなもの全部盗っちまおうぜ」


 盗賊の一人が棚に並んでいる薬瓶に手をかけた。その瞬間。


「ギッ……ギャアア!!」


(えっ……)


 アンドレアスはベッドの近くに置いてあった自分の剣を取ると、見事な早技で盗賊の右腕を切り落とした。


「うわっ!」


「な、なんだ、お前ッ……」


 手前にいた盗賊が、大きな鎌のような武器を振りかぶってくる。アンドレアスはそれを何なく避け、相手の腕を切り落とした。鎌が床にガランと落ちる。


「ぎゃああ、腕が……腕が……」


「俺の腕ェ……俺の腕ェ!!」


 利き腕を失い、床に転がり回って泣き叫ぶ盗賊が二人。それを見た他の仲間たちは、怖気づいて逃げ出した。


「待て、この二人を連れていけ。腕もな」


 一番最後に逃げ出そうとした盗賊の首根っこを掴み上げ、アンドレアスはそう命令した。

 半べそをかきながら、腕を失った二人を両肩に抱え、その盗賊は腕二本を持って退散した。




「……殿下、お強いのですね」


 蹴破られて床に倒れていたドアを持ち上げ、元の場所に嵌めようとしているアンドレアスに、レティシアは声をかけた。


「……呪いを忘れたくて昼間は稽古ばかりしていたからな。剣は好きだ」


「そうなんですね……」


 確かに、そのどちらかと言えば中性的な顔に似合わず、鋼のように鍛え抜かれた肉体を、レティシアは何度も見ていた。アンドレアスの後ろ姿に、レティシアはなんだか胸の鼓動が早くなったのを感じたが、その理由が分からなかった。


(……限界……眠い……)


「? レティシア、おい!」


 そこでレティシアは意識を手放した。



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