22話 困惑
アンドレアス視点
パーティーの翌日、アンドレアスは病室のベッドで目を覚ました。
「おお、殿下が目を覚まされたぞ!」
「誰か、女王陛下をお呼びしろ!」
アンドレアスを見守っていた医者や看護師たちが、騒がしくなった。
「アンドレアス……!」
シャーロットが部屋に急いで入ってきた。
彼女はアンドレアスの顔を見ると、深く息を吐いた。
「良かった……」
「母上……」
「肝が冷えたぞ。覚えているか? 昨日のパーティーから丸一日が経っているのだ。まったく……自分が主役のパーティーで死にかける者がどこにいる?」
その瞬間、アンドレアスは昨日の出来事を思い出した。
そうだ――解呪記念と王太子就任のパーティーで、突然魔獣が会場を襲い、そして……。
「……っ、レティシア……レティシアは無事ですか!? 母上」
魔獣たちを葬ったあと、突然騎士がレティシアを剣で刺そうとした。咄嗟に体が動き、自分が代わりにその剣を受けた――その後、どうなったのだろうか。
アンドレアスの問いにシャーロットは表情を暗くした。
「ま、まさか……レティシアに何か?」
サッと顔を青くし、アンドレアスは無理やり体を起こした。レティシアを探しに、部屋を出ようとする。
「待て、アンドレアス」
鋭い声がそれを止めた。
「レティシアは……王宮から去った。魔導士オースティンと共にな」
「……オースティン? 彼が現れたのですか?」
「そうだ。アンドレアス、三年前のカトレア森での事件……覚えているか?」
いきなりの問いに、アンドレアスは眉を上げる。
「……はい。森に入ったジーニー侯爵家の嫡男と従者一名が、紫の髪と瞳の魔女に襲撃され、嫡男が亡くなり、従者も怪我を負った事件と記憶していますが」
「あそこには以前、オースティンの住処があった。紫魔女とはレティシアであったという疑いが出ている」
「は……? なぜ、レティシアが?」
アンドレアスは目を丸くする。確かに、以前レティシアがオースティンと共にカトレア森に住んでいたことは知っていたが。
紫魔女と、レティシアが結びつかない。
「レティシアは……あの魔女マチルダと同じ、紫の髪と瞳の持ち主だった。……今までは魔法で偽装していたようだな。あのパーティーの騒ぎで本来の姿に戻っていた」
「……!?」
「オースティンとレティシアの反応を見るに、カトレア森の件、まったくの無関係ではなさそうだった。今日レティシアから話を聞くつもりだったが……まさか逃げるとはな……」
シャーロットは深い溜め息を吐いた。
アンドレアスは理解した。
フローレス侯爵が、レティシアを疎んで理由。
そして、レティシアがパーティーのあと、打ち明けたいと言った秘密。
彼女の髪と瞳のことだったのか。
「……母上。レティシアは私の命の恩人です。短い付き合いですが、彼女の心根の優しさはよく知っています。カトレア森の件は何か誤解があるのでしょう。……髪と瞳のこともそうです。大罪人はマチルダです。マチルダと同じ特徴を持っていたとして、彼女には関係がありません」
紫の髪と瞳を持つ者に、世間が差別的な目を向けることは知っていた。だが、アンドレアスはそれに対して特別に何か思ったこともなかったのだ。風潮を当たり前のように受け流していたことが、今になって悔やまれる。
レティシアは、そのせいで酷い目に遭い、自分の父にまで捨てられてしまったのだ。
「……それだけではない」
シャーロットが硬い声色で言った。
「王宮を去るときに追いかけてきた聖女セレーナを、レティシアは魔法で攻撃したそうだ。……今セレーナは懸命な治療を受けている。助かるか死ぬか瀬戸際の状態だ」
「は……?」
聖女セレーナ――最近北の地で猛威を奮った疫病から人々を救った救世主の少女だ。功績を称えられ、王宮に招かれたセレーナは、アンドレアスの体を蝕んでいた呪いさえも、いとも簡単に解いてみせた。そんな彼女を、レティシアが……攻撃した?
呆然とするアンドレアスに、シャーロットが告げた。
「信じられないなら、セレーナの病室に行ってこい」
♢
アンドレアスは、重い足取りで廊下を歩いた。ある扉の前に立ち、ノブに手をかけたまま一瞬躊躇った。
静まり返った室内。ベッドにはセレーナが伏していて、そのかたわらには従者のスコルが付き添っていた。
スコルはアンドレアスに気づくと、無言で軽く頭を下げる。その表情は険しく、悲痛なものだった。
セレーナの体は、ほとんど認識できないほど変わり果てていた。
彼女の肌は無数の切り傷に覆われ、さらに深い火傷が全身を覆っていた。まるで炎の中に投げ込まれたかのような傷跡――生きているのが不思議に思えるほどだった。
(このような残酷なことをレティシアがやったのか……? 一体なぜ?)
――私は火魔法が得意なんです。
昨日のパーティーでレティシアが言った言葉。記憶の中で燃え盛るように蘇った。
何も言えないまま、アンドレアスは病室を後にした。
♢
アンドレアスは、グレンと共に、レティシアと初めて会ったロブ村の山奥――オースティンの家へと向かった。しかし、そこにはすでにあの家はなかった。
ロブ村に下りて、レティシアと交流のあった村人たちに彼女の行方を知らないか尋ねた。
皆、知らないと答える中、村人の一人が「まさか、レティシアの本当の姿があれだったなんてな……」とつぶやいた。
「……どういうことだ?」
「数日前の明け方、オースティン様が誰かを抱えてここの山へと帰ってきたところを目撃したのです。声をかけたところ、抱えていたのは――いつもと髪色が違いましたが、気を失っているレティシアでした。私は、レティシアのその姿について問いましたが、オースティン様は何も答えず、山の中に消えていきました」
(……気を失っていた……?)
「王太子殿下、レティシアは紫魔女だったのですよね? そんな者がこのロブ村にいたなど……どんな不吉なことが起きるかわかりません」
「ああ、オースティン様も、あんな娘を匿うなど何を考えていたのやら……」
口々に怯えた表情で不安を語る村人たちに、アンドレアスの胸の奥に、不快感がじわりと広がった。
「……そなたたち、レティシアを慕っていたのではないのか?」
「……で、ですが、私たちはレティシアに騙されていたんですよ!」
「本当の姿を知っていたら、私たちはとっくにオースティン様に抗議し、追い出していました!」
自分たちが軽蔑されていると思ったのか、村人たちは赤くなりながらも口々に言った。アンドレアスの胸に、言い知れぬ怒りが込み上げてきた。
――紫の髪と瞳を持っていたからとして、ここまで変わるものなのか。
アンドレアスと同じ気持ちなのか、若い男数人が「散々レティシアに世話になっていた癖に何言ってんだよ!」と怒鳴り、それに「子供は黙っていろ!!」と大人たちが言い返した。喧嘩になりかけたので、アンドレアスが一喝して止めた。
結局誰もオースティンたちの行方を知らないと言うので、途方に暮れながら、村を出ようとした。そのとき、一人の男の子がアンドレアスのそばに寄ってきて、そっと袖を引いた。ジンと名乗るその子は、小声で言った。
「オースティンさまとレティシアお姉ちゃん、ヌマイに行くんだって。訊いたら、こっそり教えてくれたの」
♢
――捨てられた地、ヌマイ。
乾いた風が荒れた大地を吹き抜け、ひび割れた土がどこまでも広がっている。
かつてこの国か、隣国の領土だったのかも曖昧な土地だ。資源もなく誰からも欲しがられず、現在は誰も管理をしていない。ここには、罪人、病人、親に捨てられた戸籍のない者たちが数百人住んでいる、と言われている。
アンドレアスはグレンと共にヌマイに足を踏み入れた。
レティシアは、いた。
紫の髪と瞳の少女を探したら、すぐにわかった。髪色も瞳色もまったく見慣れないが、その美しい顔立ちは紛れもなくレティシアのものだった。
ヌマイは病人が多いらしかった。簡易的に建てられている広い家屋内にあるベッドは、苦しむ人々で埋まっていた。その病人たちをレティシアが看病しているのを、家屋の窓越しに見た。
アンドレアスは安堵した。
さっぱりしていながら、ときに大胆で、真っすぐな優しさを持つ――そんなレティシアに、アンドレアスは惹かれていた。その姿は決して偽りなどではなかった。
看病が一段落したらしく、家屋から出てきたレティシアが、アンドレアスを視界に入れ、目を瞬かせた。
「……レティシア」
アンドレアスが声をかけると、レティシアがビクッと肩を震わせた。咄嗟に頭を両手で覆って髪を隠そうとしたが、すぐに意味がないと気づいたのだろう、手を下ろす。
レティシアは以前より少し、やつれていた。
「……体調、大丈夫かレティシア」
「……はい。殿下」
アンドレアスは眉をぴくりと上げた。
レティシアはこれまでずっと、アンドレアスのことをアンディ様と呼んでいた。アンドレアスが愛称で呼ぶよう頼み、彼女もそれに応えてくれていた。それを彼は嬉しく思っていた。
「……ここは、殿下が来られるようなところではありません。お帰りください」
ぴしゃりと突き放すようにレティシアは言った。後方に控えていたグレンが苛立ったように声を上げた。
「ッなんだと?! レティシア嬢、自分の立場がわかっているのか? 聖女セレーナへの殺人未遂の容疑がかかっているんだぞ! カトレア森の件も含めてとんでもない大罪人だ! まだ女王陛下はこのことを国内に公表していないが、そうなるのも時間の問題だ。大人しく投降するんだな!!」
「グレン、やめろ……!」
グレンの婚約者クレアは、父の不祥事によってフローレス家を立て直すために気を張っていたが、今回の出来事で塞ぎ込んでしまった。
その影響もあってか、グレンはレティシアを睨みつけた。
「……聖女への殺人、未遂ですか?」
レティシアが目を丸くした。
「ああ、そうだよ! セレーナ嬢の従者がそう証言したんだ!」
「そんな、なぜ……」
レティシアは、グレンの言葉の意味が心底わからないという表情を浮かべた。
アンドレアスはそれを見て、心が軽くなった。
レティシアがセレーナを攻撃した……という話は、彼にとってまったくの世迷言にしか思えなかった。
――レティシアでも解けなかった王太子殿下の呪いを聖女セレーナが解いてしまった。セレーナをアンドレアスの妃にしようという声が日に日に大きくなっている。その嫉妬から、レティシアはこのような暴挙を行ったのではないか。
そのような無責任な言葉を王宮で口にする者もいたが、レティシアはそんな人間ではない。何らかの誤解に違いないと、確信していた。
しかし。
次にレティシアの口からこぼれた言葉に、アンドレアスは愕然とした。
「あの女、殺したつもりでしたが……生きていたのですね」




