10話 再会劇
マルティネス公爵家主催の舞踏会の日。
レティシアはアンドレアスから贈られたドレスに身を包み、彼とともに会場である公爵邸宅へと向かう。
公爵邸はまるで王城かと思うほど立派なものであり、レティシアは驚嘆する。
会場内ではお呼ばれしている貴族達がすでに和気藹々と歓談をしていた。
二人の元に一人の女性が歩み寄ってくる。
「殿下、お久しぶりですね。足を運んでいただいてありがとうございます」
艶々の金髪の、少しふくよかな女性である。マルティネス公爵夫人ーーシャーロット女王の妹で、アンドレアスの叔母だ。
「公爵夫人、ご招待ありがとうございます」
アンドレアスが挨拶する。
公爵夫人が、アンドレアスの後ろに立つレティシアに視線を注ぐ。
「夫人、こちらが連れて参りましたレティシアです。……レティシア、こちらマルティネス公爵夫人だ」
「はじめまして、レティシアと申します。公爵夫人、本日はご招待、感謝いたします」
そうレティシアがカーテシーをする。
すると、二人が沈黙したので、レティシアは慌てた。
(……え、何か間違えた? 先生に教えてもらった通りに挨拶したつもりだけど)
授業ではレティシアのカーテシーは褒められていたのだが。レティシアが心の中であたふたしていると、公爵夫人が口を開いた。
「……まあまあまあ! 貴女がレティシアさんね。来て下さってありがとう。ずっとお会いしてみたかったの」
ニコリと夫人が微笑むので、レティシアは安堵した。
「……素敵な子ね。まるで本物の貴族のお嬢さんだわ。……お姉様のあのお話、是非進めましょう」
夫人が何かアンドレアスに囁いたが、レティシアにはよく聞こえなかった。
「レティシアさん、今日は楽しんで。また後ほど、お話ししましょう。では、殿下もまた後で」
そう言って、夫人は他の来賓の元へと向かうためその場を離れた。
舞踏会が始まり、一曲目がスタートする。
「レティシア嬢、私と踊ってくれますか?」
隣に居たアンドレアスに微笑みながら手を差し出され、レティシアは鼓動が早くなるのを感じながら頷きその手を取った。
ダンス講師との特訓の甲斐あり、レティシアはアンドレアスのダンスに付いていく事が出来た。
(ち、近い……)
しかし、すぐ目の前にある端正な顔や、自分の腰を抱く大きい手をやけに意識してしまい、レティシアは頭が沸騰しそうになった。
そして、やけに周囲からの視線も感じる。
なんとか一曲踊り切ることができたが、レティシアは疲れきってしまった。
「レティシア、大丈夫か?」
「は、はい……」
一曲で体力を消耗してしまったレティシアを、アンドレアスは会場の角の方に連れていき、その体調を気遣った。
(なんだか最近私おかしいわ……アンディ様といると動悸が……)
まさか不整脈? この歳で? などとレティシアが考えていると。
貴族男性とその娘と思われる二人が寄ってきた。男性はジーニー侯爵家の当主を名乗り、娘に挨拶をさせる。綺麗な令嬢である。
「どうか殿下、次は娘と踊ってあげてください」
「……勿論です。……レティシア、そこで休んでいろ。……それと、これ」
「?」
レティシアが返事をする間もなく、アンドレアスはリリアと名乗った侯爵令嬢をダンスに誘い、その手を取った。
アンドレアスに手渡されたのは、王家の紋章である鳥がモチーフのデザインが施されたブローチだった。戸惑っていると、アンドレアスがレティシアに視線を向け、自分の胸をトントンと叩く真似をした。
(付けろってこと……?)
レティシアは、おとなしくそのブローチをドレスの胸元に付けた。
二曲目が始まり、レティシアは会場の角から、踊る二人を見た。アンドレアスは勿論、リリアもダンスが上手く、とてもお似合いだ。
周囲の貴族達も、ホウ……と見惚れている。
二人を見ていると、今度はまた違った胸の痛みが襲ったので、レティシアはますます自分の体がおかしくなったのかと不安になった。
「ずるい」「次は私も」とアンドレアスと踊りたそうにしている令嬢達が周囲にいるのに気付き、胸の痛みが治らないレティシアはもうアンドレアス達を視界に入れないことに決めた。
レティシアは場所を移動し軽食が乗っているテーブルに近付くと、飲み物と、食べ物を選び皿に盛った。
この会場で、レティシアのことは、アンドレアスが連れてきた、アンドレアスの呪いを止めている魔法使い……と言うことは、貴族達皆知っている。
そんな存在にうかつに声を掛ける者は中々いないが、今日のレティシアは元々の美貌を侍女達によって念入りに磨かれていて、どの貴族令嬢よりも目立っていた。
先程から周囲の男性陣から視線を浴びているレティシアを、よく思わない令嬢もいる。
「キャッ……!」
レティシアの方へ急接近してきた令嬢が、レティシアの持っていた皿にぶつかり、ドレスの胸部分にパスタが飛び散る。よりによって、イカ墨パスタだ。
「あっ、すみません……!」
「……ひ、酷いわ……私のドレスが……」
その令嬢はドレスを確認すると、わあっと泣いた。無論、ぶつかったのもパスタを被ったのもわざとである。
レティシアも故意だと言うことには気付いたが、再度頭を下げ、謝った。
その令嬢の友人二人が囲み、「ちゃんと前を向いて歩きなさいよ!」「これだから教育を受けてない人は」と悪し様にレティシアを詰った。
「う、ひっく……私のドレス、どうしてくれるの。……貴女、無駄に着飾っているけど、所詮殿下の施しでしょう。魔法使いだか何だか知らないけど、貴族でも何でもない貴女にクリーニング代が払えるの?」
令嬢の喚く声が大きいので、周囲の貴族達がザワザワとし出す。
「……申し訳ありません。これでお許しください」
レティシアはそう言って、令嬢の汚れた胸元に手を近付ける。パッと光が放たれ、あっという間にパスタの痕跡を消し去った。
「えっ、……あ!」
綺麗になった胸元を見て、令嬢は目を丸くする。
初めて見る魔法に、令嬢三人は言葉を失っている。
「一体何があった」
「! ……グレン様」
騒ぎに気付いたのか、グレンが現れ声をかけてきた。
「グレン様……大したことでは……レティシア様が私にぶつかり、パスタがドレスにかかってしまいましたので、少し注意をしていただけですのよ」
「パスタ? どこにパスタが?」
「いや、それは今レティシア様が魔法で……」
しどろもどろに言い訳する令嬢達にグレンが溜め息を付く。
ふいにレティシアのドレスの胸辺りを見て、グレンは別の意味で溜め息を吐きたくなった。
「君達。レティシア嬢は殿下の大切な客人だ。それに……見たまえ、レティシア嬢の付けているブローチを」
「え……? あ!」
ブローチ?
レティシアが首を傾げていると、令嬢達はコホンと咳をすると「な、何でもないですのよ」「オ、オホホ……」そう罰が悪そうな顔をして、そそくさとレティシアから離れていく。
「グレン様、ありがとうございます。助かりました」
「レティシア嬢、殿下と一緒では……? ああ、他のご令嬢とダンスをされているのか。それで君は一人なのだな」
会場の中央で令嬢と踊るアンドレアスを横目で見て、グレンは皮肉な笑みを浮かべる。
「……グレン様こそ。ダンスパートナーを探さないで良いのですか? こういう場は結婚相手を探すには丁度良いと聞きますが……」
レティシアはわざと心配するような表情を作り、グレンを見た。嫌味へのほんの意趣返しだ。
「……心配無用だ。私には既に婚約者がいる」
「あ、そうなのですか」
グレンは今年で二十一歳らしい。確かに、貴族令息なら婚約者が居るのは不思議ではないだろう。
「噂をすれば……クレア! こっちだ」
たった今会場に着いたらしい、会場の扉付近でキョロキョロと辺りを見回しているハニーブラウンの髪の女性を、グレンが呼ぶ。女性はグレンを視界に入れると、笑顔を向けてこちらに歩み寄ってきた。
レティシアはまず『クレア』と言う名に眉を上げ、続いてその女性の顔を見て心臓が跳ね上がった。こちらに向かってくる女性の動きが、まるでスローモーションのように感じられる。
女性はグレンの側に来ると「遅れてごめんなさい、仕事が長引いちゃって」と申し訳なさそうに言う。
「大丈夫だ。……レティシア嬢、こちら私の婚約者のクレア•フローレス侯爵令嬢だ。……クレア、前からレティシア嬢に会ってみたいと言ってただろう」
「はじめまして。クレア•フローレスです。王子殿下を救った聖女様にお目通しが出来るなんて……」
クレアとレティシアの視線がかち合う。心臓が壊れそうなほどバクバクと鳴り、レティシアは思わず踵を返し、その場を駆け出した。
「え?!」
「レティシア嬢……!?」
レティシアはふたりから逃げるように会場内を人を掻き分けて走る。出口だと思って飛び出した場所はバルコニーだった。
何としてもここから逃げ出したくて、バルコニーの手摺りから下を覗く。ドレスを着ていることも構わず、手摺りに足を掛け飛び降りようとしたその時。
後ろから強い力で抱き締められ、引き連られた。
「レティシア?! 何してる!」
レティシアの体を強く抱きしめていたのはアンドレアスであった。
ダンスの休憩タイム中、元の場所に居ないレティシアを探していたアンドレアスはバルコニーに飛び出し、あまつさえそこから下に飛び降りようとするレティシアを発見し、必死に取り押さえたのだ。
「あ、アンディ様……?」
アンドレアスは、背後から抱きしめていたレティシアの体をひっくり返すと、また正面からぎゅっと抱きしめた。ドクンドクンと、アンドレアスの胸から鼓動が聞こえる。
「ここは三階だぞ……死にたいのか」
「……」
耳元で切羽詰まった声で囁かれ、レティシアは何も言えなくなってしまった。
「……貴女、レティシア……?」
追いかけてきたクレアがバルコニーに出てきて、レティシアに声をかけた。
「だからそう紹介しただろう。……レティシア嬢、何故いきなり逃げ出したのだ?」
クレアの後ろに付いてきたグレンが眉を寄せてレティシアを見る。
何も言わないレティシアを訝しみ、アンドレアスは心配そうにレティシアの顔を覗き込んだ。
「どうした? レティシア」
「……あ、その……」
クレアがまた一歩レティシアに近付いた。
「……貴女、レティシアよね? わ、私の、妹の……」
唇を震わすクレアの顔を見て、レティシアの心臓もまた震えた。
先ほどは思わず逃げ出してしまったが、レティシアはクレアのことを慕っていたのは確かだ。
――姉は気付いてくれた。
父と違い、髪色や瞳色が違っても。
レティシアは覚悟を決め、アンドレアスの腕から離れると、深々と礼をして言った。
「お久しぶりです。クレアお姉様」
「……っ! そうよ! 私、クレアよ!! レティシア。ああ、会いたかった!!」
クレアは瞳に涙を浮かべ、レティシアを抱きしめた。
「……これは一体どういうことだ?」
「殿下……。いや、私も何がなんだか……」
展開に付いていけないグレンは汗をかいている。
クレアはレティシアを抱きしめていた手を解くと、アンドレアスに向き直った。
「お……おそれながら、アンドレアス殿下。レティシアは……七年前に行方不明となっていた私の妹です。聖女様がレティシアという名前だということは知っていましたが……ま、まさか妹本人とは……」
嗚咽を漏らしながらのクレアの告白に、アンドレアスは勿論、騒ぎに駆けつけた貴族達も目を見開き驚愕する。
「……七年前のフローレス家次女の行方不明事件……。その少女がレティシアだと言うのか?」
アンドレアスの問いにクレアが頷くと、何処からともなくワッ……と歓声が上がった。
王子を救った美しい少女レティシア。実はその正体が行方知らずの侯爵令嬢だとは。この奇跡のような偶然に貴族達は衝撃を受けた。
先程、レティシアに難癖をつけた令嬢達も呆然としている。
クレアが再度レティシアを抱きしめた。その光景は周囲の胸を打ち、会場の貴族達を感動の渦に巻き込んだのだった。




