1話 紫魔女
ユハディーア王国の南地に領地を持つフローレス侯爵家。
レティシアは、このフローレス家の次女として生を受けた。フローレス家は国でも指折りの名家であり、王家からの信頼も厚い。しかし、彼女の幼少期は決して幸せなものとは言えなかった。
不幸の始まりは、レティシアが国で「不吉」とされ、忌み嫌われ差別されている紫の髪と瞳を持って生まれ落ちたことにあった。
母親はレティシアを出産後に亡くなり、実父であるフローレス侯爵のジェイクは彼女を徹底的に疎んじた。レティシアは屋敷の奥の奥に住まわされ、外に出されることはほとんどなかった。
食事をジェイクと共にすることも許されず、彼女は使用人たちと一緒に料理や掃除、小間使いのような雑務を強いられていた。その生活は、一般的な貴族令嬢のものとはほど遠いものであった。
また、レティシアはしばしば体調を崩した。
その理由は、彼女が『魔力持ち』であったからだ。幼い身には膨大な魔力をうまく処理できず、レティシアは何度も死の淵を彷徨った。
この国では魔力を持って生まれる者は極めて稀であり、国からは重宝される存在とされていた。しかし、レティシアが魔力を持っていると知ったジェイクは、なぜか彼女に対する仕打ちをさらに酷くした。診断を行った医者には大金を渡し、この事実を世間に口外しないように命じたのだった。
レティシアには一人の姉がいる。彼女の名はクレアで、レティシアの五歳年上だ。クレアはレティシアとは異なり、綺麗なハニーブラウンの髪と瞳を持ち、美人だと評判であった。現在、クレアは王都にある貴族学園の寮に入っているため、長期休みの際にしか侯爵家には帰ってこなかった。
この姉は常にレティシアのことを心配しており、ジェイクの所業に対して度々抗議をしていた。
体調を崩して寝込んでいたレティシアを医者に診せるよう懇願したのも、クレアの強い願いであった。ジェイクはこの長女には甘く、クレアが帰省している間だけはレティシアへの態度が少し軟化する。だからこそ、レティシアはよくクレアに「ずっとここに居て」と我儘を言っていた。
レティシアが十歳のとき、突然ジェイクから「王都で祭りがあるから、一緒に行こう」と言われた。うっすらと微笑みを浮かべている父の姿を見て、レティシアの胸には戸惑いと喜びがあふれた。
レティシアの目に映るジェイクは気難しく、いつも眉間にしわを寄せていて、笑顔を見せるのはクレアと話しているときだけだった。彼はこの領地を治める仕事のほかにも、貴族議院で議長を務めたり、貴族たちをまとめる立場の人物であった。気苦労も多いだろうし、こんな不吉な自分に厳しく当たるのも仕方がないと、レティシアは諦めていた。しかし、何の気まぐれか、その微笑みは今、レティシアに向けられている。
(もしかして……昨日の夕食に出した料理が上手くいったからかしら? それとも、先日お父様の病気のご友人への見舞いの品……家令から相談されて私が選んだものだけど、そのことをお父様が知って、私のセンスの良さに感心した……とか?)
レティシアは生来ポジティブな性格であった。
飲み込みが早く器用なため、現在は料理長の右腕としてキッチンで活躍しており、家令の相談相手にもなっていた。
祭りに向かうため、ジェイクから茶髪のウィッグ付きの大きな帽子を被せられ、瞳の色が分からないようにカラーレンズの眼鏡を付けさせられたものの、姉のお下がりのマリーゴールド柄がプリントされた可愛いワンピースを着させてもらい、レティシアは意気揚々と侯爵家の馬車に乗り込んだのだ。
王都の祭りはとても煌びやかで、ろくに外出したことがなかったレティシアは驚き、歓喜し、はしゃぎ回りたい気持ちでいっぱいだった。しかし、あまりに騒ぐのも貴族令嬢としてはしたないと思い、ジェイクの自分への評価が下がる可能性を考えて、なるべく落ち着いて行動するよう努めた。
大通りでは王族のパレードが行われていた。女王と王配、王妹、そして王女と王子が民衆に手を振っている。その華やかさに、レティシアは目を奪われ、感激のあまり息を呑んだ。
女王とその子供たちである王女と王子は黒髪で黒瞳。遠くから見ても、彼らの端正な容姿が際立っていた。
「――お可哀そうに」
ふと、隣にいるジェイクが呟いた。すぐに、彼がアンドレアス王子のことを言っているのだと悟った。
「そうですね。……王子殿下は確か、私と同い年のはず。とても辛く、耐えられることではありません」
レティシアがそう答えると、ジェイクは彼女の顔を見て意外そうに眉を上げた。ジェイクはレティシアに何の教育も施していないからだ。マナーや一般教養を教える家庭教師をつけることもなく、学校に通わせることも考えていなかった。しかし、レティシアは周りの使用人たちと仲が良く、時折帰省するクレアとも会話を交わしていた。そのため、この国の大まかな歴史くらいは理解していたのだ。
――百年前、強大な力を持つ悪い魔女によってユハディーア王家は呪われた。その呪いにより、王家の男子は皆短命であり、例外はない。現に、今の女王・シャーロットの兄弟は全員が成人前に亡くなっている。
アンドレアスは、後十年も生きられないであろう。しかし彼は、自らの運命を知っているだろうに、凛とした表情を崩さずにいた。その姿に、レティシアの心は深く打たれた。民衆の中にも、涙を浮かべる者たちが少なくなかった。
日が暮れ、祭りの喧騒を楽しんだレティシアは、出店でジェイクにイカ焼きを買ってもらった。ジェイクから「少しここにいなさい」と言われ、人気のない路地裏のような場所で一人ポツンと待たされることになった。
しばらくすると、ニコニコと笑みを浮かべた老人がレティシアに近づいてきた。
「お嬢ちゃん、おじさんについておいで」そう声をかけられたが、レティシアはそれを無視した。
しかし、老人は強引に彼女を抱え上げ、路地に停まっていた見知らぬ馬車に乗せてしまった。
(人攫いだ……!)
その瞬間、レティシアは恐怖に襲われ、逃げ出そうとしたが、馬車は急発進し猛スピードで走り出してしまった。
♢♢♢♢♢
レティシアは逃げられないと悟ると、眼鏡を外し、窓からの景色をじっと見つめてこの馬車がどこに向かうのかを確認し続けた。
数時間後、馬車はようやく止まり、彼女が降ろされた場所は王都から遥か遠く離れた辺鄙な村、その林の中にひっそりと佇む小屋だった。手首は縄で拘束されたまま、レティシアは小屋の中に連れ込まれた。
小屋の内部には、彼女と同様に手首を拘束された子供たちが三人いて、皆不安そうな表情を浮かべていた。この子たちもまた、レティシアと同じようにどこかから攫われてきたのだろう。
人攫いの大人が「明日、アジトに連れていくぞ」と話す声が耳に入ってきた。
その夜、レティシアはこっそり他の子供たちにどこから来たのか尋ねた。三人とも、この村からそう遠くない同じ村から連れ去られてきたことが分かった。
小屋の中には、レティシアを連れ去った老人がいて、子供たちの様子をじっと見守っている。玄関の外には、屈強な体格の仲間が一人、見張り役を務めていた。
レティシアは、手首を拘束していた縄を老人に見つからないようにこっそりと外した。
なぜこのような芸当ができるのかというと、時折機嫌の悪いジェイクから屋敷の奥の暗い部屋で手や足を縛られ、折檻を受けていたからだ。折檻が終わると、ジェイクは拘束を解くこともせずに去ってしまうため、使用人が彼女を見つけてくれるまで縛られたまま過ごさなければならなかった。それが少し嫌だと愚痴をこぼしたところ、使用人の中にはなぜか縄抜けが得意な者がいて、そのやり方を教えてくれたのだ。
レティシアは、他の子供たちの拘束もこっそりと解いた。そして、老人に声をかけた。
「おじさん、この子、苦しそうだけど、大丈夫かしら?」
子供の中の一人がうーんうーんと蹲り、呻いている。老人は、せっかく売る商品に瑕疵があってはまずいのか、容態を窺うようにその子の前に腰を落とした。
「今よ!」
レティシアの合図で、他の子供たちが一斉に老人に襲い掛かった。
「いて! いてて、やめろ、こら……」
二人が床に老人を押さえつけ、レティシアともう一人は、自分たちの腕を縛っていた縄で老人の体をぐるぐると縛り、動けないように拘束した。
「何してる!」
ドタバタと音がするのを聞きつけ、外で見張りをしていた男が小屋の中に飛び込んできた。
男はすぐさまレティシアの方に駆け寄り、その首根っこをむんずと掴んだ。体が宙に浮く。
レティシアは、隠し持っていたイカ焼きの串を男の手の甲に勢いよく突き刺した。
「痛えっ!」
男は痛みに声をあげ、レティシアを地面に投げつけた。尻餅をついたレティシアは、「早く逃げて!」と他の子供たちに目線で合図した。レティシアの思惑通り、子供たちはバタバタと小屋から飛び出していく。
「あっ、待ちやがれ……!」
男は追いかけようとしたが、突然動きを止めた。
「……まあ、いいや。お前だけで儲けもんだからな」
そう言って、レティシアを振り返ってニヤリと笑った。
「……私が、高値で売れると?」
「そうだ。お前みたいな上玉の娘はそうそういないからな」
真っ白な肌に、零れそうに大きな瞳、つんと尖った鼻、小さな唇。レティシアは確かに、顔の造作だけなら完璧な美少女と言っても過言ではないほど整った顔立ちをしていた。
「……どうかしら。こんな不吉な見た目をしているのに、わざわざ手元に置きたい奇特な人がいる?」
レティシアは自嘲しながら、帽子を取った。バサリと紫の髪が顕わになる。
「おお、おお。見事な『紫魔女』だな。大丈夫だ、この世にはモノ好きの変態金持ちがたくさんいるさ。……そうそう、貴族というのは世間体を大層気にするらしいな。お前の父親は、お前のような娘は薄気味悪いからいらないって言ってたぜ。二束三文で俺たちに売り払ったんだ」
男は下卑た笑みを浮かべながら言った。レティシアは、まるで後頭部をガツンと殴られたかのような衝撃を受け、目を見開いた。
「う、嘘よ……」
「嘘じゃねえよ。煮るなり焼くなり好きにしろ、とのことだ」
その瞬間、男の手の甲に刺さったままだったイカ焼きの串が、がぼうっと燃え上がった。
「えっ、な、なんだ…?!」
炎は勢いよく男の手や腕に広がっていく。
それはレティシアの魔法が、初めて発動した瞬間だった。
「うわあああ!」と動揺する男から逃げ、レティシアは小屋を飛び出した。
レティシアは、男の言葉を信じたくなかった。父からいくら冷たくされ、虐待のような扱いを受けていても、まさか裏の人間に頼んでまで自分のことを処分しようとしていたとは思いたくなかったのだ。
数日かけて、レティシアはフローレス侯爵家へと辿り着いた。その頃にはせっかくおしゃれをした服もボロボロになり、顔も身体も薄汚れていた。
彼女は門番二人に声をかけた。二人とも訝しげな顔をした後、レティシアだと気付くと慌てた様子で彼女を中に入れた。一人がレティシアの帰宅を伝えるために急いで屋敷内へ入っていく。
しばらくすると戻ってきた門番が、「すみません。入れられないと侯爵様が仰ってます……」と申し訳無さそうに言った。
レティシアは言葉を失い呆然とした後、トボトボと侯爵家を後にした。
――レティシアは知っている。
今から百年前、この国には有名な魔女、マチルダがいた。彼女は紫の髪と瞳を持ち、当時の辺境伯・ザリバン家の当主であり、王家との親交も深かった。しかし、何らかの理由で王家に恨みを抱き、呪いをかけたと伝わる。それが、この国で紫の髪と瞳が嫌われる発端となった。
元々、マチルダはこの国で人気の魔法使いであり、その紫の髪と瞳も美しいと評判だった。しかし、王家を呪った事件によって評価は地に落ち、辺境伯家も没落してしまった。マチルダと同じ容姿の特徴を持つ者は、「マチルダの生まれ変わり」や「紫魔女」と揶揄され、徹底的に畏れられるようになった。その結果、紫の髪と瞳は不吉の代名詞となってしまったのだ。
こんな話がある。マチルダが王家に呪いをかける少し前のことだ。当時のフローレス侯爵家の当主と夫人の間には、なかなか子供ができなかった。そこで当主は、学生時代の知り合いであるエレノアという女性と再会し、関係を持つことになる。エレノアが当主の子を妊娠すると、当主はその子供を無理に奪い、世間には自分と夫人との子として育てることにした。
勿論エレノアは納得できなく散々騒いだため、フローレス家の所業は世間に知れ渡っていたが、皆知らないふりをしていた。結局、エレノアは泣き寝入りするしかなかった。
ところで、そんなエレノアは平民だったが、彼女の腹違いの姉があの魔女マチルダだった。マチルダは落ち込むエレノアを不憫に思い、貴族男性との結婚を手助けしたという。
つまり、マチルダはレティシアにとって高祖伯母にあたる。遠くても血縁関係にあるので、レティシアに髪の色と瞳の色が受け継がれてもそれほど不思議ではない。しかし、由緒正しいフローレス侯爵家にとって、マチルダとの繋がりは忌むべきことであり、マチルダの遺伝子が色濃く出ているレティシアの存在を、父のジェイクは許せないのだ。
フローレス侯爵家を去ったレティシアは、涙を流しながら街を歩いた。
貧民街に辿り着き、しばらくの間、孤児の子供たちと共に暮らしていた。しかし、レティシアの紫の髪と瞳を嫌忌する大人達が、彼女に冷たい態度や暴力を振るうようになった。
最終的には、貧民街で起きた連続窃盗事件の犯人に仕立て上げられてしまい、殺されそうになったところを命からがら逃げ出す羽目になった。こうして、再び次の住処を求めて彷徨うことになった。
街には人の目がある。そこで、レティシアは人目のつかない場所で自給自足の生活をすることを思いついた。
ここから近いのは、広大な土地を持つジーニー侯爵領の外れにあるカトレア森だ。レティシアはこの森の中に入った。木々が生い茂り、日の光がほとんど当たらず、陰鬱な雰囲気が漂っている。この森の奥深くでは昔、非業の死を遂げた女たちの怨霊が出るという噂を街で聞いたことを思い出し、迷ったら二度と出られなくなってしまうのではないかと身震いした。
森に入ったことを少し後悔しながらも、しばらく歩くとふと川のせせらぎが聞こえた。音のする方向へ足を進めると、川のそばに一軒の家を見つけた。さっきまで暗かった森の中に、そこだけ光が差し込んでいるかのようにキラキラと輝いている。
空き家だろうか。それとも、こんなところに人が……?
へとへとになりながら、その家の玄関まで辿り着くと、ノックをしたが何の応答もない。扉を開けようとしたが、鍵が掛かっていて開かなかった。
数日間何も食べておらず、体力も限界に達していたレティシアは、そのままそこで気を失い、倒れてしまった。
結論から言うと、その家はこの国の伝説的な魔導士、オースティンが最近居を移した場所だった。
帰宅したオースティンによって拾われたレティシアは、彼の弟子となり、魔法を学ぶことになる。
――初めて覚えた魔法は、髪の色と瞳の色を変える色彩魔法であった。
初めての長編です。完結まで頑張ります。
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