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『一条山開拓記』閑話:お母様へ妹の事後報告どすえ〜♪

【前書き】


※本エピソード(一条山開墾記)は『Bar風花』本編の設定をベースにしたスピンオフ/パラレルストーリーです。

※本編との時期や時系列に一部独自のアレンジやIF要素を含みます。

※白黒赤三人娘と結社長の賑やかで温かな日常を、どうぞ肩の力を抜いてお楽しみください!


『Bar 風花』での静かな祝杯を終え、夜霧の降りた風花町の平屋へ。

泥と汗にまみれてきた金鏝を枕元に置き、ようやく手に入れた安らぎの中で深く眠る葵。

その寝息を背に受けながら、結は宇治の玉露に湯を差し、手元のスマートフォンをタップします。

画面の向こうは、千年の歴史と政略が渦巻く京都・一条家本邸。

秋の紅葉を愛でていた母・綾乃へと告げられたのは、常識を鮮やかに飛び越える、あまりにも痛快な「事後報告」でした。

今宵は、翡翠色の一滴が放つ清らかな覆い香とともに、母と娘の密やかな企みへとお付き合いくださいませ。

第一章:客間の寝息と翡翠の雫


 『Bar 風花』での温かな祝杯を終えて風花町郊外の平屋へと戻った夜のことだった。

 一条山の清冽な伏流水を沸かした熱い湯船に浸かった葵は六畳の客間へ倒れ込んだ。

 今日から自らの城となった畳の上で泥のように深くけれどたまらなく心地よい眠りに落ちている。

 部屋の隅には丁寧に養生されたスチール製のツールボックスが鎮座している。

 埃ひとつなく手入れされた本焼きの金鏝が障子越しの静かな月光を浴びていた。

 その傍らでは結が東京の渉外ファーム時代から慈しんできた甲斐犬のカイ君と白いフェレットのカモ君が互いの背中を寄せ合って新しい家族を守るように規則正しい寝息を立てている。

 ふすまを音もなく引いてリビングへ戻った結は茶箪笥から小ぶりな南部鉄瓶を取り出した。

 とろ火にかけて静かに白湯を沸かす。

 細かな湯気が立ち上ったところで火を止め湯冷ましへと移して五十度ほどまで温度を落とした。

 小ぶりの宝瓶に横たわるのは宇治の茶農家から取り寄せた最高級玉露の茶葉だ。

 ぬるめの湯が触れた瞬間に固く撚られていた深い緑が息を吹き返すようにほどけていく。

 一分半の静寂の後で宝瓶を傾けると青く澄んだ覆い香がふわりと鼻腔をくすぐった。

 最後の一滴である翡翠のしずくまで静かに茶碗へ注ぎ切る。

 無垢材のローテーブルに腰を下ろした結は手元のスマートフォンを手に取った。

 画面に表示された連絡先はたった一行である。

 『京都 母上』

 数千億規模の国際企業法務を電卓一つで成立させてきた結の指先がわずかに甘えるような柔らかさで画面をタップした。

 呼び出し音が三度鳴る。

 衣擦れの微かな音とともに耳へすっと溶け込むような雅やかで凛とした声が受話口から響いた。




第二章:受話器越しの報告


『……はい結ですか。こんな夜更けに珍しいこと』

「夜分遅くにすんまへんお母様。お加減はいかがどすか?」

『ええ変わりありませんよ。お父様や叔父様方は相変わらずどこぞの代議士の政治資金パーティーだの名門同士の縁談だので大騒ぎしてはりますけれど……私は奥庭の紅葉を愛でながら静かにお茶を点てておりました』

 一条家本邸の奥深くに佇む結の母・綾乃の声だった。

 千年続く名門のしきたりと政略が渦巻く本家の中で唯一幼い頃から結の頭脳を道具として利用しなかった人だ。

 ただ一人の愛娘として抱きしめ風花町へ飛び出す際にも黙って背中を押してくれた。

「お母様が穏やかにお過ごしなら何よりどす」

『それで? 東京の渉外ファームを突然辞めて九州の山奥で林業を始めると言い出したお転婆娘が改まって何の用ですの? 声を聴けば分かりますよ。何かとんでもなく大きな企みを成し遂げた後の声をしてはります』

 母の恐ろしいほどの洞察力に結は思わず上品なタレ目を緩めた。

 温もりを宿した湯呑みを見つめて歌うように告げる。

「ふふっ……さすがはお母様。実はねご報告がおますのえ〜♪」

『なあに?』

「お母様うちに妹ができましたえ〜♪」

『……………………は?』

 受話口の向こうで完全に時が止まった。

 いつも取り乱すことのない母が息を呑んで絶句している気配が電波越しに伝わってくる。

『……結? 今なんとおっしゃいましたの? 妹……?』

「ええ。今日音成町役場に成年養子縁組届を提出いたしましてね。法手続き上はウチが養親となり二十歳の娘さんを正式に一条の戸籍へ迎え入れましたんえ。名前は『一条 葵』。戸籍上はウチの養女けれど実質はウチの大切な妹でお母様にとっても新しい愛娘どすえ〜♪」

『よ養子……!? まぁ……ッ!』

 衣擦れの音が慌ただしく響き母が背筋を正したのが分かった。

『あなた京都の本家にも一言の相談もなく……! いや法的には二十歳を過ぎたあなたの単独行為ですから本家の同意など不要ですけれど……戸籍の上では私の初孫になりますのよ? 相手はいったいどのような方なんですの? どこかの名家のお嬢様? それとも法曹界の……?』

「ううん全然違いますえ」

 結は首を横に振った。

 縁側の向こうに広がる澄み渡る夜空を見上げる。

「高校の土木科を出て軽トラを自分で運転して現場で泥まみれ油まみれになって働いてきた生粋の土木女子どす」

『……土木ですの……?』




第三章:本焼きの金鏝と一条の誇り


「ええ。実家の大手土建屋から男の現場にしがみつく出来損ないや家の恥晒しと虐げられ着る服も道具も奪われそうになっていた子どす。……でもねお母様」

 結の声から冗談の色が消えた。

 静かで深い熱が宿る。

「あの子の道具箱にあった本焼きの金鏝……毎日現場が終わるたびにセメントのノロを完璧に洗い落とし油砥石でバリを落として平滑に整えられ椿油を引かれた本焼きの鏝板を見たときウチの脳内演算が弾き出した答えはひとつどした」

『…………』

「あの子の手はまめが潰れて傷だらけで泥が染み付いて無骨どす。けれど親の歪んだ見栄にも屈せず大地と誠実に向き合ってきたその手はウチの一条の蔵にあるどんな家宝よりも美しかった。平安の昔から土と森を守り川を鎮めてきた一条の誇りを継ぐのにこれ以上の娘はおりまへん」

 受話口の向こうで綾乃は長い沈黙を守っていた。

 やがて深いため息とともにくすくすと忍び笑うような吐息が漏れ聞こえてくる。

『……ふふっあははは……!』

「お母様?」

『堪忍しておくれやす可笑しゅうて……。ああやっぱり結は私の自慢の娘どすなぁ』

 母の声には驚きを通り越した深い慈愛と歓喜が満ちていた。

『権力や財産に群がり血筋ばかり誇って腐りかけている京都の長老たちが見たら泡を吹いて卒倒しそうな話でおます。……でもほんまに素晴らしいわぁ。大地を拓くために家を出たあなたが土に誇りを持つ子を妹に選んだ。それこそが本来の一条の魂やと私も思いますえ。戸籍の上では私の初孫になりますけれどあなたがそこまで惚れ込んだ娘なら私にとっても新しい可愛い愛娘どす』

「お母様……認めてくれはりますか?」

『当たり前やありませんか。……ただひとつだけ心配なのは京都の連中がこのことを嗅ぎつけた時ですけれど……』

 綾乃が少し声を潜めた。

 結は頼もしそうに目を細める。

「ふふっそちらも万全どすえ。もし叔父様方が葵ちゃんに少しでも無礼な真似をしようものならウチの頭に入っている過去三十年分の山林利権裏帳簿を国税庁査察部へプレゼントする手はずになっておりますさかい。それに届出の証人欄には橘栞弁護士の登録職印と……皇グループ会長秘書官・天野里美さんの天野家直系実印が親の仇のように力強く捺されておりますえ」

『……まあ天野の里美さんまで? ふふっそれなら安心どすわ。あのお嬢さんが絡んではるなら一条家如きが逆立ちしたかて手出しはできしまへんえ』

 綾乃は心底楽しそうに笑うと声音を優しい母のものへと戻した。

『葵ちゃんは今どうしてはるの?』

「昨日の今日で心身ともに張り詰めておりましたさかい今は客間ですうすうと可愛い寝息を立てておりますえ」

『そう……たくさん辛い思いをしてきた子なんやね。結あなたが頼れるお姉さんとしてうんと甘えさせて美味しいもんをぎょうさん食べさせてあげるのよ』

「はいお母様」

『葵ちゃんに似合いそうな動きやすくて上等な紬のお着物や風花町の現場でも寒くない暖かい羽織を近いうちに京都から見繕って送りますね。葵ちゃんのサイズを測っておいてちょうだい』

「ふふっ葵ちゃん飛び上がって喜ぶと思いますえ。おおきにお母様」

 通話を終えるとスマートフォンの画面が静かに暗転した。

 少し温度の落ち着いた玉露を一口含む。

 まろやかな出汁のような深い甘みと青い芳香が喉の奥を満たしていった。

 縁側の障子をわずかに開けると凛とした夜風が吹き抜ける。

 一条山の森がざわざわと優しく波打っていた。

「……お母様も公認どすえ葵ちゃん」

 結は夜空に浮かぶ銀の月を仰いだ。

 誰にも邪魔されない自分たちの新しい家の温もりに包まれながら静かに微笑む。

【あとがき】


いつも『一条山開墾記』をお読みいただき、本当にありがとうございます!

今回は、葵を一条の籍へと正式に迎え入れた結が、京都に残る最愛の母・綾乃へと一本の電話を入れる番外編をお届けしました。

理不尽な実家で虐げられ、傷だらけになりながらも土やコンクリートと誠実に向き合ってきた葵の手。

そして、作業が終わるたびにセメントのノロを完璧に落とし、油砥石で研ぎ澄まされて椿油を引かれた本焼きの金鏝。

冷徹な超一流パラリーガルである結が、その無骨な手と道具を一目見た瞬間に「この子こそが一条の誇りを継ぐ娘だ」と見抜いた——あの計算を超えた魂の共鳴が、書いていて本当に愛おしくて堪りませんでした。

そして何より、常識外れな養子縁組の報せを頭ごなしに叱るどころか、「やっぱり結は私の自慢の娘」と笑って受け止めてしまう綾乃の器の深さ。

京都の古臭い権力やしがらみを優雅にいなしつつ、背後では橘栞弁護士の職印と里美秘書官の実印という「絶対に破れない多重結界」が親の仇のように睨みを利かせているあたり、一条山陣営のストレスフリーな防御力も絶好調です(笑)。

土を拓く者、法を司る者、そしてすべてを慈愛で包み込む茶の湯の美学。

離れていても通じ合う母娘の絆と、新しい家族の温もりを少しでも感じていただけたなら幸いです。


「結と綾乃のやりとりにクスッとした!」「葵ちゃん、本当に良い家族に出会えたね!」「里美さんの実印ガードが心強すぎる!」など、少しでも楽しんでいただけましたら、

ページ下部の【☆☆☆☆☆】からのご評価やブックマーク、いいね、温かいご感想などをいただけますと、次のお話を紡ぐ大きな大きな原動力になります!


それでは、次回の一条山でもまたお会いしましょう!

天照(Bar風花)

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