『一条山開拓記』第一話:一条山、始まりの風とスパコン事務員
【前書き】
※本エピソード(一条山開墾記)は『Bar風花』本編の設定をベースにしたスピンオフ/パラレルストーリーです。
※本編との時期・時系列に一部独自のアレンジやIF要素が含まれます。
※白黒赤三人娘と結社長の賑やかな開墾スローライフをお楽しみいただければ幸いです!
夜の静寂に包まれた『Bar風花』のカウンターで、グラスを傾ける穏やかなひととき。
そこから始まったのは、月々一万円で引き受けることになった、風花川の源流に続く豊かでおおらかな裏山のお話でした。
歩くスパコンパラリーガルの結と、頼もしすぎる仲間たち。
木漏れ日と清流のせせらぎが包む手つかずの自然の中へ、いまファーストアタックの第一歩を踏み出します。
秋風薫る一条山の始まりの物語、どうぞごゆっくりお楽しみください。
細い路地の奥、街灯の橙色の光がわずかに届くだけの場所に、ぽつんと暖かな明かりが灯っていた。
重厚なオーク材の扉が、路地の暗がりの中で静かに存在感を醸し出している。
丁寧に磨き上げられた深い茶色の木肌は、年季の入った艶を蓄え、柔らかな光を穏やかに反射していた。
扉の中央に埋め込まれた上質な真鍮のプレートには、繊細な雪の結晶の彫刻とともに『Bar 風花 -kazahana-』の文字が控えめに刻まれていた。
上部に吊るされた古風なランタンが、本物の蝋燭のようなほのかな揺らぎを足元に落としている。
その重い扉を静かに押し開けると、開店直後の店内はまるで時間が止まったかのように澄み切っていた。
程よく空調の効いた空気はひんやりと静かで、心地よいボリュームの音楽が、遠くからそっと流れていた。
古いレコードの針が落とす微かなノイズと、ピアノの最後の音が消えていく余韻のように、空間の中に薄く溶けていく。
入って右手には、立派な鉄刀木の一枚板を丁寧に加工したカウンターが横たわっていた。
深い黒に近い赤褐色の木肌は、直接照明と間接照明の絶妙な層を受けて静かに艶めき、何十年もの年月が刻んだ細かな傷や指の跡が、控えめな光沢となって浮かび上がっている。
カウンターの上には、余計なものは一切置かれていなかった。
バーマットの上にぽつんと置かれた大きなブランデーグラスには水が張られ、一本のバースプーンが静かに差し込まれていた。
その脇に、レモンやライムが盛られた小さな籠がひとつあるだけだった。
「……ふふ。結さん、今日はなんだかとても晴れやかなお顔をしていらっしゃいますね」
カウンターの奥、磨き上げられたバカラのクリスタルグラスをネル生地で静かに拭いていたオーナーバーテンダー・櫻庭美和が、ふんわりとした笑みを浮かべた。
右目がワインレッド、左目がアンバーという神秘的な異色瞳を宿した両目を、柔らかな琥珀色の照明のもとで優しく細めた。
カウンターに七脚ゆったりと並ぶ黒い本革ローチェアー。
そのひとつに腰掛けていた一条結は、おっとりとタレ目を細めて胸にそっと手を当てた。
「分かりますぇ、美和様? 実は今日、わたしの大家さんご夫妻から、とてもすてきなご提案をいただきましてぇ……」
結は、美和が差し出した特製のモクテル——摘みたての和ハーブと無農薬レモンが爽やかに香るグラスにそっと口をつけた。
甘酸っぱい清涼感が口いっぱいに広がり、超並列演算脳のCPUが心地よく冷却されていった。
「大家さんがご高齢で維持管理が難しくなったという、ご自宅の裏手に広がる『お山』……風花川の源流に続くあの山林一帯を、年額十二万円……月々一万円という破格で、手入れ兼管理として貸してくださることになったんですぇ〜♪」
「あらあら……! それはまあ、素敵なお話ですこと」
美和が嬉しそうに目を細めた瞬間、カラン……と静かな音を立てて重いオークの扉が開き、ルポライターの夫・櫻庭天が入ってきた。
「ただいま、美和さん。……あ、一条さん! こんばんは」
「天様、こんばんはどすえ。ちょうど今、大家さんからお山をお借りするお話をしておりましたんえ」
「えっ! あの平屋の裏手にある山林ですか!?」
天は目を輝かせ、吸い寄せられるように結の隣のローチェアーへ腰を下ろした。
「あそこは日当たりもいいですし、程よく樹齢を重ねた立派なクヌギや栗の木、それに竹林もありますよね。自衛隊時代の知識から見ても、あそこの地盤と湧水は最高ですよ! 整備すれば素晴らしい里山になります!」
「ですねぇ〜♪ 橘栞先生にもリーガルチェックをしていただきまして、契約書は隙なしで作成完了いたしましたぁ。……で、ですねぇ。早速明日、お山の現地視察とファーストアタックに行こうと思いまして。天様、もしよろしければ……」
「もちろんです! 僕でよければ重機の手配や伐採のアドバイス、喜んでお手伝いしますよ!」
「おおきに、天様。……あ、それから、頼もしい助っ人たちにも、お声をかけてありますのえ」
結が胸のポケットにそっと手を添えると、そこから焦げ茶と白の綺麗な毛並みを持った小さな顔がひょっこりと覗いた。
フェレットの『カモくん』だ。
風花山の豊かさを司る小妖精の化身であるカモくんは、「きゅっきゅ〜♪」と機嫌よく鼻を鳴らし、結の首元へマフラーのようにするする〜っと巻き付いた。
店内には、どこからともなく微かな桜の花の匂いが満ちていた。
壁の奥まった一角に飾られた、墨と淡い桜色だけで描かれた一枝の絵から静かに漂う香りに包まれながら、夜の静寂の中で小さく乾杯のグラスが鳴った。
翌朝。
快晴の秋空の下、風花町郊外にある一条結の自宅平屋前。
昭和の温もりが残るリフォーム済みの平屋の庭先には、パールホワイトの『ルーミーカスタム』と、カーキタンに全塗装された本格四駆『パジェロイオ』が整然と並んでいた。
「トトトト……ドコドコドコ……バババッ!」
歯切れの良い重低音を響かせて、細い山道から一台のバイクが滑り込んできた。
メタリックディープグリーンに塗られた武骨な『HONDA XR400R』だ。
跨っているのは、タイガーストライプ迷彩のズボンにキャノピージャングルブーツを履き、アースカラーのドカジャンを羽織った女性——白石まひろだった。
「ちわッス、結さん! 朝一番のライン読み、準備万端ッスよ!」
まひろがPRO TREKで時刻を確認し、真鍮製ZIPPOで缶ピーに火をつけた。
バニラに似た甘い煙がふぅと空へ溶けていった。
ドカジャンの胸ポケットからは、珍しい昼行性ニホンモモンガの『モモちん』が「スコッ」と顔を出し、つぶらな瞳で周りを見回した。
「まひろちゃん、おはようございますぇ〜♪ 今朝も頼もしいですねぇ」
結がおっとりとした笑顔で迎えると、パジェロイオの助手席から黒虎毛の甲斐犬・カイくんが「ワンッ!」と元気よく飛び出し、まひろの足元へ尾を振って挨拶に向かった。
その背中には、カモくんがすっと移動してフカフカの毛の中に丸くなっていた。
そこへ、天の運転するサンバートラックが到着した。
助手席から降りてきたのは、首に防音イヤーマフをかけた深雪だった。
フーフーと冷ました焼き芋を、小さな口でモグモグと頬張っている。
「……ん。……天にぃ……結ねぇ……まひろおねぇ……おやま……ガサガサ行く……?」
「ふふ、そうですえ深雪ちゃん。今日はお山の下見と、美味しい湧水と山菜の探索ですよ〜」
「よし! 全員揃いましたね」
天が爽やかに腕をまくった。
「まずは山裾の竹林の状況と、山頂から流れているという小川のルートを確認しましょう!」
「オスッ! 結さん、竹林の伐採ラインと地盤の締まり具合は、ウチのこの東周作・九寸剣鉈で見極めるッスから任せてください!」
まひろが腰のダマスカス剣鉈の柄をポンと叩いた。
胸ポケットのモモちんも「きゅーっ!」と小さな手振りで同意してみせた。
一条山の麓から、うっそうと茂る竹林を抜け、結たちは手つかずの山道へ一歩を踏み出した。
結の超並列演算脳は、足を踏み入れた瞬間から周囲の地形データ、樹木の含水率、日光の傾斜角度、そして地中の水分量をリアルタイムでスキャンし始めていた——演算完了まで、わずか〇・〇四秒。
(……地盤の硬度、申し分なし。竹林の間伐ラインを適切にとれば、コンマワンクラスのミニユンボと、コンマヨンゴークラスの油圧ショベルの二台運用で一気に開墾が進みますねぇ……)
「結さん、見てくださいッス!」
先頭を行くまひろが、手際よく不要な枝を払い、指をさした。
そこには、木漏れ日を反射してキラキラと輝く、どこまでも清らかな小川が流れていた。
山頂の冷涼な湧水源からコンコンと溢れ出し、苔むした岩肌を滑り落ちて、下流の風花川へと注ぐ天然のせせらぎだった。
「……すごい。元々こんなに美しい小川が流れていたんですねぇ」
天が感嘆の声を漏らす。
「……ん。……おみず……すっごく冷たい……」
深雪が小川にしゃがみ込み、透き通った水に小さな手を浸すと、水底から小さな沢ガニが顔を出した。
「あらあら……! 素晴らしいお水どすえ。これなら、自然の勾配を活かして段々ワサビ田やビオトープ池が作れますわ〜♪ 水質を絶対汚さないために、麓のプレハブ拠点にはヒノキ香るバイオトイレを設置するのが最適解ですねぇ」
結の頭の中で、わずか一瞬でバイオトイレの精密な設計図が組み上がっていった。
その時だった。
「きゅっきゅ〜〜ッ!!」
カイくんの背中に乗っていたカモくんが、急に鼻をヒクヒクさせ、ポンと飛び降りるや小川の少し上手にある小さな古びた石の祠の方へと駆け出した。
「あっ、カモくん! 待ちなさいなぁ〜」
結たちがカモくんを追って木立の開けた場所へ出ると——そこには、苔むした小さな石の祠と、その横の木陰に、ちょこんと佇む小さな影があった。
おかっぱ頭に、鮮やかな朱色の小さな着物。
大きな澄んだ瞳で結たちをじーっと見つめていた。
言葉は発しないが、その全身から「山を大切にしてくれる人たちだ」という温かな気配が溢れていた。
山神様——『かみちゃん』だった。
かみちゃんは、結の顔をじっと見上げると、嬉しそうにコクリと小さく頷いた。
結の全身から溢れる温かな慈愛に応えるように、着物の袖から、山で見つけた一番形の整った黄金色の綺麗な栗の実をポトンと差し出してきた。
「あらあら……。可愛い贈り物、おおきにねぇ」
結が優しく腰を落とし、手のひらで栗を受け取っておっとりと微笑むと、かみちゃんはパッと頬を赤く染め、両手で顔を隠してふふっと風のような吐息を漏らした。
「……結ねぇ……おやまの神様……栗、くれた……」
「ああ、山が僕たちを歓迎してくれているみたいですね」
まひろが缶ピーの紫煙を細く吹き出しながら、頼もしく笑った。
「よしっ! 山神様も味方についてくれたことだし、結さん! 明日からコマツの三トン半と、いすゞの三トンダンプで、この一条山を風花町一番の黄金の山に仕上げていくッスよ!!」
「ふふっ、ええ! 葵ちゃんや遥花ちゃんも呼んで、安全第一で楽しくお山を開墾していきましょうねぇ〜♪ ……ホント、うちは幸せやわ〜♪」
山頂から流れる清流のせせらぎと、風花町の爽やかな秋風が、一条山の木々を優しく揺らしていく。
歩くスパコンパラリーガル・一条結と、最高の仲間たちによる『一条山開墾記』が、いま静かに、そして力強く幕を開けたのだった。
【あとがき】
第一話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
静かなBarの夜から一転、秋晴れの空の下での賑やかな現地視察へ……『一条山開墾記』の始まりの一幕をお届けいたしました。
結のスパコン脳による0.04秒の演算と、まひろたちの野生的な頼もしさ、そして可愛らしい山神様『かみちゃん』との心温まる出会い。
ここから重機土木と大自然が織りなす賑やかで温かなスローライフが、本格的に動き出します。
風花町の澄んだ空気感や、これから登場するガチの重機・土木技術のワクワク感を、皆様と一緒に楽しんでいければ嬉しく思います。
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これからも『一条山開墾記』と結たちを、どうぞよろしくお願いいたします。
天照(Bar風花)




