第6話 茶会の言葉
王妃アデライード主催の茶会は王宮の東庭で開かれた。
夜会ほど大きな場ではない。招かれたのは慈善市の準備に関わる若い令嬢とその母親たちが中心だった。庭には白い布を張った小さな天幕が並び、卓の上には焼き菓子と果物の砂糖漬けが置かれている。
慈善市は王家が毎年行う行事の一つだ。貴族や商会から品を募り、売り上げや寄付を孤児院や神殿へ回す。若い令嬢たちは飾りつけや物品管理を手伝い、夫人たちは寄付元への礼状や来賓の案内を担当する。表向きは善意の行事だが実際には家同士の力関係や社交の腕も見られる。
リュシアンはその茶会へ顔を出した。王妃から招かれたわけではない。
だが第一王子が母の茶会へ挨拶に来ること自体は不自然ではなかった。むしろ若い令嬢たちにとっては名誉になる。第二王子オスカーはまだこうした場で王家の顔として立つ年ではない。王妃もその場でリュシアンを拒むことはできなかった。
王妃はリュシアンを見た瞬間わずかに目を細めた。咎めることはない。しかし歓迎している顔でもなかった。
「リュシアン。今日は公務ではなかったはずですが」
「母上が慈善市の準備を進めておられると聞きました。挨拶だけでもと思いまして」
「そうですか」
王妃は短く答えた。
「では皆に余計な気を遣わせないように」
「もちろんです」
リュシアンは笑って礼をした。令嬢たちが次々に膝を折る。
クラリッサ・モントレーもいる。彼女はリュシアンを見ると嬉しそうにし、それからすぐに気まずそうに目を伏せた。前回の袖の件をまだ気にしているのだろう。
そして、エレノア・グレイヴもいた。
今日は濃い青のドレスを着ている。袖は当然裂けていない。腕飾りもない。あの夜の銀細工は修繕に出したままなのかもしれない。
エレノアは王妃の近くで寄付品の一覧を確認していた。手元の紙には商会名、品目、数量が細かく書き込まれている。令嬢というより屋敷の管理人の顔だった。
リュシアンが近づくと彼女は顔を上げた。
「リュシアン殿下」
「グレイヴ嬢。先日の袖は、もう大丈夫か」
「はい。細工師と仕立屋の方に見ていただきました。お騒がせいたしました」
「こちらこそ気を遣わせた」
「殿下がそう仰ることではございません」
丁寧な返答。隙はない。
周囲の令嬢たちが聞いていないふりをしながら耳を向けている。ここで踏み込みすぎればまた噂になる。リュシアンは表情を崩さず、寄付品の一覧へ視線を落とした。
「慈善市の準備を?」
「王妃陛下より物品の分類を任されております」
「領地での経験が役に立つわけだ」
「そうであれば幸いです」
「グレイヴ嬢は帳簿を見るのが好きなのか」
「好き嫌いで考えたことはありません。必要なら見ます」
晴臣ならそう答えそうだなとリュシアンは内心で思った。
前世の男は好き嫌いでは動かなかった。必要かどうか、正しいかどうか、相手がどこで困るか、そういう目で物を見る男だった。目の前の令嬢も甘い言葉で崩れる気配がない。
なら別の言葉を置く。
「グレイヴ嬢」
「はい」
「君は、誰かに似ていると言われたことはあるか」
エレノアの筆先が止まった。ほんの一瞬、だがリュシアンは見た。
「似ている、でございますか」
「ああ。初めて会った時からどこかで見た覚えがあると思っていた」
クラリッサが近くでこちらを見た。王妃も気づいている。それでもリュシアンは続けた。
「不思議なものだ。人は初対面の相手にも過去の誰かを重ねることがある」
エレノアはゆっくりと筆を置いた。
「顔立ちは父方の祖母に似ていると言われます」
「お祖母様に?」
「はい。若い頃の肖像画が屋敷に残っておりますので」
「そうか」
「殿下のご存じの方にも似た者がおりましたか」
返された。リュシアンは口元だけで笑った。
「いたような気がするだけだ」
「ではその方は殿下にとって印象深い方だったのでしょうね」
その言葉にリュシアンの喉の奥が詰まった。印象深い。その程度の言葉で済ませられる相手ではない。
晴臣は自分を殺した男だ。しかしそれをここで言えるはずがない。
「そうだな」
リュシアンは答えた。
「忘れにくい相手だった」
「良い思い出でございましたか」
「どうだろうな」
リュシアンはエレノアを見た。
「相手は自分が正しいと思っていた」
「正しいことは、時に扱いが難しいと思います」
「君もそう思うのか」
「私は正しさを口にする時ほど手元を見た方がいいと思います」
「手元?」
「自分の手が何をしているかです」
リュシアンの指が動いた。前世で手帳を奪おうとした手。袖を裂いた女たちの前で庇うふりをした手。
男から金を受け取った手。今世で王子として令嬢の手を取る手。それらが一瞬だけ重なった。
エレノアはただ茶会の会話として言ったような顔をしている。けれどリュシアンには彼女が分かって言っているように見えた。
「面白いことを言う」
リュシアンは声を抑えた。
「領地で学んだのか」
「帳簿は手元の間違いを隠してくれませんので」
「なるほど」
前世を知らない令嬢として振る舞い逃げ道を作っている。だが言葉の置き方だけはこちらの奥を突いてくる。
リュシアンはさらに踏み込もうとした。その前に王妃が二人の間へ入った。
「エレノア嬢。菓子箱の数について確認したいことがあります」
「はい、王妃陛下」
エレノアはすぐに王妃へ向き直る。リュシアンは一歩下がった。王妃の目が短くこちらを見た。
それ以上話すな、そういう目だった。リュシアンは従うしかなかった。表向きには。
王妃とエレノアは寄付品の一覧を見ながら話し始めた。
「リーヴェ商会からの菓子箱は、十二箱の予定でしたね」
「はい。ただ今朝届いた控えでは九箱となっております」
「三箱足りない」
「商会側は最初から九箱と聞いているようです。確認書には十二箱とございますので、伝達のどこかで混乱があったものと思われます」
「慈善市では孤児院ごとに分ける予定でした。三箱足りないと年少の子どもたちへの分が減りますね」
「はい」
エレノアは紙を一枚めくった。
「代替としてグレイヴ家から蜂蜜菓子を追加することは可能です。ただ箱の形が揃わないため王家からの品として並べるには見栄えが落ちます」
「見栄えも大事です。寄付品は受け取る側だけでなく、出す側の名も背負います」
「承知しております」
王妃は考えた。その場にいた令嬢たちも会話を聞いている。慈善市の準備としては自然な話題だ。しかしリュシアンには別のものに見えた。
三箱足りない。数が混乱していて誰が補うかが問題になる。
こういう場では誰かが「それなら私が」と言えば美談になる。王子が言えばなおさらだ。菓子箱三箱など王子にとって大した負担ではない。ここで申し出れば先日の袖の件も柔らかく見えるだろう。慈善心のある王子として。
だがそれは誘導ではないか。リュシアンはエレノアを見た。彼女は王妃にだけ向き合っている。
リュシアンへ視線を向けない。だからこそこちらが勝手に考えているように見える。王妃が言った。
「リュシアン」
「はい」
「あなたならどのようにしますか」
やはり来た。リュシアンはわずかに笑う。王妃の問いは自然だ。逃げ道を与えるというより、公の場で王子としての答えを求める問いかけ。
慈善市に顔を出した王子へ意見を求めただけ。だがこの流れを作ったのは誰だ。エレノアではないのか。
不足を報告し、王家の見栄えに触れ、グレイヴ家の代替案を出す。そこまで整えられれば王子は言いやすくなる。私が補いましょう、と。
言えば美談、言わなければ王子が菓子箱三箱を惜しんだようにも見える。リュシアンは前世の自分がよく作った場を思い出した。
相手が自分から言ったことにする。お願いしていない。相手が申し出た。
自分から申し出るしかない流れに今の自分が置かれている。
「不足分については」
リュシアンは言った。令嬢たちの視線が集まる。
「王家の備蓄から整えればよいでしょう。寄付の名は王妃陛下で」
王妃の眉がわずかに動いた。エレノアもリュシアンを見た。リュシアンは続ける。
「私個人が補えばリーヴェ商会の不手際を曖昧にしてしまいます。商会には確認を取り、王家としては受け取る子どもたちに不足が出ないようにする。その方が筋が通るかと」
令嬢たちの視線が寄付品の一覧へ戻った。クラリッサが感心したように頷く。
「殿下のお考えもっともでございますね」
王妃も頷いた。
「そうしましょう。リーヴェ商会には確認を。備蓄から同じ大きさの箱を三つ用意します」
「かしこまりました」
エレノアは紙に書き込んだ。その表情に乱れはない。リュシアンはその表情を観察している。
失敗したのか。いや、そもそも仕掛けではなかったのか。菓子箱の不足は本当に商会の混乱で、エレノアはただ報告しただけなのか。
そう考えかけてすぐに打ち消す。違う。あの令嬢はこちらが疑うことまで計算している。
自分が申し出れば「王子が自ら補った」になる。申し出なければ「王子は冷静に処理した」になる。どちらに転んでもエレノアには損がない。
そしてリュシアンは自分が深読みしているのかもしれないと思わされる。これも手の一つだとリュシアンは思った。前世の美緒も、そうやって相手を疲れさせた。
事実なのか、仕掛けなのか、相手に判断させ続ける。相手が苛立てばその苛立ちだけが周囲に残る。リュシアンは笑みを保った。
ここで苛立ってはいけない。茶会の終わり際エレノアがリュシアンの近くへ来た。偶然を装ったのか、それとも王妃の指示かは分からない。
「先ほどは殿下のご判断に助けられました」
「礼を言われることではない」
「リーヴェ商会への確認も王家の備蓄からの補充もどちらも必要なことでした」
「君も同じ考えか」
「はい。誰か一人の善意で片づけてしまうと後で記録が曖昧になりますので」
記録、その言葉にリュシアンの背中がこわばった。晴臣も記録を持っていた。
美緒の前に立った時あの男は紙の束か手帳を持っていた。誰が何を言ったか、いつ金が動いたか、どの言葉が切り取られたか。そういうものを地味に集めていた。
エレノアは続けた。
「証拠はあとで誰かが見るものです。最初から分かるようにしておく方が皆のためになります」
リュシアンの耳の奥で前世の音が戻った。証拠、あとで誰かが見る、その言い方まで前世の記憶に触れてくる。
ただの茶会の会話とは思えなかった。
「君は」
リュシアンは低く言った。
「そういう考え方を、誰から学んだ」
エレノアはまっすぐこちらを見た。
「領地の仕事からです」
「本当に?」
「はい」
白を切る。その態度がまたリュシアンを苛立たせた。だがここで詰めるわけにはいかない。周囲には王妃の侍女も令嬢たちもいる。
「グレイヴ嬢はよい管理者になるだろうな」
「侯爵家の娘として、そうあれるよう努めます」
エレノアは礼をした。そのまま離れていく。リュシアンは彼女の背中を見た。
ハーヴェイは今日、茶会場にはいなかった。随員控えにいるのか王宮の外で待っているのかは分からない。エレノアは一人で来て一人で場を動かしているように見える。
やはり見るべきはエレノアだ。晴臣の影があるとすればあの令嬢の中にある。
茶会が終わりリュシアンが自室へ戻るとマルセルがすぐに報告した。
「王妃陛下より殿下が茶会に顔を出されたことについて、後ほどお話があるとのことです」
「母上は早いな」
「殿下」
「分かっている。咎められるのだろう」
「恐れながら、今日は長く話されすぎました」
「挨拶の範囲だ」
「そう見えたかは別です」
リュシアンは上着を脱ぎ、椅子へ掛けた。
「マルセル。リーヴェ商会を調べろ」
「菓子箱の件ですか」
「ああ。九箱と十二箱。誰がどこで数を変えたのか」
「承知しました」
「それとグレイヴ嬢がその情報をいつ知ったかも」
「殿下」
「何だ」
「グレイヴ嬢は王妃陛下へ正式に報告しただけです」
「そう見えるな」
リュシアンは机へ向かった。
「だから調べる」
マルセルは何か言いたそうにしたが結局下がった。リュシアンは引き出しを開ける。紙を取り出し、『茶会』の下へ書き足した。
『菓子箱三箱』
『記録』
『証拠はあとで誰かが見る』
それからペン先を止める。リュシアンにはエレノアが黒瀬美緒のやり方を知っているようにしか見えなかった。
晴臣、なぜお前は今世も同じことをするのか。リュシアンは紙を見ながら思った。
白を切るなら切ればいい。こちらも記録を集める。前世で晴臣がそうしたように。
今世では自分が先に集める。リュシアンは紙を折り、引き出しへ戻して鍵をかけた。




