第2話 諦めるとかそういうんじゃない
たっぷり六時間も交通安全ビデオみたいな面白いものを見せられて視聴覚室を出た。
廊下が一本なのに二本も三本もある。頭がチカチカして線香花火がパチパチしてる。
足はふらふら、思考はぼー、わたしは誰だっけ、わたしはわたしは。
「うっ……」
胃からなにかせりあがってきて、近くにあった手洗い場に駆け込んだ。口内に液が充満して、飛び出していきそうになる。
なるけど、口の中に溜めた。リスみたいにほっぺを膨らませて、出てきたものを飲み込んだ。
液体はコブみたいに喉を降りていって、ゴクンって音を出していた。
「ゔぅ……見たかこのぉ、今日は吐かなかったぞ……」
ぺっと唾を吐いて、手洗い場を離れた。頭を押さえて、また廊下を歩いた。
パチパチと弾ける視界に、今度は青く光る粒子みたいなのが映り始めた。ぼんやりと光って、ちょっと綺麗で、なにか声まで聞こえてきた。
『でもさぁ、そうやって反抗してるつもりでも、このままじゃなんにも変わらないよ。いっそ魔法を使って殺されたほうが清々しいと思うけどなあ』
「うるさい……死んだほうがなんともならな……ん……」
振り向いた。誰もいない。なんか話してた、幻聴、またおかしい。頭が締め付けられる。消えない痛みが残ってる。
誰もいない廊下に言葉をぶちまけた。
「わたしだって魔女になれる……わたしだって……」
壁を叩いた。そのまま寄りかかって、部屋を目指した。幻聴は、もう聞こえてこなかった。
芽衣ちゃん、きっと起きてるだろうな。笑顔に、なっておかないと。
ほとんど森みたいな学校の敷地を通って、寮に帰った。三階まで昇って、自分の部屋の扉を開けると、いきなり、声がした。
「はるかさんっ」
制服姿の芽衣ちゃんが、胸に飛び込んできた。両手を出して、痛くないように受け止めた。
「おっと」
芽衣ちゃんは、わたしの胸元に頭をくっつけている。肩が小刻みに震えていて、ずいぶんと呼吸が荒そうだった。
「ただいま。なんで制服なの、もう十二時回ってるよ」
「だって……だってはるかさんが……おかえりなさい……よかった……」
その声には、涙が混じっている。嗚咽を一回聞くたびに、こっちまで釣られそうになる。
「だいじょうぶだよ。ちょっとお説教食らってただけ、うわ髪ボサボサ、お風呂も入ってないの、まったく、いつも、いつも、心配性なんだから」
せっかくのきれいなショートが台無しだ。髪に艶がない、耳の鈴はムカつくくらいに光ってるのに。
芽衣ちゃんが顔を上げた。目は真っ赤で、口には締まりがなかった。
背中に手が回ってきた、腰にも。腕の熱が伝わってくる。冷えた身体の、ただそのラインだけが暖かくなった。
「辛かったよね。いいんだよ、ここでは、監視カメラなんて気にしないで、はるかさんはっ……はるかさんの……いいから……」
「芽衣ちゃん……」
全身がぽかぽかした。頭に残っていた痛みが、端っこに追いやられた。
目の縁が、ちょっと濡れた。芽衣ちゃんの胸におでこをくっつけそうになった。でも離した、離して、代わりに耳元に口を寄せた。
「わたしは、ほんとうに大丈夫。だって、みんなに夢と希望を与える魔法使いなんだから」
顔を離して、笑顔を見せた。芽衣ちゃんは笑ってくれなかったけれど。
「もう気にしないで、シャワー浴びよ、あ、一緒に入ろっか、そっちのほうが手っ取り早いよね」
「そう、だね」
歯切れは悪いまま、芽衣ちゃんは頷いてくれた。
一旦離れて、夏服のブラウスを脱ごうとしてると、後ろで芽衣ちゃんがつぶやいた。
「……どうしても、諦められないの?」
ぱちり、ぱちりとボタンを外していく。一番下まで外して、スカートのホックにも手を伸ばした。
「こんなこと、ずっと続けてたらはるかさんが壊れちゃう。大人しくしてれば、卒業だって……社会復帰だって認められる、だから」
芽衣ちゃんの声は、そこで途切れた。
少しだけ間をおいて、続きが聞こえてきた。
「……ううん、ごめんなさい。やっぱりなんでもない」
スカートにかかったまま、わたしの手は止まっていた。
魔女はるか、それは諦めるとかそういうことじゃない。
わたしなんだ。




