46 長い夜3
夜会用のドレスとコルセットを脱ぐと、ようやくまともに息ができるようになった。
体型を綺麗に見せる目的なのは理解しているが、そろそろ革新的なコルセットが開発されるべきではないだろうか。もしくはドレスの型が根本的に変われば、窮屈な思いをせずに済むかもしれない。
「ねえ、シェーラ。知ってる? 昔の女性は昼間もコルセットを締めていたのよ。今じゃ夜会の時だけ着けるものになっているけれど。どうせならコルセット自体が廃れてくれたら良かったのに」
「着けないという選択肢はありませんか」
ドレスを片付けながらシェーラが言った。
「最初の一人になるのは、勇気がいるのよ。私だけやっても意味がないわ。何人かで一斉に実行しないと。真似をしたいと思わせるのも必要ね。後に続く人がいれば、一気に廃れると思うわ」
リディアは自分で髪を解いた。身につけていた宝石は、表面を拭いて鍵付きの箱へ戻す。実家にいた頃は当たり前に自分でやっていたことだ。シェーラだけしか連れてきていなくても、何の苦労もなかった。
「お風呂に入りたいけれど……もう一仕事残っている気がするのよね」
「お嬢様。こちらを」
シェーラは厚手の外出着を差し出した。レースなどの装飾はついていないが、生地の織り方で模様を作っている。夜会用のドレスと違って肩や首まで覆われているので、肌寒い夜間には丁度いい。開いている袖口には、カフスボタンを使った。
着替え終わって髪を一つにまとめた。何も言わなくてもシェーラが三つ編みにしてリボンを巻く。
紙の人型を隠し持ってソファに座ったとき、外から誰かがノックをした。クラウスの声がする。シェーラが応対に出ると、二人の女性騎士を紹介してきた。
「追加の護衛だ。昼間にあんなことがあったから、寝室で君を守れる人材を見繕ってきた」
「ありがとうございます。私としてはクラウス様が隣で寝てくださるなら、安心して眠れますわ」
「俺はまだ仕事がある」
つれない返事だ。
「彼女たちは普段、王太子妃の護衛をしているから、貴人の護衛には慣れている」
「それは頼りになりますね」
「色々あって疲れただろう。今夜はゆっくり休んでくれ」
クラウスはそう言って、足早に去っていった。
女性騎士は短髪で長身の方がアレクシア、ポニーテールにしている方がイレーネと名乗った。二人とも革の鎧を身につけ、細剣を腰に下げている。
「お休み前にハーブティーはいかがですか? 私、メイド教育も受けてますから得意なんですよ」
せっかくイレーネが提案してくれたので、頼ることにした。
メイド教育を受けているというのは本当らしく、イレーネは手際よく準備をしていく。
「二人は騎士になって長いの?」
アレクシアに話しかけると、彼女はやや緊張した顔で答えた。
「はい。騎士として先に叙勲されたのはイレーネです。彼女はつい最近までメイド教育を受けておりましたので、職歴としては私の方が長いかと」
普段はメイドとして仕えつつ、非常時は騎士として戦う。シェーラのようにメイドの格好をした護衛なら、城の外にも連れて行きやすいだろう。
イレーネが淹れてくれたハーブティーは、甘い香りがした。心を落ち着ける作用がある薬草を使っているらしい。
カップを持ち上げた時、袖口のカフスボタンが震えた。
「とてもいい香りね」
「ありがとうございます。ディアナ様も愛飲されているお茶ですよ」
「眠れない日が続いていらっしゃるのかしら? 睡眠薬入りだなんて。それとも、これは私向けに特別調合してくれたの?」
笑顔のまま首を傾げたイレーネは、カップを全く見なかった。
「この手の混入物はすぐ分かるのよ。どなたの指示? それともあなたの独断?」
「……クラウス殿下です」
白状したのはアレクシアの方だった。
「今夜は騒ぎになるかもしれないと仰せでした。辺境伯夫人は行動力がありすぎるお人柄だと伺っております」
「時と場合によるわ」
「外出に最適な服をお召しですので、朝まで部屋に滞在していただくには、こうする他なく……」
「薬を使われたら、余計に警戒するわよ」
イレーネの右手が腰に触れた。ベルトに仕込んでいた投げナイフをリディアへ投擲し、寝室へ繋がる扉の前へ移動する。ナイフはリディアの前に展開した防壁の魔術に当たり、床へ落ちた。
音もなく移動していたシェーラがアレクシアを引きずり倒す。剣を抜きかけていたアレクシアは、背後から接近していたシェーラには気がつかなかったようだ。
「わ、私は違います!」
首に短剣を突きつけられたアレクシアは、リディアへ向かって叫んだ。
「イレーネ! これはどういうことだ!?」
「辺境伯夫人に恨みはないけれど、これは仕方がないことなのよ」
「恨みがないなら、なおさら襲われる理由が分からないわ。社交界を荒らした記憶はないけれど、何が気に障ったのかしら」
リディアはシェーラの近くに移動した。押さえつけられているアレクシアは、蒼白な顔でイレーネを見上げている。彼女は本当に何も知らないようだ。
「シェーラ、アレクシアを離して、こちらへ」
シェーラは無言で頷き、アレクシアを解放した。立ち上がったアレクシアは剣に手をかけたものの、抜くかどうか迷っている。
「辺境伯夫人が生きていると、都合が悪いお方がいらっしゃるんです」
「あなたの意思ではないのね。やりたくないように見えるけれど?」
「そ、そうだイレーネ! あなたがこんなことをするなんて信じられない!」
「仕方ないじゃない! だって私が動かないと、家族が危ないのよ!?」
分かりやすい動機だ。イレーネは家族を人質に脅迫されている。
「だからって、こんなこと……」
「アレクシア。あなたはどちら側につくの?」
「辺境伯夫人です」
はっきりとアレクシアが答えた。抜いた剣をイレーネへ向ける。
剣を向けられたイレーネは、最初から答えが分かっていたらしい。特に動揺していなかった。
「イレーネは信用できる同僚でした。彼女の家族も助けてやりたい。でも、それと辺境伯夫人を害することは別です」
廊下へ続く扉を叩く音がした後、ユルゲンが外から呼びかけてきた。
「室内で何かあったのですか?」
アレクシアを取り押さえた時の音が、廊下にまで聞こえていたのだろう。
「私だって、こんなことしたくなかった!」
イレーネは寝室の扉を開けた。誰もいないはずの寝室から、暗い色の服を着た男たちが出てくる。彼らは刀身を黒く塗った剣を持っていた。顔はカラスを模した仮面を付けているせいで見えない。
「ユルゲン! 入室を許可します!」
素早く反応したユルゲンは、室内に入ってくるなり状況を理解した。リディアの前に立ち、侵入者だけでなくアレクシアとイレーネにも警戒している。
侵入者たちは一斉に襲いかかってきた。味方なはずのイレーネにも斬りかかっている。太刀筋に容赦はなく、本気で命を狙っていた。
――裏切り者も一緒に始末するつもりね。
数はあちらが多い。リディアは動物型の紙をイスに貼りつけた。
「暴れなさい」
イスは馬のように脚を動かし、イレーネを狙おうとした侵入者に体当たりをした。侵入者は邪魔をしてきたイスに蹴りを浴びせる。だがイスは身軽に飛び跳ねて当たらない。
「死にたくないなら、戦いなさい。生きていなければ、反撃も復讐もできないわ」
イレーネは泣きそうな顔で剣を構え、侵入者の攻撃を捌く。自分の身を守るのが精一杯のようだが、何もしないよりはいい。
襲撃が始まった当初、シェーラは廊下側へリディアを誘導していた。ところが廊下からも剣戟が聞こえてくる。
「イザーク! そこにいるのね?」
「奥様、今は出てこないでください!」
音や掛け声で察すると、イザークの他にもクラウスが連れてきた護衛が廊下にいるようだ。
「お嬢様。もう一つの寝室には、人間の気配がありません」
廊下へ出ることは諦め、壁際まで下がったリディアにシェーラが言った。
「寝室へ退避してください!」
ユルゲンが侵入者の一人を斬り捨てた。
非戦闘員のリディアがいると戦いにくいのは理解している。リディアは紙の人型をばら撒き、飛べと命じた。紙は侵入者たちの仮面に貼りつき、彼らの視界を隠す。剥がそうとしても紙は仮面の一部のように一体化していた。
隙だらけの姿をユルゲンが見逃すはずもない。いつの間にかアレクシアと連携して、一人一人を確実に倒していった。
寝室に入ると、すぐにシェーラが扉を閉めた。
「あの人たちは、どこから入ってきたのかしら。シェーラが寝室を点検した時はいなかったのよね?」
「はい。間違いなく」
「窓か、隠し通路でもあるのでしょうね。クラウス様が護衛を置いていったのは正解だったわ」
リディアは胸元に隠した魔石を手で押さえた。
父親に防壁の魔術を入れてもらったおかげで、侵入者がいても冷静になれる。リディアは精霊に力を借りて戦いに役立てているが、接近戦には向いていない。身を守る手段がシェーラだけでは心許なかった。
「あら。ここは行き止まりではないのね」
リディアがいる寝室には、もう一つ扉があった。シェーラに言って開けてもらうと、メイドの控え室らしき小部屋が見える。その先は廊下側へ通じていると思われる扉がある。
嫌な予感がしたリディアが閉めろと言う前に、廊下側の扉が開いた。先ほどの侵入者と似た格好をした男が一人、抜き身の剣を手に入ってくる。
「起きなさい!」
リディアは小さな絨毯に紙の人型を投げつけた。絨毯は男が踏んだ瞬間に巻きつき、床へ転がる。
扉を閉めたシェーラに退くよう命じ、フットベンチとサイドテーブルに人型を貼り付ける。扉を塞ぐように移動させ、簡単な障害物にした。
「お嬢様。これでは……」
「分かってるわ。でもベッドは大きすぎて運べないのよ」
ふと思いついたことがある。リディアは指輪を外してルカを呼んだ。真っ白な子犬はリディアの足元で嬉しそうに尻尾を振る。
「ねえ。この部屋に隠し通路はある? 空気が流れているはずよ」
ルカは斜め上を見上げ、鼻を動かした。一目散にキャビネットへ走り、壁との隙間に鼻を突っ込む。
キャビネットは壁にくっつくように置いてある。時間をかけて仕掛けを見つけたいところだが、時間が惜しい。また精霊の力を借りてキャビネットを動かした。
「……面白い城ね。いくつ通路があるのかしら」
ただの隠し金庫だったらどうしようかと思ったが、まだ運は味方しているらしい。急いで中へ入り、キャビネットを元通りの位置へ戻るよう命じた。
中は暗い。だが明かりの魔術を使えば、追手に見つかるかもしれなかった。
リディアは髪をまとめているリボンを解き、ルカの首輪に先端を結んだ。
「安全なところへ行きましょう。案内してくれる?」
ルカは吠えずに歩き始めた。ただの犬とは違い、静かにすべき状況だと教えなくても理解している。
歩き始めてしばらくすると、周囲に精霊の姿が現れ始めた。珍しそうにリディアたちを見たり、案内するように先へ進んでは振り返ってくる。
「追われているの。安全な場所を知ってる?」
話しかけてみると、精霊たちはふわふわと笑って通路の先へ飛んでいった。
「そっちに進めばいいのね?」
精霊が教えてくれた先は、鉄格子の扉がはまっていた。だが鍵はついていない。目立たないように植物で隠しているらしい。
潜り抜けると庭園に出た。きちんと手入れをされている。庭園の奥には古い建物が見えた。
リディアのそばを精霊が通り抜けた。庭園にいた老女の元へ飛び、そっと耳打ちしている。
「珍しいところから客が来るのね」
老女はリディアを真っ直ぐ見ているが、彼女の顔は黒いベールに覆われて見えない。着ているのは喪服だった。
リディアは老女へ向かって深く頭を下げた。予想が正しいなら、彼女はこの国で尊い身分の女性だ。




