45 長い夜2
「ナイフに仕込まれていた魔術は、特定の人物を追尾、攻撃するものでした」
情報局の職員は、クラウスにそう説明した。
小さなテーブルの上には、犯行に使われたナイフと砕けた魔石が置いてある。部屋の壁や天井には、魔術の発動を抑える術式が隠されていた。もし再びナイフが動いたとしても、指一本分ほどしか浮かないだろう。
「まだ解析の途中ですが、殿下が狙われたというよりご夫婦が狙われたようです。発動時間は魔石内の魔力が尽きるまで。魔石を砕いて無効化させたのは正しいご判断だったでしょう」
「入手経路は?」
この手の武器は城門を通過する際、警報に引っかかるはずだった。必ず取り調べするよう、警備の規則で決まっている。ましてや戦闘には縁がないようなシビルが持っていたのだ。怪しいと思わないほうが、どうかしている。
「魔術師団に、この術式を作った魔術師がいます。本人は無関係だと主張していますがね。現在、取り調べ中です」
その他にもいくつか質問をして、クラウスは情報局が入っている建物を出た。ダンス用の音楽が流れている方へ進みながら、新たに判明したことを整理していく。
リディアには自身が狙われたことを言うべきだろうか。彼女の能力は珍しくてあらゆる面で役に立つが、戦いを本職としている者に比べると、どうしても劣っている。精霊は強くても、敵がリディアに近づいた時に対処できないだろう。
クラウスの妻になったときから、ある程度の覚悟はしているようだが、それだけで乗り越えられるようなものではない。
――護衛を増やすか? 今回は元凶への対処だけで済むと思うが。
今後も似た事件が起きる可能性はある。
「クラウス様」
会場へ入る直前、ユルゲンが接触してきた。
「侍女と話がつきました。今夜、決行できそうです」
「分かった」
短く答えてから、リディアを探す。彼女は友人らしき令嬢と談笑している最中だった。
――邪魔をするのも悪いな。
久しぶりの王都だ。積もる話もあるだろう。
適当な場所へ移動するかと考えていると、リディアに似た顔立ちをした令息を見つけた。彼はクラウスと目が合うと、人懐こい笑みを浮かべた。
「クラウス殿下。お久しぶりです」
「君か」
リディアの弟、カミルだ。未成年だが夜会に参加すると聞いている。
「キースリング子爵家当主として、上手くやっているらしいな」
「半分以上は伯父のゼンケル伯爵のお陰ですよ」
カミルは隠すことなく、ゼンケル伯爵の庇護下にあると明かした。
「我が家だけで他の家と駆け引きなんてできませんからね。姉が殿下と結婚した影響で、無害な中立派を装うなんてできませんし。それよりも」
カミルは深刻そうに言葉を続けた。
「姉は殿下の妻として、上手くやれているでしょうか?」
心配するのも無理はない。王都と辺境は遠く離れている。情報が伝わるのは遅くなる上に、屋敷内で見聞きしたことは他言無用だと使用人に厳命していた。カミルはリディアが手紙に書いたことしか、知る術はない。
家族のことを心配する気持ちはよく分かる。
「リディアローゼなら上手くやってくれているよ」
「そうですか」
カミルは安堵のため息をついた。
「家にいた頃の姉は、自分よりも他人を優先するところがありました。言いたいことがあっても我慢を選んでしまうんです。クラウス殿下は優しい方だと姉の手紙にありましたが、優しいからこそ迷惑をかけまいと黙ってしまうのではないかと心配で……」
「リディアローゼは辺境へ出発した時から、言いたいことは言いたい時に言ってくるぞ。あれこれと理屈を言って、何にでも首を突っ込んでくるしな。俺の仕事を助けてくれるのはいいが、危険なことはしないでもらいたいのだが……」
お互いにリディアに対して思っていることを言った後で、何かがおかしいと気がついた。
「……君の姉は、あそこにいるリディアローゼで間違いないな?」
別人なわけないよなと思いながら確認すると、カミルは申し訳なさそうに同意した。
「間違いなく僕の姉ですね。でもなんだか知らない人のことを聞いている気分です」
「実家でもあんな調子なのかと思ったが、違うのか」
「全然違います。辛くても黙って耐える人で、いつか無理がたたって倒れてしまう気がしていました」
クラウスが知っているリディアとは違う。自由奔放で周りを振り回しがちなところばかり見ていたために、実家にいた頃も同じだと思っていた。
「でも良かったです。殿下の前では、姉は素直に自分の気持ちを出せるんですね」
カミルがあまりにも嬉しそうに言うので、クラウスは返事ができなかった。夫としてリディアに接しているとは言い難い。それでも彼女は幸せそうに、クラウスを慕ってくれる。
辺境伯になって以来、疎遠だったディアナと久しぶりに会っても、もう痛みはない。時間の経過と、リディアが新しい生活を運んできてくれたお陰だ。
リディアがクラウスの前で素直になれるのと同じく、クラウスも彼女には感情を曝け出せるようになっていた。王子や辺境伯という立場に合った仮面なんて、彼女の前では何の意味もない。どんなに取り繕ってもリディアがいると素の性格が出てしまう。
本性を出しても、彼女なら受け入れてくれるだろう。そんな安心感を感じていた。
「殿下は姉が自分を取り戻すきっかけをくださったんですね」
「大袈裟だな。俺は何もしていない」
「いいえ。だってあんなにも生き生きと……」
リディアの方を向いたカミルの表情が曇る。
何かあったのかとクラウスも振り返ると、リディアに話しかける男が見えた。さりげなく行手を遮り、親しげに距離を詰める。その男がリディアの手を捕まえた途端に、例えようのない怒りがこみ上げてきた。
すでにリディアからお断りされているのに、諦めが悪い。強引に押せば受け入れてもらえると考えている傲慢さが見苦しかった。何より、リディアが全身で抵抗しているのを理解していながら、自分の欲望を優先させる身勝手さが嫌らしい。
「すまない。急用ができた」
「姉のことをよろしくお願いします。相手の男はどうなってもいいので」
カミルはそう言って頭を下げた。
リディアのところへ向かう間、クラウスは男を殴りたい衝動を堪えた。低俗な輩がいるからといって、こちらまで粗野に振る舞うのは意味がない。
リディアを守るのが最優先だ。二度と関わりたくないと思ってもらわないと、また隙を見つけて近寄ってくるだろう。冷静にならなければ、力の使い方を誤ってしまいそうだ。
――何を言えば最も効果がある?
月並みに、リディアに手を出すなと言うのは陳腐だ。おもちゃを取られた子供と変わらない。火遊びに慣れているあの男は自信過剰そうだから、貴族としての自尊心に訴えるのが効くだろう。
周囲の者は無言でリディアに近づくクラウスから離れていく。何も言わずとも人垣が割れ、わずかにクラウスの機嫌が治った。
「随分と強引な誘い方だな。君の家では、そうやってダンスに誘えと教育されているのか?」
男の手首を掴み、小指を外側へ軽く捻った。男はクラウスがやろうとしていることを察して、手を引く。あのまま続けていれば、男は無様に床へ倒れていただろう。
解放されたリディアの肩を抱き寄せて牽制すると、男の顔に明らかな失望が現れた。どんな誘惑も効かないと思い知らされたのか、素直に離れていく。その背中を見て仄暗い喜びが胸の内に広がった。
誰にも言えない。特にリディアには。子爵家の男は王族のクラウスに手出しできない。それを分かっていて、権力で従わせただけだ。安全圏から石を投げるのと変わらない。
そんなことを考えていたからだろう。庭でリディアから寄り添ってきたとき、クラウスは彼女を抱きしめることができなかった。
少なくとも襲撃の首謀者を片付けるまでは、前に進めない。
夜会が終わってリディアを部屋まで送り届けたクラウスは、控えていた護衛に声をかけた。
「今夜で終わらせるぞ」
護衛たちは頷いた後、それぞれの持ち場へ移動していった。




