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44 長い夜

 王子の誕生を祝う夜会は、通常よりも早く夕方から始まった。年齢を考慮して、お披露目の時間も短く予定されている。


 余興の一つとして王家に伝わる剣で肩に触れて健康を願う儀式が行われると、招待客から拍手がおきた。


「ねえ、クラウス様。あの剣は肖像画にも描かれていたものですね?」

「そうだ。初代国王の持ち物で、精霊が宿っていると言われている」


 クラウスは急に小声になった。


「……あの剣に精霊はいるのか?」

「いませんわ」


 期待をしているクラウスには可哀想だが、リディアは事実を述べた。


「空ですわね。でもなぜかしら。何かの出口のようにも見える気がします」

「出口?」

「上手く言葉にできないのですが、そう感じるのです。もっと近くで見たら分かるかもしれません」

「分かった。辺境へ帰る前に、君を宝物庫へ案内しよう」


 やけに楽しそうにクラウスが言う。精霊がいないと聞いた時は無表情ながらも残念そうだったのに、気持ちの切り替えが早い。男性は武器に何かしらの仕掛けがあると喜ぶと聞いたことがある。きっとクラウスも例外ではないのだろう。


 どうやって宝物庫に入るのかと尋ねる前に、隣に立つ夫が王子だという事実を思い出した。国王の許可を得るなり、人払いするなり、どうとでもなる。


 儀式を終えた王子は、ディアナや奥に控えていた乳母と共に別棟へと帰っていく。残りの時間は歓談やダンスを楽しむ社交場だ。


「腕は大丈夫か?」


 クラウスに聞かれたリディアは、長い手袋の上から怪我をしたところに触れた。


「違和感なく動かせますわ。包帯も見えないでしょう?」

「完治したわけじゃないから、無理はしないように」


 参加している者の中にシュタート伯爵の姿があったので、クラウスと挨拶に出向いた。伯爵夫人も近くにいる。彼らはリディアたちを見つけると、笑顔で近づいてきた。


「お久しぶりです。オイレンブルク辺境伯」


 シュタート伯爵によると、詐欺師に騙し取られた資産は、ほぼ取り戻せたそうだ。現在は他の被害者の救済にも手をつけ始めたらしい。


 伯爵夫人の方は、リディアが身につけている宝石にすぐ気がついた。


「もしかして、そのネックレスは?」

「ええ。シュタート伯爵夫人からいただいた宝石で作りました。クラウス様の瞳と同じ色ですもの。大切な時に使いたくて」

「喜んでもらえてよかったわ。若い頃に手に入れた宝石なのよ。どうせなら若い人に使ってほしくて――」


 その後も入れ替わるように、お互いの知り合いから声をかけられた。興味本位で近寄ってくる者もいる。ようやく二人揃って人前に出てきたのだ。囲まれるのは予想済みだった。


 彼らに対応していると、正装をしたユルゲンがクラウスに近づいてくる。ユルゲンは小声でクラウスに話しかけ、またどこかへ行ってしまった。


「リディアローゼ。少し離れるが、いいか?」

「お仕事でしょうか?」

「そんなところだ」


 魔導師団という言葉が聞こえてきたので、シビルが持っていたナイフについて判明したのかもしれない。


 クラウスが離れていくと、リディアの周囲は仲良くしている女性ばかりになった。女性だけで話していると時間の経過が早く感じる。いつの間にかダンスの曲が流れ始め、会場の中央に空白ができた。


 招待客はダンスの相手を探したり、壁際に移動して談笑を続けている。リディアもクラウスが戻ってくるまで見学しているつもりだ。ところがリディアの進行方向を遮るように、若い男性が話しかけてきた。


 年齢はクラウスとあまり変わらないだろう。自信に満ち溢れた態度で、見た目も悪くない。服の着こなしが洒落ていて、いかにも遊び慣れているような雰囲気だった。


「初めまして。ヘルテロート家のローランと申します」


 家名が確かなら、彼は子爵家の者だ。


 話しかけてきた狙いが分からないうちは、挨拶程度に微笑むに限る。リディアはゆっくりと位置を移動しながら、彼に合わせることにした。


「お会いするのは初めてですね」

「僕はずっと前から存じ上げておりましたよ。ご存知ですか? あなたの父上が我が家に見合いの話を持ちかけていたことを」

「申し訳ないけれど、父がどの家と連絡を取っていたのか分かりません」

「残念だな。もっと早くあなたと知り合いたかった」


 ローランはリディアに詰め寄ってくる。彼の視線が胸元のネックレスに移ったのを感じた。


「あなたもそう思いませんか? こんなに魅力的な女性を放置できる夫がいるなんて信じられない。僕なら、あなたを退屈させませんよ」

「夫は辺境伯であると同時に、この国の王子ですもの。どうしても外せない用事の一つや二つ、珍しくありません」


 当たり障りのない言葉では、ローランは退いてくれなかった。さりげなくリディアの手を取り、誘いをかけてくる。


「よろしければ一曲、いかがですか?」

「まだ夫と踊っていませんので」


 既婚者や婚約者がいる者は、最初の一曲をそれぞれの相手と踊るのが暗黙の了解になっている。ただでさえダンスが苦手なのに、一度も踊ったことがない相手と組むなんて拷問に等しい。それに既婚者でなくても、リディアはローランの相手をしたくなかった。


 距離が近い。了承を得なくてもリディアに触れていいのは、家族とクラウスだけだ。


「いつ戻ってくるのか分からないのに?」


 ローランは本気でリディアを憐んでいる。寂しがっているリディアを慰めて、良い思いをしたいらしい。かなり手慣れている様子だ。もしかしたら、見合いの件は話しかけるための嘘かもしれない。


 ――困ったわ。夜会の最中でなければ、精霊をけしかけて眠らせてしまうのに。


 大勢の人間がいる前で、紙の人形を出すのも危険だ。夜会の最中に怪しい魔術を使ったと思われてしまう。


「せっかく王都へ戻ってきたんですから、遊んでいきませんか。ほんのひと時、語り合うだけです。ダンスが終われば、また他人に戻る。簡単でしょう?」

「それはどうかしら。これだけ大勢に見られているのに、何事もなく戻るのは無理ではなくて?」


 手を引っ張られたが、リディアはその場で動かなかった。


 ローランの誘いに乗る気など最初からない。だから本気で嫌がっていると周囲に見せておく必要があった。


「僕はかまいませんよ」


 面白いものを見つけた顔で、ローランが微笑んだ。


「あなたはご自分の魅力に気がついておられない。僕だけじゃなく、誰もがあなたとお近づきになりたいと思っている。そんな大輪の花を独占できるなら喜んで――」

「随分と強引な誘い方だな。君の家では、そうやってダンスに誘えと教育されているのか?」


 リディアの手を捕まえているローランが顔を顰めた。彼の腕をクラウスが掴んでいる。大して力を入れていないように見えるのに、ローランは腕を引き、掴まれていたところを庇うように抱えた。


「クラウス様!」


 リディアはとびきりの笑顔で出迎えた。周囲に見せつける目的でクラウスに寄り添う。


 新婚夫婦の仲を引き裂こうとするローランなんて、惚気にあてられてしまえばいい。そんなリディアの考えを知ってか知らずか、クラウスが珍しくリディアの肩を抱いた。


 きっとこれはクラウスなりの演技だろう。


「待たせたな」

「ええ。待ちくたびれました」


 わざとらしく拗ねて見せると、クラウスは面白そうに笑う。あまりにも自然な笑顔だったので、放置されていた不満なんて全て吹き飛んだ。


「会話の途中だったようだが、かまわないな?」


 クラウスが聞いた相手はローランだった。付け入る隙がないと察したローランは、引きつりそうな愛想笑いで、どうぞとだけ言う。さすがにクラウスと張り合うほどの度胸はないようだ。


 辺境伯と子爵家の嫡男では勝負にすらなっていない。


 クラウスはダンスに興じる集団の近くへリディアを連れてきた。


「あの男と踊りたかったか?」

「ご冗談を。夫でもないのに馴れ馴れしく触れてくる人は嫌いです」


 手袋をしていて良かったと本気で思った。布越しでも不快だったのに、素肌が触れるなんて考えたくもない。


「ちょっと声をかければ誘いに乗るような、軽薄な女に見えるのかしら」

「それは違うだろう。君は十分魅力的だから隙を見せれば虫が寄ってくるだけだ。君を一人にすべきではなかったと反省している」


 あまりにも自然に、素っ気なく言うので聞き流しそうになった。


「あの、クラウス様。もう一度聞きたいわ」

「せっかくだから踊るか。君の練習にもなるし」

「聞いてくださいませ。クラウス様。誤魔化そうとしていませんか?」

「ほら、ど真ん中で突っ立っていると、周りに迷惑がかかるぞ」


 連れてきたのはクラウスなのに。リディアは仕方なくクラウスに合わせて足を動かした。


「緊張しているのか?」

「大勢に見られながら踊るのは慣れていません。間違えないようにするだけでも難しいのに」

「気が散っているから間違えそうになるんだ。今は俺だけを見てろ」


 ダンスのコツなのは分かっている。それでも嬉しくて顔がにやけてしまった。頬が熱い。はたから見ると、ほぼ無表情なクラウスとの対比はさぞ面白いだろう。


 クラウスが上手く誘導してくれるお陰で、悩むことなく次の動きを思い出せる。相手が変わるだけで、こんなにも踊りやすいなんて思わなかった。クラウスのことだけを見ていられるのも、踊りやすさに影響している。


 夢と錯覚するほど幸せだ。初恋と失恋を同時に体験した、過去の自分に教えてやりたい。


 ダンスが終わると、クラウスがリディアにだけ聞こえる大きさで言った。


「やれば出来るじゃないか。筋は悪くない。足りないのは経験だな」

「事前に、練習した、成果ですわ」


 リディアはそれだけ言うのがやっとだった。息が上がって上手く喋れない。反対にクラウスは全く疲れていない様子だ。


「庭に出て休もうか」


 頷くと、クラウスは最短距離で外へ連れ出してくれた。いつの間にか日が落ち、辺りは暗い。庭の所々に魔石ランプが置いてある。全体を見渡せるほどの光量はないが、星空との組み合わせは美しくて幻想的だった。


 庭は数組の人影が見える。彼らの邪魔をするのは悪い。人がいない場所を探して歩くことになったが、呼吸は楽になっていた。


「ねえ、クラウス様。あのナイフがどこから持ち込まれたのか分かりました?」

「この場所で最初に言うのがそれか。君はどこへ行っても変わらないな」

「一応、人を選んで発言していますわ」


 クラウスは何かを諦めたように、ため息をついた。


「魔術師団の一人が、あれを作った。本人は盗まれたと主張している」

「どこまで信用できる人ですの?」

「彼の生家が宰相派だからな……君の元義母との接触はないが、人を介して繋がっているかもしれない」

「会場で伯父様を見なかったのは、そのせいですのね」


 華やかな夜会の裏では、今も情報局が調査をしているのだろう。現時点でリディアにできることはない。


 リディアはふと思い立って、クラウスの袖を引いた。


「……どうした?」

「せっかくですから、夫婦らしいことをしようかと」


 クラウスの胸に手を置き、頭を寄せる。クラウスは無言でリディアの肩に手を置いた。


 目を閉じれば会場から音楽が聞こえてくる。


 誰かに見られてもいい。辺境伯夫婦は仲睦まじいと噂になれば、なお良かった。夫婦と呼ぶには遠い関係が、少しでも縮まるきっかけになるかもしれない。


 曲が終わった。


「戻りましょうか」

「……そうだな」


 リディアはクラウスから離れた。


 ――物語なら、曲の終わりにキスをすることが多いけれど。


 現実はそう甘くないらしい。

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