33精霊屋敷4
リディアと町へ行った翌日、クラウスは気分転換を兼ねて庭を歩いていた。風に乗って精霊の会話が聞こえてくる。
――今喋っている精霊も突飛な姿なのか?
出会った精霊の数が少ないので断定できないが、人間の形に近い精霊は言葉を使用している気がする。ルカや昨日のタコは言葉による交流ができない。だがシェーラは普通に発話しており、会話も問題なくできる。だからきっと庭にいる精霊は、リディアが見せてくれた小人のような姿だろうと結論を出した。
――精霊が見えないことを不満に思っていたが、かえって良かったかもしれないな。
あんなものが日常的に見えていたら、生活に支障が出ていたに違いない。精霊の声が聞こえているクラウスでさえ、理解してもらえない苦労を味わったのだ。気でも触れたと思われて、半隠居に追いやられていただろう。
考え事をしながら歩くうちに、裏口が見える場所まで来た。扉の近くには木箱が置いてある。近づいてみると、木箱の中身を確認しているシェーラがいた。
「その箱は?」
シェーラは無表情のままこちらを振り返り、黙って会釈をした。彼女は精霊なので人間よりも気配が薄く独特だ。最初は背後にいると分からずに、驚くこともあった。
彼女がこちらを見ているとき、刃物を向けられているような感覚がする。独特な気配に慣れた今では、人間よりも分かりやすい。
「お嬢様宛ての荷物が届きました。すぐに片付けます」
そうシェーラは言うと、人抱えもある木箱を三つとも持ち上げた。精霊とはいえ、見た目だけは普通の女性だ。違和感しかない。
「一度に運ぶのか」
「また降りてくるのが面倒です。移動速度は落ちますが、往復するよりも早いかと」
「手伝うよ」
適当に散歩をしていただけだ。特別な用事などなく、暇を潰せるなら何でもよかった。
シェーラは申し出に迷いを見せたが、結局は手伝ってもらうほうを選んだ。一番上の箱だけを持ってほしいと要求してきた。
「一つだけでいいのか?」
「はい。主人に荷物を運ばせるのは、使用人として申し訳なく思う……と、人間は考えると習いました。ですから、手伝っていただくなら少ない個数にするのが正解なのでしょう」
「精霊も大変だな」
こちらは精霊の常識など一つも学んだことがない。昔はリディアのように精霊と契約をして魔術を使っていたそうだ。だが彼らと契約を結ぶのは難しく、人間が自分の魔力で様々な魔術を扱えるようになったことで、廃れてしまった。いま国内で精霊について研究しているのは王都の魔術師団ぐらいしかない。
シェーラは人間社会に上手く溶け込んでいる。リディアに教えてもらえなければ、人間ではないと考えもしなかった。
木箱を一つ持ってみると、ずっしりと重かった。身体強化の魔術なしでシェーラのように三つ同時に持つのは厳しい。やはり彼女は精霊なのかと納得した。
リディアの部屋に到着すると、シェーラは軽く扉を叩いてから声をかけた。
「お嬢様。糸が届きました」
「ありがとう入ってきて」
中からリディアの声がする。
先に入ったシェーラに続いて、クラウスも木箱を運び入れた。
リディアは隣へ続く扉を開けて、中にいる誰かを親しげに呼んでいる。あの扉の先は衣類や宝石などを収納できる小部屋だったはずだ。メイドが中で作業をしているのだろうか。
室内に入ったあとで、クラウスは無言で入ってきてしまったと気がついた。リディア専用の部屋が完成した時に一度入ったきりで、結婚してからは近寄ったことすらない。彼女の荷物がいくつか増えただけなのに、知らない部屋に迷い込んだようだった。
「シェーラ。ありがとう。中へ運びま――」
振り返ったリディアと目が合った。言葉が不自然なところで途切れ、沈黙してしまう。
クラウスはリディアではなく、その後ろにいる人物を見ていた。細かく編んだレースを頭から被り、首から下は同じようなレースで装飾された服で隠れている。外見からは、かろうじて女性だろうと推測できる程度の情報しかない。
謎の人物はクラウスに気がつき、驚いて体を震わせた。はずみで頭に被ったレースが落ちる。見開いた目は綺麗な琥珀色だった。
「……初めまして……?」
異様な格好の人物を前に、クラウスはそれしか言えなかった。リディアが普通に呼びかけていて、シェーラも警戒していないなら、危険人物ではないのだろう。混乱しかけた頭で出した結論だが、間違ってはいないはずだ。
謎の人物は落ちたレースを素早く拾い上げ、小部屋の中に逃げてしまった。
「リディアローゼ」
「はい」
「今のは?」
「……精霊、です」
「また拾ってきたのか」
「ち、違います。彼女は実家にいる頃からお世話になっている精霊なんです。シェーラと同じように、自分からついてきてくれました」
「初日からいたのか……」
全く気がつかなかった。
精霊と予想外の邂逅をしたクラウスは、改めてベルンシュタインを紹介してもらった。
「――と言うわけで、彼女は小部屋にこもってレースを編んでいるだけです。メイドがあの部屋に入るさいは、姿を消して隠れてますわ」
リディアが喋っている間に、シェーラが箱から糸を取り出して小部屋へ運んでいる。そして件の精霊は、届いたばかりの糸をせっせと収納している最中だ。
こちらには目もくれないが、クラウスが身動きしただけで体を震わせて怯えてしまう。さすがに可哀想な気分になるので、可能な限り距離を置いていた。
「とても人見知りな精霊で、弟のカミルにも同じ反応をします。決してクラウス様を避けているわけではありません。いつか紹介しなければと思っていたのですが……」
まずクラウスと会わせるのが一苦労だろう。リディアが先延ばしにしていた理由が、なんとなく想像できる。
「そうなのか。いや、勝手に入ってきた俺が悪かった。せめて一声かけるべきだったな」
「彼女はずっと私を助けてくれました。金銭事情が良くなったからと、放り出すようなことはしたくありません。彼女が望む限り、ここに滞在させてもよろしいでしょうか?」
「君に任せるよ。使っていない部屋を彼女の作業場にしてもいい。精霊との付き合い方については、君のほうが詳しいからな」
ベルンシュタインの扱いについては、これからもリディアに任せることにした。レースを編む以外に興味がない様子なので、こちらが余計なことをしなければ人間に害はない。
ついでに実家にいた頃の金銭事情についても教えてもらった。
「……ベルンシュタインという名で売り出しているレース作家のことは、聞いたことがある。正体不明で代理人を通した取引しかしないと。どこかの貴族令嬢か、外国人、人前に出られない犯罪者ではないかと囁かれていたが……まさか、こんなところにいたとは」
ついでに元婚約者のディアナが結婚式でかぶっていたベールが、ベルンシュタイン制作だったという余計なことも思い出してしまった。針で引っ掻いたような痛みを胸に感じる。だが自分でも驚くほど痛みはすぐに消えた。
ディアナのことを考えても、以前ほどの気持ちはない。年月とともに薄れてきたというよりも、ここ最近で変わった気がした。
――いつまでも引きずっているよりはいいか。
辺境にいれば、領地運営で忙しくて感傷に浸っている暇はない。考えないようにしているうちに、勝手に傷が塞がったのだろうと思うことにした。
あっという間に木箱が空になった。ベルンシュタインは収納し終わった棚を、うっとりと見つめている。新しい糸に触れたり、目の高さに掲げたりする様子は、新しいおもちゃを手に入れた子供のようだ。リディアが彼女を支援したくなる理由は、ここにもあるのだろう。
木箱はシェーラが部屋の外へ運び出した。他の使用人に手伝ってもらいますと言って、手伝いを拒否してくる。
大量の糸が収納された棚の隣には、ベルンシュタインの作品であろうレースも入れられていた。その近くに見覚えのある布が見えた。
「どこかで見たことがあるような……」
「どれでしょうか?」
精霊を怯えさせてはいけないので、リディアに取ってきてもらった。白っぽい色のショールだ。広げてみても、はっきりと思い出せない。
「ここへきてから、まだそのショールは使っておりませんが……」
リディアははっきりとしない言い方をする。眺めていても思い出せないので、クラウスはショールをリディアの頭に被せた。
「……あの、クラウス様?」
「俺の勘違いかもしれないが、こんな姿で俺と会ったことはないか?」
リディアはショールの端を両手で持ち上げ、顔を出した。
「あります。覚えていてくださったの?」
「思い出したんだ。話した内容までは覚えていないが……」
確か夜の王城だった。自分の婚約が正式に決まったと公表された時だ。
婚約自体は何年も前に決まっている。ディアナの本当の気持ちを知って婚約を白紙にできないかと動いていたけれど、努力も虚しく公表されてしまった。何もできない悔しさと、周囲の人間に都合よく動かされるしかない恐ろしさを見せつけられた気分だった。
会場の熱気から逃げた先にいたのが、ショールを被った奇妙な令嬢だ。涙声なのが気になって、少しの間だけ話をした。
あれが良い気分転換になったのか、現状を変えるためになりふり構わずにやろうという気になったのだ。
「私はよく覚えております」
節目がちになったリディアが、懐かしそうに言った。
「あの時の私は、色々なことに悩んでいました。その悩みに一つの答えをくださいましたね」
クラウスは急に申し訳ない気持ちになった。リディアのショールを見るまで、すっかり忘れていたのだ。
「……すまない」
「謝る必要はありません。当時の私は、その他大勢の側にいました。ただ一度、すれ違っただけの他人です。思い出してくださっただけでも十分なんですよ」
「俺は君に何を言ったんだ?」
より多くを思い出せるかもしれない。淡い期待をするクラウスに、リディアは少し首を傾げた。
「まず私は、もし誰にも言えない力を持っているなら、どうするのかと尋ねました。クラウス様は"誰が否定しても、その能力を使うと決めるのは自分自身。責任も背負うけれど、使わない理由を他人のせいにするよりは健全だ"と」
言ったのだろうか。おそらく言ったのだろう。今のクラウスがリディアから同じ質問をされても、似たようなことを答える。
「クラウス様。私があなたを意識したのは、その時です。精霊が見える力を生活に役立てようと決めたのは、私自身。でも、そう考えられるきっかけを与えてくれた人だから」
以前、リディアはクラウスの思考が綺麗だと言った。綺麗なのはリディアの考え方のほうだと言いたい。クラウスの言葉を素直に受け取って、自分のものにしている。邪推せず、曲解もしていない。疑うことに慣れきった自分とは違う。
リディアが自分の力を使うときは、自分で責任を取れる範囲にしているであろうことは、銀鉱山の一件で分かっている。まさか自分の言葉が影響を与えたなんて、知るよしもなかった。
「不思議だな。今こうして向き合っているなんて」
「そうですね。初恋を自覚した瞬間に失恋して、その初恋相手に嫁ぐなんて想像すらしていませんでした」
「初恋……?」
「ええ。初恋でした。素敵な思い出でしょう?」
リディアは意味ありげに微笑み、ショールを頭から外した。
ざわりと胸の辺りが騒ぐ。ここ最近、リディアの言葉や仕草に感じている感覚だ。正体を確かめたいけれど、深入りしてしまうと戻れない予感がする。
彼女が言っていることが本当だという証拠はない。クラウスは会話の内容をよく覚えておらず、心の中なんて本人にしか分からないのだ。けれどリディアの言葉を信じたい自分がいる。
リディアはいつもクラウスに真っ直ぐな言葉を投げかける。だから、これも嘘ではない。経験則で判断するなら、そうなる。
彼女はずっとクラウスを慕っていたらしい。クラウスの地位が目当てで近づいたのではなく。打算で結婚した夫婦に比べたら、幸せだと言えるだろう。
リディアの言葉を信じてしまえば楽になれる。合法的に結婚をした相手だ。相手は最初からクラウスを受け入れているのだ。あとは、こちらが最後の一歩踏み出すだけ。なんの障害もない。
「……素敵かどうかは分からないが、俺の言葉が助けになったようで何よりだ」
クラウスは踏み込めなかった。向かい合っている距離は近くても、心の距離は遠い。他人を受け入れられる余裕がなかった。
自分はまだ、リディアのことを同居人だと思っている。
「これからは精霊を迎え入れる前に教えてくれ。無害であれば反対しないから。もう隠している精霊はいないよな?」
リディアは微笑んでいるだけで返事をしなかった。
「おい。いるんだろ。他にも。今のうちに出せ」
「……クラウス様。あまり詰め寄られると、気分が高揚して倒れそうになります。まだ昼間ですし、適切な距離というものが――」
クラウスはリディアの頬に触れてみた。それだけでリディアの顔全体が赤くなっていく。
「ほう? 君は普段から俺に告白まがいのことを言っているくせに、触れられただけで黙るのか」
少しイタズラ心が働いた。もっと違う表情が見たい。
リディアの頬から顎へ手を滑らせた。彼女の顔をこちらへ向けさせると、潤んだ瞳がよく見える。首に触れた手のひらには、温もりと脈拍が伝わってきた。
細い首は力を入れただけで折れそうだ。
耳の外側をそっとなで、髪を一房すくった。
リディアが顔を背ける。
「だって、好きなんです。ずっと好きだった人が優しく触れてきたら、嬉しくて何も言えなくなりますわ」
リディアはクラウスから離れて、小部屋へ駆け込んでしまった。ご丁寧に扉まで閉められてしまう。ノックをしても返事は返ってこない。
一人で残されたクラウスは、リディアの部屋を出るしかなかった。
執務室に戻ると、フリッツがどうしたんですかと言ってくる。
「神から試練を与えられたような顔をしてますよ。予算の配分に問題点でもありましたか?」
「数字を相手にしているほうが、まだ楽だったかもしれない」
リディアにとって、自分が言葉で気持ちを伝えるのは平気らしい。二人で馬に乗ったこともあるので、彼女からクラウスに触れるのも抵抗がないのだろう。だがクラウスから触れられるのは、逃げてしまうほど恥ずかしいようだ。
「……距離感がよく分からん」
「奥様を押し倒そうとして失敗したんですか?」
「おい。言い方」
「夫婦といえども無理やりはいけませんね」
「するわけないだろう」
「綺麗で色気がある新妻から、あれだけ好き好き言われているくせに、いまだに手を出していないって正気ですか? 修行中の神官並みの禁欲さですよ。辺境伯じゃなきゃ、とっくに他の男に狙われてますって」
言い返そうとしたクラウスは、続いて出てきたフリッツの言葉に黙るしかなかった。
「人間関係の構築から始めるのもいいですけどね。愛情も恋心も、消えてしまったら再燃させるのは難しいんです。いつまでも好きと言ってくれると思っていたら、足元をすくわれますよ」




