32精霊屋敷3
屋敷に最も近い町グリフィシュタットは、交通の要所であり辺境最大の規模を誇る。東の国境を越えて入ってきたものは、必ずこの町を経由していく。そこに目をつけた商人たちは、国内の商品をグリフィシュタットに集めて大規模な市場を形成した。次第に外国の商品も増え始め、今では国内外の珍しい品が集まる場所として有名になっている。
外国の商人に最も人気が高いのは、やはり辺境で産出される銀を使った銀製品だ。古くから銀を扱ってきただけあって、名が知れた工房がいくつもある。
リディアはクラウスに連れられて、そんな工房の一つを訪れていた。工房に隣接された店舗は、富裕層や貴族も訪れたことがあるのだろう。店員に案内されて入った別室には、リディアの実家よりも高級な家具が置かれていた。ここで時間を気にせず、希望する品を見せてもらえるようだ。
今日は甥への贈り物を探すために町へ来たつもりだった。ところが目当てのものをさっさと見つけたクラウスは、宝飾品を扱う通りにリディアを連れてきた。
「クラウス様。他にも探しているものが?」
「……銀鉱山の魔獣討伐に協力してくれた礼がしたい」
目を合わせずにクラウスが言う。
炭鉱町で坑夫から贈り物のセンスがないと言われ、生温かい目を向けられたのがそんなにショックだったのだろうか。気になるが、クラウスの自尊心を傷つけてまで確かめることではない。愛される妻になるには、余計なことを言わないのも大切だ。
無表情で耳が赤いのは、照れていることを知られたくない感情の現れかとリディアは解釈した。感情に任せた行動を抑制している王族らしい照れ方は、公の場では絶対に見られない。
――これだからクラウス様をからかいたくなるのよね。
もっと身内にしか見せてくれない姿が知りたい。
商品を持ってくるために、店員が部屋を一時的に出ていった。
「外商を呼ぼうかと思ったんだが、君はまだ贔屓にする店を決めていないよな? 辺境で扱っている銀製品は王都の流行とは違うらしい。一度は自分の目で見たいだろう?」
「お気遣いありがとうございます。実は装飾品を選ぶのが初めてなんです」
そう答えると、クラウスは驚いていた。
「選ぶのが初めて? 今まではどうしていたんだ」
「母が遺してくれたものを使っていました。流行のデザインには興味がなかった人でしたから、私が使っても古臭くは見えません」
母親が生きていた頃から、社交界に顔を出すことは滅多になかった。せいぜい友人と会う時に小さなものを身につける程度だ。リディアが装飾品の必要性を感じたのは、クラウスとの結婚が決まってからだった。
クラウスはリディアがいま身につけているネックレスを見た。
「それも?」
「はい。子爵家の娘なら、これでも十分でした。これからは、母の宝石は夜会では使えませんね」
「とりあえず、今度の夜会で使えそうなものを探さないとな」
銀鉱山を有している辺境伯の妻なら、身につけている宝飾品には注目が集まるだろう。家の格だけでなく見た目も良いものを選ばないと、陰で何を言われるのかわからない。
――私自身の評価はどうでもいいけれど、クラウス様の評判に傷がつくのは悔しいもの。
他人を動かすよりも、自分を変えるほうが難易度は低い。リディアにやらない理由はなかった。
店員が持ってきた宝飾品は、デザインの系統ごとに底が浅い箱に乗せられていた。この店は隣の工房だけでなく、他にも工房を抱えているので種類が豊富らしい。
「もちろんここにあるもの以外にもご用意できます。隣国にも取引をしている職人がおりますので、好みのものが見つかると思いますよ」
隣国のものを取り寄せていたら、夜会に間に合わないかもしれない。
「そういえばシュタート伯爵夫人から頂いたアメジストがあったわ。持ち込んだ宝石で作ってもらうことは可能かしら?」
せっかくもらったのだから、加工して身につけないと宝石が可哀想だ。シュタート伯爵夫人だって、置物にするために送ってきたのではない。彼女が参加する夜会で身につけ、改めて礼を言うのが礼儀だろう。
店員は笑顔のまま、可能ですと答えた。
「もし好みの系統がお決まりなら、お申し付けください。宝石の大きさはいかほどでしょうか?」
「確か、これぐらいだったな」
答えたのはクラウスだった。店員が用意した紙に大きさを書き、リディアに見せる。リディアの記憶にあるものと相違ない。間違いないと伝えると、クラウスは紙を店員に渡した。
宝石が届いた時、クラウスが見たのは一度だけだ。それなのにしっかりと覚えているようだ。
続いて図案の参考にする宝飾品を選び、店員に伝えた。
「近日中に宝飾デザイナーが図案を持ってお屋敷へ参ります。細かい調整等は、その時に」
辺境伯からの依頼ということで、作業は最優先で取り掛かってくれるそうだ。
「君が欲しいものは?」
どうやら夜会用のものを選んで終わりではないらしい。
「私が欲しいもの、ですか?」
「今のは、仕事で使うものを買っただけだ。君が個人的に欲しいものを選んでくれないと、礼にならない」
リディアには仕事に使う道具を選んでいるつもりはなかった。だがクラウスは違うようだ。夜会用のもので誤魔化すこともできたのに、しっかり線引きして好みまで聞いてくれる。
夜会用の宝飾品は、ドレスと釣り合う煌びやかなものが主流だ。リディアの好みとは少し離れている。大輪のバラのような首飾りよりも、小さな花のように小さくて繊細な見た目が好みだった。
店員が見せてくれた宝飾品の中に、リディアが選びたくなるものも含まれている。
「せっかくですから、クラウス様が選んでくださいな。指輪がいいです」
「俺が選んでもいいのか。そうだな……」
クラウスは端に置いてあった箱の中から、指輪を一つ選んだ。花がついた枝を組み合わせたような指輪だった。材質はもちろん銀。小さな花の部分を金で作っている。真ん中の青い宝石は控えめな大きさだ。
「よく私の好みが分かりましたね」
「……あの箱だけ、見ている時間が長かった」
リディアのことを知っていたのではなく、状況判断で選択肢を減らしたらしい。
言われてみれば、好きなものが多く入っていたので、長く見ていた気がする。
「嫌いなら別のものにするか?」
「いいえ。これがいいです!」
クラウスが選んでくれるなら、なんでも良かった。選んでいる最中はリディアのことを考えているのだ。クラウスのことだから、きっと真面目に似合うものを選んでくれる。今この瞬間が形になったものだから、だからリディアの好みでなくてもいい。
「ありがとうございます」
初めての贈り物だ。人前でなければ、踊りたくなるぐらい嬉しい。意識しなくても笑顔が浮かんでくる。淑女なら、もっと上品に微笑む程度にすべきなのに。
「そこまで喜んでもらえるとは思わなかったな。贈った甲斐があるよ」
よほど態度に出ていたのだろう。クラウスが苦笑している。呆れてはいない。彼の目に柔らかい光が浮かんでいる。
もし店員がいなかったら、クラウスに抱きついていたかもしれない。そんな目で見られたら、自分が愛されていると錯覚してしまう。リディアはまだ書類上の妻で、彼の心にはあの人がいる。次の関係に進むまで、過度な接触はできなかった。
指輪はリディアの指よりも少し大きい。サイズを調整したものは、図案と一緒に届けるように手配し、買い物が終わった。
店から出ると、護衛の一人が馬の手綱を持って待っていた。銀鉱山へ行った時と同じく、クラウスと二人で乗って屋敷へ帰る。街道は見晴らしが良いこともあり、護衛は離れた場所からついてきた。
町を出ていくらもしないうちに、頭上を丸いものが通り過ぎた。
「なんだアレ」
「精霊ですわ」
珍しく、クラウスにも肉眼で見える精霊がいる。
精霊は全体的に丸い形をしていた。ガラス玉を摘んで引っ張ったような短い足が八本ついている。頭には耳のようなヒレがあり、空中で移動するたびに動いていた。
「ぴ」
精霊が目線の高さまで降りてきた。挨拶をするかのように鳴き、つぶらで真っ黒な目でリディアたちを見ている。
「ふふっ。可愛い」
「正気か?」
「もちろん正気ですわ。精霊とは人間の想像を超える姿をしているものが大半なんです」
「え……? じゃあ庭園で見せてもらったのは?」
「あれも精霊の一種です。人の姿に近いものを選んで、クラウス様に見ていただきました」
「他にもいたのか? コレに近いものが?」
「……いいえ。人に近い外見のものだけ」
「おい。今の不自然な間はなんだ。他にもいたんだな? 奇妙な姿をしたのが!」
クラウスはすっかり精霊の姿に引いている。
「もっと段階を踏んで精霊を知ってもらおうと思っていたのに……」
「何を見せるつもりだったんだよ。あれ? じゃあ風の精霊の中には、奇抜な姿をしたものも……?」
「ご覧になります? 心の準備はよろしくて?」
ちょうど枯れ草の塊のような風の精霊が、そよ風に乗って通り過ぎて行ったところだ。塊の中央に人の顔のような裂け目がある。風が強い日はいくつか集まって、風の音に似た鳴き声を発して遊んでいるのをよく見かけた。
初めて見た時は怖すぎて、存命だった母親に泣きついたことがある。あれは初心者向けではない。
「よろしくない! 俺は今まで通りに聞こえるだけでいいからな!」
残念だ。風の精霊の中には、犬に似たものがいるのに。リディアの目の前では、先ほど通り過ぎた枯れ草のような精霊を追いかけ、噛みついたり振り回している光景が繰り広げられている。犬が好きなクラウスなら、きっと好きになると思って紹介しようかと思っていた。
「そうですか? 光の精霊が朝日へ向かって一斉に飛ぶ姿なんて素敵なのに。小さな綿毛がふわふわと空へ昇っていくのよ」
「あ。それなら大丈夫か……?」
クラウスが迷い始めた。もう一押しすれば、見えないものへの恐怖心を克服してくれるかもしれない。
「それにね、クラウス様。人間の目に見える精霊は、力が強いのですわ。この図鑑でしか見たことがないメンダコに似た精霊は、相当な力を秘めています。わざわざ挨拶をしに来てくれたということは、人間にとても好意的な証拠ですのよ」
「そうなのか……? 見た目が奇抜だから、つい。言われてみれば、俺にも見える精霊というのは珍しいな」
「ぴ」
また精霊が鳴いた。
「クラウス様のことが気になるのかしら。これも風の精霊ですから、好んで寄ってきたのかもしれませんね」
「へえ。風なのか。可愛いかどうかはさておき、怖くはないな。見慣れると君のように思えるのかも――」
「クラウス様!」
後ろを移動していた護衛が追いついてきた。空中を浮遊している精霊を見上げ、魔獣ですかと言って剣に手をかける。
「何ですかそれ。うわっ。気持ち悪っ」
「うん。やはりそう思うのが普通だよな」
すんっと冷めた目になったクラウスは、うなずいて護衛に同意した。
とんだ邪魔が入ったものだ。




