22東の辺境7
ブルーノは最高に機嫌が良かった。
証拠不十分で牢から出されたブルーノは、その後も王国各地で貴族を騙して金品を巻き上げた。貴族はプライドが高く、騙されたことを他人に知られるのを恐れている。そのため余計に発覚が遅れ、ブルーノが逃亡資金を確保する十分な時間まで稼げた。
――いくら貴族でも、外国にいる俺は捕まえられないだろうよ。
貴族の権力は国内だけのものだ。逃亡先に南国の観光地を選んだのは正解だった。彼らがどんなに悔しがっても、楽園にいるブルーノには欠片も影響がない。
「ねえ、お酒頼んでもいーい?」
ブルーノにしだれかかってきた女が、媚を売る目で囁いた。香水の香りが強くなる。他にも複数人の女がブルーノのそばにはべり、こちらの言葉に耳を傾けていた。
夜の店を貸し切って遊ぶのは、ブルーノが一度はやりたかったことだ。
「ああ。いいぞ。好きなだけ注文しろよ」
遊ぶ金は十分ある。連日で貸し切っても、まだ余裕があった。
金が尽きれば、また誰かを騙して巻き上げればいい。貴族すらブルーノに騙されたのだ。騙す才能なら誰にも負けない。
グラスの酒が空になった。ブルーノが合図をする前に、気がついたボーイが回収をしていく。新しい酒を持ってきた別のボーイが、目の前のテーブルにグラスを置いた。
南国らしい果物を使ったカクテルだ。瑞々しい柑橘の輪切りから、爽やかな香りが漂ってくる。
グラスを持ち上げたブルーノは、オレンジ色の酒の中に異物を見つけた。
目玉だ。
「うわあっ!」
急いで投げ捨てたグラスが割れ、中の酒が床に飛び散る。だが目玉はどこにもなかった。
「どうしたのー?」
隣にいた女が間延びした声で聞いてきた。その呑気な言い方が癪に障り、ブルーノは乱暴に女を押し除けた。
「なんでもねえよ」
酒を飲みすぎて、幻を見たようだ。急に恥ずかしくなってきた。
ブルーノは席を立ち、店に併設されているプールへ歩いていく。少し頭を冷やしたい。背後からは女たちの笑い声が聞こえてくる。その高い声が心の神経質な部分を刺激した。
プールの水面にランタンの光が反射している。キラキラと光る小さな波を見ていると、ブルーノの心は落ち着いてきた。
自分は今、楽園にいるのだ。些細なことでイラつくことはない。
ため息のように長く息を吐いたブルーノは、水の中に何かが沈んでいると気がついた。
波に合わせて揺れているのは、長い髪に見える。最初は店の女がプールで遊んでいるのかと思った。だがずっと同じ場所から動かない。正体を確かめようとプールに近づいたブルーノは、じっとこちらを見つめる目と見つめ合うことになった。
「ひっ……」
水中にいたのは、ドレスを着た女だった。南国の薄く体に沿ったものとは違う。もっと北の、ブルーノが生まれ育った国で何度も見たものだ。
女の口が開き、空気の塊が吐き出された。
「……返して」
水中にいるはずの女の声が聞こえる。
「私の、宝石」
ブルーノは叫んでプールから離れた。急いで店の女たちがいるところへ戻り、酒を探す。
「よこせ!」
歩いていたボーイが持っていたグラスをひったくり、中の酒を一気にあおった。むせるほど強い酒だったが、今のブルーノにはちょうどいい。
次の酒を求めて周りを見たブルーノは、店の中が静かだと思った。先程まで笑っていた女たちが、じっとブルーノを見ている。表情はなく、服装すら変化していた。あんなに大胆に肌を見せていたのに、首から足先まで服で隠れている。
「あ……あぁ……」
女たちの顔をよく見れば、ブルーノが騙した貴族そっくりだ。
「私の宝石。返して」
「許さない」
次々とブルーノへ向かって恨み言が飛ばされる。ゆっくり立ち上がった女たちが、ブルーノに手を伸ばす。決して届かない距離なのに、ブルーノは鳥肌がたった。
ずしりとズボンのポケットが重くなった。手を入れてみると、そこにあったのはブルーノが騙し取って売り払った宝石だ。
「返して」
女が下からブルーノの顔を覗きこんできた。目玉があるはずの部分は空洞だ。
「私の目、返して」
ブルーノが持っていたはずの宝石が目玉になっている。青く澄んだ瞳がブルーノを見上げていた。
「ち、違う! これは、違うんだ! 俺じゃない!」
手の中にあるものを投げ捨てたブルーノは、店の外へ向かって走りだし、唐突に目が覚めた。
「あ……あれ……?」
背中に伝わる硬い感触で、牢の中だと思い出した。小さな窓からは、月明かりが差し込んでいる。
呼吸を整えたブルーノは、起き上がって自分の両手を見た。続いてズボンを触り、余計なものを持っていないか点検をした。
「夢、だよな」
やけに現実的な夢だった。女の香水の匂いや、酒の味。空気まで本物のようで、目が覚めるまで気がつかなかった。
安心したブルーノは、また粗末な寝台に横になった。夢のせいで疲れている。
「くそっ……なんで俺がこんな目に……」
悪態をついて目を閉じたブルーノの耳に、誰かが廊下を歩いている音が届いた。見回りの騎士なら、もう少し足音が大きい。しばらく目を閉じたまま耳を澄ませていたブルーノだったが、足音が自分の牢の前で止まるのを聞いて冷や汗が出てきた。
薄く目を開いてみると、月明かりで人の輪郭が見える。長いローブを着ているのか、体型は全く分からない。謎の人物は音もなく牢の扉を開け、中へ入ってきた。
「だ、誰だ?」
答えはない。その人物はブルーノに近づいて、手に持っているものを振り上げた。わずかな光に反射したそれは、ナイフのように鋭い形をしている。
殺されると思ったブルーノは反射的に目を閉じ、誰かに肩をゆすられた。
「おい、起きろ。いつまで寝ているんだ」
「……え?」
いつの間にか朝になっていた。ブルーノは起き上がって自分の体を見下ろしたが、どこも傷ついていない。
「夢? また?」
「何を訳の分からないことを言ってるんだ。さっさと牢から出ろ」
ブルーノを起こした騎士は、牢の出入り口をアゴで示した。
「な、なぜです?」
「なぜって、これからお前は処刑されるんだよ」
「処刑!? さ、裁判は? 罪状は、まだ何も」
「裁判? おいおい、寝ぼけてるのか? まともに喋らない奴の裁判なんて、するわけないだろう。時間の無駄だよ。こうやって牢に閉じ込めているだけでも、無駄だってのに。まさか、喋らないうちは大切に保護してもらえると思っていたのか?」
騎士は腰の剣に手をかけた。
「役に立たない人間を生かしておく必要はない。処刑場へ行く時間も節約してやろうか?」
「い、言います! 情報屋の名前ですよね? 言いますから!」
「いまさら、その証言になんの意味があるんだ? 情報ってのは鮮度が重要なんだよ。お前の情報は、もう古いんだ。腐ったもんに何の価値がある?」
だから死ねと言われたブルーノは両手で自分をかばい、目を閉じた。両手に鈍い痛みを感じ、意識が飛ぶ。
しばらくして目を開けたブルーノは、自分が寝台から落ちた状態になっていると知って混乱した。
周囲は暗い。小さな窓からは月明かりが差し込んでいた。
「ゆ……夢……? さっきのも……? 何が、どうなっているんだよ……」
ゆっくり起き上がったブルーノの耳に、小さな声がした。
「ねえ、誰に教えてもらったの?」
「ひっ……」
ブルーノが騙そうとした貴族の声に似ている。捕まって牢に入れられたブルーノに、わざわざ会いに来た辺境伯夫人。その色気がある声は、今のブルーノにとって鳥肌が立つほどの恐ろしさがあった。
「話してくれないの? いいわよ。あなたが意地悪をするなら、私もあなたに意地悪をするわ。楽しみにしてね」
鈴が転がる上品な笑いと共に、声は聞こえなくなる。
ブルーノは頭から毛布を被り、朝が来るまで一睡もできなかった。
***
領地の視察を終えたクラウスは、屋敷へ帰る途中で彼に面会を申し出ている貴族がいると聞いた。すでに辺境の境まで来ており、クラウスの許可が下りればすぐこちらへ移動してくるという。
伝令の騎士と馬で並走しながら、クラウスは感想をこぼした。
「えらく急な話だな」
「応対した騎士の話では、辺境伯に感謝をしていたそうです」
「俺に?」
面会を希望している貴族は、シュタート伯爵夫妻だそうだ。国内全ての貴族を知っているクラウスは、すぐに該当者の顔を思い出した。伯爵の領地では優れた馬を繁殖させており、王家に献上したこともある。夫人のほうは宝石が好きと聞いたことがある。
馬の話をしに来たなら、事前に手紙の一つでも送ってくるはずだ。
「……ここで悩んでいても仕方ないな。屋敷に招いて話を聞こうか」
伝令はクラウスの伝言を受け取り、馬の速度を上げて駆けていった。
シュタート伯爵はクラウスと敵対していない。招いても問題ないだろう。
さらにクラウスは道中で、手配書に載っていた詐欺師について報告を受けた。留守中にリディアのところにも来たようだが、被害はなかったそうだ。詐欺師の取り調べにはフリッツが同席し、問題なく終わったという。
「捕まった当初は反抗的な態度でしたが、牢の中で一晩過ごしたあとは従順になりました。しきりに自らの保護を訴えてくる以外は、素直ですよ」
「命を狙われるようなことをしたのか?」
「貴族を相手に詐欺をしていたので、報復されると思っているのかもしれません。奥様とフリッツさんから脅されたのが効いたのかも――」
「待て。誰が脅したって?」
「ええと、ですから、奥様とフリッツさんが……」
フリッツは情報局の人間だ。本人は尋問するのは苦手だと言っていたが、やり方は知っている。証言を引き出すために飴と鞭を使うなんて、当たり前だろう。
問題はリディアだ。大人しそうな見た目に反して、行動力がある。文通をしている範囲は広く、協力してくれる精霊もいる。
――絶対に何かしたな。
詐欺師に騙されそうになったリディアが、大人しく泣き寝入りをする姿が想像できない。落ち着かない気持ちで屋敷へ帰ったクラウスは、まずリディアに出迎えられた。
リディアは玄関の前でクラウスに向かって微笑んだ。
「お帰りなさいませ」
「ああ。詐欺師が家に来たと聞いたが?」
「追い返しましたわ」
その後に何をしたのか聞こうとしたが、シュタート伯爵の馬車が到着した。夫妻は馬車から降りるなり、満面の笑みでクラウスとリディアに挨拶をした。
「オイレンブルク辺境伯。この度は我が家に損害を与えた詐欺師を捕縛してくださったと聞きました。いてもたってもいられず、領地まで押しかけてしまったことをお許しを」
オイレンブルクはクラウスの辺境伯としての名だ。
「かの詐欺師を探しているのは、我が家だけではありません。余計な横槍を入れられる前に、我が家で引き取りたいのです」
報告では、ただの詐欺師という印象だった。だがシュタート伯爵の口ぶりは、表沙汰になっていない事情を仄めかしている。彼はクラウスが事情を全て知っていると思っているようだ。
戻ってきたばかりのクラウスには、情報が圧倒的に足りない。今は同意をしたり、話を合わせるとまずいというのは理解した。
思わず顔が引きつりそうになったが、微笑みの形で維持をした。これでも王子として王宮や外交で人前に立っていた意地がある。腹の中で何を考えていようとも、表に出さないのは慣れていた。
「ひとまず中へ入りませんか。長旅でお疲れでしょう。積もる話は、その後で」
クラウスはそう言って、その場を乗り切った。
客の案内を使用人に任せ、クラウスはリディアに言った。
「話がある。執務室へ来てくれ」
「……身を清めてからお伺いしたほうがよろしいですか?」
「要らん。すぐに来い」
どんな邪推がリディアの頭に流れたのかは知らないが、きっとろくでもないことに違いない。クラウスは途中でフリッツも捕まえ、二人を問い詰めた。
「手短に、俺が知るべきことを話せ」
「手短にと言われましても……」
「シュタート伯爵夫人から、各地で詐欺師が活動していると警告の手紙が届いたのが発端ですわ」
今度はリディアが口を開いた。
「手紙の到着から数日後、王国各地で貴族を相手に詐欺を働いていた男が、私を訪ねてきたのです」
時系列順に話を聞いたクラウスは、シュタート伯爵が辺境へ来た理由を尋ねる。
「彼らは、君からの手紙を受け取ってすぐに来たということか?」
「はい。騙されて盗まれた貴金属や投資資金を、可能な限り回収したいのでしょうね」
「他にも事情があるように聞こえたが?」
「詐欺の被害者は、五名。全て同じ派閥に属していますわ。偶然かどうかは分かりませんけれど」
「有り得なくはないが、偶然では片付けられない数字だな。対立している派閥に詐欺師を横取りされて、妨害されるかもしれない……というのは考えすぎか」
詐欺師はまだ辺境で詐欺行為を働いていない。今は手配書が回ってきているという理由で捕まえている。いずれ詐欺事件を起こした王都へ輸送する予定だった。
クラウスとしては詐欺師を輸送する手間が省けるのは助かる。シュタート伯爵との間に確執はなく、この件を使って交渉したいこともない。せいぜい、馬を買うときに値引きしてもらえたらいいなと思う程度だ。
「……引き渡すか。ここに留めておく理由もない」
「では僕が引き渡しの手続きへ行ってきます。会うたびに助けてくれって言ってくるから、話すのが面倒だったんですよ」
詐欺師を捕まえている騎士団への伝言を頼むと、フリッツは執務室から出ていった。
「君も詐欺師を脅したと聞いたが?」
「少しだけ取り調べの手助けをいたしました。黙ったままで喋らない彼がお話をする気になるように、予想される未来を可能な限り教えただけですわ」
「精霊に頼んで悪夢でも見せたか?」
「悪夢だなんて」
リディアは困ったように笑う。
「彼が眠っている時に、悲惨な末路を芝居の形式で見せたのです」
「それを悪夢って言うんだよ。世間ではな」
やはりリディアが絡んでいた。クラウスは嫌な予感が当たっていたことに疲労を感じた。
精霊を使って夢を見せることを禁止する法律はない。
「やりすぎていないだろうな?」
「一度しか見せておりません」
「牢で一晩過ごしたら、素直になったそうだ」
「まあ。とても効果的だったのね」
素直に喜ぶリディアに、思いきって尋ねた。
「そこまでしなくても、フリッツや騎士に任せておけばよかったのに」
「クラウス様の資産を狙う人が許せなかったのよ。私の領分ではないからといって大人しくしていたら、悪い人に漬け込まれるだけです。こちらが譲歩をした分だけ、あちらは踏み込んでくるだけですわ」
まるで経験してきたような口ぶりだった。
――継母と確執があったらしいことは聞いたが……。
赤の他人であるクラウスが知り得たのは、表面的な出来事だけだ。当事者のリディアには言語化されていないことがあったのだろう。
クラウスは困っていた。リディアの事情を知らないまま、彼女がやったことを否定していいわけがない。だが精霊を使って悪夢を見せるのは、少しやりすぎにも思える。
「……あまり危険なことはしないように。精霊の力は、人間には強すぎる」
それだけ言うのがやっとだった。
リディアに気分を害した様子はなく、素直に分かりましたと答えた。
「精霊が身近な存在すぎて、忘れていたようです」
正式に詐欺師を引き渡すのは、翌日の早朝になった。シュタート伯爵夫妻は詐欺師を受け取ったら、すぐにでも出発したくなるだろう。初めて来る辺境で無理な旅をすれば、事故になるかもしれない。そう説得すると、二人はあっさりと納得していた。
滅多にない客人が来たので簡単な酒宴をしたところ、伯爵夫妻はいたく感激していた。自分たちを騙した詐欺師が捕まり、心配事が一つ消えたのもあるのだろう。気前よく軍馬を贈呈すると言っていたが、礼だけ述べて期待しないことにした。
酒の席で交わした約束など、次の日には忘れているのが常識だ。契約書を交わしたわけでもないのに、信じて待つほうがおかしい。
そんなクラウスの考えは、酒宴から一ヶ月後になって覆された。
クラウスには立派な栗毛の軍馬が二頭、リディアには大粒のアメジストが届いたのである。贈り主はもちろん、シュタート伯爵夫妻だった。




