〈第9話〉草原に揺らぐ境界
指先から感覚が摩耗し、まるで冷たい泥の中に深く、深く沈み続けていく。
音のない底で意識を取り戻した自分を待っていたのは、永遠に続くかのような濃密な暗闇だった。
喉の奥に、かつてこの世界へ放り出された日の『言葉』が苦くせり上がってくる。
『――なんで、まだ生きてるんだ…?』
確かにあの時、命は吹き消されたはずだった。
それなのに、神の気まぐれか悪戯か、理由もなくこの世界へと生を繋がされてしまった。
あの時、そんな逃げ場のない虚無に、肺胞が震えるほどの叫びをぶつけた。
忌々しい『傷跡』を、皮膚を裂かんばかりに掻きむしる。
指の隙間からこぼれ落ちる絶望に、顔を歪めることしかできなかった。
「(そうだったな…)」
自分は『あの日』に文字通りに突然何もかも失った。
自分から手を振り解いてしまった。
この世界にいわゆる転生した時の、その言いようのない虚無感は未だに思い出せてしまう。
『えっと……どうしましょうかね、この子?』
『…………』
『カッハッハ!当然『連れて行く』に決まっているだろぉ!?アイツの驚く顔を見るのが楽しみだなぁ〜?』
それでも無理やり手を引いてくれた人たちに出会った。
そしてこの世界の特有の力である『術印』を知り、国を、居場所を守ることが生きがいに変わった。
何より、自分を理解してくれる人たちもできた。
だが、こうして『また失った』。
本当に、下らない妄言だ。
何がこの世界の人のためになるだ?
「(……もう、いい。)」
『想い』などという形に出来ないものは、誰にも届かずにすり抜けて落ちていく。
それが最後に出した答えであり、最初に残った結論でもある。
だからこそ今。
苦しむことから愚かにも逃げ続けた自分へ、『罰』という解を与える必要がある。
今度こそ、どこにも生まれ落ちないように。
もう何度も味わって来た息苦しさと、それから逃げるための『手段』の実行。
肺を圧迫する重苦しさを振り払うべく、微かな力を振り絞って、自らの喉元へ指を伸ばす。
終わりを確信し、瞼を閉じようとしたその時だった。
「いや、何してるの…!?」
鼓膜を突き破るような鋭い声。
氷のように冷えていた手首を、熱を帯びた『誰か』の手が強引に掴み取った。
それでも力づくで首に向かって手を伸ばして…
「抵抗、してないで……起きろーー!!」
「グボッ…!?」
一段と頭の中へ響いた叫び声と同時。
俺は心臓付近に、あの時と同じような強い衝撃が加えられた。
*******
「ハッ、ハッ…!!な、何だよ今のは…!?」
「いや、それはこっちのセリフなんだけど?!なんでいきなり自分から死のうとしてたの!?」
まるで、悪い夢から覚めたような気分だった。
思わず自由が効いてなかった身体を無理矢理起こし、勢いよく咳き込む。
心臓が痛く、ひどく強い鼓動が全身をついている。
そして、まだぼやけている視界を正すために目を開けようとしたが、差し込んできた明るい光に再び目を閉じさせられた。
「ほ、本当にビックリした〜…!」
その声色に反応して、今度は口を拭いながらゆっくり目を開ける。
「でも、何もかもから逃げる手段として1番考えられるのは『死』だよね……分かるよ、その気持ち…?」
視界のピントがゆっくりと、残酷なほど鮮やかに合っていく。
「………はっ?」
そこに広がっていたのは、暗闇とは対極にある光の洪水だった。
目の前には、先ほどの景色からは想像ができないほど青い空に雲が漂っている。
突き抜けるような青空を、ちぎれた綿菓子のような雲がゆっくりと渡っていた。
どこまでも続く緑の絨毯は、風に撫でられてさざ波のように揺れる。
まるで天国と見紛うほどの、透明な静寂。
頬を撫でる風はさわやかな草の香りを孕み、あまりの心地よさに、今が地獄の縁であったことさえ忘れそうになる。
「なっ、何なんだよ、ここは…」
現実離れしたコントラストが、網膜を白く焼き切らんばかりに輝いていた。
「ふぅ〜……何がともあれ、目が覚めた?」
再び、聞き覚えのある声が自分のすぐ側から聞こえてくる。
景色を見ながらぼーっとしていた頭もすぐに覚め、すぐに声のした方に視線を向けた。
「それにしても、君も中々重い感情を持ってるね?」
傍らに立っていたのは、あの禁忌の術印使いだった。
抜けるような青空の下、伸びやかに、まるで友人に会ったかのような気軽さで佇んでいる。
「お前、は…!!」
「うん!やっぱり、こういう心理描写が鮮明に分かるからこそ、物語の中の世界は面白いよね!」
その口元に浮かんだ微笑は、不自然なほど整っている。
親しみやすいはずの笑顔が、この色彩豊かな風景の中で、かえって歪な欠落のように自分の瞳に焼き付く。
立ち上がり、すぐに距離を取るとヴォルティートは慌てながら両手を上げた。
「あっ、待って待って!僕はもう君のことを痛めつけたりはしないよ!それにここで君に勝手に死んでもらわれたほうが、本っっ当に困るし…!」
「何、言って……これもお前の術印なのか!?さっさと答えろ…!!」
「だ、だから落ち着いてよ〜…」
おどけるような口調とは裏腹に、その声には温度がなかった。
「……たしかにさっきまで、僕は君を殺そうとした勢いだったけどさ…?」
ヴォルティートは、まるで懐かしい思い出を語るような気安さで殺意を口にする。
その言葉の軽さに、喉の奥から乾いた吐息が漏れた。
ふいに、自分達を隔てる沈黙に風が割り込む。
波打つ草原の青と緑は、網膜に焼き付くほど過剰に鮮やかだ。
死の淵から引き戻されたばかりの意識には、その色彩さえもが毒のように突き刺さる。
現実感が、指の隙間からさらさらと零れ落ちていくようだった。
「いや……たった今、死のうとしたところを助けたから、それでイーブンになったって考えることもできるのかな……どう思う…?」
「ハァッ?!何、ふざけたこと言って…!!」
ポツリとこぼしたその言葉に、思わず反吐が出る。
バカみたいな等価の考えに瞬時に沸き上がった怒りが、凍りついていた思考を無理やり叩き起こした。
「ご、ごめん、やっぱりイーブンは言い過ぎてたね…?」
首筋に手をやるが、そこにあるはずの包帯の手触りはない。
剥き出しの跡の残る皮膚が、風に曝されてひりつく。
指先に意識を集中させ、いつでも『厄印』を叩き込めるよう、全身の神経を逆立てた。
「あー!だから、そこまで警戒はしないでほしいんだけど!?」
すると、しゅんとした顔をしてみせていた焦ったようにヴォルティートが声を上げた。
戦う素振りは見せず、両手を肩の高さまで上げて、横にブンブンと振っている。
「うるっせぇ……黙れ!生かしておいて、何のつもりなんだ、ヴォルティート!?お前の狙いはなんだ!?」
「もう何もしないよ…!確かに本来は、君のことは『進行上』だったら、あのままの状態にして立ち去るべきであったけど…」
その言葉が、空虚な草原のざわめきに溶けていく。
吹き抜ける突風が、互いの距離を無慈悲に引き裂いた。
こっちの理解を置き去りにして進む会話。
まるで意味をなさないような単語の羅列。
その違和感に、己の鼓動だけがやけに重苦しく、耳の奥で警鐘のように鳴り響く。
「どういう、ことだ…?」
「もう結構、本来の展開とは全く違う動きしちゃってるね……まぁ、選んじゃったのは僕なんだけどさ?」
ヴォルティートの唇が、滑らかな弧を描く。
楽しげに、慈しむように笑っているはずなのに、その声は奈落の底から響いてくるように遠いもの。
「おい…!さっきから1人で何を言ってるんだ…!?」
理解の範疇を超えた独白。
突き抜けるような青空の下、自分だけが透明な檻に閉じ込められ、一人喜劇を見せられているような錯覚に陥る。
視界に広がる世界はこんなに鮮明なのに、目の前の存在だけが、致命的に切り取られたように歪んでいた。
「まーた、こんな形で進む事になんのかよ…」
「……っ!誰だ…!?」
その時、鼓膜を揺らしたのは、ヴォルティートの軽薄な響きとは正反対の、地の底を這うような低い声だった。
困惑に塗り潰された視界の端で、さらなる異常が声を上げる。
「あっ、丁度君の手を借りたいって思ってたんだ!」
「本当にお前はなぁ…」
声の源を見ようと視線を走らせた瞬間、心臓が凍りついた。
ヴォルティートの影のように暗い髪色。
その色が、まるで物理的な質量を持ったようにずるりと剥がれ落ちた。
影のような何かが空中を漂い、光を吸い込みながら音もなく形を成していく。
「(ま、さか……)」
全身の毛穴が逆立ち、嫌な汗が背中を伝い落ちる。
本能が、目前の存在を普通ではないと断じていた。
「(コイツが、禁忌の死神か…!?)」
禁忌の長と行動を共にし、本来の術印の使用者として存在している存在。
話にのみ聞いていた存在が、今は目の前にいる。
「好きにしろっては言ったが……毎回、そう打算で突っ切ろうとするな。」
だが、目の前の『ソレ』は、ヴォルティートに対し、隠そうともしない呆れと苛立ちを吐き出していた。
黒い霧は、沸き立つ積乱雲のように激しく、禍々しく輪郭を変え続ける。
やがて、人の形を模した塊へと収束し、顔のあるべき場所には底知れない深淵が口を開けている。
静寂が、不気味なほどに重い。
「本当だよ……動きの多い登場人物に成り替わると、こっちのやるべき事が増えるから大変だよー…」
「だったら、今更ここまで展開ぶっ壊しといて、そんなこと言うな、おい!」
黒い影が、苛烈な動きでヴォルティートの胸ぐらを掴み上げた。
そのまま、人形のように激しく揺さぶる。
片眼鏡の奥にあるヴォルティートの瞳から、急速に生気が失われ、硝子玉のような虚ろさへと沈んでいった。
「うぇぇぇっ、キモチワル…!は、激しく揺らすのはいい加減やめてよ…!?」
「チッ……本当にお前は!」
「ぶへっ…!?うぅ、人使いが荒いなぁ…!」
雑に投げ捨てられたヴォルティートが、柔らかな草原の上をごろごろと転がっていく。
そのまま仰向けになり、焦点の合わない目で、どこまでも続く青空をじっと見つめていた。
「……おい、お前。」
不意に、風が止む。
黒い影がゆっくりと首を巡らせた。
視線のない視線が、射抜くように俺を捉える。
「な、なんだよ…」
その声は、空気を震わせて届くのではない。
頭蓋の内に直接、冷たい楔を打ち込むような重圧。
向けられた圧に縫い留められ、指先一つ動かすことすら許されない。
「はぁ……やっぱり、何も知らないのかよ…」
刹那、飛んで来たのは冷徹で深い溜息。
そんな硬直した空気を切り裂いたのは、草の上で無様に横たわっていたヴォルティートが、ふらふらと起き上がる気配だった。
「あ、頭の中まで頑丈にならないかなぁ……ほんと、これは人間の身体の欠陥だよね…」
ヴォルティートは頭をさすりながら、まるで道具の不具合を嘆くような手つきで呟いた。
「ったく……とりあえず、コイツのことはどうする気だ?見た感じ、まだ何にも理解できてないぞ?」
「いや、それはさー……今からどうとでもなるとは、思うよ…?」
黒い霧……メルと呼ばれた存在の低い声が、草原のさざ波を割って響く。
正直、思考はすでに限界を超え、飽和していた。
これまで、自分という存在がもう一人いればいいのにと、これほど切実に願ったことはない。
今の自分には、目の前の異様な光景を処理するためのリソースが決定的に不足していた。
「なら、説明くらいしっかりとしてやれ。完全に置いてけぼりの上の空じゃないかよ…」
「だから、今から色々話すつもりだったよ!君が嫌味ったらしく僕に苛立ち向けたから、こうなってんだからね…!?」
ふと、この場所に来てから初めて、喉の奥から乾いた笑いがせり上がってきそうになる。
数分前まで自分を殺そうとしていた、世界を滅ぼしかねない禁忌の術印使いの長。
それが、正体不明の影と子供のような口喧嘩を演じている。
あまりにも突飛で、あまりにも滑稽な会話劇。
その断絶が、かえって恐怖を麻痺させていく。
「じゃあ、あとはお前が自分でどうにかしろ……いいか?俺は当分出てやんないからな。」
「あっ……ちょっと、メル!?」
その言葉を最後に、黒い塊は質量を失い、一筋の影となって風に乗った。
それは吸い込まれるようにヴォルティートの髪へと織り込まれ、波打つ黒髪の一部として同化した。
訪れたのは、鼓膜が痛むほどの静寂。
ヴォルティートは深く、重いため息をつき、乱れた呼吸を整えた。
そして、何事もなかったかのように不思議そうな、まるで迷子を見つけたのような貌で、こっちを見据える。
「全く、気まぐれなんだからさぁ……それで、どうして君は笑ってるの?」
「いや……当たり前だろ…?自分の目の前で、意味の分からない会話されてるんだぞ…」
「あっ、ごめんごめん!確かに途中から君のことを完全に無視して、僕たちで話してたからね…」
目の前にいるのは、紛れもないさっきまで俺を殺そうとしていた『ヴォルティート』……のはずだ。
「だからちゃんと、『説明』してあげないとね?」
そのはずなのに、『フィリアさん』たちの言葉から形作っていた輪郭が、目の前の人間からは感じられない。
青々とした草原の中で、一人が描き直された『何か』のように決定的に、致命的に、俺の知る現実から『違って』いた。
「おい……せ、説明ってどういうことだ…?」
「君が訳もわからずここにいる理由。僕が何者なのか。目的やら何やら…」
奴は、にこやかに腕を広げ、誘うように上体を引いた。
そのあまりに無防備な、ある種の敬愛すら感じさせる仕草。
本能が鳴らす警報を、その柔らかな物腰が霧散させていく。
毒を抜かれたかのように、指先から力が削ぎ落とされるような、そんな抗いがたい奇妙な錯覚が肌を撫でた。
「僕は別に隠し事はしないからさ?君から向けられる質問には、大体のことは答えることができるよ。」
だが、その声には明確な『熱』がない。
ただ敵意がないのではない。
こちらを、『敵』とすら認識していない。
その絶対的な乖離が、かえって警戒心を麻痺させていく。
「ふふん!僕という人間に感謝してもいいよ!?」
「神を恨んでるのに自分を崇めろとか、矛盾してるんじゃないのか、おい?」
「ふん!ふん!」
不意に、ヴォルティートの髪の影からさっきの冷ややかな声が刺した。
すると、奴は声のした自分の黒髪が混じる頭部を拳で容赦なく数回殴りつける。
まるで、そこに宿ったの意識を物理的に黙らせようとするかのように。
「………」
思考が再び止まった。
自分の頭部を意気揚々と殴りつけ、何事もなかったかのように妙に作り物めいた明るい声の主。
「自分の頭殴れば、バグが治ると思ってんのか?」
「本当に君って、嫌味ったらしいね…!」
それが聞いていた『禁忌の術印使い』だが、輪郭が目の前の狂気によって塗り潰されていく。
この世界に落とされてから、数多の不条理を見てきた。
だが、今この瞬間、目の前の何かが放つ『正体不明の違和感』が、何よりも理解を拒絶していた。
「よーし、正義執行完了……っと。」
場にそぐわないほど軽やかな声が、陽光の中に溶けていく。
目の前の人間について、あるいはこの場所について、問いたいことは泥濘のように胸の底に溜まっていた。
だが、放たれる徹底した無防備さが、牙を剥こうとする神経を逆撫でし、同時に緩ませていく。
どこか当てられたような、抗いがたい矛盾する感覚。
「っ……いや、そんなはずないだろ…」
だが、毒を飲み下す前に、かぶりを振ってその思考を振り払った。
「……ん?」
「とぼけた顔すんな…!お前は俺やフルドを殺そうとして…!」
一歩踏み出そうとした足が、目に見えない境界線に阻まれたように止まる。
早まる鼓動が耳の奥で、警鐘を乱打していた。
焼き付くような怒りと、底の知れない恐怖。
その両端に引き裂かれそうになりながらも、奴を睨みつける。
「意味が、分からねえよ……本当に何なんだよ、お前はっ…!?」
対するヴォルティートは、ただゆっくりと、長い睫毛を揺らして瞬きをした。
凪いだ海のような静寂を湛え、密やかに判決を告げるかのように唇を動かす。
「僕は決して君の敵じゃないよ、アベル。」
その時、世界から音が消えた。
心臓を冷たい指で直接掴まれたような感覚。
短いその言葉が、見えない首輪となって俺の喉を締め上げる。
「何、言って……詭弁だ…!お前はフルドを消したんだ、そんな言葉に騙されるか…!!」
絞り出した叫びは、どこまでも続く草原のさざ波に吸い込まれ、霧散していく。
返る言葉はない。
ただ、風が吹き抜ける音だけが、不気味なほど鮮明に耳の奥にこびりついた。
緑の海がざわめくたび、この広い世界に自分だけが取り残されていくような、寒々しい錯覚に陥る。
沈黙が、重い。
「……理屈とかじゃ説明できない事象が、この世界にも存在しているはずだよ。例えば……」
ヴォルティートが言葉を切る。
視線だけでこっちの全身をなぞり、その口元を嗜虐的なまでに柔らかく歪めた。
「……まさに、『君』みたいな存在。」
「……はっ?」
「普通ならあり得るはずのない、想像する事でしかない『転生』という誰かの概念的な悪戯によって……君は、この世界にいる。」
瞬間、肺の空気が一気に引き抜かれた。
「な、なんでそれを…!」
普段から隠していたはずの、自分ですら正体を掴みかねている『根源』。
それを唐突に暴かれ、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われる。
「だからこそ、君には『権利』があるんだ!……ここで僕に対して、湯水みたいに湧いて出てきているであろう質問をぶつける権利がね?」
ヴォルティートは俺の心臓を指し示すように、細い指先をゆっくりと動かした。
逸らすことを許さない、蛇のような視線が絡みつく。
「あっ。あとこれは、先に安心させるために言っておくけど、君がここにいるみたいにフルドは『生きている』よ?」
「……!?」
降ろされた腕の隙間から、ポツリと無造作に放り出された言葉。
その瞬間、世界の時間が硬化した。
肺胞が凍りつき、思考の歯車が音を立てて止まる。
信じていいのか。
これはこの絵画のような草原の淵で見せられた、残酷な蜜なのか。
「あっ、もちろん、こことは違う場所にいるんだけどねー……はは…」
もう、ひりつくほど乾いた唇を噛みしめることしかできない。
畳み掛けられる言葉の濁流に意識は混濁し、反論の言葉さえ形をなさずに喉の奥で潰れていく。
けれど奴は、今度は自分の胸元に人差し指を突き立て、残酷なほど穏やかに微笑んだ。
「だから……ここからはちゃんと、面と向かって話そうよ?君の知りたいことや望むこと、僕が何でも答えてあげる。」
柔らかい声。
細められた瞳の奥には、空の色すら映っていない。
ただ純粋な、まるで観測者としての興味だけがそこに淀んでいた。
「そのために、僕は君をこの世界に連れてきたんだからね?」
陽光を浴びて輝く草原の真ん中。
自分という存在が、この瞬間から決定的に書き換えられていくような、底知れない恐怖に身を震わせていた。




