ユキオ君の道
漠とした不安を抱えつつつも土曜日が来た。私とノブコは二人して、県営球場に向かうことにした。暑い日だったので、水分補給は忘れず、例の日傘をさして。
この県は大都会ではないので、高校の数も少なく、参加校も少ない。五回勝てば甲子園ということになる。ノブコの高校は公立で進学校ということもあり、いつも一回戦で負けていた。
だけど、ユキオ君が入ってきて、一回、二回は勝てるようになり、今回は三年の夏。とうとうベスト4進出となった。だけど、今日の相手は優勝候補。県大会のみならず、甲子園でも優勝か? と前評判が高い。かなり分が悪いらしいが、勝てば本当に甲子園への道が開けるかもしれない。
私たちは、応援団から少し離れて内野席の上方に座った。暑いなぁ〜。なんで、こんな季節に、汗をかくようなことするんだろう。本当に人というものは不可解だ。
ユキオ君は公称百七十センチ、実は百六十九センチらしい。投手としては小柄だ。だから、打者から自分を大きく見せるような工夫をしている。アーム投法。肩が開いている状態で、手が後ろに残らない投げ方。肘と手を同時にスイングさせる投げ方といえばいいだろうか。
少年野球では、さっさと矯正される投げ方だ。だけど。え? 調べたのよ野球史。プロでも稀にこの投げ方をする人もいるし、かつて「速球王」と呼ばれた大投手も身長のなさをカバーするために、この投法だった。
もちろん、矯正されるのには意味がある。肩を故障しやすいこと、普通、この投げ方だと速い玉は投げられないと言われている。
だけど、ユキオ君のストレートはかなり速い。もっとも、相手投手。オータニ二世ともいわれ、今期のドラフトの目玉と目されている左投手だ。球速は百五十キロを超えることもある。それに比べれば彼の球速は十キロほど遅い。でも。ユキオ君の持ち味は、ボールの回転。バックスピンが効いている。
ね。詳しいでしょ? もちろん、今日に備えて野球を勉強してきたって言ってるでしょ!! ああ、天使だから球の回転とか良く見えるというか。マウンドからの球は、物理法則に従い放物線を描いて落下する訳だけど、バックスピンが効いていると、思った程は落ちてこない。打者の予想より「上」を通るってこと。
試合はユキオ君が二回に上げた一点を守り切って、一対ゼロ、回は九回裏。ここまで、二回裏の一死三塁以外、ピンチらしいピンチもなく、以降、一人しか走者を許していない。
とうとう、大本命、甲子園の優勝候補を大番狂わせで、破ることができるのか? 九回裏も一死。ここで、彼は、少し力んだのかもしれない。一番バッターに四球。でも二番は打ち取る。
続いて三番。さっきのオータニ二世と並んで、ドラフト候補といわれる三塁手だ。ストレートで内角を攻めて、得意じゃないと言っていたけど、ここでのスライダーは有効だった。みごとに泳がせてショートゴロ、ゲームセットと思ったのだけど。
なぜ、なんで?? ショートが一歩、ほんの一歩、サード寄りに守備位置を変えていた。打球は虚しくグラブの下を通りセンターへ。二死一、三塁。
サヨナラのランナーを進めてでも勝負を避ける手もあった。でも、彼、負けず嫌いなのかな。ワンボール、ワンストライクからの三球目。決して悪い球ではなかったと思う。
左バッターの膝下へのストレート。だけど。さすが。プロが注目する打者の方が上だった。柔らかいスイングでコマのように体を回す。絶妙のバットコントロールでミートした打球はライトスタンド上段に突き刺さった。
三対一。逆転サヨナラ。マウンドに蹲ってしまい立てないユキオ君。思わず、監督がベンチを飛び出した。本来、高校野球では、監督がグランドに出るのは規則違反だ。だけど、周りも大目に見たのだろう。監督に肩を抱かれるようにして、彼はマウンドを降りた。
「いい球投げてたのに、惜しかったなぁ」
「イリス。野球、勉強したの?」
「ええ。何事も。っていうか、もらったスマホ。とっても役に立ってるわ」
しばらく、ノブコに野球についての蘊蓄を話していると。
「あれ? ユキオ君からメッセージだ。いろいろあってもメゲない、現金はヤツ。今夜のお祭りどうか? だって」
「ああ、花火もあるんだっけ? 行きましょうか? って、私付き添いでいいの?」
「うん。その方がいいんじゃない?」
ということがあって。アパートにて。
「夜店、言うたら浴衣やろ。イリスちゃん。私のお古で申し訳ないけど、これ、どう?」
藍染に白の撫子の花が描かれたシンプルな浴衣だが、有松絞り? かなり高価な浴衣のようだ。
「え、こんな高価なもの」
「ええから。ええから。」
ノブコのは、青とピンクの朝顔の花があしらわれた浴衣。外見が、少し幼い感じに見える彼女にはよく似合っている。りんご飴を持った、銀髪のロシア系美少女風ということだ。




