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残響の不協和音〜カリスマαボーカルは隠れΩベーシストを逃がさない〜  作者: 水凪しおん


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エピローグ「朝の光と鳴り止まない和音」

 冬の刺すような冷気が和らぎ、窓の隙間から春の予感を含んだ暖かな日差しが差し込む季節。

 都内の閑静な住宅街にあるマンションの一室で、奏太は微かなコーヒーの香りに包まれて目を覚ました。

 厚い遮光カーテンの隙間から漏れる細い光の帯が、フローリングの床に真っ直ぐな線を引いている。

 隣に寝ているはずの凱の姿はなく、シーツに残った窪みだけが高い体温の余韻を保っていた。

 奏太はゆっくりと身を起こし、ベッドの縁に腰を掛ける。

 首を回すと、うなじに刻まれた傷痕のあたりが微かに突っ張るような感覚を覚えた。

 番の契りを結んでから数ヶ月が経過しても、その傷が完全に消えることはない。

 それは痛みではなく、凱と深く繋がっているという確かな証明として、奏太の心に穏やかな安らぎを与え続けていた。

 ベッドルームの扉を押し開け、リビングへと足を踏み入れる。

 広い空間の中央に置かれたローテーブルの前に、凱が背中を丸めて座っていた。

 傍らには愛用のマグカップから白い湯気が立ち上り、手元のノートには殴り書きされた無数の言葉とコード進行が並んでいる。

 凱はアコースティックギターを抱え、指先で柔らかく弦を弾きながら、低い声で旋律を探っていた。

 その横顔は研ぎ澄まされており、世界から切り離されたように音楽の世界へと深く潜り込んでいる。

 奏太は足音を立てないようにゆっくりと近づき、凱の後ろからその広い肩に両腕を回した。


「早いな」


 奏太の声に、凱はギターを弾く手を止めることなく、わずかに首を傾けて頬を摺り寄せてきた。


「メロディの断片が浮かんで、忘れないうちに形にしたかった」


 凱の声は、寝起きの独特の掠れを含んでいて、ひどく心地よく耳の奥に響いた。

 凱の髪から漂うシャンプーの香りと、根底にある冬の夜気のような澄み切った匂いが、奏太の鼻腔をくすぐる。

 奏太はそのまま凱の背中に体重を預け、目を閉じてギターの弦の響きに身を委ねた。

 解散の危機を乗り越え、ツアーを最高の形で締めくくった後、バンドは少しの休養期間を挟んで新しいアルバムの制作に入っていた。

 もはや奏太が薬で周期を抑え込む必要はなく、凱も自らの本能に怯えることはない。

 二人の生活の中には、常に自然な形で互いのフェロモンが溶け合い、それが新しい音楽を生み出すための尽きることのないインスピレーションとなっていた。


「ベース、入れてみるか」


 凱が振り返り、奏太の顔を見上げて口角を上げる。

 奏太は小さく頷き、部屋の隅に立てかけてあった自身のベースを手に取った。

 アンプを通さず、生の音だけで凱のギターに重ねていく。

 凱が紡ぎ出した新しい旋律の隙間を縫うように、奏太の指が太い弦を弾く。

 低く温かい音がリビングの空気を震わせ、ギターの高音と完璧な調和を描いていく。

 言葉を交わす必要はない。

 視線の交差と、呼吸のリズムだけで、互いが求めている音が手に取るように理解できる。

 玄関のインターホンが、無機質な電子音を響かせた。

 奏太がベースを置き、扉を開けると、そこには両手に大量の差し入れの紙袋を提げた瞬と、その後ろで静かに佇む結の姿があった。


「よお。デモの進み具合はどうだ」


 瞬が人懐っこい笑みを浮かべ、土足のまま上がり込もうとするのを、結が背後から無言で襟首を掴んで引き止めた。


「靴を脱げ。それから、深から渡された新しいスケジュールの確認が先だ」


 結の冷静な声に、瞬が不満げに唇を尖らせながらスニーカーの紐を解く。

 リビングの奥から凱が歩いてきて、二人の姿を見ると短くため息をついた。


「朝から騒がしいやつらだ」


 口ではそう言いながらも、凱の表情には隠しきれない柔らかさがあった。

 瞬が買ってきた熱々のデリバリーの朝食をテーブルに広げ、四人でそれを囲む。

 紙コップに注がれたコーヒーの熱気が、部屋の空気をさらに温めていく。

 深からはタブレット越しに、来月から始まるレコーディングの緻密なスケジュールが送られてきていた。

 新しい曲の断片について、瞬がギターのフレーズを口ずさみ、結がテーブルを指先で叩いてリズムの提案をする。

 奏太はそのやり取りを聞きながら、温かいコーヒーをゆっくりと喉に流し込んだ。

 胸の奥底から、じんわりとした熱と満ち足りた感情が湧き上がってくる。

 かつて、自分の存在がこのバンドを壊してしまうのではないかと怯えていた日々は、今では遠い過去の幻のようだった。

 Ωであるという事実が、凱の才能を縛る鎖になることはなかった。

 むしろ、互いの本能を隠すことなくぶつけ合い、深く繋がったことで、俺たちの音楽は以前よりも遥かに強靭で、豊かで、そして自由になった。

 凱の目が奏太を捕らえ、その瞳の奥に深い愛情と信頼の色が宿るのを見る。

 奏太は口元をほころばせ、凱に向かって小さく頷いた。

 窓の外では、春を告げる柔らかい風が街路樹を揺らし、木漏れ日がリビングの床に温かい模様を描いている。

 俺たちの鳴らす音は、これからも続く。

 この最高の仲間と、そして誰よりも愛する凱の隣で。

 永遠に鳴り止まない和音を、世界中へと響かせるために。

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