373.毒婦フェオドラ
「あーっはっはっは! 愉快だわぁ! もし今から私の前にひれ伏すと言うのなら、手下にしてあげても良いわよぉ? エーイクちゃんっ! うふ、うふ、うふははは!」
好き勝手言って哄笑するフェオドラを前にして、俺はただただ白けていた。
なんだこの女。わけが分からねぇ。
解毒薬が効かない毒を作った理由が自分の解毒薬を広めたいからって、自作自演もいい所じゃねぇか。頭がイッてる奴の思考は理解に苦しむね。
まあ確かに解毒薬が効かないとなると、解毒に一々神聖魔法を使える奴を連れて来なければならず、面倒は面倒だろう。
ただ、解毒には他に手が無いわけじゃない。高くつくのがネックだが。
フェオドラを睨みつつ、五等級の生命の秘薬を懐から取り出してホシに手渡す。ホシが急いでバドに飲ませれば効果はてきめん。彼はすっくと立ち上がった。
「その毒、生命の秘薬には無力みてぇだな」
「なーんだ、全然大した事ないじゃん。どーだ毒ババア! いーだ!」
俺が肩をすくめると、ホシが歯を剥いてフェオドラを挑発する。すると今まで余裕に高笑いをしていたフェオドラは、突然様子を豹変させた。
「やかましいッ!! んな事ぁ知ってるんだよッ! 私はいつか生命の秘薬だって超えてやるッ! そん時ァお前ら全員死ぬまで毒漬けにしてやるから覚悟しやがれこのダラズ共がァァァァァアッ!!」
「うるせーんだよクソが。そんな中身のねぇ事を一々叫ぶんじゃねぇ」
俺がそう言うと奴は歯を剥きだしにしてギリギリと歯ぎしりする。だが奴のそんな感情に一々付き合ってやる気はなかった。
それよりもだ。こいつは基本後方に引っ込んで出てこない奴である。だから今まで手出しができなかったわけだが、こんな機会をみすみす逃すはずも無い。
ここで会ったが百年目。俺は奴を睨みつけながら魔剣を鞘から抜き放った。
「珍しくこんな場所まで出張ってきやがったんだ。ありがたく処分してやるから、さっさとその首こっちに寄越せ」
「廃棄物みてーな言い方するんじゃねぇッ! クソっ、出て来たくて来たんじゃねぇッ、テメーらが私のかわいい手下共を軒並み殺しやがったからだろーがッ! なんで私が自分で毒撒かなきゃならねーんだよクソが! 私はこういう低能でもできるような単純作業は大嫌いなんだよッ!」
殺気を放つ俺を前にしているというのに、フェオドラは全く気にせず、それどころか癇癪を起こしたように地団太を踏み始める。かと思えば腰に下げていた革袋を取り外し、そこに手を突っ込んだ。
「こんなまどろっこしい事はもう止めだ! なーにが井戸に毒いれて混乱させろだあの野郎ッ、ちまちまやっててもてんで面白くねぇ! こういう事ぁ派手にやるのが一番良いって相場が決まってんだ! 大は小を兼ねるってなッ!」
フェオドラは勝手に激怒しながら、袋から何かを取り出す。それは黒く禍々しい、握り拳程の球状の物体だった。
何かは分からない。しかし俺の直感が、奴を好きにさせては不味いと言っていた。
「させるかッ!」
「くたばれ毒ババア!」
ほぼ同時、俺とホシが地面を蹴ってフェオドラに肉薄する。そんな俺達をスティアの投げナイフが追い越し、フェオドラへと飛んで行く。
奴は防具らしい防具を装備しておらず、武器も見たところ刺突短剣一本のみだ。投げナイフを避けるか防ぐかはできそうだ。だが防御行動をすれば隙となり、俺とホシが仕留めきれる。そう思っていた。
だが奴はニヤリと不敵な笑みを見せると、予想していなかった行動を取る。取り出した物を投げナイフ目がけて放り投げたのだ。
そいつはナイフに突き刺さると、バンと勢いよく弾け散る。するとどうだろう、俺達の目の前が、どす黒い甘い香りの霧で、たちまち埋め尽くされてしまったのだ。
「えーちゃん、この匂い!」
「ホシ吸うな! 毒だ!」
「はははは! 死ね、死ね、死ねぇ! 私を邪魔する低能クソ共はみんな死んでしまえッ!! ヒャーッハハハハァッ!!」
「チィ……! 死ぬのはテメェだ!」
哄笑する奴に俺は短剣を取り出し投げつける。
「当たるわけねぇだろバーカ! ヒャーッハッハッハァ!」
しかしフェオドラはその攻撃をひょいとかわすと、こちらに背中を向けて脱兎のごとく逃げ出した。
くそ、判断が早ぇじゃねぇかよ。だが逃がすのは不味い。奴は絶対にここで倒しておかなければならない相手なのだ。
倒す機会が殆どないという事以外にも、こいつは捕らえた人間で人体実験を行うため、犠牲になった仲間も多いのだ。無理を押しても倒したい理由が俺にはあった。
この毒を突っ切って行くべきだろう。そう思った、その時だった。
「風の精霊よ、息吹を吹かせ賜え。”そよ風”!」
スティアの声がしたかと思えば、柔らかな風がその場に吹いた。黒い毒霧はその風に乗って空へ勢いよく昇って行く。かと思えばすぐに降りて来て、スティアが広げた手の平の上に滞留した。
風で圧縮されているのだろうが、それはまるで禍々しい、黒い球のようであった。
すげぇ。風ってこんな自在に操れるものなのかよ。
俺とバドは驚きに目を丸くする。いや、バドは真顔だったけど。一応ちゃんと驚いたっぽい。
一方ホシは飛び跳ねんばかりに大喜びだった。
「すーちゃん凄いっ!」
「貴方様。これ、どう致しましょう?」
だがこれを行使するスティアだけは、当然のような顔で俺に目を向けた。
「吹き飛ばそうかと思いましたが解毒できない毒の可能性もありますし、周囲にばら撒くのもどうかと思いまして……」
そりゃあそうだ。解毒できるできないに関わらず、処理を雑にすると最悪誰かが死ぬ。
スティアの判断は間違っていない。となれば俺が一端持っておこう。
俺は懐から大きめの瓶を一つ取り出し、蓋を開けてスティアに見せた。
「処分は後で考える。今はこの瓶に入れておいてくれ」
「承知しましたわ」
言うが早いか、スティアの手の平の上に漂っていた毒は風に乗り、俺の瓶の中へ飛び込んで行く。全て入った後に蓋をきつく閉め、足元に落とせばシャドウが回収して終了だ。
今は時間が無いが、封は後で厳重にしておくとして。
後は逃げたアイツだな。
「えーちゃん、あいつどうするの?」
「当然逃がすわけにはいかねぇな。あのまま見逃したらアドルにどやされちまう。急ぐぞ!」
フェオドラの逃げた方を指差すホシに、俺は急げと続く。あの様子だと更にあちこちで毒を撒き散らしかねんしな。
これ以上好き放題させて堪るかよ。そうして俺はホシと共に駆けだそうとしたのだが、
「アレはわたくしにお任せを。貴方様とホシさんは、オデッタさんの事を優先して下さいまし」
と、スティアが名乗り出てきた。
道も区画も整備されていないガレハの場合、逃げ場があちこちにあり過ぎて挟撃などはほぼ無理だ。大勢で追う事にあまり優位性はなく、スティアのような素早く察知能力の高い人間なら、一人の方がむしろ自由に動けて追いやすいかもしれなかった。
彼女の実力なら奴を逃がす事はまず無いだろうし、こう言ってもらえるなら、その方が俺としても都合が良い。
「悪い。なら任せる」
「はい、任されました。それではわたくしはこれで」
俺の言葉ににこりと返し、スティアはたっと走り出す。
「ああそうそう」
しかし彼女はすぐに立ち止まると、こちらにくるりと振り向いた。
「バド。もし次に勝手な行動を取ったら――コレ、ですわよ?」
彼女は固く握りしめた右拳を顔の横まで持ってきて、大変良い笑顔でバドを見据えた。その笑顔は大変にこやかだが、凄まじい怒気が余す事なく伝わって来る。
バドが慌ててこくこくと首を縦に振ると、それを見て満足したのかスティアは目を細めた後、無言で走り去って行く。
あれマジだな。おっかねぇ。
「よし、それじゃ俺達も急ぐぞ!」
「うん!」
フェオドラが現れた事は驚いたが、スティアに任せれば大丈夫だな。俺達は当初の目的地へ急ぐとしよう。
そうして俺達は再び帝国軍がいるだろう場所を目指し、その場を走り去ったのだった。
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「何者だ!? 止まれ!」
猛然と近づいて来る俺達に、気付いた帝国兵が静止するように大声を上げる。だが今は有事だ、俺達は構わず走って近づく。すると彼らは武器を抜き始めるが、顔が分かる距離まで来ると、俺達だとやっと気づいたようだった。
「エイク殿! ――お前達、武器を収めろ!」
そう言って彼らは武器をすぐに下げ始めた。
顔が割れてるのはこういう時ありがたい。何せ俺なんて、顔見て敵だって思われる事が殆どだからな。初対面だと特に。
「イグナシオはどこにいる!? ティナとステフは!?」
「殿下はご無事だ! 殿下もエイク殿を待っていた。案内しよう、こちらへ!」
ほぼ顔パスでイグナシオのもとへ通される。急ぎ足の兵士に続けば、そこにはいつもの余裕たっぷりな皇子らしからぬ、汗を流したイグナシオの姿があった。
「殿下、傷薬で希釈した解毒薬の準備、完了しました! 現在症状の軽い者から治療を開始しています!」
「分かった! まず子供、ご高齢の方から治療を開始するように。不当に割り込む者は制圧して構わない。順序を徹底しろ!」
「はっ!」
「殿下、町の南部から西部にかけての捜索、完了しました!」
「分かった! では次は西部から北部にかけての捜索を行え! 重傷者は優先的に保護しろ! ただし緊急の場合は現場の判断にて、その場での治療行為も許可する!」
「はっ!」
伝令の兵士から報告を受ける彼の表情は真剣そのもの。そのあまりにも凛々しい姿に、奴を苦手とするこの俺ですら不覚にも見入ってしまう。
彼の指示は非常に的確だった。この町は全体が貧民街化しているとは言え、その中でも貧困の差はある。南部が一番貧しく、立場の弱い人間――子供や年寄りだ――が隠れるように集まっている。奴はそこから救おうとしているのだ。
この数日間奴はこの町を熱心に視察していたが、その成果が出ている事が指示からも十分察せられた。
「解毒薬を薄めても効果があるってのは知らなかったな」
指示を終えたタイミングを見計らい、声を掛けながら近づく。
「希釈には傷薬を使う必要があるけどね。それに効果は落ちるから完治はしないと思うけれど、でもまずは命を取り留める事が先決さ。そうだろう? エイク様」
「はっ、違いねぇ」
するとイグナシオは凛々しい顔を一転、小さな笑みを浮かべてこちらを見た。
「エイク様、やっぱり来たね。ああ待っていたよ。貴方が僕の無事を願いながら、必死に駆けつけて来てくれるこの時を!」
「おい馬鹿止めろこんな時に!」
こんな緊迫した状況で下らねぇ冗談を飛ばすな! 誰がお前のために駆けつけるか自惚れるんじゃねぇ!
俺は奴の前までずかずかと近寄ると、奴を睨むように真正面に立った。
「状況は?」
「大丈夫さ、使われた毒は即効性のないものだ。僕らが持ってきた物資の中に解毒薬もあったからね、先程の通り、それを放出して治療中さ」
「その毒だが、解毒薬で治ってるか?」
「……ああ。ちゃんと治っているよ」
俺がそう言うとイグナシオは一瞬考えるような素振りを見せたが、俺の言わんとする事を察したのだろう、すぐに頷いて返してきた。
なるほど、つまりあのバドに使った治療できない毒と言うのは、そこまで量が確保できていないものなんだろうな。そうでなきゃあのイカれ女の事だ、容赦なくこの町に使ったはずだ。
その点は助かった。だがやはりあの女は、どうしても今ここで始末しておかなきゃならんな。あんなもん量産されたらマジで町一つ簡単に落とせる様になっちまう。
「でも、そんな毒があるとはね。随分と厄介な事態になっているようだね」
「全くだ。生命の秘薬は持ってるか? お前にもしもの事があったらシャレにならねぇ。もし治らない毒だったら躊躇いなく使えよ」
「これでも皇子だからね、万が一に備えて持って来ているさ。情報感謝するよ、エイク様」
眉間に皺を寄せる俺に、イグナシオは小さな笑みを見せる。だが彼はすぐに口元を引き締め、今度は俺へと疑問を投げて来た。
「それはそうとエイク様。オデッタを見なかったかい?」
「お前も見てねぇのか?」
俺がそう返すと、彼は一瞬沈痛な面持ちをした後に、俺の顔を見返してきた。
「今日、僕の案内を買って出てくれたんだ。だから途中まで一緒にいたんだけれど、町民達が毒に倒れ始めてから別れたんだ。『騎士達に伝えてくる!』って」
イグナシオは伯爵の屋敷に滞在しており、オデッタと顔を合わせる事も度々あった。そんな中で、この町を何とか良くしようと頑張るオデッタとイグナシオはどうにも馬があったようで、行動を共にする事がままあった。
今日もそうだったらしい。だがこの事態にオデッタは自分が何とかせねばと、単独行動を取ってしまった。
渋い顔をする俺に、イグナシオは心配そうに眉を寄せた。
「もちろん彼女を一人にするわけにいかないからね、僕もすぐに詰所に伝令を飛ばしたよ。でも詰所には騎士も、オデッタもいなかった。……僕の手落ちだ、すまない」
俺が舌打ちをするとイグナシオが沈痛な面持ちで謝罪して来る。だがこれはオデッタが先走った結果であり、イグナシオのせいでは無かった。
「お前のせいじゃねぇ。だがオデッタの奴、一体どこに行きやがった」
「えーちゃん、そんな事言ってる場合じゃないよ! すぐにおーちゃんを探さないと!」
考え込もうとする俺の服をホシがぐいぐいと引っ張る。イグナシオはそれをちらと見た後に、俺にまた目を向けた。
「ここは僕らに任せて欲しい。エイク様はオデッタの事をどうかお願いする。僕の数少ない友人だからね」
俺にそう告げるイグナシオの目は嘘を言っていなかった。
そう言えばオデッタとこいつは十四歳。同い年だ。だから気が合ったのかと思ったものの、俺は一つの事に気が付いた。
イグナシオは男、オデッタは女だ。
――まさかとは思うがこいつ。オデッタに気があるんじゃあなかろうな?
「おいテメェ……数少ない友人は良いがな、もしオデッタに手を出すような事があったら、帝国の皇子だろうがただじゃおかねぇぞ。肝に命じとけ」
「え?」
俺はすごんでイグナシオに詰め寄る。彼はぱちぱちと目を瞬かせたが、途端に大きな声で笑い始めた。
「あっはっはっは! それは無いよ! だって僕はもう心を捧げる相手を見つけているんだからね! そうだろう? エイク様!」
「うっ……」
そう言って妙に熱のこもったウィンクをするイグナシオに、俺は一歩後ずさった。男に秋波を送られるなんて勘弁してくれや鳥肌が立つだろうがっ。
まあオデッタに気がねぇんなら良いんだよ。なら俺から言う事はもうねぇ。
「チッ……まあ、そういう気がねぇんなら良い。そんならここは任せるぞ」
「つれないなぁ。まぁ、そういうところもキュンっ! てくるんだけどさ!」
「その言い方止めろッ! ……くっ、行くぞホシ、バド!」
「うん!」
そうして俺達はイグナシオに小さく手を振られつつ、オデッタを探すためその場を走って離れたのだった。
騎士団詰所に行ったはずのオデッタは一体どこへ行ったのか。まさか騎士達と一緒に町の外へ出たんじゃあるまいな。
どうにも嫌な予感がする。粘つく不安を拭えないままに、俺達は不穏なガレハを駆けたのだった。




