俺とうさぎと大久野島
「珍しいね、夏休みに大学に来るなんて」
「久々にここのご飯が食べたくなったんデス」
女の子と潮干狩りに行ってついでにウミガメを捕獲して食べながら重い過去を聞くというとてもじゃないけど全うとは言えないひと夏の思い出から1ヵ月くらい経ったある日、学食に行くと珍しく彼女がいたので正面に座る。久々に学食のご飯が食べたいだなんて、ミーラーなため夏休みでも毎日のように学食に行って食べ飽きている俺からすれば理解できない話だが、そんな俺も大学を卒業すればやがて『あの学食の飯が久々に食いたいなあ』なんて思うのだろうか。そんな俺の複雑な感情などいざ知らず、たい焼きに真ん中からかぶり付きながら彼女が口を開く。
「ところで私、今度登山に行くんデス。犬神さんも行きませんか?」
「登山? どこに登るの」
「鹿野山デス。ウサギが美味しいらしいデス」
「……ああ、うん、その勘違いは俺もやったからすぐわかったよ……」
小学生の頃に盛大に間違えて中学生で恥をかいた経験を思い起こしながら、彼女の誤解を解いてやる。もしも俺と今日出会わなければ、彼女は全く関係ない山をウサギを求めて登る羽目になったかと思うと運命を感じてしまうが、彼女は旅行に行く意味が崩れてしまいショックを受けてしまった。
「折角お給料で登山グッズとか買ったのに……はぁ……」
「……というか獅童さん、獅童さんの下の名前うさぎだったよね? ウサギを狩るつもりだったの?」
自分の名前の由来になっている動物を狩ろうだなんて普通は出てこない発想だ。もしも俺の名字が犬神では無く猫神だったとしたら、猫は撃たなかったかもしれない、それくらい名前とは大事なのだ。俺の疑問に大きくため息をつきながら、彼女が自分の名前について語る。
「……私も前までは違いまシタ。名前をつけて貰ったことが嬉しくて、ライオンとウサギは大事にしようと決めてまシタ。この前ご主人様のお酒の相手をした時に、聞いてみたんデス。何で私の名前はウサギなんデスか? って」
「ツインテールがウサギみたいで可愛らしいから?」
「……自分が金持ちだと理解するや否や積極的に身体を売ろうとする様子が、発情したウサギに似てたからだそうデス」
「……」
世の中知らない方がいいこともある。もしもお酒が入っていない時に聞けば無難な答えが返って来たであろうと思うと真実を知ってしまった彼女には心底同情するが、同時に確かにそれっぽいなと思ってしまいちょっと笑ってしまう。それを悟られないために、あーそういえばとわざとらしく前置きを入れながら、ウサギがたくさんいる場所の話をすることに。
「大久野島って知ってる? 県内にあるんだけど、ウサギだらけだよ」
「県内にあるんデスか? それは素晴らしい話デスね、よーし、やけ食いデス」
数百羽のウサギが生息しているというウサギ好きの天国、大久野島。数百羽もいるのだ、ショックを受けた彼女の心身を癒すために数羽くらいは犠牲になってもいいだろうと勝手な判断をし、近場ということもありトントン拍子で日帰り旅行のプランを立てる。数日後、船に揺られて俺達は大久野島の地を踏んだ。
「随分と厳しいチェックデスね。時代ってやつデスか」
「まあ、ウサギを虐めたり持って帰ろうとする人がいるからね。ここ数年で一気に外国人の観光客が増えたのはいいことだけど、どうしてもマナーがね」
外国人の増加や世界情勢もあり、ウサギの安全のために船に乗る前に荷物検査が行われることは事前に調べておいたため、今回はエアガンも麻酔銃も持ってきていない。彼女の持ってきた大きなキャリーバッグの中身も今はほとんど空っぽだ。今は。
「とりあえず普通に島を楽しもうか。ウサギ料理は出ないけど」
「イエス、私も成長したんデス、今の私は動物を可愛がる慈愛の心を持っているんデス」
島を散策していると、お目当てのアナウサギの群れに遭遇する。心をぴょんぴょんさせながらエサを片手に近づいて、もひもひとエサを食べているウサギを撫でたり写真を撮る。
「可愛いなぁ……(ああ、耳切りたい、いや、ウサギの尻尾って幸運のお守りなんだっけか、うん、尻尾を切りたい)」
「可愛いデスねぇ……(ステーキ……ミートパイ……)」
お互いにまるで心の中の負の一面を否定するように、可愛い可愛いを連呼していたのだが、野生の勘が働いたのだろうか、ウサギ達はすたこらさっさと逃げてしまった。
「ところでどうしてかの山でウサギを追うんデスか? かけっこデスか?」
「食べるためだよ。だから『追いし』でも『美味しい』でも合ってると言えば合ってるんだよ。ウサギは見ての通りぴょんぴょん跳ねながら逃げるからさ、山の下から上まで追うと、そのうち坂を下るようにジャンプして怪我をするってわけ」
「なるほど。でもここのウサギは逃げないからつまらないデスね。前にも言いましたが、人間を恐れない動物ほど腹の立つものはいません。まあ、そのせいで絶滅した哀れな生き物もいるようデスが」
一匹だけ逃げずに彼女の目の前でエサを食べ続けている馬鹿なウサギを手に取る彼女。そのままきゅっと首を絞めて殺すんじゃないかと思うくらい殺気のこもった目で睨みつけた後、辺りに人がいないことを確認すると、さっとバッグの中にウサギを入れた。その後もウサギをこっそり捕まえたり、レストランで海の幸を堪能したりと島を満喫し、夕方になり島を出ようというところで検問に引っかかってしまう。
「すみません、荷物検査よろしいでしょうか?」
「……ハイ」
船着場の職員らしき人に促されて、渋々キャリーバッグを開く彼女。そこにはウサギのぬいぐるみがいくつか詰まっていた。はい、いいですよと解放された後、俺達は帰りの船に乗る。
「うまく行きまシタね。流石犬神さん、悪知恵がよく働きマス」
「失礼な、策士と言って欲しいね」
バッグの下の方にウサギを詰めて、それをぬいぐるみでカモフラージュ。お土産にぬいぐるみを買うような人間が、ウサギを持ち帰ったりはしないだろうという心理を悪用した高等テクニックだ。本土に戻り、彼女の屋敷に向かいいつもの如く食卓で待機。バッグを開きぬいぐるみなんて興味ありませんとばかりにその辺にぬいぐるみをぽいぽいと投げ捨て、ぎゅうぎゅうに詰められてすっかり弱ってしまったウサギを掴んで調理場に向かった彼女を見送った後、投げ捨てられたぬいぐるみの耳を結んでみたりと童心に返ることしばらく、香ばしい匂いと共に彼女がパイを持ってやってきた。
「お待たせしまシタ。……これがあなたのお父さんデスよ」
「悪趣味な」
「ぬいぐるみの耳を結んだり、尻尾ちぎったりしてる人にだけは言われたくないデス……というか器物損壊デスよ……」
お父さんがミートパイにされてしまったことで有名なウサギのぬいぐるみの目の前にミートパイを置き、ぬいぐるみに語りかける彼女を呆れた目で見やるが、ド正論を吐かれてしまい目を逸らす。その後二人で美味しくミートパイを頂いていたのだが、段々と彼女の食べるスピードが遅くなる。
「……何でしょう、このもやもやした気持ちは。なんというか、しちゃいけないことをしている気分デス」
「まあ、しちゃいけないことしてるし」
「友達を食べているような罪悪感……思ったより名前って大事なのかもしれませんね。……ハッ、だから日本人は名前に『人』とか『子』とかつけるんデスね!?」
そのままそれっぽい理論を提唱する彼女。例えキラキラネームでも長年使っていれば愛着はつくし、そのモチーフにも優しくなってしまうものだ。そうかもね、と頷きながら、彼女が自分の名前を胸張って好きになれることを願うのだった。