俺とあげはと変身願望
「最近は、動物になるのが流行りなのかしら」
夏休みももうすぐ終わりという時期、暇ならペットの飼育を手伝いなさいと言われてのこのこやってきて、ハムスターやらキツネやらカマキリやら、増える一方の動物達に餌をやったりと俺が献身的な面を覗かせる一方、当の本人は椅子に座ってお茶を飲みながらスマホを弄っているという怠惰な面を覗かせる。
「そうなんだ」
「将来ビジネスマンになるなら、流行には敏感になるべきよ。将来研究者になるなら、流行に惑わされちゃいけないけど。私から言わせて貰えば、現実を知らない女の戯言ね」
天井の一角を眺めている味噌汁に手招きをして呼び寄せて、膝の上で撫でる彼女。味噌汁は幸せそうに彼女の膝の上でゴロゴロしている。
「味噌汁はいいわね。外敵に怯える心配もなく、部屋で美少女に可愛がられて餌もたっぷり貰って。でもその美少女に飼われる前はどうかしら。外の世界で常に気を張り詰めて、餌も自分で取って、おまけにイカれた男に狙われて。そして猫の中では勝ち組になってる味噌汁も、重大な問題を抱えているわ。子供が作れないの。異常な個体だから生殖機能持ってないのよ。この研究所の中で飼い殺し。本当に幸せなのかしらね」
優秀なのに破瓜が怖いなんて理由で男を知ることができない女の戯言に相槌を打つ。確かに人間の目から見ると猫はのんびりと人生を謳歌しているように見えるかもしれないが、街の中ではそれなりに大きな部類とはいえ動物は動物、弱肉強食の世界で戦っている。しかも例え悪意を持っていないとしても、猫の数倍の大きさがある人間という存在がその辺をうろついているのだ、安心なんてできる訳がない。
「でも人間の知性を持ってるなら面白いんじゃないの? その辺の動物にはできないことができるだろうし」
「……人間の人生は辛いだとか言ってる人がいるけれど、それは何故かしら? 答えは簡単よ、知性があるからよ。頭がいいから悩むのよ。頭がいいから理想を持つの。そして現実に打ちひしがれるの。駅とかでたまに見かける、分身の術を使ってる人達は私達よりも幸せだそうよ。知性を持ったまま動物になったところで、人間の器用さや意思伝達能力までは真似できないわ。貴方、猫になったらどうする? 何ができる? 精々その辺の女子高生に媚びて餌を貰ったりするくらいが関の山じゃなくて? こんなに賢いのに、その辺の猫とは違うのに、その辺の飼い猫レベルの暮らししかできない……プライドの高い私なら絶望して命を絶ってもおかしくないかもね」
夢のない事をつらつらと語る彼女。しかし彼女の言う事は本質をついているのだろう。『生まれ変わったら何になりたい?』なんて質問に、『人間』と答えるつまらない人間がそれなりにいるのがそれを物語っている。複雑な社会に悩む人間以上に恵まれた種族など、高度な知性を存分に活用できる種族など、地球に存在しないのだろう。本当はその辺の猫だって、人間並に賢いのかもしれない。むしろ人間が転生しているのかもしれない。けれど猫には、素早く走ることと、ニャーニャー鳴くことと、前足を使って獲物を捕ることくらいしかできない。猫はあまりにも無力だ。無力なりに必死にこの世界を闘ってきて、人間のペットとしての地位を手に入れたのだ。
「所詮余裕のない女にとっては、飼ってる動物だけがその動物の世界なのよ。日本は駄目だ、海外に行けば私でも幸せになれる……そんな典型的な馬鹿女の戯言を、日本を人間に、海外を動物にすることで柔らかくすればあら不思議、受け入れられるようになりましさとさ」
「あんまりそんな事を言って敵は作るもんじゃないよ」
いつの世も、流行りを理解できないからと否定する可哀相な人間はいるものだ。俺は流行には流されない、自分の好きな作品を作るなんて言ってるクリエイター気取りの人間はいるものだ。そいつらは不器用なだけなのだ、温かい目で見てやろうじゃないか。少しだけ優しい人間になり、温かい目で彼女を見やる。
「何よ突然。気色悪いわね」
「いいんだよ、俺は鹿野さんの味方だからね」
「はぁ。……で、今の話を踏まえて聞くけど、人間以外に転生するなら何になりたい?」
「うーん……難しい質問だ」
聖なる騎士のように優しくされることに慣れていないのか俺の慈愛に満ち溢れた視線から目を逸らし、机の上に置いてある動物図鑑を俺に手渡す彼女。それをパラパラとめくりながら悩む。動物ができることなんて高が知れている。だとしてもどうせなるなら、人間にはできないことがしたい。
「鷲かなぁ、俺の名前にもあるし。人間は飛べないからね」
「なかなかいいチョイスなんじゃないかしら。鷲は鳥の中でも最強クラスだし。大空を舞うのもまた一興ね」
翼が欲しいとよく少女も歌っているし、空を飛びたいというのは人間の真っ当な願望だと俺は思っている。実際に空を飛ぶことができたとして、ほとんど何もない空を飛び続けるのは意外と苦痛なのかもしれないが、それでも機械の力を借りないと飛べない人間にとっては、翼はロマンだ。
「鹿野さんは? 鹿になるの? アゲハ蝶になるの?」
「そうねえ。その二つだったら鹿かしら。鹿は神の使いなのよ。昔の奈良は家の前で鹿が死んでいたら殺したと思われて罪に問われるから、早起きして確認するようになったとかそんな噂も聞くわ。鹿になって、神の使いっぽい振る舞いをして、崇められるの。素敵でしょ」
「鹿かあ。修学旅行で奈良に行った時、皆礼儀正しくてびっくりしたよ。同じ鹿でも宮島のとは大違いだ」
「宮島の鹿も元々は奈良の鹿だけど、観光客がじゃんじゃん餌を与えるからね。人間だって何もしなくてもご飯が貰えるなら傲慢になるわ」
そのまま動物談義に興じる俺達。どうしても空を飛ぶだとか、海を泳ぐだとか、土を潜るだとか、生身の人間ではできないことに憧れを持ってしまうけれど、それは隣の芝生はなんとやらというやつなのだろう。実際に人間の知性を持って鳥になったら、魚になったら、飛ぶことと泳ぐことしかできないことに不満を持つに決まっている。それが人間の業なのだ。人間で良かったなあと、器用に動く手足をくねくねと動かして鹿野さんに気持ち悪がられる。
「最近はVRとかの技術も進歩しているし、そのうち本格的に動物の世界を体験できるゲームができそうね。今もそれなりにリアリティのあるゲームが出ているけど。ほら、こういうの」
ノートパソコンを開いてゲームを起動する彼女。画面上ではヤギが街中を闊歩している。彼女曰くヤギシミュレーターらしいが、画面上のヤギは車に突進しては車を吹っ飛ばし、家に突進しては家を破壊している。リアリティもクソもあったものではない。
「動物になれるゲームが出たとして流行らないんじゃないかなあ。結局人間も動物だよ、闘争本能からは逃げられないよ。人間の代わりにモンスターを殺すゲームや、エッチなゲームのがずっと流行るよ」
「人間の代わりに動物を撃ってる人間が言うと素晴らしい説得力ね。でも、貴方の言う通りかもね。技術的に可能だからといって、採算が取れないなら作る意味はないわ。本当に人間は他の動物になりたいのかしら、私が生きているうちにそれがわかるといいのだけど」
ヤギを操作しながら人間を吹っ飛ばす彼女の膝の上では、まだ味噌汁が気持ちよさそうにゴロゴロとしている。猫になりたい。けれど猫になって女の子に撫でられるだけでは我慢できない。俺は人間として彼女に愛されたいのだ。それでも猫に嫉妬はしてしまうので、彼女の膝の上の猫を退かし、器の小さい男ねと笑われるのだった。