ラスト・ワン
背後から、ひやりとした気配を感じた。
満身創痍の俺の感覚が、微かな足音を捉える。
「誰だ……」
掠れた声で問いかける。敵なら、もう戦う力は残っていない。
だが、聞こえてきたのは聞き馴染んだ、どこか寂しげな関西弁だった。
「ケンヤ君、俺や」
振り返ると、そこには銃を片手に提げ、全身から夥しい血を流した隊長が立っていた。いくつものビルを突き破って放り出された体は、立っているのが不思議なほどにボロボロだった。
「隊長! 横になってください ……!」
駆け寄ろうとする俺の言葉を遮るように、隊長が静かに首を振った。
「ケンヤ君、どうやらこのゲームは……プレイヤーが最後の1人になるまで終わらんらしいわ……」
その言葉の意味が、脳裏を突き刺す。
周りを見渡せば、動くものは何一つない。
生き残っているのは――俺と、隊長の二人だけだ。
「な……何を言ってるんですか隊長……そんなの、他の方法が……」
「やから……ケンヤ君、俺はちょっと行かなあかん場所があるから……生き残ってや」
隊長は、憑き物が落ちたような穏やかな表情で、持っていた銃の銃口を自らの頭へと突き付けた。
「やめてください! 隊長!!」
叫びは届かない。
「じゃあな……ケンヤ君。生き残ったのが君で良かったわ」
銃声が、冷え切った新宿の空に鳴り響いた。
崩れ落ちる隊長の体。その光景は、俺が加速させたどの時間よりも、永遠に近いほど長く、そして残酷に遅く感じられた。
「隊長……? 冗談ですよね……? いつもの、質の悪い冗談ですよね? ……隊長!」
倒れ伏した体を激しく揺さぶる。だが、ぬくもりを失い始めたその体は、二度と動くことはなかった。
俺のために、隊長は「最後の1人」を、俺に譲った。
その瞬間。
感情の行き場を失った俺の脳内に、無機質な「声」が響き渡った。
『おめでとうございます! 夕凪ケンヤ。あなたはこのゲームで勝利しました! 只今より、ゲームを終了致します。保有していたポイントや能力は消滅し、獲得したクレジットは登録済みの銀行口座へ自動的に振り込まれます』
世界から色が消えていくような感覚。
指先から、あれほど万能だった「時」を操る感覚が、砂のように零れ落ちていく。
「……は……?……」
呆然と立ち尽くす俺の手の中に残ったのは、能力でもポイントでもない。
ただ、冷たくなった仲間の重みと、母さんとの「約束」だけだった。
「勝手に始めといて……勝手に終わんなよ……」
膝をつき、絞り出すような声が血の海に溶けていく。失った仲間の顔、隊長の最期の笑顔、そしてこの不条理なゲームのすべてが、虚無感となって胸に突き刺さる。俺は鼻を啜り、震える手で携帯電話を取り出した。
ダイヤルしたのは、警察でも自衛隊でもない。
「ゲーム……終わったよ……」
ただ、それだけを伝えた。
それからのことは、断片的な記憶しかない。
ボロボロになった東京の街を、幽霊のように彷徨った。あちこちに転がる能力の残骸、瓦礫、そして敵か味方かも判別がつかなくなった無数の死体。あの地獄を生き残ったという実感は、どこにもなかった。
……次に意識が戻った時、鼻をついたのは消毒液の匂いだった。
白い天井。規則的な心拍音。
視線を落とすと、ベッドの横で母さんがパイプ椅子に座り、俺の手を握ったまま船を漕いでいた。
「ただいま、母さん」
掠れた声で呼びかけると、母さんは弾かれたように目を覚ました。寝ぼけ眼でこちらを見たかと思うと、次の瞬間には大粒の涙がその目から溢れ出した。
「ケンヤッ!!」
全力の抱擁。肋骨の痛みが響くほどの力で抱きしめられ、俺は少し恥ずかしくなって引き離そうとした。だが、母さんは決して離そうとしない。
(……老魔女より力が強いな、これ)
苦笑いしながら、俺は母さんの背中にそっと手を回した。
後日、俺は警察による長期間の事情聴取を受けた。
自分がこのゲームで何人の命を奪ったのか、そのすべてを正直に認めた。
しかし、その後の裁判で俺が有罪判決を受けることはなかった。
「不可抗力による正当防衛」、あるいは「国家存続の危機における緊急避難」。大人たちが用意した法的な理屈はいくらでもあったが、俺の心には、消えることのない重みが残り続けている。
俺の銀行口座には、あの忌々しい「声」が言った通り、使い切れないほどの現金が振り込まれていた。
かつて夢見た「巨万の富」も、今はもう、ただの虚しい数字にしか見えなかった。
「どう?俺の話、面白かっただろ?」
リビングのソファでくつろぎながら、俺は膝元に集まっていた息子と娘に問いかけた。
「よくわかんなーい!」
8歳の息子がケラケラと笑う。対して、17歳の娘は呆れたような、それでいて少しだけ憂いを帯びた瞳で俺を見つめた。
「それ……ハッピーエンドなの?」
娘の真っ直ぐな問いに、俺は少しだけ言葉に詰まった。死んだ仲間たちの顔、銃声、あの灰色の記憶。けれど、隣には温かい家族がいて、外には穏やかな春の光が満ちている。
「ま、今が良ければそれで良いしな!」
俺は照れ隠しに笑い飛ばした。
「やば! 学校遅れる!」
娘が弾かれたように立ち上がり、玄関へと走っていく。
(にしても……この短剣、なんなんだろ……)
玄関の飾り棚。そこにひっそりと佇む、かつての愛刀――『時空断刃』。
もう能力なんて何一つ使えないただの鉄の塊のはずなのに、時折、鏡のように俺の顔を映すその刃には、かつて俺が駆けた「加速した世界」の残響が宿っているような気がした。
「パパー? パパの物語の題名はなんて言うの?」
靴を履きながら、息子が振り返る。
「そうだなぁ……」
俺は立ち上がり、扉を開けて差し込む眩しい朝日を目に焼き付けた。
「最後の1人になるまで終わらないゲーム。『ラスト・ワン』って名付けるか!」
「ほら、お前も学校遅れるぞ?」
「行ってきまーす!」
二人の背中を見送り、扉を閉める。
静かになった部屋で、俺はもう一度、玄関の短剣に目を向けた。
俺の戦いは終わった。
あの日、俺が手に入れたのは、金でも力でもない。
ただ、この当たり前の日常を、明日に繋いでいくという――たったそれだけの、尊い権利だった。
俺は軽く首を振ると、さあ自分も仕事に行こうかと、背筋を伸ばして歩き出した。
ここまで『ラスト・ワン』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
暇つぶしで書き始めたこの作品が、こうして完結まで辿り着けたのは、読んでくれた皆さんのおかげです。
ケンヤ達の物語はここで終わりですが、彼らの日常はこれからも続いていくのだと思います。
本当にありがとうございました。




