残酷なる慈愛
「……あ……ありえない……この……僕が……!」
かつての傲慢さはどこへ消えたのか。両腕を失い、無残に折れ曲がった鉄筋で廃ビルの壁に縫い付けられた次男が、信じられないという表情で血を吐き出した。
「あー、あー。こちら名古屋ラボ隊長の稔だ。ファミリーの幹部、次男を名乗る男を拘束した」
隊長は耳元の無線に手をやり、淡々と本部に報告を入れる。
新島さんの身に起きた悲劇を知る由もない彼は、勝利の確信とともに瓦礫の山に腰を下ろしていた。
「……まだ……終わってねぇ……!!」
次男が最後の力を振り絞り、天を仰ぐ。
「幻獣召喚・雷獣 龍!!」
一瞬にして空がどす黒く濁り、雷鳴とともに雲を裂いて、雷光を纏った巨大な龍と獣の幻影が姿を現した。
大気を震わせる咆哮。だが、隊長はその威容を冷めた目で見上げた。
「何回同じことすんねん。もう終わっとるから」
【能力:繊維千切】
隊長が指を弾いた瞬間、空を覆っていた雲ごと、雷獣と龍の巨体が無数の目に見えない「繊維」によってズタズタに切り刻まれた。光の粒子となって霧散する幻獣。
次男の能力**【幻影秘儀】**には、一度破壊された幻獣は二度と召喚できないという致命的な制約がある。今や彼の手札に、隊長を止める術は一つも残されていなかった。
その時、本部から無機質な通信が入る。
『——次男を殺せ』
「殺せ殺せって……ほんまに、あんたらは殺すのが好きやね……」
隊長は溜息をつき、腰のポーチから手榴弾を取り出すと、抵抗する力を失った次男の口に無理やり抉じ入れた。
「や……やめ……っ」
隊長は無表情にピンを抜くと、背を向けて新宿の方向へと歩き出した。
背後で轟音が響き、次男だった肉片が雨のように降り注ぐ。だが、隊長の意識はすでに次の合流へと向いていた。
「随分と時間が取られてもうたな。キムっち? 他の名古屋ラボ隊員は大丈夫やんな?」
理事の補佐、キム・ヨンハの声が通信越しに返る。だが、その声はいつになく湿り気を帯び、震えていた。
『……新島の生体反応が、ないです。……はい』
隊長の足が、ピタリと止まった。
「なんやて……? 新島ちゃんの生体反応がないって聞こえたんやが……」
聞き間違いであってくれ。そんな願いを込めた問いかけに、非情な事実が突きつけられる。
『……墨田区で、新島の生体反応がなくなりました。……はい』
ドクン、と心臓が跳ねた。
世田谷区の廃墟。静寂の中で、隊長の周囲の空気が「怒り」と「焦燥」で激しく歪み始める。
「新島ちゃんが……? あいつが、死んだ……?」
次の瞬間、隊長は爆発的な速度で墨田区の方向へと跳んだ。能力の出力が制御しきれず、通り道の地面が次々とひび割れていく。
わずか数分。音速に近い速度で墨田区へ飛来した隊長は、着地するなり喉が張り裂けんばかりの声で叫び続けていた。
「新島ー! どこやー! 返事しろー! 新島ァ!!」
瓦礫を跳ね除け、崩れたビルの中を走り回る。だが、返ってくるのは冷たい風の音だけだった。10分、20分……永遠にも感じられる捜索の末、隊長は「認めたくない現実」の前に膝をついた。
「……新島……か……?」
そこにあったのは、かつて名古屋ラボのムードメーカーだった、快活な女性の面影など微塵もない肉塊だった。
内臓は無残に溢れ出し、両足は関節を無視して明後日の方向を向き、片腕は根元から失われている。そして、剥き出しになった脳。恐怖に顔を歪ませたまま、彼女の時間は、あの地獄のような10分間で止まっていた。
「……っ、クソ……クソがぁ!!」
仲間一人の苦しみすら楽にしてやれなかった。
治癒能力さえ生み出せない自分の無力さに、隊長は震える拳で地面を殴りつけた。残された彼女の片腕を、せめてもの弔いのように強く、壊さないように握りしめる。
その時、背後から。
この世のものとは思えないほど優しく、そして深い安らぎを湛えた声が響いた。
「可哀想に……お友達を救えなかったのね……」
隊長が弾かれたように振り返る。
そこには、戦場にはおよそ不釣り合いな白いセーターを纏った、長身の美女が立っていた。慈愛に満ちた表情。だが、その背後から立ち昇る気配は、これまで対峙したどの幹部よりも「濃く、重い」。
【長女:慈愛朧月】
【保有ポイント:424,580pt】
【能力:愛執繭】
対象を絶対的な安らぎの中に閉じ込め、精神と肉体を「溶解・吸収」する。
「……えらい優しい言葉掛けるクセに、えげつないポイントやなぁ」
隊長が冷や汗を拭いながら、鋭い視線を送る。40万を超えるポイント。それは彼女がこれまでに、どれほど多くの命をその「慈愛」で飲み込んできたかの証左だった。
「あら、これは自然に増えた物よ。深く考えなくても良いのよ?」
おっとりとした微笑み。だが、その周囲の空気は、触れただけで魂が削られるような鋭い殺気に満ちている。
「ごっつい俺のタイプやが……仲間を殺ったんがアンタらなら、敵として殺すしかないな」
「ふふ、殺した覚えはないけど、嬉しいこと言ってくれるわね」
隊長は新島の腕をそっと置き、重厚な盾を具現化させた。
悲しみは、今この瞬間、純粋な「殺意」へと昇華される。




