第七十八話 反転
――船底。
00:00:04、00:00:03、00:00:02……。
タイマーのカウントダウンは止まらない。
だが、カウント「00:00:02」の次の瞬間、タイマーが巻き戻し再生するかのようにカウントを反転させた。
00:00:03、00:00:04、00:00:05……。
「……」
「……」
「……あれ? 爆発はどこ行った……」
リーダーはゆっくりと起き上がると、タイマーの方へと恐る恐る、忍び寄った。
00:00:10、00:00:11、00:00:12……。
「……時間が増えてく!?」
自爆までの残り時間は、玲子のハッキングによりタイマーカウンターがオーバーフローを起こすまでの136年の猶予を得た。
――船長室。
「……これで終わり」
玲子はコンセントから端末を抜いた。
床では、メモリが目を見開いたまま固まっている。
玲子はメモリの顔を見て、スローモーション再生するかのように、ただゆっくりと微笑んだ。
メモリの顔からは、先ほどまでの歪んだ勝ち誇った色が消えていた。
残っているのは――恐怖だけだった。
ドローンが玲子の前で停止すると、クロサワの、どこか興奮した声が走る。
『お嬢様。アルファチームから、「時限爆弾のタイマーがカウントアップした」と報告がありました。まさか、あの状況でハッキングをなされたのですか?』
玲子は、ドローンに視線を向けた。落ち着いた手でタイピングユニットをチタンボックスに戻しながら、涼しい顔で応答する。
「ええ。でも別に大したことしてないわ」
二人のやり取りに興味を持ったカタリストが、クロサワに質問する。
「クロサワさん。私には、お姉様が何か凄いことをしてたように見えます」
『はい。お嬢様が行ったのは、ハッキングの中でも最高難易度クラスのものですぞ。例えるなら、時速百キロで走行する自動車のタイヤを、片輪走行しながら無停止で交換するみたいな感じですかな』
「それって……」
『どこか一つでも間違えれば、大事故を起こすレベルです』
カタリストは、黙々と片付けをしている玲子に対し、うっとりとした熱い視線を向ける。
「お姉様って……やっぱり最高!」
カタリストは、玲子の背中に勢いよく抱きついた。
「こら、やめなさい!」
カタリストを背中に受けた玲子の、困ったような、それでいて嬉しそうな声が船長室に響き渡った。
――Black Wellのメンバーは、玲子を中心に甲板上に集合していた。
玲子は俯きがちに、メンバーの前に一歩踏み出す。
「アルファチームを、死ぬような危険に晒したのは私の責任よ……本当に、ごめんなさい」
震える声。上目遣いでメンバーに視線を投げると、迷いなく深く頭を下げた。
――静寂が流れる中、張り詰めた緊張が流れる。
ふいに玲子はパッと顔を上げると、どこか困った子供のような顔で、照れくさそうにはにかんだ。
「でも……生きて戻ってきてくれて、本当に嬉しい……あなたたちは、私の大切な家族だから」
その言葉に、アルファチームの隊員たちは言葉を失い、溢れそうになる涙を必死にこらえた。
彼らは吸い込まれるように、玲子に対して静かに、そして力強く敬礼を返した。それは軍隊の上官に対するような形式的なものではなく、「家族」として扱ったことに対する敬愛と感謝の敬礼だった。
イカロスは玲子の前で静かに跪き、深く頭を下げる。
「……部下を助けてくれて感謝する。アイツらを危険に晒したのは、現場を預かる俺の判断ミスだ。だが……あんたがそう言ってくれただけで、俺は救われる」
クロサワもまた、イカロスの隣で同様に跪き、慙愧に堪えないといった様子で頭を垂れた。
「お嬢様、申し訳ございませんでした。わたくしがドローンの偵察をより徹底していれば……このような事態は防げたはずです」
主従という枠を超えて自分を責める二人に対し、玲子はふふっと小さく笑うと、その場にしゃがみ込んだ。そして、項垂れる二人の肩に、優しく、けれど確かな温もりを込めて手を置いた。
「もう……みんなバカね。そんな顔をしていたら、部下たちに示しがつかないわよ? ほら、顔を上げて……みんなで帰るんだから」
玲子の手から伝わる温かさに、クロサワとイカロスはゆっくりと顔を上げた。そこには、朝日を背負って誇らしげに微笑む、彼らの唯一無二の「主」がいた。
メンバーたちに聖女のような慈愛を向けていた玲子だったが、一転、縛り上げられ甲板に転がされているニルとメモリへ身体を向けた瞬間、その表情は凍りついた。寒々しい夜の蒼い月を思わせる、うすら寒い笑みがその唇に浮かぶ。
「ねえ、あなたたち。もう一度だけ、慈悲をあげましょう……殺されたい? それとも、生きたい?」
メモリはなりふり構わず、必死に命乞いの言葉を絞り出した。
「……生きたい。生かしてくれたら、私を好きに使っていいから! あなたの、夜の慰み者にしてもらっても構わない。どんな汚いことだって、私が代わりにやってあげる……!」
(メモリは本気で言っていますが……なんだか、無性にムカつきますね)
カタリストがムッとした表情でメモリを睨みつけ、玲子の腕を抱きしめるようにして制した。
「……さえずるのは止めていただけませんか? お姉様のお相手は私がしますので。あなたのような方は、お姉様の視界に入るだけで不浄です」
一方、ニルもまた、引き攣った媚びを玲子に向けた。
「私、私も生かしてくれ。君たちは裏組織なんだろう? 私のノウハウを提供しよう。私を使えば、君達の組織は、今よりも数倍は巨大化し、成長するはずだ!」
(……隙を見て、逃げ出してやる……ですか。こちらの殿方は、本当に変わりませんね)
カタリストは、その薄汚い打算を読み取り、白けた目でゴミを見るようにニルを見つめ、口を開いた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。カタリスト改め、佐藤彩香と申します。それだけ言えば、ニルさんには通じるかと……『隙を見て』どこへ行くおつもりですか?」
不意に見せた、カタリストの温度のない微笑み。ニルは、そんなカタリストを見て震えだした。
「……! まさか……いや、ち、違うんだ、私は逃げるつもりなど毛頭ない……必ず君たちの役に立ってみせる!」
玲子は、二人の必死な醜態を見届けると、花が綻ぶようにニッコリと微笑んだ。
「分かったわ……そんなに言うなら、あなたたちを使ってあげる……けれど、海の底で『永遠の愛』を誓い合っていた方が、何倍も幸せだと思うんだけどね」
玲子は、彼女の背後に佇んでいる清掃人の名前を呼ぶ。
「ブルーム、ダストパン」
「「はい」」
清掃人の二人が、音もなく玲子の傍らへと歩み寄る。
「あのね。あそこのニルとメモリを『売りたい』の」
まるで不用品を中古ショップに持ち込むような軽やかさで、ニルとメモリを指差す。
その言葉に、ブルームがほんの少し、意外そうに眉を動かした。
「……はあ。それは構いませんが。どこも壊れていないので、ジャンク品扱いにしなくても良さそうです。相応の額を提示できると思いますが」
ダストパンが、実務的な補足を入れる。
「あまり高い金額での買い取りになりますと、雅様にお伺いを立てる必要がありますが……ご希望の額は?」
玲子は、転がっている二人を冷たく一瞥して言い放った。
「一人、一円でいいわ」
「「は?」」
プロの清掃人である二人が、同時に素っ頓狂な声を上げた。人身売買組織とはいえ組織を率いていた「ニル」と、パンドラの頭脳だった「メモリ」。その二人の命が、道端の隙間に落ちているような小銭と同価値だというのか。




